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2019年11月19日 (火)

江戸の諺『背中に腹』

江戸の諺『背中に腹』の話です。

現代でも『背に腹は代えられない』と言う表現は使います。『大事のためなら少々の犠牲は覚悟しなければならない』『他のものでは代用がきかない』というような意味いなります。

もともとは、大切な『腹』を守るためなら、『背』を犠牲にするのは仕方がないということだったのでしょうか。

江戸の諺は、『諧謔精神』に富んでいます。世の中に『代用が効かない』ものは、いくらでもありますが、比喩に『腹』と『背』という、意表を突いたものを持ち出してくるところが、笑いを誘います。諺を、『まじめなお説教』と言うよりは、『偉そうに振舞ってみても、所詮人間の本性なんてやつはこんなもんでござんしょう』と笑い飛ばしているところが、梅爺の好みです。庶民が、人間の本性を鋭く感じとっているところに感心します。

高僧や儒学者が、『人間はこうでなくてはなりませんぞ』などと、いくら奇麗事の『お説教』をしても、庶民は、いざとなれば『背に腹は代えられぬ』のが人間であると、弁えていたのでしょう。

『大事のためなら少々の犠牲は覚悟しなければならない』と言われると、『ごもっとも』と思いたくなりますが、自分にとって『大事』と思い込んでいることが、客観的な視点で観ると実は『些事(さじ:ささいなこと)』である多々あります。

何故このようなことが起こるかと言うと、人間の『精神世界』の価値観の尺度は、個性的であって、『バイアス』がかかっており普遍的ではないからです。

自分を客観視して、自分にとって『大事』は、他人にとって『些事』であることに気づく人は『器の大きな人』です。

『人間』は、『自尊心』や『面子(めんつ)』を、『大事』にする習性があります。

『精神世界』の根底に『安泰を希求する本能』があり、周囲から自分が『ひとかどの人物である』と認められることを『願い』ます。それが自分にとって『安泰』であるからです。

したがって、他人から『蔑まされた』『無視された』『子供扱いされた』と『感じた』ときに、立腹のあまり『キレてしまう』人が沢山います。

他人が意図的に『蔑む』行為にでることはないとは言えませんが、多くの場合、それほど深く考えていない行為であったにもかかわらず、『蔑まされた』と『感じて』立腹することが大半です。

『夫婦喧嘩は犬も喰わない』などと言われますが、『夫婦喧嘩』の元の大半は、『自分がないがしろにされた(相手の言動が思いやりに欠けている)』と『感じて』、立腹することから始まります。『そんなつもりはない』と弁明すれば、更に『無神経だ』と火に油を注ぐことになりかねません。他人から見ると、『些事』で『犬も喰わない』ということに他なりません。

人間の『立腹』は、脳内に対応するホルモンが分泌される現象ですが、幸いなことに7秒くらい経つと、沈静化しますので、7秒我慢をすることが、知恵の一つになります。

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