2008年7月21日 (月)

コンピュータ嫌い(3)

『コンピュータ嫌い』の原因は、多様であるように感じます。多くは、この得体の知れないモノを操る能力は、自分には無いと、最初からあきらめてしまっておられるのではないでしょうか。特に、自尊心の強い方は、軽薄そうに見える他人が、得意げにコンピュータを使っているのを見聞きするだけで、一層反感がつのり、『忌避反応』は強まるにちがいありません。

機械(モーター、機関車、自動車、飛行機など)が、工業社会を実質的に推進したように、IT(情報・通信処理技術)が、情報社会の牽引役であり、その中心的商品がコンピュータです。

産業革命を『ラッダイトによる運動(機械打ちこわし運動)』が押し止めようとしましたが、実現できなかったように、『コンピュータ忌避運動』は、情報社会を押し戻すことはできません。両方とも、『貧富の差の拡大』『人間の豊かな精神生活の破壊』を危惧している点では、共通で、その主張には一理があるのですが、動き始めたパラダイムを止めたり、押し戻したりはできません。

昔に戻ることができない以上、新しいパラダイムの中で『貧富の差の拡大』『人間の豊かな精神生活の破壊』を抑制する、あたらしいルールやしくみを人類は考案する必要があります。ITやコンピュータを悪者に仕立ててみても、問題は解決しません。

確かに、現在の世界情勢を殺伐にしている一つの要因は、競争が基盤にある『グローバル経済』と、『IT』が結びついていることにあります。一瞬にして、投機のための大金が、国境を越えて移動することになりますから、財政的に貧困な国家は、直ぐに経済危機におちいることになり、それが世界経済に影響を及ぼします。個々の金融機関の『部分最適追求』が、『全体最適』に反し、めぐり巡って自分も困難な状態に追い込まれる可能性を秘めているという、パラドックスになっています。炭酸ガス排出権益までも、国際商品として投機対象にしたら、どのような悲惨なことになるかは、見えています。

しかし、繰り返しになりますが、コンピュータやインターネットを悪者にしても、この問題は解決しません。『国益優先』などと、私達は気軽に言いますが、『国益』は、『部分最適』のことであることを、世界中の人たちが理解しないと、一層ひどい状況になるように思います。『競争原理』『国益』などにも、全体最適からの『制約』があるという単純な話ですが、自分は損をしたくないというエゴのために、本当に追い込まれるまでは認めようとしない人間は、賢い存在と言えるのであろうかと、首をかしげてしまいます。

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2008年7月20日 (日)

コンピュータ嫌い(2)

東大情報環学科のシンポジュームを中継する番組(NHKBS第二)の中で、東大の先生がコンピュータの将来像に触れた時に、同じくパネリストの、アートディレクターで東京女子美術大学の先生が、明らかにコンピュータを重視する姿勢に不快感を示され、『大体、コンピュータを使う時の人間の姿勢は、不健康で人を病気にする』とまで発言されました。たしかに、コンピュータを長時間使い続けるのは、梅爺も『健康的』とは思いませんが、やや『坊主憎けりゃ、袈裟までも』の感があると思いました。

この先生は、『今や、日本は、テレビといえば(低俗な)バラエティ番組しか観ないような、何も期待が持てない社会になっている』と発言されましたので、この文脈から推察すると、『コンピュータも、日本の社会を低俗にしている元凶の一つ』とおっしゃりたいのではないかと思いました。

テレビやコンピュータを、刹那的な娯楽提供道具としてしか利用せず、『自分で考える、自分で創造ずる』ことを放棄している社会には、期待が持てないとおっしゃることが主旨ならば、現在の日本社会には、そういう傾向が強いとは言えないことはありません。しかし、どの国の、どの時代の社会でも、『刹那的な娯楽しか求めない人』や『自分で考えない、自分で創造しない』人たちは、必ず存在しますので、『現在の日本社会は魅力的でない』と一言で切り捨てるのは、行きすぎのように感じました。

