2019年2月17日 (日)

青木紀久子 室内楽の夕べ(ウィーンの輝き)

2月15日(金)の夕刻、品川の『アンビエンテ』で、『青木紀久子 室内楽の夕べ(ウィーンの輝き)』が催され、梅婆と出かけました。

『青木紀久子』さんは、室内楽の著名なピアニストで、毎年演奏会を続けておられます。梅爺の合唱仲間で畏友の『青木修三』氏の奥様で、そのような御縁から毎年楽しみにしている演奏会です。

今回も、会場は満席で、素晴らしい演奏を堪能しました。

演奏者は去年と同じで以下のメンバーでした。

青木紀久子(ピアノ)
クリストフ・エーレンフェルナー(ヴァイオリン)オーストリア
ヘルベルト・ミュラー(ヴィオラ)オーストリア
富岡廉太郎(チェロ)

プログラムは5ステージで、以下の内容でした。

シューベルト・・弦楽三重奏
ベートーベン・・弦楽二重奏
モーツァルト・・ピアノ三重奏曲
フンメル・・ピアノとヴィオラのソナタ
モーツァルト・・ピアノ四重奏曲

作曲家は、18世紀から19世紀の初頭にかけて、ウィーンを中心に活躍した人たちで、クラシック音楽の黄金期と呼ばれる『ロマン派』の時代を築きました。

音楽は、音や声で『精神世界』を表現する芸術領域で、人類の歴史とその歴史が一致するであろうと考えられています。『精神世界』を表現することは、群で生きる人類にとっては、他人との『絆』を確認する手段、『神』と交流する手段であったからです。

『西欧音楽ロマン派』は、古代ギリシャから継承されてきた『理』を重んずる文化を基盤として継承しているために、『情感』を表現することが主体でありながら、音程、和声、対位法など『理』の法則(ルール)が背後に組み込まれています。

この特徴が、異なった楽器を集めた『合奏』や、人間の声を集めた『合唱』というような様式を可能にしています。『理』が整然としたハーモニーや旋律の進行に寄与していて、聴く人の『精神世界』にも調和感を喚起します。

日本の伝統音楽も含め、西欧音楽以外の『音楽』では、この『理』の取り込みがあまりないため、素朴感や情緒の表現に止まっているように感じます。

『室内楽』は、演奏家の音楽性が一つになって、互いに会話のような受け渡しが行われます。楽器の特徴も顕著ですから、緊張感の中に調和感があります。

演奏会の余韻を楽しみながら帰宅しました。

| | コメント (2) | トラックバック (0)

2017年10月 3日 (火)

青木紀久子 室内楽の夕べ

001

毎年梅爺が楽しみにしている演奏会『青木紀久子 室内楽の夕べ』が、今年は9月28日に、品川の瀟洒(しょうしゃ)なドイツ風の建物『アンビエンテ』のホールで開催され、梅婆と出かけました。

西洋音楽の愛好家にとって、『室内楽』の生演奏を聴く機会は、意外に少ないために、毎回新鮮な印象を受けます。今回も楽しい素晴らしい演奏会でした。

プログラムの内容ごとに、演奏家の組み合わせが変わりますが、各楽器を担当する演奏家は以下でした。

ピアノ     青木紀久子(梅爺の合唱仲間青木修三氏の令夫人)
ヴァイオリン クリストフ エーレンフェルナー(オーストリア)
ヴィオラ    ヘルベルト ミューラー(オーストリア)
チェロ     富岡廉太郎

プログラム内容は以下でした。

(1) ヴァイオリンとチェロのための二声のインヴェンションと対位法 フーガの技法より (J.S.バッハ)
(2) ピアノ三重奏曲 変ロ長調 K.502 (モーツァルト)
(3) ヴィオラとピアノのためのソナタ ニ短調 (M.I.グリンカ)
(4) ヴィオラ ソロソナタop.60 (G.フォン アイネム)
(5) ピアノ四重奏曲 ハ短調WoO36Nr.3 (ヴェートーベン)

