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2020年1月26日 (日)

『侏儒の言葉』考・・『ユウトピア』(1)

『芥川龍之介』の『侏儒の言葉』にある『ユウトピア』という一文に関する感想です。

原文は大変短い文章なので、全文を以下に紹介します。

完全なるユウトピアの生まれない所以(ゆえん)は大体下の通りである。―――人間性そのものを変えないとすれば、完全なるユウトピアの生まれる筈はない。人間性そのものを変えるとすれば、完全なるユウトピアと思ったものは忽(たちま)ち不完全に感ぜられてしまう。

『ユウトピア』は、古来人類が夢見てきた『理想郷』のことで、あの世の『天国』『極楽』もその一種ですが、あの世といった不確かなものではなく、この世で手っ取り早くそれを体験したいと、欲張って願ってきました。

『憂い悩み苦しみががなく、ただ心安らかに過ごせる場所』を願うのは、この世が憂い悩み苦しみに満ちているからです。

『釈迦』も『何故生きることは苦しいことなのか』という根源的な疑問に、答えを出そうと修行し、『煩悩を解脱した涅槃の境地』を見出しました。

『涅槃』は『ユウトピア』と言えますから、『煩悩』を解脱できれば『ユウトピア』を体験できることになります。しかし、それは『論理的な解』であって、人間の本性を考えると、『煩悩の解脱』は、不可能に近い無理難題ですから、仏教は、『限りなく煩悩の解脱のための努力を続ける』ことに意味があると説いています。具体的には『できるだけ邪心を排して、仏心に近づきない』ということになります。

『芥川龍之介』は『人間性』という言葉を使いながらその定義は示していませんので、推測するほかありません。

文脈を考えると『飽くなき欲望を有する』ことが『人間性』というようなことかと思いつきます。

『飽くなき欲望を有する』限り、一度『ユウトピア』と思ったものにもやがて不満を感じますから、『人間性』が変わらなければ『ユウトピア』は存在しないことになります。

『飽くなき欲望』をあきらめるとすれば、つまり『人間性』を変えるとすれば、本来『ユウトピア』でない不完全なものも『ユウトピア』として受け入れてしまうという矛盾に陥ります。

『ユウトピア』が『絵に描いた餅』であることは、現代人の多くは、『そうであろう』と感じていますから、『芥川龍之介』に『そのようなものはありませんよ』と言われても、特別驚きません。

問題は、何故古来人類が『ユウトピア』や『幸せの青い鳥』を夢見てきたのかということです。

梅爺がブログで論じてきた人間の『精神世界』の本質を理解すれば、これは容易に説明できることです。『精神世界』は自由奔放に、自分に都合のよい『虚構』や『因果関係』を創出することが特徴です。『神』『天国(極楽)』『ユウトピア』といった抽象概念を次々に思いついたことになります。

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