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2020年1月21日 (火)

江戸の諺『両がけの芸子』

江戸の諺『両がけの芸子』の話です。一つの仕事では生きていけないので、もう一つ仕事をして生活を支える芸子(芸者)ということですから、三味線や踊りのお座敷芸に加えて、身を売るというような意味でしょう。

さしずめ、現代ならば本業のほかに副業のアルバイトなどで、身を支えるということに他なりません。

江戸の世では『芸者』は、それほど身入りの良い職業ではなく、普通に暮らせる庶民の優越感の裏返しで、このような表現が使われていたのか、自分も貧しく、副業でもしないと生きていけない庶民が自嘲的にこのような表現を用いたのか分かりませんが、少し物悲しい諺です。

江戸の世では『士農工商』という身分制度が行われていました。『士農工商』の身分の区分けと優位順序は、元々『儒教』の考え方ですが、武家政権であった徳川幕府にとっては、都合のよい精度であったに違いありません。

コメ本意経済であった当時は、殿様の禄高、武士の扶持高は、コメの量で表示されていましたから、コメの生産者である『農』を『士』の次に置いたのは、当然のことでしょう。

『農』の中も、『庄屋』『小作』と貧富の差があり、最も貧しい百姓は『水呑み百姓』などと呼ばれて、苦しい生活を強いられていましたから、ひとまとめにして『農』と呼ばれて『士』の次と言われても実感はなかったでしょう。

『工』は職人の階級で、『商(商人)』より上にランク付けされているのは、手に汗をして実質的な『モノ』を作り出すことを評価する『儒教』の考え方が反映しているのでしょう。

才覚だけでモノや貨幣を、右から左へ移し、利ざやを稼ぐなどという行為は、卑しい行為という『儒教』の考え方があるのでしょう。しかし江戸の経済の実権を握っていたのは『商』であるというのも皮肉な話です。結局社会を支えるのは『経済』であるという主張に説得力があります。

現在も、『実質(実体)経済』と『仮想経済』という考え方があります。『実質経済』は実態がある付加価値を生み出す経済行為で、生産にかかわる職業がこれを支えます。一方『仮想経済』は、目に見えない『付加価値』を生み出す経済行為で、『サービス業』『金融業』などがこれを支えます。『実質経済』は地道な稼ぎ、『仮想経済』は投機的な稼ぎのイメージがあります。

『仮想経済』は景気の影響を受けやすく、不況時には社会の経済基盤を脅かすことになりますので、不況になると、『実質経済』に重きを置くべき主張する経済学者が必ず現れます。

資源が豊富な国ならば『実質経済』に特化することができますが、日本のような資源に乏しい国では、『仮想経済』も無視できません。

ただし『仮想経済』にだけ依存することは、確かに危険ですの、バランスをとるということになるのでしょう。

多くの庶民が『両がけ』をしないと生きていけないという社会は、豊かさに問題があるということになります。

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