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2020年1月27日 (月)

『侏儒の言葉』考・・『ユウトピア』(2)

私たちは『ユウトピアなど存在しないだろう』と『感じ』ますが、存在しないと断言できません。梅爺は『神は存在しないだろう』と『感じ』ますが、存在しないと断言できません。

断言するには、論理的で普遍的なルールで、『ユウトピアは存在する』『神は存在する』という『命題』が『偽』であることを証明しなければなりません。

『科学』や『数学』の世界は、普遍的な『真偽』を判定する場で、論理的で普遍的なルールが活躍します。

『物質世界(自然界)』は『科学』が探究する場ですから、『物質世界』の事象は『真偽』判定の対象になります。

『地球という惑星は球体である』という『命題』は、普遍的に『真』と判定できます。

それでは、何故『ユウトピア』『神』は、『真偽』の判定の対象にならないのでしょう。

梅爺が思いつく仮説は、『ユウトピアや神は、物質世界に実態が存在するものではなく、人間の精神世界が創出した仮想の抽象概念(虚構)である』というものです。

人類の歴史の中で、昔『誰か』が、『ユウトピア』や『神』という抽象概念を思いついて、『主張』したのであろうという推測です。

この主張は、周囲の人たちの『共感』を喚起し、やがて多くの人たちも、その抽象概念を支持する(信ずる)ようになったのでしょう。

『信ずる』は、論理的、普遍的に『真偽』が判定できないことに対して、『こうであろう』と判定を下す行為です。『信ずる』の反対の行為は『疑う』です。

私たちの周囲の事象で、『真偽』が判定できる事象は一部にしか過ぎず(大半は『物質世界』の事象)、ほとんどは『真偽』の判定ができない事象です。しかし、それでも『何らかの判定』を下して、先へ進むしかありませんから、私たちは『信ずる』『疑う』を多用しながら『生きる』ことになります。この習性は、人間ばかりではなく、他の動物も同様です。

『信ずる』『疑う』は、普遍的な判定ではなく、個性的な判定です。同じ事象に遭遇しても、Aさんは『信じ』、Bさんは『疑う』という違いが生じます。

『精神世界』は、このように『個性的』であると認識することが重要です。社会の中で、私たちは、自分の存在を周囲の仲間から認識してもらう必要があり、このために自分の『考え方』『感じ方』を『主張』することが大切になります。つまり、自分が何を『信じて』いるか、何を『疑って』いるかを表明することには大きな意味があります。この時に注意を要するのは、あくまでも個人的な見解を述べているだけで、『普遍的に正しい』ことを主張しているわけではないという認識です。

しかし、残念ながら多くの人たちは、この『個人的な判定』と『普遍的な判定』の違いが区別できず、『個人的な判定』を『普遍的な判定』と勘違いしてしまいがちです。

この結果、『私は正しい(正義)』『あなたは間違い(邪悪)』とののしりあうことになります。この大規模なものが『宗教対立』『イデオロギー対立』で、不幸なことに『戦争』にまで発展したりします。

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