西洋音楽には、『歌唱』と『器楽演奏』の歴史があり、『室内楽』は『器楽演奏』のジャンルに属します。『歌唱』も『器楽演奏』も、歴史とともに大規模化し、現在では『合唱』『オーケストラ』に至っているのはご承知の通りです。しかし、極限の少人数で演奏される『室内楽』はメンバーの力量、音楽性が問われる、難しい音楽の領域です。

いずれの音楽ジャンルも、ルネッサンス、バロックまの時代に、様式、技法の基盤が確立し、その基盤は現代にまで継承されています。

今回も演奏された『バッハ』『モーツァルト』『ベートーベン』は、歴史の一時代を築いた巨匠たちですが、19世紀のロシアの作曲家『グリンカ』、20世紀のオーストリアの作曲家『フォン アイネム』の作品を聴くのは、珍しい体験でした。

『チャイコフスキー』『プロコイエフ』『ストラビンスキー』『ショスターコヴィッチ』などロシアは偉大な作曲家をその後排出していますが、『グリンカ』はその魁(さきがけ)で、広大な大地の風土を感じさせる美しいメロディーを聴くことができました。

『フォン アイネム』は、典型的なウィーン保守派の作曲家と言われていますが、現代に近い作曲家ですので、現代音楽の香りがしました。

私事で恐縮ですが、梅爺は所属する男声合唱団の12月の演奏会へ向けて、ルネッサンス、バロック時代の『合唱曲』の練習に取り組んでいます。

『ポリ・フォニー』と呼ばれる、複数パートが『旋律』のかけあいをする初期の合唱技法は、梅爺にとっては初めての体験で、苦労をしていますが、『合唱』の歴史を追体験できる貴重な経験になっています。

| | コメント (0)

2016年10月14日 (金)

青木紀久子 室内楽の夕べ(ウィーンの響き)

Img

10月7日の夕刻、銀座『王子ホール』で、『青木紀久子 室内楽の夕べ(ウィーンの響き)』が開催され、梅爺、梅婆は青梅からいそいそと出かけました。

室内楽でのピアノ演奏を得意とされるプロのピアニスト『青木紀久子』さんは、梅爺の大学時代の合唱仲間の『青木修三』氏の奥様で、毎年ウィーンから共演者を招いて、『室内楽演奏会』を開催しておられます。

演奏メンバーは以下の通りです。

青木紀久子(ピアノ)
クリストフ・エーレンフェルナー(ヴァイオリン)
ヘルベルト・ミュラー(ヴィオラ)
富岡廉太郎(チェロ)

プログラム内容は、以下の通りです。

(1) シューベルト 弦楽三重奏曲 第一番 変ロ長調(1楽章のみ)
(2) モーツァルト ヴァイオリンとヴィオラのための二重奏曲 ト長調(全曲)
(3) モーツァルト ピアノ三重奏曲 ハ長調(全曲)
(4) ヘンデル J.ハルヴォルセン:バッサカリアト短調
           ヴァイオリンとヴィオラのための
(5) モーツァルト ピアノ四重奏曲 第一番 ト短調(全曲)

私達が多く接する西洋音楽(クラシック)は、年代順に『バロック音楽』『古典派音楽』『ロマン派音楽』『近代・現代音楽』です。勿論、『バロック音楽』以前にも西洋音楽は存在していましたが、飛躍的に洗練された様式となったのは『バロック音楽』以降のことです。

今回演奏された曲目の作曲家では、『ヘンデル』が『バロック音楽』、『モーツァルト』が『古典派音楽』、『シューベルト』が『ロマン派音楽』に属します。

異なった複数(少数)の楽器で演奏される『室内楽』も『バロック音楽』で洗練された様式が確立し、今日まで継承されてきています。勿論、時代とともに、様式、約束事、それに楽器そのものも進化してきたこと(特にピアノ)は言うまでもありません。大規模な楽器構成で演奏される『オーケストラ』は、『室内楽』から派生したものです。