元々、日本人は自分の考えより、他人の考えを気にする性格が強いように思いますが、これほど、多様な情報が溢れた状態になると、他人の意見の確認どころか情報の量に押しつぶされて、一層自分で考えることをあきらめてしまっているように梅爺には見えます。

自分が考える上で、情報が多いことは、本来歓迎すべきことのはずが、逆に、考えることをあきらめる要因になっているというパラドックスのようにも見えます。コンピュータが情報社会を推進する牽引車にはなっていることは確かですが、情報社会が人間にとって都合が悪いのは、コンピュータのせいとするのは、車社会が不都合なのは、車のせいだとするのと同様、少し論点がずれているように思います。

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2008年7月19日 (土)

コンピュータ嫌い(1)

世界の中で、情報社会の先端を走る日本の中でも、『コンピュータは嫌い』『コンピュータは苦手』と公言される方々が沢山おられます。

コンピュータに接する機会や、使い方を習得する機会に恵まれなかった方が、『取り残されて』そのように言われるのはともかくとして、過去に機会があり、教育レベルも高く、経済的余裕があるにもかかわらず、コンピュータを毛嫌いされる方がおられる現象を、梅爺は興味深く感じています。

梅爺の大学時代の合唱仲間である友人の中にも、『音痴』になぞらえて、自分は『電痴(でんち)』であると、自嘲気味におっしゃる方々がおられますが、社会的には高い地位まで上られた登られた方々ばかりですので、多分『秘書』に、コンピュータを利用する仕事を任せているうちに、『リテラシー(使い方)』の習得に遅れをとってしまったのでしょう。こういう方々は、ある程度コンピュータ利用の便利さは理解しておられますが、今更習得する気概は失せているということであろうと推測しています。

コンピュータの裏側に潜む、複雑多様な世界を、何となく察知し、表面的な『リテラシー』を身につけることが、コンピュータを理解したとは言えないと感じておられるのかもしれません。『Nice to meet you』『Your welcome』などと簡単な応対ができるから『英語の会話を理解した』とは言えないという話と同じですから、もしそうであれば、その心情は理解できます。

このような、自らを『電痴』と認める、ある意味で可愛げのある方々ではなく、コンピュータやコンピュータを利用する人の存在を否定するような、強い『忌避反応』を示す知識人がおられることに、梅爺は興味を惹かれます。

何故、こんなにコンピュータは『憎まれる』ことになったのでしょうか。

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2008年1月29日 (火)

ユビキタス(6)

研究会の座長の大学の先生が、ユビキタス・ネットワーク社会になったときの実現サービスとして、以下のような事例を、得意げに話されましたので、梅爺は仰天しました。

「ある人が、AとBという薬を飲もうとした場合、その人の体質情報と照らし合わせて、二つの薬の併用は危険であると、ネットワーク・システムが判定した時には、即刻、アラームをその人に通知することができるようになります。薬のビンの蓋に、マイクロチップを埋め込んでおけば、このようなことも可能になります」

梅爺は、コンピュータ・システムの専門家として、このようなシステムが、「論理的には構築不可能ではない」ことは承知しています。しかし、1億人の国民の全てが、今どこに居て、何をしようとしているかを検知(この例の場合は、薬のビンを開けたこと)し、その人の個人的な情報(この例の場合は、健康、体質情報)に照らし合わせて、即刻、その行動の可否を、本人に通知するというシステムを構築するのは、並大抵なことではありません。当然、人間や、薬のビンの蓋に仕込まれたマイクロチップと交信出来る、膨大な無線ネットワークシステムを日本中に張り巡らさなければなりません。

技術問題のほかにも、「国民総背番号制度」や「プライバシー」の問題なども、社会の制度として、整備しておく必要があります。

ユビキタス・ネットワーク社会がもたらす「効能」として、例に挙げるには、あまりにも、現実離れをした内容であることに、梅爺は、仰天し、あきれました。一体この先生は、情報社会について、どのようなことを大学で生徒に講義しているのだろうかと、心配になりました。

