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2019年11月11日 (月)

『人間』と『自然』の乖離(8)

現在75億人に達した、地球上の『ホモ・サピエンス』が、『快適』『便利』な生活を求めて、地球資源をむさぼるように消費するようになると、それは地球環境の『平衡状態』を変える要因にもなりえます。そしてそのことが『人間』にとって不都合な状態を惹起する要因にもなるという可能性を秘めています。

現在進行している『地球温暖化』の現象は、全て『人間』の所業に由来するものとは断定できないにしても、全く関係がないとも断定できません。

将来のことより、目先のことを優先してしまうという『人間』の習性が、結果として不都合な将来をおびき寄せてしまうことになりかねません。目先より将来を優先するという判断には、『理性』を必要としますが、人類全体の現状の対応は、残念ながら『理性的』なレベルには達していません。認識に『甘さ』があると言いたくなるのはこのことです。

『人間』の『自然』に対する勘違いの二つ目は、『自然』を自分の外に存在する『別世界』と観ていることです。このエッセイの『人間と自然の乖離』などという表現が、端的にそれを表しています。

梅爺がブログに書いてきた『物質世界』は『自然』『宇宙』のことですが、『人間』の肉体や『生命活動』は、すべて『物質世界』に包含される事象です。この視点で観れば『人間』は『自然』の一部で、『誕生』『生きる』『死』は、摂理に支配される『自然』界の『変容』の一部に過ぎません。人間の肉体を構成している素材は『自然』界の当たり前の素材に過ぎず、生命の維持は全て『摂理』に支配されています。

『人間』は『自然』の一部なのですから、『乖離』などできるはずがありません。『人間』の所業が『自然』の『平衡状態』に影響を与えるのも当然のことです。現代の科学知識がもたらした、『人間は自然の一部に過ぎない』という認識を、私たちはもっと重視すべきです。近世以前の人たちとは、違った意味で、私たちは『自然』に畏敬の念を持つべきです。私たちは『自然』によって『生かされている』のですから。

それでは、何故私たちは『自然』を、自分たちと対立する存在とみなすのでしょう。それは、『人間』の『精神世界』がもたらす認識であるからです。

『精神世界』は、『自分』と『自分以外』に分けて、物事を観ます。『自分』は特別な存在であり、『自分』の力や能力で『生きている』と思いがちです。こう考えると、『自然』は『自分以外の別世界』になり、対立する存在になってしまいます。

しかし、生物としての『人間』は、『自然』の一部にすぎないというのが実態です。『自然』と『共生』すべきであるなどと言う主張は的外れで、『共生』しなければ生きていけない存在なのです。私たちの腸内には、700兆個と言われる『腸内フローラ(微生物)』が『共生』しています。

『人間』や『人間社会』の事象を、『物質世界(自然界)』『精神世界』の両面で観る必要があると、何度もブログに書いてきましたが、今回もその意を強くしました。『精神世界』は『人間』の特徴を見極めるために重要ですが、それだけで判断すると、全体を見間違うことになりかねません。

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