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2019年11月 5日 (火)

『人間』と『自然』の乖離(2)

『自然』の『再生能力』が、自分たちがいつまでも安心して生きていけるための大切な要因と考え、資源の使用量を抑制するか、、『自然』の『再生能力』を越えてまでも、現状の『快適さ』『便利さ』を優先する為に資源をどんどん利用すべきか、といった違いをこのエッセイの著者は論じています。

上記のように書けば、『理性的』な人なら躊躇なく前者の態度が『好ましい』と判断するでしょう。

このエッセイも含め、多くの見識者が、人類がすぐにでも『考え方』を変えて、『自然』を『共生』の対象にする『施策』を打ち出すべきだと警鐘を鳴らしています。

『アル・ゴア』の『不都合な真実』などが、代表例です。

『自然』は、人間にとって必要なものを、永久に、無尽蔵に供給してくれるものと、多くの人間が、蒙昧(もうまい)にも『勘違い』していたというなら、『考え方』を変えることは可能かもしれません。

しかし、多くの『警鐘』が鳴らされ、『このままでは、人類は絶滅の危機に瀕するかもしれない』と、不安を抱くようになった現在でも、地球資源を大量に消費する傾向に、歯止めをかける抜本的な『施策』が打たれないのは、何故なのでしょう。

『炭酸ガス排出規制』『漁業量の規制』『森林保護』『生態系保護』『再生エネルギーへの転換』など、部分的な努力がなされていますが、そのような努力でさえ、国際的な『合意』を得ることが極めて難しいことは、御承知の通りです。

このような部分的な努力の累積で、問題が解決するように思えません。また、救世主のような『英邁な政治リーダー』が突然出現し、人類を救ってくれることを期待するのも非現実的です。

少なくとも、この問題は、人間の本質的な習性を直視し、それを認めないと議論が始まらないのではと梅爺は感じます。

人間の本質的な習性とは、『当面の都合(安泰)を最優先する本能』や、自分に都合が良い『因果関係』を考え出して、『自己肯定』『自己弁護』する習性のことです。

一度手に入れた『快適さ』『便利さ』を放棄し、以前の状態に戻ることがいかに難しいか、もう少しで手に入れられそうな『便利さ』『快適さ』をあきらめることも、いかに難しいかを、自分のこととして考えてみればご理解いただけるでしょう。

この本能は、『欲望』『煩悩』の元で、『好き』『嫌い』という生物として原始的な『情感』を生み出す元でもあります。

『欲望』『煩悩』『情感』は、『理性』で抑制できる対象ではありますが、誰にとってもこれは容易なことではありません。

『後進国』の人は『先進国』の人が享受している『便利さ』『快適さ』を、自分たちは何故あきらめなければならないのかと、それを『理不尽』であると出張します。

将来の『危機』を、焦眉の急とは考えず、誰も、『なんとかなるのではないか』と自分に都合よく考えようとします。

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