したがって、私達は『現代の楽器』で演奏される昔の作曲内容を聴いていることになります。この日の演奏会も、そういうことになります。

音楽は、作曲家の個性的な『精神世界』が反映している『楽譜』を、演奏家が自らの個性的な『精神世界』を反映させて『再現』する芸術様式です。つまり『精神世界』の表現が多重に絡み合っています。

人間の『精神世界』は、古代も中世も近世も現代もほぼ変わりがありませんから、音楽様式が変遷したとはいえ、聴衆の『心』に迫ってくるものは同じです。どれが自分の好みに合うかを確認することは自分の『精神世界』を見つめるという点では意味がありますが、どれが優れているかを論ずることはあまり意味がありません。芸術への対応は、自分の好きなものを見つけることでよいのではないでしょうか。他人や評論家の意見は、副次的なものに過ぎません。

この日の演奏会では、プロが演奏する、中世、近世の才能にあふれ特徴のある作曲家の作品をまとめて聴くことができ、『室内楽』の素晴らしさを、再認識し満喫できました。

『王子ホール』の規模も、『室内楽』の演奏に適していて、比較的後方の席でしたが、舞台の演奏に溶け込んで聴くことができました。 

| | コメント (2) | トラックバック (0)

2016年7月22日 (金)

第9回東京六大学OB合唱連盟演奏会

Img


7月18日の午後、池袋『東京芸術劇場』コンサートホールで、『第9回東京六大学OB合唱連盟演奏会』が開催され、梅爺は東京大学男声合唱団『コール・アカデミー』のOB合唱団『アカデミカ・コール』の一員として、舞台で歌いました。
 

『東京六大学OB合唱連盟』は全て『男声合唱団』です。明治以降、大学が主として男性のための勉学の場であったことにも由来しますから、『東京六大学野球』と性格が似ていないことはありません。 

ただし、現在の日本の大学の多くは、男女を区別しない勉学の場になっていて、それでも『男声合唱』『男性メンバーによる野球』が存続しているわけですから、『男尊女卑』の考え方の名残とばかりは言えません。 

『男声合唱』は、『混声合唱』『女声合唱』『少年(児童)合唱』などと同じく、『合唱』の一つのジャンルであり、それぞれのジャンル同様に『特徴』を有しています。『合唱』として『男声合唱』だけが優れているとは言えませんが、他の合唱形式では表現できない『特徴』があります。この特徴に魅せられた人達が活動に参加し、同じくその魅力に魅せられた方々が、演奏会を聴きに来て下さいます。 

人間の声としては低い部類に属する『男声』だけで『和音(ハーモニー)』を創りだすと、物理的に高い『倍音』が生みだされ、聴衆の耳に届きます。この『肉声』と『倍音』の組み合わせが、『男声合唱』独特の重厚さの要因です。演奏会の最後に、各校の『校歌、エール』の合同演奏が行われましたが、300人規模の『男声合唱』は圧巻でした。 

残念ながら最近の日本の男子大学生で、『男性合唱』に興味を持つ人が少なくなり、『男声合唱団』の継承が難しくなっている大学が増えています。東京六大学の中では、『法政大学』が一番危機的な状況になっています。

『東京大学』も、数年前までは入部する人が減る状況が続いたため、OBが種々の援助を行い、現在では危機を脱出しました。新たに『女声合唱団』も新設し、『合唱』に必要な、人員(量)と質(基礎トレーニング)が確保できるようになりました。『合唱』のレベルはその国の文化レベルの象徴でもありますので、多くの若い人達が『合唱』に参加する国であってほしいと願います。

今回、『アカデミカ・コール』は、『藤原義久』先生の作編曲による、『法華懴法(ほっけせんぽう)』を演奏しました。、『法華懴法』は、天台宗総本山園城寺(通称三井寺)の声明(しょうみょう)を男声合唱として採用したもので、1969年に『コール・アカデミー』の委嘱で創られた作品です。当時の『コール・アカデミー』はこの曲をドイツ演奏旅行でも演奏しています。

