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2019年11月14日 (木)

『芸術』の政治的統制(3)

『群をなして生きる』ことを選択した『人間』にとって、『絆』が群のなかにおける『安泰』を確認する重要な要因になりました。『同窓会』『趣味の仲間の集い』『信仰の仲間の集い』『親しい老人の集い』などに、私たちが惹きつけられるのは、このためです。その場に身を置けば、『自分は一人ではない』という実感が得られるからです。

自分が帰属する『コミュニティ』に愛着を持つのも、『絆』の確認に起因する習性です。

『国のために身を捧げる』ことを『愛国心』と定義すれば、『道徳教育を強化して愛国心を高める』などの発想になるのでしょうが、『愛国心』は自分が帰属する『コミュニティ』への愛着であると定義すれば、ほとんどの日本人は本能的に『愛国心』を保有していることになりますから、『道徳』などを持ち出す必要はありません。

『オリンピック』や『ワールド・カップ』で『日本』が勝ち進めば、多くの日本人は熱狂します。

梅爺が現在でも『男声合唱』を続けているのは、『歌うことが好き』『より高いレベルの表現を実現できた時の満足感』もありますが、単純に『絆』の確認が大きな要因になっています。

『人間社会』で『芸術』が成立するには、基本的に『創造者』と『鑑賞者』の存在が必要になります。

もともと、『群のなか』で、『自分が考えていること、感じていること』を何としても表現したいという本能が、『創造者』の動機になっています。一般論でいえば『人間』は誰もが『創造者』の資質を保有していると言えます。

やがて特別に仲間の注目を集める『表現』をする人が現れ、それが『芸術』の『創造者』の原点となったのでしょう。

仲間が『注目』したのは、『創造者』の『表現』に触発されて、仲間の『精神世界』が『感動』や『共感』を覚えたからです。この仲間の体験が『鑑賞者』の原点になりました。

『芸術』は、『創造者』の能動的な『表現』が、『鑑賞者』の中に受動的ながら、今まで体験したことがない新しい『感動』『共感』を誘発し、両者の間で深い『絆』が確認されるといった行為を意味します。

『芸術』は、肉体的な空腹を満たしたり、寒さから身を守る手段にはなりませんが、『心』の渇きをいやすという高度な『絆』の確認を実現します。

『肉体的な安泰』『精神的な安泰』を、車の両輪のように必要とする『人間』にとって、『芸術』は何故必要とされるのかがお分かりいただけたでしょうか。

ただし『芸術』は、高いレベルの『絆』の確認を追い求めますから、そのようなことに興味を示さない、『名作』『名曲』『名画』などに無関心な人たちが存在するのも、当然のことです。その人たちは、低俗な娯楽で『絆』を確認していることになります。人間の『精神世界』は『個性的』であるからです。

高いレベルの『絆』を求める人が、どのくらいの割合で社会に存在するかが、その社会の成熟度の目安になります。文化の進化は、高いレベルへ移行することであるからです。

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