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2019年10月12日 (土)

手を失いつつある(2)

人間が『手』を使うということは、『脳』を使うということでもあります。『手』と『脳』は連動して目的を果たすからです。『手』を使って何かを実現できるようになると、それに関連する『知識』が『脳』に蓄積され、その『知識』を利用して、更に似たような他の目的も果たせるようにもなります。

『自給自足』社会では、このようにして誰もが、『生きるための知識』を、同様に広く浅く保有していたことになります。『知識』の『分散』保有が特徴です。

『専門の職業分化』社会では、ある『知識』は『専門家』だけが保有するという『集中』が特徴になります。もちろんその分『知識』は高度なものになります。

『自給自足』社会では、生活に必要な基本的なものは、創りだせますが、『自動車』『テレビ』『パソコン』『スマホ』などは出現しません。

『専門の職業分化』社会であるからこそ、私たちは『自動車』『テレビ』『パソコン』『スマホ』を当たり前のように道具として利用しています。しかし、ほとんどの人は、『内燃機関』『映像処理』『情報処理』『通信処理』の詳しい『仕組み』に関する『知識』は持ち合わせていません。『知識』は一握りの『専門家』が集中的に独占保有しています。

このエッセイの著者は、人間の『手仕事』を機械が代行するようになると、それに関連する『脳』の『知識』が、消滅することを危惧しています。

しかし、『自給自足』社会から『専門の職業分化』社会へ移行した時に、多くの人はある種の『知識』を保有しなくなったことを考えると、この事が大問題であるとは思いません。人間は、『脳』の能力を違った方面へ活用し、新しい『知識』を獲得してきたからです。

私たちは『自動車』を運転したり、『スマホ』を駆使したリしていますが、この行為自身が多様な『知識』が要求するからです。『自給自足』社会の人は、これらの『知識』を持ち合わせませんでした。

人間の『手仕事』を機械が代行することになることの本当の問題は、経済的な視点で、『付加価値』を生み出すのが機械であって人間ではなくなるということにあります。

これは、機械さえあれば、人間は要らないという極端な考え方を生み出す危険性を秘めていあす。

近世以降、人類は多くの便利な機械を創出してきました。しかし、あくまでも人間が『主人(マスター)』で機械は『下僕(サーバント)』であるという、暗黙の『共生』の関係が成立していました。

しかし、逆に人間が機械に依存したり、機械(人工知能)の判断に従ったりするようになると、『主人』と『下僕』の関係は曖昧になり、時に逆転することにもなりかねません。

経済的には、機械の方が人間より付加価値が高いという考え方が台頭してきます。

『姥捨て山』のような極端な話にはならないにしても、社会で『付加価値』を生み出せない人たちは、阻害され、格差が一層大きな社会になりかねません。

梅爺のような、老人は、社会的には『無駄』と白眼視されかねません。

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