音楽の形式は『西洋音楽』ですが、表現する内容は『仏教の教義』『日本的な感性(文化)』ですから、大変難しいことに挑戦することになりました。

カトリック信者で宗教全般にに造詣が深い『三澤洋史』先生の、指揮、指導で、なんとか歌うことができました。梅爺は『キリスト教』の祈りと、『仏教』の祈りの共通点、相違点などの理解が少し深まったような気がしています。

| | コメント (0)

2015年12月16日 (水)

東京大学音楽部(男声合唱団、女声合唱団)合同定期演奏会

Img_0001

12月13日(日)に、東京大学音楽部男声合唱団『コールアカデミー』と女性合唱団『コーロ・レティツィア』の合同定期演奏会が『赤羽会館(東京都北区)』で開催され、梅爺が所属するOB男声合唱団『アカデミカコール』が賛助出演して現役の『コールアカデミー』と一緒に、『三つのイタリア語の祈り』を演奏しました。

『コールアカデミー』は、東大の伝統ある男声合唱団として続いてきたものですが、10年位前に入団部員の数が激減して、存続の危機に陥りました。この危機を乗り切るために、『OB会』による資金援助がおこなわれ、『女声合唱団』を新設するというテコ入れが行われました。

その甲斐があり、学生たちの努力もあって、今では、男声合唱団は40名を、女声合唱団は20名を越す、立派な『合唱団』に育っています。勿論、演奏能力も高いレベルにあります。

支援をしてきた梅爺たち爺さんたちにとっても嬉しいことで、『世の中結局カネ(資金援助)とオンナ(女声合唱団新設)だね』などと、少しばかり品の無いジョークを云い交わしています。

今回梅爺たちが演奏した『三つのイタリア語の祈り』は、指揮をしてくださった『三澤洋史(ひろふみ)』先生ご自身の作曲作品で、『主の祈り』『聖フランシスコの祈り』『アベマリア』で構成されています。梅爺たちがこの曲の演奏をするのは今回が2回目です。ピアノと室内楽構成の弦楽器アンサンブルが伴奏を担当しますが、宗教曲には珍しくアコーディオンがそれに加わっています。特に『アベマリア』は、我々爺さん合唱団のために作曲されたものです。宗教曲にアコーディオンの伴奏、爺さん合唱団のための『アベマリア』などに、三澤先生のエスプリが込められています。『アベマリア』は普通、少年合唱団や女声合唱団が静謐(せいひつ)に歌うものですから。

三澤先生自身が敬虔なカトリック信者であることもあり、そして最近の世界的な『テロ事件』の影響も受けて、練習時から三澤先生の熱い思いが語られました。特にパリは三澤先生にとっては、思い入れが多い都市であることもあったのでしょう。『祈り』を構成するイタリア語の言葉の本来の意味も懇切に教えていただいたこともあり、今回の演奏は『祈り』でありながら、エネルギーや思いを聴衆へ届けることができたように感じます。

特にアッシジの『聖フランシスコ』が『平和のために私を道具としてお使いください』と神に祈った2曲目は、カトリックの宗教曲とは思えない、情熱やエネルギーに満ちています。

『祈り』が狂信的なテロリストの行動を変えることには、直接つながりませんが、それでもテロリストとは異なった価値観を持つ人達が、地球上に沢山いることを示すことに大きな意味があります。

異文化をお互いに認め合って、殺し合いせず共存することが、唯一残された手段です。しかし、『狂信』は異文化を認めない立場ですから、これに立ち向かう知恵を人類は、残念ながら保有していません。報復空爆すれば『徹底殲滅(せんめつ)できる』という考え方も『狂信』ですから、『狂信』と『狂信』の戦いがどこへ向かうのか予測ができません。

