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2020年1月22日 (水)

江戸の諺『ふところ子』

江戸の諺『ふところ子』の話です。『秘蔵っ子』という表現に似ていますが、ニュアンスはかなり違います。『猫っ可愛がる』『蝶よ花よと育てる』などという表現が近いような気がします。

子供が可愛いばかりに、世間の雨風にさらしてつらい思いをさせたくないと庇護する過保護な親の行為は、結局子供にとっても幸せな話ではないという意味が込められているのでしょう。

世間に出て、『良いこと』も『嫌なこと』も経験しながら、人は一人前になっていくという庶民の考えがあったのでしょう。『嫌なこと』に目をそむけていては、世の中に通用しないひ弱な人間になってしまうということでしょう。

人間の身体が、ある程度『バイキン』や『ウィルス』にさらされながら、『免疫力』を身につけていくということに似た話です。

逆の意味で『可愛い子には旅をさせよ』という諺があります。

私たちは『自然界(物質世界)』の中で生きていますが、『物質世界』は、私たちに『都合のよいこと』と『都合の悪いこと』の両方を必ずもたらします。

『物質世界』は、私たちを苦しめようと『都合の悪いこと』をもたらすわけではありません。『物質世界』は、『摂理』に従って絶え間なく『変容』しているだけで、たまたまその一部は『人間』にとっては『都合が悪いこと』であるにすぎません。

『物質世界』は『人間』のために存在しているわけではなく、私たちが『物質世界』の一部を『利用』しているだけのことです。

『人間』の『精神世界』は、願い事を沢山思いつき、『物質世界』に対しても沢山の願い事をしますが、願いがかなうなどということはありません。

地震や台風は容赦なく襲ってきますし、『雨乞い』の加持祈祷をしても、雨が降る保証はありません。

それでも私たちは、『五穀豊穣』『大漁豊作』などを願う『祭祀』を現代でも行っています。昔から継承されている『主観の継承』が、社会に根強く残っているからです。

『自然界』で生きている以上、私たちは必ず『都合の悪い事態』に遭遇します。『老化』『病気』などもこの類です。

一方、『人間社会』で生きることもか『都合の悪いこと』が必ず付きまといます。自分が願うように他人は自分を評価してくれないことが大半ですし、自分と『考え方』『感じ方』が異なる人に必ず遭遇し、対応に苦慮することになります。

これは『人間』が『個性的』であることに由来するもので、誰も避けることができません。

『自然界』で生きることも、『人間社会』で生きることも、このように『都合が悪い』ことに必ず遭遇するわけですから、これを避けては生きていけないことになります。

『ふところ子』が、結局子供を不幸にするということを、江戸の庶民は、直感的に理解していたに違いありません。

現代の方が、むしろ『過保護な親』が増えているように感じます。江戸の庶民より、人間の本質理解が劣っているためでしょうか。

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