« 『芸術』の政治的統制(4) | トップページ | 『芸術』の政治的統制(6) »

2019年11月16日 (土)

『芸術』の政治的統制(5)

『民主主義国家』では、『基本的人権』として『信条の自由』『表現の自由』が法により保護されていて、それは好ましいことであると私たちは考えています。また『人は生まれながらにして平等である』という価値観も、好ましいとして受け入れています。

『天は人の上に人をつくらず、人の下に人をつくらず』などという『福沢諭吉』の言葉にも感銘を受けます。

しかし、『自由』『平等』『正義』などと言う概念は、それほど単純なものではありません。

たとえば『平等』のことを考えてみれば、現実に私たちは『生まれながらに平等』には創られていません。

『容貌』『体格』『知的能力』『運動能力』『情感能力』など、一人一人異なって生まれてきます。『生物進化』の過程で、そのように『個性的』につくられるように宿命づけられています。生き残りに適した資質の持ち主が、『種の継承』をけん引するという冷厳なルールがそこには働いています。自然界の生態系でも、冷厳な『弱肉強食』が支配しています。

『人間社会』は『格差』を是認することで成り立っています。『経済』行為などはその典型です。先進国は後進国の『低賃金』な労働力格差を利用します。

『民主主義国家』でも、『試験』『オーディション』『トライアウト』は日常的に行われ、『合格者』は『不合格者』より、有利な扱いを受けます。

『基本的人権』としての『平等』の概念を理解するには、人間社会が抱える『個』と『全体』の問題を認識しなければなりません。

本来個性的な『個』が集まって『コミュニティ(群れ、全体)』を形成した時に、『個』は個性的であるからと言って勝手気ままにはふるまえなくなりました。

『コミュニティ(全体)』の秩序を維持する為には、『個』が自分を抑制してまでも、従う必要がある『約束事』が出現しました。『法』『憲法』『倫理』『道徳』がそれに当たります。

無人島で一人暮らす『ロビンソン・クルーソー』には、『法』『憲法』『倫理』『道徳』などは不要です。

『個』の価値観と、『全体』の価値観が必ずしも一致しない『矛盾』を、普遍的に解決する『知恵』を人類は見出していません。多分これからも見いだせないでしょう。『法』『憲法』『倫理』『道徳』は、次善の策に過ぎません。その証拠に、『コミュニティ』によってこれらの内容は同じではありません。

それならば、『個』はいつでも『全体』のために自分を犠牲にして『泣き寝入り』しなければならないのかと言うと、そういうわけにもいきません。『個』の『安泰を希求する本能』は強固なものであり、『全体』のために自分の安泰が脅かされていると『感じた』ときには、大きな『精神的苦痛』を抱え込むことになるからです。

『格差』は認めざるを得ないものですが、『格差』がもたらす一部の人への『苦痛』を看過できないという『禅問答』のような論理が、『人間は生まれながらに平等』という思想の背景にあります。現実は『平等』ではないから、『平等』という考え方が必要であるという難しい考え方を、私たちは受け入れなければなりません。

|

« 『芸術』の政治的統制(4) | トップページ | 『芸術』の政治的統制(6) »

コメント

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)




« 『芸術』の政治的統制(4) | トップページ | 『芸術』の政治的統制(6) »