誰もが理性で異文化の存在を認めるようになってほしいと願いますが、『祈る』しかないという現状は、もどかしさを感じます。そもそも、『神』などという概念を人間が思いつかなければ、こんなことにはならなかったのにと、畏れ多い愚痴めいた妄想を抱きたくなります。

| | コメント (0)

2015年10月 5日 (月)

青木紀久子 室内楽の夕べ ウィーンの響き

Img

10月3日の夕刻、品川の『アンビエンテ』で、『青木紀久子 室内楽の夕べ ウィーンの響き』という演奏会が開催され、梅爺夫婦は楽しみに出かけました。

演奏者とプログラム内容は以下です。

ピアノ     青木紀久子
ヴァイオリン クリストフ・エーレンフェルナー
ヴィオラ    ヘルベルト・ミュラー

二つの二重奏曲『わが故郷より』 スメタナ (ピアノ、ヴァイオリン)
二重奏曲『アルペジョーネ』 シューベルト (ビアノ、ヴィオラ)
ヴァイオリンとヴィオラの為のコンツェルタンテ ロッラ (ヴァイオリン、ヴィオラ)
ピアノ三重奏曲『ケーゲルシュタット』 モーツァルト (ピアノ、ヴァイオリン、ヴィオラ)

ピアニストの青木紀久子さんは、梅爺の大学時代からの合唱仲間の『青木修三』さんのご令室で、芸大ピアノ科を卒業後、ドイツへ留学し、その後も演奏活動を続けておられる方です。特に、室内楽のピアノ演奏に長けておられ、毎年室内楽の演奏会を開催されています。

ヴァイオリン、ヴィオラの奏者は、オーストリアの方々で、ウィーン音楽大学を卒業後、オーケストラメンバー、室内楽メンバー、ソリストとして活躍しておられる方々です。

品川にある『アンビエンテ』は、瀟洒な洋館を利用したもので、100人ほどの聴衆でいっぱいになる、演奏者と聴衆が一体になりやすい室内楽に適した会場でした。音響の良い身近な環境で『室内楽』を聴くと、楽器の細かい表現ニュアンスまでを聴きとることができ、想像以上の迫力を実感できました。

『スメタナ』『シューベルト』『ロッラ』『モーツァルト』という、プログラム構成も、作曲家の感性の違いを楽しむことができました。『ロッラ(イタリア)』という作曲家や、室内楽としては比較的珍しいヴァイオリンとヴィオラの二重奏曲の存在を初めて知りました。チェコの風土が薫る『スメタナ』、歌詞をつけて歌いたくなるような流麗な『シューベルト』、才気溌剌(はつらつ)たる『モーツァルト』に加え、アンコールでは『シューマン』の『おとぎ話』の一部も楽しむことができました。

満足して帰宅し、ラグビー日本代表がサモアに快勝するのをテレビで観て、更に満足する一日になりました。

| | コメント (0)

2014年7月18日 (金)

第八回東京六大学OB合唱連盟演奏会(4)

『Le Preghiere Semplici - 三つのイタリア語の祈り』の最初の『主の祈り』は、キリスト教関係者には馴染みの内容です。新約聖書に乗っている『キリストが弟子たちにこのように祈りなさい』と教えた内容で、礼拝時に信者が一緒に必ず複唱します。日本語では『天にまします父なる神よ、御名(みな)を崇めさせたまえ、御国(みくに)を来たらせたまえ』で始まります。『祈り』としては、さすが『神の子イエス』が教示しただけあって、人間の創作とは思えないほどの完璧な内容であると、三澤先生は評しておられました。

日本語の『我らの罪をも許したまえ』という部分の『罪』は、イタリア語では『debiti』で、英語の『debt(負債)』の語源と同じです。つまり『罪』というよりもっと明確に『負い目をチャラにして欲しい』という直接的なお願いの意味が込められています。『悪より救いだしたまえ』と『救いだす』は、イタリア語では『liberaci』で、英語の『liberalize(寛大にする)』ですから、『締め付けを緩めて欲しい』とニュアンスが強く、『心を解き放ってほしい』という意味も込められていると三澤先生は解説して下さいました。

