2020年1月 1日 (水)

梅爺詩集『老いの言の葉』(7)

あけましておめでとうございます。
皆さまのご多幸をお祈りします。

音楽 

目をつむり、情感だけに身を任せて、新しい自分を確認する
それが音楽の世界です
 

「知る」「分かる」必要はありません、「感ずる」ことで十分です

「感ずる」だけですから、何の予備知識も要りません
むしろ知識が邪魔になることもあります
 

音楽が自分の感性に呼び掛けてくるものを
ただ素直に受け止めれば良いのです
 

受け止めた内容を、無理に言葉で表現する必要もありません 

クラシックは難しい
ジャズはうるさい
演歌は品に欠ける
宗教曲は抹香くさい
 

などと、先入観念で決めつける必要はありません

心が震え
懐かしさが蘇り
美しいものが目に浮かび
安泰と安らぎに包まれ
感謝の念が湧き
涙がこみ上げ

そういう自分を見つけたら、「好き」になればよいだけです
「感ずる」前に、「嫌い」ときめつけるのは、もったいない話です

音楽は、我がままに対応して一向にかまいません
気に入らないものは避け、好きなものを愛すればよいのです
他人の言葉や、他人の好き嫌いを気にする必要はありません
 

あなたが音楽を「聴く」人であれば、これで十分です

でもあなたが音楽を「創る」人になりたければ、話はすこし違ってきます

「創る」ことには、才能、たゆまぬ鍛錬努力、知識の習得などが必要です

私たちは、誰でもモーツァルトを「聴く」ことはできますが
誰もがモーツァルトやモーツァルトの曲の演奏家になれるわけではありません

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2019年1月 1日 (火)

梅爺詩集『老いの言の葉』(5)

あけましておめでとうございます。
皆様のご多幸を記念します。

期待と不安

『期待』と『不安』は裏表です。

プロポーズをする時、試合や受験に臨む時、『期待』と『不安』で揺れ動きます。

先のことは誰にもわかりません。

分からないままに放置すると不安に駆られますから、結果を類推しようとします。

『良い結果』を強く願う習性が私達の本能です。それが『期待』になります。

結果の類推には『悪い結果』も必ず含まれます。それが『不安』を呼び起こします。

『期待』と『不安』が裏表なのは、そのためです。

『良い結果』は幸運と喜び、『悪い結果』は不運と嘆きます。

このため人生は笑ったり、泣いたりの連続になります。

『悪い結果』を後悔のタネにしないために私たちは努力をします。

でも努力は必ず『良い結果』をもたらされるとは限りません。

余程の例外の除いて、幸運だけ、不運だけの人生はありません。

当り前のことは幸運と気付かずに、私達は不運を強調しがちです。

『不安』や不幸ばかりを抱え込んでいると、困ったことに体調も悪くなります。

『病は気から』は先人の教訓です。

当り前のことを幸運と受け止めれば、心は明るくなり、笑顔も増えます。

『期待』を強めて楽観的に生きる方が健全です。

『悪い結果』に遭遇したら、次の『よい結果』の布石と考えればいつまでも悔やまずにすみます。

残念なことに、分かっていてもこのように振る舞えないのが人生です。

でも分かっていなければ、もっと不幸です。

| | コメント (0)

2018年1月 1日 (月)

梅爺詩集『老いの言の葉』(4)

あけましておめでとうございます。
皆々様のご多幸を祈念いたします。

年賀状の交換は、あまり意味のない『虚礼』なので、やめにしたいとおっしゃる方が周囲におられます。

梅爺も一時は、そのように感じた時がありますが、今はそうは考えていません。

たとえ年に一度であれ、縁あって人生の一時期を『共に生きた』方々との過去を思い浮かべることは、自分が『生きている』『生かされてきた』ことを感謝する為に大切であると感ずるからです。

過去を美化するための懐古は、梅爺の好みではありませんが、過去を現在とは無縁なものとして切り捨てたくはありません。

元日恒例の『老いの言の葉』をお届けします。今年は短い内容です。

困りもの 

自分を『善人』と言う人に本当の『善人』はいません。
自分を『善人』と思い込んでいる人の『狂信』は困りものです。
 

自分を『悪人』と言う人に本当の『悪人』はいません。
本当の『悪人』の『悪業』は困りものです。
 

自分を『賢人』という人に本当の『賢人』はいません。
本当の『賢人』の『沈黙』は困りものです。
 

自分を『愚人』と言う人に本当の『愚人』はいません。
自分を『愚人』ではないと思い込んでいる人の『傲岸』は困りものです。

| | コメント (0)

2017年1月 1日 (日)

梅爺詩集『老いの言の葉』(3)

明けましておめでとうございます。

年始恒例の『梅爺詩集』です。理屈っぽい内容で『詩』とは程遠い内容になってしまいましたが、梅爺にとってはこれが一種の人生観です。

命と心

『命』は138億年前の『宇宙の始まり』とつながっています。

ですから『命』は宇宙にある材料だけでできていて、宇宙を支えている法則の一部だけを利用して活動しています。

数えきれない偶然の事象や変容が重なって『命』のしくみが出現しました。

『命』のしくみは、誰かが効率よく設計したようには見えません。

むしろ、無数の『変容』が永い時間をかけて累積した偶然の産物であるように見えます。

『命』のしくみを具体的に体現しているのが『細胞』です。

『細胞』はエネルギー源や栄養分を摂取し、不要な老廃物を排泄します。これが『代謝』です。

『細胞』は独自の『設計図(DNA)』を保有していて、これを利用して新しい『細胞』を創り出します。これが『複写』です。

『代謝』ができなくなると『細胞』は死を迎えます。後には素材だけが残り『命』は消滅します。

『複写』ができなくなると、その『細胞』が形成していた生物種は子孫を残せずに絶滅します。

『ヒト』の『命』の基本的なしくみは他の生物と変わりません。

約200種類の『細胞』が60兆個あつまって『ヒト』の『カラダ』を形成し、すべての『細胞』が協力しながら『命』を支えています。目もくらむような複雑な『命』のしくみが、自分の中に在ることを私たちは普段意識せずに『生きて』います。

