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2019年11月21日 (木)

江戸の諺『男はあたってくだけ』

江戸の諺『男はあたってくだけ』の話です。現在でも『男ならやってみろ』『男は度胸』などと、『男』の奮起を促す表現はあます。

世の中の『大事』は、『男』の役割で、『女』は『内助の功』で『男』に従うものという、社会の通念(主観の共有)があった江戸の時代では、特に『男』の『潔(いさぎよ)さ』は『粋(いき)』とみなされたのでしょう。

そうはいってみても、そのような『圧力』に耐えねばならぬのは大変なことですから、『男はつらいよ』と言いたくもなります。

人間の『精神世界』の特徴の一つが『推論能力』で、その能力を駆使して『予測』を行います。目の前の近い将来については、他の動物も『予測』することはあるのでしょうが、人間は遠い将来までも『予測』の対象にします。

『推論』は『因果関係』を想定することが前提になります。普遍的に矛盾のない『因果関係』を『物質世界(自然界)』の事象の中に見出そうとするのが『科学』です。その普遍的な『因果関係』は『自然の摂理(ルール)』と呼ばれ、『科学』の世界では、『予測』はこの『摂理』だけを用いて行われます。単純な要因で、『因果関係』を論ずることができるケースでは『科学』は、かなり正確に『予測』できますが、それでも『自然界』の事象は、非常に複雑で多様な要因が絡みますから、『科学』といえども、正確な『予測』ができないことが大半です。『台風の進路』『地震の発生』『火山の爆発時期』などを、現在の『科学』レベルでは正確に言い当てることはできません。

一方、人間の思惑や価値観が絡む、世の中の事象を『予測』するのは、『自然界』の事象の『予測』よりもさらに難しくなります。

私たちは、懸命に『予測』を試みますが、現実には将来を正確に見通すことが『できない』という矛盾を抱えて生きています。言葉を変えると、私たちは『こうあってほしい』と将来について、『夢』『期待』『願望』を沢山抱きますが、『そうなる』という保証のない状況で生きていることになります。

私たちが『夢』『期待』『願望』を抱くのは、『安泰を希求する本能』が根底にあるからです。そしてそれらが実現してほしいと、自由奔放に考え出した『因果関係』を駆使して『予測』をします。多くの場合この『因果関係』には『科学』のルールのような普遍性はありません。自由奔放に考え出した『因果関係』は、自分に都合のよい『屁理屈』に過ぎないことが大半です。『あの娘が、私を流し目でみたから、きっと私に気があるに違いない』などという『予測』をすることになります。

現実には、私たちは将来を正確に『予測』することはできません。したがって、何か問題にぶち当たった時には、『挑戦する』『何もしない(現状に耐える)』『逃げる』の選択肢しかありません。

『当たってくだけろ』は、その選択肢の中の『挑戦する』ことを意味します。

自分の責任で、どの選択肢を選ぶかは、人間の問題で、『男』に限った話ではありません。『男』にそれを強いるのは、社会の価値観が背景にあるだけの話です。

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