情報社会の進展につれて、社会が、ユビキタス・ネットワーク社会として成熟していくことは、勿論間違いありません。しかし、その時点の技術的、経済的な制約は、現実にありますし、社会制度の見直しも必要になることが沢山出現しますので、「夢のような話」が、直ぐにでも実現するというわけではありません。しかし、幸いなことに、他国との相対的な比較論で言えば、日本は、今や最先端のユビキタス・ネットワーク社会に突入しています。

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2008年1月28日 (月)

ユビキタス(5)

前にも書いたように思いますが、中央官庁の主催する委員会、研究会などの座長や委員長には、「中立」であるという理由で、大学の先生が指名されることが大半です。

大学の先生が全て「世間知らず」であると非難するつもりはありませんが、技術専門の先生は、「世の中で、あることを実現するには、技術以外の複雑な要因を全て克服しなければならない」ということに関する配慮が、足りないような場合が多く、梅爺は、企業代表の委員として、少しイライラすることがありました。

日本がユビキタス・ネットワーク社会になった場合の、5年後、10年後の「図」も、綺麗事に思えましたので、以下のような質問をしました。

「ここに描かれている絵を実現するには、総額どの程度の投資が必要になるのか、概算でも検討する必要がありませんか。サービスが国民に有償で提供される分と、無償で提供される分の区分けも必要でしょう。有償のサービスは、国民が対価を支払える程度の範囲に入るかどうかもチェックしておく必要がありますし、無償サービスは結局税金負担になりますから、それが可能な範囲かどうか検討しておく必要もあるでしょう。更に申し上げれば、有償サービスは、民間企業に任せておけばよいのであって、政府の検討は、国民に無償で一律でサービスできる内容は何か(行政サービス、福祉サービスなど)に絞って議論すればよいのではありませんか」

この質問に対して、座長の大学の先生は、せっかく作った「図」に対してケチをつけられたと思われたのか、明らかに不快な顔をされ、「そのようなことを言っていると、何も、ことは前に進みません。どういうことになるのかを見極めるために、とにかく何かをやってみようと言っているのです」と、梅爺には、トンチンカンに思える返答をされましたので、梅爺は、それ以上の議論は無駄と考え、止めました。

対価を支払ってまでも、サービスを受けようと国民が考えることは、黙っていても民間企業は「事業化」を進めます。しかし、山奥の寒村に住む一人暮らしの貧しい老人にまで、一律の「福祉サービス」を提供することは、民間企業は利益になりませんので、進んで始めることはありません。政府が考えるべき、「どこでも、誰でも、何でも」というサービスは、一体何なのかを検討すべきと梅爺は考えましたが、それは、「厚生・労働省」や「文部・科学省」の管轄だと総務省に言われかねないことに気づきました。政府が、特に介入しなくても、民間主導のサービスに関しては、日本は、先進のユビキタス・ネットワーク社会になると、当時梅爺は楽観していましたが、携帯電話サービスを中心に、そのようになりつつあります。

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2008年1月27日 (日)

ユビキタス(4)

総務省の「ユビキタスネットワーク技術の将来展望に関する調査研究会」で、座長を努められた大学の先生は、「キャッチフレーズ」が重要なので策定しようと提唱され、以下のようなものになりました。

① どこでもネットワーク
② 何でも端末
③ 自在にコンテンツ
④ らくらくネットワーク
⑤ 安心ネットワーク

確かに、ユビキタスネットワークを実現する時に、必要となる要件ですが、梅爺には、宝塚の「清く、正しく、美しく」というキャッチフレーズよりも、一層「空々しい」ものに思えました。

ユビキタスに関するブログの最初に書いたように、ユビキタスは、「遍く(あまねく)存在する状態」を示す言葉ですので、分かりやすい例は「空気」です。しかし、このような比喩が陥りやすいマチガイは、類似点のみを述べて、大きな相違点を見落とすことにあります。

