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2019年11月12日 (火)

『芸術』の政治的統制(1)

『芸術』の政治的統制は、『好ましくない』と多くの日本人は答えるでしょう。

『統制』という言葉が秘めるネガティブなニュアンスに反応して、直感的に『好ましくない』と感ずるからでしょう。『自由』は『好ましい』と答えるのも同様な反応ではないでしょうか。

『芸術とは何か』『人間は何故芸術を必要とするのか』や、『人間社会に何故統制は必要なのか』などを、深く考察して『理』で『好ましくない』と答える人は、意外に少ないに違いありません。

『芸術の政治的統制』について、理屈っぽい議論はあまり意味がないのではないか、大体『芸術』は人間社会の共有『文化資産(遺産)』であって、無形の価値は高く評価されるべきであり、保護して後世へ継承していくのは『当たり前』ではないかと、おっしゃる方もおられるでしょう。

現代の日本社会で、『芸術の政治的統制は好ましくない』と『考え方』が『当たり前』のことという『主観の共有』として根付いていることに梅爺は異を唱えるつもりなどありません。結論的にいえば、梅爺も『好ましくない』と判断しますので、この『主観の共有』は健全であると思います。

日本人が歴史的に育んできた『伝統』の『受け止め方』、『民主主義』を採用して『基本的人権』を尊重しようとしてきた姿勢、『玉石混淆』の多様な『芸術』に接して、『石』と『玉』を見分ける鑑識眼を保有するようになったこと、『芸術』が精神的満足に関係していることを実体験していること、などが相まって『当たり前』という『主観の共有』が醸成されているのでしょう。

しかし、世界中の国が、日本と同じような『当たり前』を保有しているわけではありません。

『人間』は『肉体的な安泰』と『精神的な安泰』の双方を希求する生物ですが、『精神的安泰』の価値など認めない体制の国家では、『芸術』は、『国威発揚』や『愛国心涵養』の手段程度にしか過ぎず、政治リーダーにとって『好ましくない』芸術表現は統制の対象になります。

現在でもそのようなことが行われている国は、少なからずあります。

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