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2019年11月18日 (月)

江戸の諺『首を長くして待つ』

江戸の諺『首を長くして待つ』の話です。

これは現代でも通用する表現で、朗報が届くのや、待ちわびた人が遠方から訪ねてくるのを、今か今かと心待ちにしている様子が目に浮かびます。

他の生物に優る能力として、『人間』の『推論能力』『予測能力』があります。

『人間』が考え出した『推論』の方法は、基本的に『演繹(Deduction)』と『帰納(Induction)』に区分されます。

『演繹』は、一つ一つの『正しい命題(理論)』を組み合わせて、新しい『正しい命題』を導き出す方法です。ここでの『命題(Proposition)』は、論理を表現した文章のことで、私たちが日常会話で多用する『命題(解決しなければならない問題)』の意味ではありません。

言葉はこのように、本来の使い方ではないにも関わらず、誰かが使い始めて流布してしまうと、一般に通用するようになってしまいます、基本的に言葉は、社会の約束事ですから、そのようなことが起こります。教養のある人は『命題にはそのような意味はない』などと指摘しますが、社会に定着してしまった約束事は、元には戻りません。

『演繹』を手っ取り早く理解するには、『三段論法』を典型例として考えればよいでしょう。

『動物は目を持つ』『人間は動物である』したがって『人間は目を持つ』といった論理展開が『三段論法』です。『動物は目を持つ』と言った表現が『命題』です。

『演繹』の落とし穴は、前提とする『命題』の中に『真』ではないものがあった場合です。上記の例でもし動物の中には目を持たないものが存在するとすれば、結論は『偽』に代わってしまいます。

他人を説得するときに、前提に『偽』の命題をそれとなく挿入して、自分に都合が良い結論を導き出し、それを利用しようとする人がいます。『神仏は人間を愛してくださる』『悪人も人間である』したがって『神仏は悪人も愛してくださる』という『三段論法』は、もし『神仏は人間を愛してくださる』という『命題』が必ずしも『真』でないならば、成立しません。『命題』の『真偽』を自分で判断することがいかに重要であるかが分かります。

『帰納』は、観察事項(事実)に例外がないことを確認して、個別の事例から『一般法則』を導き出す方法です。『Aさんが亡くなった』『Bさんも亡くなった』『過去に亡くならなかった人は存在しない』したがって『人は必ず亡くなる』という結論をえます。

『帰納』の場合、観察事項の『命題』が、一つ一つ納得できるものでなければなりません。一つでも納得できないもの(矛盾を含むもの)があれば結論は『真』とは言えなくなります。

『科学』は『演繹』『帰納』を駆使して、普遍的な『法則』を見出そうとする学問領域です。期待や願いと言った、非論理的要素は、『科学』の世界では通用しません。

しかし、人間の『精神世界』は、『安泰を希求する本能』に支配されていますので、『推論』『予測』に期待や願いが込められることになります。

『こうあってほしい』と願う故に、『首を長くして待つ』ことになります。

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