同じ『主の祈り』を唱えながら、イタリア人と日本人は、少々異なった『精神世界』を感じ取っているらしいことが分かります。

二番目に歌った『アッシジの聖フランシスコの祈り(Preghiera Semplice)』は、イタリア人でもそれほど馴染みが深いものではないらしいことを知りました。三澤先生にとってはアッシジで受けたインスピレーションが作曲のベースになっていて、最も思いがこもっています。梅爺も以前アッシジを訪れたことがありますので、街並みや聖堂を思い出しながら歌いました。

『聖フランシスコ』は、『小鳥に説教をした』などという逸話の残る、『聖人』の中でも、飛びきりの温和な『聖人』の印象が強い人ですが、裕福な商人の家に育ち若いころは享楽的な生活を送ったとも言われています。突然すべてを投げうって聖職者になったところは、『釈迦』の出家と似ています。

『祈り』の内容は、『私をあなたの平和の道具としてください』に始まり、『憎しみ』のあるところでは『愛』をなど、多くの『対語形式』を駆使して、自分を『道具』として使って欲しいと、繰り返しています。表現は、論理的で情熱的な印象を受けます。三澤先生の音楽表現も、ラテンのリズムで『情熱』的になっています。

最後の『アヴェ・マリア』は『聖母マリア』に捧げる祈りで、イタリア人なら誰でも知っている内容です。『マリア崇拝』は、初期のキリスト教には無かったものですが、後に女性の信仰者を増やすことには大きく貢献しています。宗教には『厳しさ』と『優しさ』の両面がありますから、『父なる神』『母なるマリア』という象徴的な表現は庶民には受け容れ易いものです。

バチカンにある、ミケランジェロの彫刻『ピエタ』を観れば、誰もが『マリア』にひれ伏したくなる気持ちが分かります。三澤先生の『アヴェ・マリア』も、崇高な表現になっています。

イタリア語の『祈り』を歌って、梅爺の信仰心はあまり改善されませんでしたが、キリスト教に関する知識は少し増えました。

| | コメント (0)

2014年7月17日 (木)

第八回東京六大学OB合唱連盟演奏会(3)

『言語』とその国の『精神文化』が密接に関係しています。このため、『宗教』『芸術(とくに文学)』は『精神世界』を基盤としていますので『言語』の影響を受けるのは当然です。『精神世界』で重要な役割をはたす、『抽象概念』をある『言語』で表現した場合、その『言語』の文化圏だけで暗黙に共有されているニュアンスを伴いますので、他の『言語』の文化圏で生活する人達に、必ずしも正確に理解してもらえるとは限りません。日本の『精神文化』の中核を占める『ワビ』『サビ』などという概念を外国語で表現するのは至難の業です。

一方『科学』は、『理』一辺倒の『世界』ですから、『言語』による表現の違いという問題は発生しません。正しい翻訳がなされていれば、英語の科学論文を日本語にして読んでも特に支障はありませんが、『文学』や音楽の『歌詞』となると、そうはいきません。『原語』で読む、歌うことが理想となりますが、こんどは大半の読者や聴衆が『原語』を理解できないと言う問題に遭遇します。外国語の『文学』『歌詞』を日本でどのように表現するかは、このジレンマとの戦いです。

今回六大学の内、『早稲田』『明治』『法政』は、日本人が作曲した日本語の合唱曲を演奏し、『立教』と『慶応』は、リヒャルト・シュトラウス(今年は生誕150年記念の年)の歌曲をドイツ語で演奏し、『東大』はイタリア語で表現されたキリスト教の『祈り』を、日本人(三澤洋史先生)が作曲して、イタリア語で演奏しました。『東大』の挑戦は非常にユニークです。