「空気」と「ユビキタスネットワーク」の大きな相違点は、前者が自然の恩恵で、「無償で」誰にでも提供されているものであるのに対して、「ユビキタスネットワーク」は、人為的に人間が作り出すものですので、「コスト」がかかり、そのコストは誰かが負担しなければならないことにあります。これは、決定的な違いです。

上記のキャッチフレーズは、経済的、技術的な「実現可能性」に触れておらず、ただ、出来上がった状態の「あるべき姿」を述べているだけですので、これを観た人に、そういうものが存在する、または直ぐにでも存在可能というような誤解を与えかねません。「ユビキタスネットワーク」は、経済的、技術的な裏づけ無しには実現しませんし、社会技術基盤でもありますので、特に経済的な裏づけを必要とします。

キャッチフレーズに続いて、今度は、日本の「ユビキタスネットワーク」が普及した状態を、5年後、10年後を想定して「図」で表記しようということになり、分科会がつくられて、もっともらしい「図」が出来上がってきました。

これもまた、経済的、技術的な裏づけなしに提示することは、誤解の元となると梅爺は感じ、一層「空々しい」と感じました。

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2008年1月26日 (土)

ユビキタス(3)

2000年前後の事であったように記憶していますが、日本のコンピュータ・メーカ中心の業界団体「電子協(経済産業省の外郭団体)」で、日本のコンピュータ産業を世界市場でも強いものにしていくための「将来戦略」を議論したことがあります。

半導体プロセッサーや、ソフトウェアのオペレーティング・システム(OS)など、主要技術を全てアメリカに握られてしまっている状況では、おいそれと良いアイデアが浮かぶはずはなく、不毛な会議が続いていました。

経済産業省は、日本のメーカーが結束して、新しい日本方式のコンピュータ(日の丸コンピュータ)を開発したらどうかというような意向も持っていたようですが、どの日本のコンピュータメーカーも、生きていくためにアメリカのいずれかのコンピュータメーカーとの間で、既に技術やビジネスの「提携関係」を保有していましたので、日本だけの「結束」は、現実離れした夢物語にしかすぎませんでした。

それでも、なんとか国家としての「将来戦略」のレポートをまとめないと、格好がつかないため、「ユビキタスネットワークとその応用」で先行することが、日本の戦略であるという苦肉の策を考え付きました。レポートのキーワードとして「ユビキタス」という言葉を使ったように記憶しています。

ゲーム機やデジタル家電の分野で強さを発揮する日本の、「小型、軽量」化技術を、コンピュータ・ネットワークの携帯端末にも応用すれば、世界市場で「勝てる」のではないかという、論理でレポートがまとめられました。議論をした誰も、レポートができたことには安堵しましたが、そのような「勝算」に確信があったわけではありません。

梅爺も、この討議には参加しましたが、「ユビキタス」などという、分かりにくい言葉を使って、さも、内容に意味があるかのごとき印象を与えようと言う、姑息な考えには、反対でした。しかし、少数意見で否決されました。

その後、「ユビキタス」「ユビキタス」と、お経のように唱える人たちが、出現し、「ユビキタス」という言葉が、日本でも「市民権」を得そうな状況になってきました。

「ユビキタス」の主導権を、「経済産業省」に握られるのは、面白くないと考えたのかどうか知りませんが、2003年に今度は「総務省」が、「ユビキタスネットワーク技術の将来展望に関する調査研究会」という委員会を発足させました。日本の中央官庁は、歴史的ないきさつで、コンピュータは経済産業省管轄、通信・放送は総務省管轄となっているために、ITに関するプロジェクトは、常にどちらが主導権を握るかと言うような争いになりがちです。

梅爺は、今度は、勤務していた会社の代表として、総務省の「調査研究会」の委員の一人になりました。

委員長に指名された有名な大学の先生は、「バラ色の将来像」を描くことに熱心でしたので、へそ曲がりの梅爺には、この研究会は大変居心地の悪いものでした。

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2008年1月25日 (金)

