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2019年10月18日 (金)

江戸の諺『お釜掘る』

江戸の諺『お釜掘る』の話です。男性同士の同性愛者の『性行為』を意味する隠語として現在でも使われています。男性の同性愛者を『オカマ』と呼ぶのは、ここからきています。

西欧のキリスト教文化圏では、『同性愛』は『神』への背徳行為と断じられてきましたので、『同性愛者』の社会的立場は公には認められませんでした。

しかし、『同性愛』を『個人の選択の権利』として認めるという『価値観』が台頭し、『同性愛者の存在』『同性同士の婚姻』を認める風潮が、西欧社会中心に広がりつつあります。

日本では、古来男性同士の性愛行為を『男色』と呼び、『お殿様』が美貌の『お小姓』に『夜伽』の相手をさせるなどという行為は、『おおっぴら』に行われてきました。

一方『お殿様』は『正室』や『側室』に『世継ぎ』を産ませることも行っていましたので、『男色』は、気まぐれな『性の好奇心』を満たすものといった程度のものとして、社会は、ある程度寛容に、これを受け入れていました。多くの人が自分たちとは違う『変わり者』の存在をそれとなく認め、マイノリティである『変わり者』は、少々肩身の狭い思いをすることがあっても、キリスト教文化のように『背徳者』として糾弾されることはありませんでした。

この風潮は、現代の日本への継承されていて、『オカマ』のタレントが、それを逆手にとって人気者となり、テレビの司会者などとして活躍し、視聴者もそれを受け入れています。

今でも『同性愛者』を公には認めない『イスラム文化圏』の人たちが、日本のこの現状を観たら、『日本はモラルを欠いた国』と受け止めるに違いありません。これはまさしく『異文化』に類します。

『性同一性障害』と診断される人もいて、こちらは肉体的な生まれつきの『性』とは異なった『性』でありたいという欲求を保有する人です。結果的に『同性愛』と同じ行為をもとめることもありますが、『性同一性障害』と『同性愛』は、同じ概念ではありません。

『性同一性障害』は、『自分とは異なった性になりたいという欲求意識の持ち主』であり、『同性愛者』は、『自分と同じ性の人を、性行為の対象にしたいという欲求意識の持ち主』で、微妙に異なります。

『同性愛』も『性同一性障害』も、何故そのような欲求意識の人が、出現するのかは、遺伝子が関与しているのであろうという推測はできますが、真の原因は科学的に究明されていません。

受胎時に生成されたその人の『遺伝子配列』の一部に『突然変異』で多くの人の平均的な遺伝子内容とはことなった遺伝子が、組み込まれたのであろうという『仮説』が有力です。

平均的な多くの人たちにも、潜在的にそのような『欲求意識』が秘められているのかもしれません。ただそれが、強く表面化した症状が、『同性愛』『性同一性障害』なのかもしれません。

統計的に、平均値から遠く逸れた『資質』の保有者が、『遺伝子配列』生成との関連で必ずある比率で出現することは、生物としての宿命です。人間は『個性的』に創られているという典型例です。これに社会がどのように対応するかは科学の問題ではありません。

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