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2019年11月 7日 (木)

『人間』と『自然』の乖離(4)

中世以前の人類にとって、『摩訶不思議で神秘な存在』であった『自然』の正体を『科学』は、次々に暴きだしました。この結果『幽霊の正体見たり枯れ尾花』といったことになってしまい、『人間』にとって『自然』は、『摩訶不思議で神秘な存在』では無くなってしまいました。

科学知識がなかった時代も、『人間』は『自然』を、なんとかして『因果関係』で説明し、自分を納得させようとしました。『精神世界』の基盤に『安泰を希求する本能』があり、『分からないこと』を放置することは、安泰を脅かす要因になりますので、自分が納得しやすい『因果関係』を考え出しました。

勿論、この習性は現代人の私たちも、継承しています。『分からないこと』『自分に都合が悪いこと』に遭遇すれば、安泰が脅かされますから、懸命に『因果関係』を考え出して、自分を納得させようとしたり、自分を弁解したりしようとします。

『科学者』が真理を追究するのも、基本的にはこの習性によるものですが、『科学』の場合の『因果関係』は、普遍的に『真偽』が判定できるものでなければならないという条件がつきますから、私たちが普段思いつく、『自分を納得させる』『自己弁明をする』ための、いわば自分にだけ通用する『因果関係』とは性質がことなります。

もっとも、私たちは、自分が考え出した『因果関係』を時に、普遍的に正しいと勘違いしがちです。そして『私は正しい、あなたは間違っている』と主張することになります。

政党間で戦わされる議論、国家間で戦わされる外交上の議論など、冷静に観れば、大半がこのレベルの議論で、『科学』の『真偽』を対象とした議論とは異なります。

私たちが普段議論する時に、『問題』には必ず一つの『正しい答』があると勘違いするのは、学校教育で受けたテストのせいではないでしょうか。『科学』や『数学』の問題でもない限り、世の中の『問題』の大半には一つの(普遍的な)『正しい答』などありません。これは『人間』の『精神世界』の『価値観』が『個性的』であることに由来します。

『人間』は生物として、肉体的にも精神的にも『個性的』であるように宿命づけられているということの、真の意味を私たちはもっと深く受け止めるべきです。

『自分を納得させる』『自己弁明する』ために、『人間』の『精神世界』は、自由奔放に『因果関係』を思いつきます。『個性的』であることに加えて、これは『人間』の『精神世界』の重要な特徴の一つです。

一方私たちは、誰か他人が考え出した『因果関係』に、大きく影響される習性も持ち合わせています。他人が考え出した『因果関係』を、受け入れて(信じて)、以降それを自分の『因果関係』としてしまう習性です。独創的な『因果関係』を考え出すよりは、手っ取り早い、安易な方法であるからでもあります。聖職者の『説教』、雄弁なリーダーの『演説』、著名な評論家の『主張』、有名人の残した『名言』などが、大きな影響をもちます。

このようにして、本来他人の『主観』であった内容を、あたかも自分の『主観』におきかえることを、『主観の共有』と呼びます。

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