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2019年11月 9日 (土)

『人間』と『自然』の乖離(6)

『人間』の『自然』に関する観方が、近世以降、それ以前の時代と変わってきたのは、これもまた『主観の共有』内容が『変容』しつつある事象と観ることができます。

このエッセイの著者が、その『変容』を『乖離』と観るのは、以前の関係は『親密』であったものが、『疎遠』に変わりつつあると感ずるからでしょう。

これは、『科学』が、『人間』にとって『摩訶不思議で神秘な存在』であった『自然』を、『冷徹な摂理(ルール)で絶えず変容する物質の集合体』という味気ない認識に変えてしまったことに由来するものと梅爺は考えます。

『自然』の『変容』には、『人間』の『精神世界』にとって重要な意味を持つ『あるべき姿』『目的』『意図』などという概念は含めれていませんし、同じく『人間』の『精神世界』では重要な役割を果たす『情感』も存在しません。『崇高な日の出』は、あくまでも『人間』の『精神世界』の認識であって、『自然』にはただ『日の出』という事象が『変容』の一つとして存在するだけです。『恵みの雨』『息を呑む絶景』『妖しげな闇夜』なども同じです。

当然ながら、『人間』の『精神世界』では重要な行為である『願う』『期待する』『祈る』も『自然』には通用しません。『加持祈祷』で、『台風の進路』を変えたり、『地震』の発生を食い止めたりはできません。

『自然が突然牙をむいて襲ってきた』などと言われるのは、『自然』にとっては迷惑な話になります。『自然』には『人間』を喜ばせようとか、困らせようとかいう『意図』はないからです。

中世以前の『人間』にとって、『自然』は『摩訶不思議で神秘な存在』ではありましたが、時に優しく、時に厳しい『隣人』『友人』といった、一種の『人格』を感じとっていたのではないでしょうか。

したがって、『自然』の中に『人間』へ向けられた『メッセージ』が込められているはずであると『信じ』、それを懸命に読み取ろうとしました。『赤い星』が夜空に現れたら、それは不吉の予兆であるといった『因果関係』としてとらえました。

当然、『人間』の願いを、『自然』に届け、それをかなえてほしいと『祈り』ました。

ところが『科学』は、『自然』は『冷徹の摂理で絶えず変容を続ける物質の集合体』に過ぎず、『人間』の存在などには全く無頓着であることを明らかにしてしまいました。

交際相手が、自分に関心を持ってくれているに違いないと期待していたら、実は関心のひとかけらも持ち合わせていないことを突然知らされたようなものです。

これでは、『人間』の『自然』への思いが、冷めてしまうのは当然のことです。

このエッセイの著者が、『もう一度自然への愛を取戻そう』などと叫んでも、無理な話です。

『科学』は更に、『人間』が『便利』で『快適』な生活をするために、『自然』の摂理や資源は利用できることも明らかにしました。

中世以前の『人間』も、『自然』のもたらす恵みは、『生きる』ために必要と考えていましたが、それは『恵みを受ける』という受動的な姿勢でした。

近世以降『人間』は、逆に『自然』を能動的に利用するという姿勢に一変したことになります。

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