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2020年1月29日 (水)

『侏儒の言葉』考・・『ユウトピア』(4)

繰り返しで恐縮ですが、昔誰かが『主観』で言いだした虚構の概念や虚構の因果関係を、やがて多くの人が『信じて』共有することが『主観の共有』です。

『桃太郎』や『かぐや姫』は、創り話の中の虚構の人物で、実際には存在しない人物であることは、多くの人の共通認識ですから、『主観の共有』とは言えません。

大人にとっては『サンタクロース』は、虚構の人物であるという共通認識ですから、これも『主観の共有』とは言えません。しかし、多くの子供にとっては、『サンタクロース』は、贈り物を持ってきてくれる実在の人物と『信じている』対象ですから、子供たちにとっては『サンタクロース』は『主観の共有』ということになります。

コミュニティのどのくらいの割合の人が『信じた』ら、『主観の共有』と言えるのかなどという基準はありませんので、何を『主観の共有』とするかは、微妙な問題です。

『侏儒の言葉』の表現を観る限り『芥川龍之介』は『ユウトピア』の存在は、『疑って』いると言えるでしょう。現代社会の多くの人も『ユウトピア』の存在を『疑って』いるように思えますので、『ユウトピア』を『主観の共有』とみなすことには、異論があるかもしれません。

しかし、『日本と言う国家』が存在することや、『一万円札には一万円の価値がる』ことを、『疑う』人はほとんどいないでしょうから、『国家』『貨幣価値』は強固な『主観の共有』ということになります。

それでは、『神』『霊』『あの世』はどうでしょう。

近世以前の人類にとって、『神』『霊』『あの世』は、強固な『主観の共有』対象でした。『神への感謝』『神への奉仕』が、人々の『生活』そのものであり、皇帝や王も、『神』の前にぬかずきました。芸術家も『神』を信じて、『宗教画』を描き、『宗教曲』を作曲しました。

災いの大半は『悪霊』がもたらすものと、人々は『信じて』いましたから、『悪霊』を封ずるための『加持祈祷』は、コミュニティの重大な行事として執り行われました。

死後に『あの世』があることも、『疑う』人はほとんどおらず、死への不安を人々は『安堵』に変えました。

『宗教』によって、人間社会に深く根付いたこれらの『主観の共有』が、現代でも大きな影響力を持ち続けていることは御承知の通りです。

近世以降、『宗教』と並んで『イデオロギー』も『主観の共有』対象として、人類へ大きな影響を及ぼし続けています。

『イデオロギー』と『宗教』は、同じように論ずる対象ではありませんが、『信じて』いる人たちで支えられているのは共通です。

それでも、近世以降『宗教』が提示する『主観の共有』が、人間社会で必ずしも『強固』と言えなくなったのは、『科学』が、『物質世界』の事象を解明し始めたからです。『科学』は普遍的な事実を提示しますから、『信ずる』対象にはなりません。

『神』『霊』『あの世』を、『疑う』人たちが増えつつあることに、『宗教』はどのように対応していくのか、梅爺の興味の対象です。

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