今回梅爺たちは、イタリア語をイタリア語らしく歌うことで、四苦八苦しました。イタリア語は日本語と母音表現が似ているので、日本人にはなじみやすいと良く言われますが、実態はそう簡単ではないことを実感しました。

イタリア語に堪能の三澤先生から練習時に特訓を受けましたが、三澤先生のイタリア語の先生(当然イタリア人)が、今回は演奏を聴きに来て下さるというので、梅爺たちはプレッシャーを感じながら歌いました。後で三澤先生が確認してくださったところでは、『言葉が大変良く聴き取れた』という感想であったとのことで、ホッとしました。

それならば、日本語の合唱曲を歌う時は『易しい』のかというと、それはそれで、難問が多いのです。『美しい日本語』を合唱で表現するのも、実に奥が深く、なかなかうまくはいきません。

合唱では、『原語』と『精神世界』の問題をいつも考えさせられます。

| | コメント (0)

2014年7月16日 (水)

第八回東京六大学OB合唱連盟演奏会(2)

『東京大学音楽部OB合唱団アカデミカコール』は、学生時代『東京大学音楽部コールアカデミー』に所属し、男声合唱を経験した人達で構成されています。

卒業年次は異なりますから、学生時代には必ずしも一緒に歌った人達ではありませんが、『同じ伝統文化を受け継いでいる』という点で、『絆』は強固です。

現在『アカデミカコール』の常任指揮者を、『三澤洋史(ひろふみ)』先生にお願いしています。三澤先生は、現在新国立劇場のオペラ合唱専任指揮者で、海外留学、バイロイト音楽祭での合唱指導スタッフとしての活躍、ミラノ『スカラ座』での研修などの豊富な実績をお持ちです。

このような、日本を代表する合唱指導者が、『爺さん合唱団』の面倒をみてくださるという組み合わせは、一見不思議な関係なのですが、爺さんたちからすると息子の年代ともいえるような若い三澤先生の『蘊蓄(音楽、外国語、宗教など)』『指導(時に叱責)』を心から尊敬して受け容れています。

三澤先生も、爺さんたちの純粋な合唱に対する情熱を尊重してくださり、不思議な関係は『良好な関係』として継続しています。

今回は特に三澤先生が、『アカデミカコール』のために、オリジナルな男声合唱曲を作ってくださいました。『Le Preghire Semplici - 三つのイタリア語の祈り』がそれです。小編成の弦楽器、ピアン、アコーデオンによる伴奏つきで作曲されています。

『三つのイタリア語の祈り』は、文字通り歌詞は全て『イタリア語(一部ラテン語)』で、キリスト教の『主の祈り』『アッシジの聖フランシスコの祈り』『アヴェ・マリア』で構成されています。

三澤先生は、カトリックのクリスチャンで、『アッシジの聖フランシスコ』が特にお好きで、ご自分の洗礼名も『フランシスコ』としておられます。

このように書くと、いかにも荘厳、静謐(せいひつ)な『宗教曲』という印象の合唱曲であろうと皆さまは想像されるかもしれませんが、実際は必ずしもそうではありません。ラテン風のリズム感、メロディが多用された、むしろ『華やかで情熱的な曲』なのです。アコーデオンを伴奏楽器に使われる宗教曲というのも、珍しいのではないでしょうか。

三澤先生は、非常にユニークな宗教観をお持ちなのではないかと梅爺は想像しています。お仕着せで均質な宗教観ではなく、ユニークな宗教観は、『精神世界』の個性的な表現で、梅爺にとっては魅力的です。

日本人の爺さんたちに、『イタリア語の祈り』を歌ってもらう目的は、日本語の聖書で表現されている『父なる神』『聖母マリア』とは、微妙に異なるニュアンスでイタリア人が『神』『マリア』の存在を受け容れていることを、爺さんたちに実感してもらおうと考えられたからではないでしょうか。