ユビキタス(2)

「ユビキタス(遍く存在する)」という概念を、情報処理の世界と結びつけて使用したのは、アメリカのシリコン・バレーにあるパロ・アルトの「ゼロックス研究所」の研究者達で、勿論日本人ではありません。しかし、現在の普通のアメリカ人に「ユビキタス」と言ってみても、日本の流行語の意味では理解してもらえないでしょう。

パロ・アルトには、有名なスタンフォード大学があり、有能な人材が集まる場所ですので、近辺に多くの「研究機関」や、ITの分野で著名な会社が点在し、梅爺が現役時代に、仕事でもっとも多く出張したアメリカの都市の一つです。サンフランシスコから、車で1時間程度の所ですが、サンフランシスコはその地形故に、霧が多く、夏でも肌寒いような気候であるのとは異なり、パロ・アルトは、「カリフォルニアの青い空」という唄が、自然に脳裏に浮かぶような陽の光に溢れた明るいところです。

「ゼロックス・パロ・アルト研究所」は、一時、情報処理分野の「マン・マシン・インタフェース」に関する先端的な研究で、世界に名を馳せた有名な研究機関で、この分野のメッカでもありました。人間と機械(コンピュータ)が、どのようにしたら「効率よく会話する」ことが可能かを研究していたわけです。

この研究分野は、「人間」側が「機械」に歩み寄るか、「機械」側が「人間」に歩み寄るか、という二つのアプローチ手法がありますが、「ゼロックス研究所」は、「理想形」を追い求めるのではなく、経済性や、技術の成熟度合いといった現実の制約条件を配慮して、実践的で「実用できるアイデア」を次々に発表していきました。

今では、パソコンの世界で「常識」となっている「プルダウン・メニュー方式(画面である項目を選択すると、それに関連する複数の選択項目が帯状に現れる)」や、「マウス」などは、すべて「ゼロックス研究所」が最初に提示したアイデアです。

この「ゼロックス研究所」で、人間が情報処理をするために、特定の場所(ワークステーション)に行かなければならない制約から、人間を解放し、人間が今いる場所で情報処理を可能にしようと考え、「情報処理のユビキタス環境」という概念を編み出しました。しかし、当時は「情報処理装置の小型軽量化(携帯可能)技術」「無線技術」「バッテリー技術」に現実的な課題があり、「情報処理のユビキタス環境」は、概念の領域からは出ることができませんでした。

その後、IT技術の著しい進歩があり、以前に技術的に課題であったことが、障害にならなくなってきて、一躍「ユビキタス環境」の実現が現実味を帯びてきました。こういう時代の到来を「ゼロックス研究所」の研究員が見通していたわけですから、彼らは「ビジョナリー」として高い能力の保持者であったといえるのでしょう。

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2008年1月24日 (木)

ユビキタス(1)

最近の難しい流行語の一つが「ユビキタス」です。英語の名詞「ubiquity」の形容詞形「ubiquitous」が語源ですが、一般にはそう頻繁に使われる言葉ではありません。ラテン語の「ubique」の、「あらゆる所(everywhere)」をあらわす言葉が英語に転じたものですので、「ユビキタス」は、「どこにでも存在する」「遍く(あまねく)存在する」という状態を示す形容詞です。

分かりやすい例としては、「空気」があります。空気は、地球上、濃度の差はあれ、「どこにでも、遍く存在」しますので、空気のような状態を一言で表す言葉になります。漢字では、「汎」の意に近いのかと思いますが、日本語にはドンピシャリの言葉が見つかりません。信仰深い人にとっては、「神」もユビキタスな存在なのでしょう。

情報社会が進展すると、周囲に、どこでも、いつでも目的に応じた情報処理環境が存在するようになる、という情報社会の「理想郷」を表現するために、この言葉が使われるようになりました。つまり、この場合、ユビキタスという形容詞で修飾される名詞は、「情報処理環境」ということになります。

