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2019年10月19日 (土)

江戸の諺『色におぼれる』

江戸の諺『色におぼれる』の話です。『○○におぼれる』という表現は、多くの場合ある種の強い情感に支配され常軌を逸して、人生の道を誤ったり、最悪死に至るような状況を表したもので、冷静さや『中庸』を重視する価値観が背後にあります。

一時的に、強い情感に襲われることは誰でも経験することですが、そのことだけにこだわっていると、他の何かを逸してしまうことになりかねません。

私たちは、相互に同じ尺度では比較できない多様な『価値観』を持ちながら生きています。

『仕事をとるか、家庭(結婚)をとるか』などという設問には、普遍的な『答』はありません。

人間の能力は、有限なものですから、どちらかに『重き』をおけば、他は『軽んじ』ざるを得なくなります。妥協の上で、両立させることができても、今度は『満足』が得られない『不満』が残ることにもなります。

人生は、多様な価値観のバランスを、自分で判断し、その選択結果に責任を負いながら遂行していくことに他なりません。

『他人の生き方』は参考にはなりますが、あくまでも参考にすぎません。

しかし、自分の選択には、『これで本当に良いのだろうか』という疑念や不安が付きまといますから、誰かに『それでよいのだ』と肯定してもらいたい気持ちが、常に心の片隅にあります。『神仏に頼る』のもそのためです。

私たちの『精神世界』は、生物進化の過程で獲得した『情』と『理』という要素が、支配の根底にあります。生物として先に獲得した『情』の要素が、強い支配力をもっていますから、特定の『情』にとらわれて『おぼれる』ことになりやすいのはそのためです。

『冷静に判断する』『我に帰る』『バランスをとる』などは、強い『情』の支配を抑制する為の『理』の働きです。

面白いことに、他人には『情におぼれている』人は、『魅力的』に眼に映ることがあります。『恋におぼれて死にいたる』話や、『死を賭して復讐に走る』話は、一種の『美学』として小説の題材になります。

『中庸』を守る方が、人生の『得策』と感じながら、自分では選択できない他人の極端な『情重視』の生き方を見て、『羨望』や『共感』を覚えることがあるからなのでしょう。

『多様な価値観のバランスを取りながら生きる』ことが人生であり、それを判断する『精神世界』は、『個性的』であるわけですから、『生き方』に普遍的な規範などありません。

『自分で選んだ人生を歩む』しか方法がありません。

『道徳』『宗教』などは、『正しい生き方』を提示しようとしますが、それは自分の『生き方』に自信が持てない人への、『無難な解決策』にすぎないような気がします。

他人の『生き方』に害を及ぼすような『生き方』は論外として、『自分の人生は、自分で決める』という『覚悟』が最後には求められるのではないでしょうか。

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