日本語で『御名(みな)を崇めさせたまえ』などと言うと、『神』は近づきがたい存在で遠のいてしまいますが、イタリア人が『神』に『Padre(父)』、マリアに『Madre(母)』と呼びかける時は、子供が『父ちゃん』『母ちゃん』と言っているときの親近感に近いと、三澤先生は解説してくださいました。

日本的精神文化でキリスト教を日本人が受け容れるのは当然ですが、それとは異なった精神文化とキリスト教の関係が存在することも承知した方が、信仰の内容が深まるということを三澤先生はおっしゃりたかったのではないかと思います。宗教曲がラテン風の音楽であったり、アコーデオンの伴奏がついたりすることに驚くこと自体、私たちが精神の自由さを失っている証拠なのかもしれません。

| | コメント (0)

2014年7月15日 (火)

第八回東京六大学OB合唱連盟演奏会(1)

二年毎に開催される『東京六大学OB合唱連盟演奏会』の第八回目が、7月13日(日)の午後、池袋の『東京芸術劇場コンサートホール』で開催され、梅爺は『東京大学音楽部OB合唱団アカデミカコール』の一員として、三澤洋史先生指揮の下に『Le Preghiere Semlici - 三つのイタリア語の祈り』を歌いました。 

東京六大学は、いずれも伝統的な『男声合唱団』を継承していて、現役学生諸君は、『合同演奏会』を昔から開催し続けています。 

『東京六大学OB合唱連盟』が合同で演奏会を始めたのは1999年からです。それ以前、各学校とも独自にOB組織の活動はありましたが、『合同演奏会』形式がこれで確立しました。 

その頃梅爺はまだ仕事の現役時代で、趣味としてOB合唱団に加わり、熱心に歌い始めたのは、仕事を引退して後の事ですので、『東京六大学OB合唱連盟演奏会』の最初の数回は、参加していません。

学生時代『男声合唱』にのめり込んでいた梅爺は、『いつかは、また歌いたい』と心の隅で考えていましたが、多忙な会社における現役時代は、文字通り『夢』でした。

各学校とも、『OB合唱活動』には、少しの違いがあり、メンバーの年齢層も同じとは言えませんが、やはり、仕事の現役を引退した人達の比率が高くなるのは必然的で、特に『東京大学音楽部OB合唱団アカデミカコール』の場合は、その傾向が顕著です。『気持ちだけはやたらに若い元気な爺さん合唱団』ということになります。『アカデミカコール』は、昨年ニューヨークのカーネギーホールと、東京のオペラシティコンサートホールなどで、演奏会を開催しています。

男声合唱は、高音部(テナー)と低音部(バリトン・バス)の音域や音質に差があるために、混声合唱、女声合唱とは異なった、重厚なハーモニーが生まれます。歌う人も、聴く人も一度この魅力に取りつかれると、愛好者に変貌してしまいます。

世界の各地で男声合唱は行われていますが、日本のレベルはかなり高いと思います。日本では、子供の時から、合唱、器楽独奏(ピアノ、バイオリンなど)、独創器楽合奏(吹奏楽など)を経験したり、習ったりする人が多く、これが日本の音楽のレベルを国際的に高いものにしています。色々な音楽ジャンルに愛好者が多いということは、日本の文化レベルの指標として誇らしいことです。

日本の男声合唱は、学生合唱団、OB合唱団、職場合唱団、地域愛好家合唱団など主としてアマチュア合唱団の活動が主体です。そういう意味では、『東京六大学OB合唱連盟演奏会』も、高いレベルの維持に貢献していると言えます。プロの『男声合唱団』が出現しないのは、主として経済的な理由ですが、そのうち日本に出現してもおかしくありません。

今回の演奏会では、各校が20分程度の単独演奏を行った後、参加者全員で各校の校歌を合同演奏しました。この校歌合同演奏が、毎回この演奏会の目玉の一つになっています。300人を越す『男声合唱』を生で聴く機会は、そうはありませんから、その『ド迫力』に、会場から惜しみない拍手が送られます。

| | コメント (0)

より以前の記事一覧