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2019年11月22日 (金)

江戸の諺『親の面(顔)に泥塗る』

江戸の諺『親の面(かお)に泥塗る』の話です。

子供の不祥事で、親が世間に対する面子を失うという意味で、現在でも使われる表現です。逆に親の不祥事で、子供が世間から後ろ指を指させるということも起こります。

法的には、親子といえども独立した人格で、連帯責任を負う必要はありませんが、世間はそのように割り切った対応はしないのが通常です。

子供が不祥事を起こせば、親は世間に『申し訳ない』と謝罪し、世間は『親が甘やかして育てたことの因果』などと、憶測の『因果関係』を考え出して、親を糾弾します。

独裁者が支配する国家などでは、家族から一人でも『反逆者』が出れば、一族郎党全てを連帯責任で処刑するような、非道が見せしめとして行われたりします。

親子は、遺伝子的に近い関係にありますから、相対的に『似る』確率は高いと言えますが、『同じ』とは言えません。人間は生物として宿命的ん『個性的』に生まれてきます。

生まれつきの遺伝子の影響ばかりか、生後の生育環境も、『脳神経細胞ネットワーク』の形成に影響しますから、親子といえども『考え方』『感じ方』は『同じ』にはなりません。

親が期待するように子供は反応せず、子供が期待するように親も反応しません。

親子は他人同士より、強い『情感』で『絆』が形成されますので、他人同士なら『我慢』で済まされる『違い』が、そうはいかなくなり、深刻な愛憎劇に進展したりします。

私たちは、人間は一人一人『容貌』『体格』『能力』が異なっていることは、経験や体験から知っていますが、『考え方』『感じ方』『価値観』も異なっているとは、なかなか思い至りません。他人も自分と同じように『考え』『感じ』『判断している』と勝手に勘違いしてしまいます。

そして突然『違い』を突き付けられると、『愕然とした』『裏切られた』などと、相手を非難したりします。

更に、私たちは自分の『考え方』『感じ方』『価値観』が、『正しい』『最高のレベル』と思いがちです。つまり自分のレベルで相手を観ようとします。

『考え方』『感じ方』『価値観』は、目に見えませんので、このようなことになります。

世の中には、自分の『考え方』『感じ方』『価値観』をはるかに凌駕する高いレベルの『他人』がいるのであろうと『類推』できる人は、器の大きな人です。このような人は、他人に『畏敬の念』をもって接しようとします。『実るほど頭を垂れる稲穂かな』と言われるように、高いレベルの人ほど、自分を高く評価しません。

逆に、低いレベルの人ほど自分を高く評価しがちです。残念ながら、世の中にはあまり高くない自分のレベルで『傍若無人』に振舞う人が沢山いるのはそのためです。

人間や人間社会を理解する上で、人間は『個性的』に生まれつくという事実は、私たちが考えている以上に大きな影響力を持っていると梅爺は感じています。

世界中の人たちが、この意味を深く知れば、人間社会の争いの多くは、なくなるはずです。自分とは異なった『他人』と共存する以外に、私たちには選択肢がないということなのですから。 

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