『ヒト』は『脳細胞』を利用して、『心(精神世界)』という仮想世界を保有し進化させてきました。勿論『生きる』ために手段として必要であったからです。

生物種の『ヒト』は『心』を獲得し『人』になりました。

『心』を豊かに表現する方法も考え出しました。『言葉』はその代表です。

『心』は『理性』と『情感』で構成されています。

『心』は時に『人』を崇高な存在にしますが、時にはおどろおどろしい卑俗な存在にもします。

『命』があって『心』がなりたっています。

『命』が途絶えた時に、その人の『心』は消滅し、無に帰します。『霊魂不滅』は『心』が願望で考えだした虚構と考えれば得心がいきます。

豊かな『心』を育み、維持できるのは、『生きている人』だけの特権です。『心』が機能できる時間は有限です。

そうであるからこそ『人』は『生きている』時間を大切にしなければならないのです。

| | コメント (0)

2016年1月 1日 (金)

梅爺詩集『老いの言の葉』(2)

新年を迎え、皆さまのご多幸を祈念します。拙い詩をおとどけします。

ふいに

ふいに、宇宙が現れました。
ふいに、太陽や地球が現れました。
ふいに、地球に命が現れました。
ふいに、命は更なる安泰を求めて進化し始めました。
ふいに、進化の途中で、姿かたちが一人づつ違うヒトが現れました。
ふいに、ヒトに心が備わって、独りづつ考え方や感じ方が違う人になりました。
ふいに、人は言葉を話し始めました。
ふいに、人は道具を使い始めました。
ふいに、人は絵を描き始め、歌を歌い始め、話を空想で創り出すようになりました。
ふいに、人は安泰を求めて群をつくり、群は大きくなり、仕事の分担や身分の違いが現れました。
ふいに、群には、掟や価値を比較するしくみが創られ、人は自分の価値観を殺して群の価値観に従うように強いられました。
ふいに、人は、見えないモノに名前をつけて、確認するようになり、『神』『愛』『正義』『平和』『名誉』『目的』が特別大切なものであると信ずるようになりました。
ふいに、人は宇宙に、正しい間違いが判別できる真理があることに気付き、自分は真理のお陰で、生まれてきて死ぬことを知りました。
ふいに、人は宇宙の真理を利用した便利な道具を沢山考え、使い始めました。
ふいに、人は心が創り出す空想の世界と、真理に支配される実態がある世界の違いに薄々気づきましたが、対応に戸惑うようになり、今も戸惑っています。
 

もし、多くの人が、人は一人一人違うように作られていることを認め、違いを尊重する努力を始め、
もし、多くの人が、心が思うがままに創り出す空想の世界に、宇宙の真理と同じような真偽を判定する物差しをもちこむことは、難しいことを認め、
もし、多くの人が、自分だけが正しいと思うことを謙虚に疑うようになれば、
 

醜い『憎み合い』『殺し合い』の多くは、なくなるでしょう。 

でも、多くの人は、いざという時には自分を優先する心から逃れることができません。生物として受け継いできた『安泰を希求する本能』の支配が強いからです。
賢くなったはずの人が、本当に賢くなれないのはこのためです。
利己的なヒトが、利他的な人になるには、理性で『寛容』の意味を理解するしかありません。

| | コメント (0)

2015年1月 1日 (木)

梅爺詩集『老いの言の葉』(1)

年頭のブログとして、『老いの言の葉』という、拙い詩をお届けします。今後も思いついた時に『老いの言の葉』を綴りたいと思っています。

皆さまにとって、今年は良い年でありますように。

---------------------------------------------------

愛、希望、真実

愛だけで生きていけたら、どんなに善いだろう
そうすれば、私の心は醜いことを知らなくて済む

愛だけで生きていけたら、どんなに善いだろう
そうすれば、私の涙は暖いだけで済む

もし愛がこの世に無かったら
私は、冷たい知識だけを求めて生きていくのだろうか

もし愛がこの世に無かったら
私は、自分のことだけしか考えなくなるのだろうか

希望だけで生きていけたら、どんなに善いだろう
そうすれば、躓(つまづ)くことに怯えなくて済む

希望だけで生きていけたら、どんなに善いだろう
そうすれば、あきらめを弁解に変えなくて済む

もし希望がこの世に無かったら
私は一切の努力をやめてしまうのだろうか

もし希望がこの世に無かったら
私は、暗闇の中をただ彷徨(さまよ)うだけなのだろうか

真実だけで生きていけたら、どんなに善いだろう
そうすれば、いかがわしいものを信じなくて済む

真実だけで生きていけたら、どんなに善いだろう
そうすれば、選ぶことで迷わなくて済む

もし真実がこの世に無かったら
私は、他人の言葉に耳を傾けなくなるのだろうか

もし真実がこの世に無かったら
私は、全てを批判し、自分さえも疑うようになるのだろうか

愛、希望、真実だけでは生きていけない

それでも、愛、希望、真実が無ければ、生きる喜びもなくなってしまう

| | コメント (0)