言葉の原則に、こだわって、堅いことを言えば、「ユビキタス」という形容詞で修飾される名詞が、直ぐ後に続かないと、何を言おうとしているのかが伝わりません。最近、広告の中のキャッチフレーズとして、「これからは、ユビキタスの時代」「ユビキタスでビジネスを強くする」などと、この言葉が名詞として使われていますが、文法にこだわれば、少々トンチンカンな話です。カッコイイ表現をしたつもりなのでしょうが、意味が伝わらないのであれば、独りよがりです。

「Ubiquitous Network(どこでも利用可能なネットワーク)」とか「Ubiquitous Networked Environment(どこでもネットワークが利用可能な環境)」とか表現して初めて意味が通ずる話を、「ユビキタス」という一語で片付けようという魂胆は、分からないでもありませんが、無理があり、そもそも、飛躍がはなはだしく、論理的ではありません。

前にも書きましたが、流行語の内容を吟味しないで、直ぐに飛びつき、「私は、もうこの言葉を知っていますよ」と自慢げにその言葉を使用する風潮は、「小言幸兵衛」のようで大変恐縮ですが、梅爺には軽薄に見えます。

同じような意味で、「ユビキタス」の他に、「マルチメディア」「オフィス・オートメーション」なども、よく考えてみると何を言いたいのかわからない流行語です。前にブログに書いた「ネオダマ」に至っては論外です。

こういう言葉に遭遇すると、梅爺は、「Ubiquitous? So what?(ユビキタス?それがどうした)」と言いたくなる悪い癖があります。

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2008年1月 9日 (水)

電子投票(2)

15年以上前の話であったように記憶していますが、『電子投票』を現実化する方法を考えて欲しいという商談が、梅爺が勤務していた会社の部門(コンピュータ・システムの販売)へ持ち込まれました。

要請者は、中央官庁(現在ならば総務省)ではなく、なんと、『選挙コンサルタント』という肩書きの民間人からでした。この人は、赤坂にオフィスを構え、『選挙で当選するためのあらゆるノウハウを保有』しており、全国の選挙区で『誰が当選するかを予測する能力』も、政党の選挙運営担当者より高いと一般に目されている、その道では有名な人でした。当時の大臣クラスや、自民党三役の有名な政治家を、『○○』と、呼び捨てにしていましたので、ある意味で、政界の『黒幕』の一人といっても良い存在であったのであろうと思います。

何故、このような民間人『黒幕』から、電子投票実用化の検討要請があったのかは明白で、もし、実用化されれば、システムに必要な機材やシステムそのものの調達・構築に、多大なお金が動くことになり、周辺に『利権』が発生することを、嗅ぎ取っていたからです。

そういう背景は承知した上でも、梅爺の会社にとっては、大きな商談で、社会システムの一つとして重要な意味があり、何よりも、みすみすライバル会社に負けるわけにはいかないと判断し、真剣に検討を開始しました。しかし、勿論のこと、梅爺の会社は『黒幕』と手を組んで、『できるだけ高価なシステム』を国へ売りつけようというような悪徳会社ではありませんでしたので、その時点で客観的に妥当であると、関係者に理解いただけるシステムを提案しようと智恵を絞りました。

必要な入力端末の数、必要なネットワークの規模とそれにかかる負荷、後方に配備するサーバ・コンピュータの数や能力に関しては、直ぐに見当がつきましたが、『誰でも違和感無く使える入力方式』『間違いや不正が起こらないシステム方式』を具体化することは、当時も容易ではありませんでした。

それでも、試作モデルまで作り、『黒幕』、政治家、中央官庁の関係者などにデモまで行って見てもらいましたが、結局、実現せずに終わりました。当時と現在では、技術環境も異なりますので、今度は、どのような形式で実現されるのか、梅爺は、大いに興味があります。

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