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2019年10月16日 (水)

手を失いつつある(6)

『先進の民主国家』では、『個人』が『個性的』であることを基本的に認め、たとえ能力格差があっても、人間として生きていくための『基本的な権利』は最低限保証するという認識が社会にあります。

このため、『個人』は、自分の能力を駆使して、『自分らしく生きる』ことに『生きがい』を感じてきました。

能力差がありますから、『他人に優る』ことはかなわなくても、『自分らしく』生きることに大きな意味があることになります。

『仕事』は、生活の糧をえる手段でもありますが、『自分らしさを発揮する』場でもあり、自分の『存在価値』を確認するものでもありました。

この『仕事』の大半が、『機械で代行される』ことになったら、人間社会は継続できるのかという問題提起が、このエッセイの著者によってなされていることになります。

『力仕事』や『人間には嫌な仕事』を『機械』に代行させるというレベルと、人間の『脳』よりははるかに優れた総合判断力を持つ『機械』に、人間の『仕事』を代行させるというレベルでは、問題は決定的に異なります。

『人間』が『主人』で、『機械』が『下僕』であるという関係が成立している間は、『AI』は素晴らしい成果を人間社会へもたらす可能性を秘めていますが、関係が逆転した時の『AI』は、『人間』の『存在価値』を否定するものに豹変するかもしれません。

梅爺は『人間』が『不完全』な存在であるのに対して、『AI』が『完全』なものであるなどとは考えていません。仮に『AI』は『人間』の『不完全』さより、少しましな『不完全』さであったとしても、相対的に『人間』は、『存在価値』を失うかもしれないと考えているだけです。

私たちは、『科学』の可能性を抑制する必要はありませんが、『科学』がもたらす『成果』について、人間や人間社会にそれを取り入れるかどうかは、別問題として具論すべき時代にきているのではないでしょうか。

この『知恵』を誤ると、人類は自ら創出した『科学』の『成果』によって、滅亡の道をたどることになるかも知れません。

既に『核エネルギー』で、この問題に直面しています。『核兵器の保有が、核抑止力になる』という『毒をもって毒を制する』考え方と、核保有国同士の愚かしく見える『疑心暗鬼』が『核兵器廃絶』という、多くの人の願いを『絵に描いたモチ』にしてしまっています。『国家』と『人類全体』の関係は、『個』と『全体』の関係と同じで、普遍的な解決策を人類は持ち合わせていません。

経済的に魅力的に見える『原子力発電』も、『福島原発事故』のような災厄をもたらす可能性を秘めており、災厄が無いにしても『使用済みウラン燃料』の究極的な処理方法を、人類はまだ見いだせていません。

同様に、最先端科学の『遺伝子操作』も、人類にバラ色の未来だけをもたらすものではありません。

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