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2019年10月 5日 (土)

『侏儒の言葉』考・・『地獄』(6)

死後の『魂』『霊』の存在を、近世以前の人類は『主観の共有』として、『信じて』いて、特に『非業の死』を遂げた人の『魂』『霊』は、『個の世』に復讐として『祟り』をもたらすとも『信じて』いました。

『天災』『疫病の流行』などは、全てこの『祟り』と考えられていましたので、『魂』『霊』を『鎮める』ための『加持祈祷』が真剣に行われました。

『為政者』にとっては、『民を治める』実務に加えて、『加持祈祷』も重要な仕事であり、『加持祈祷』に特別の能力を持つ『聖職者』を登用しました。『空海』などがその代表例です。

日本の歴史では、『武家』の台頭と同時に、『民を治める』実務は『武家』の為政者が担当し、『加持祈祷』は『天皇家』が担当するという、役割分担が確立し継承されてきました。現在の日本は、『民を治める』実務は『武家』ではなくなりましたが、『天皇家』の役割は基本的に継承されています。天皇家に伝わる『神事』は、『国家安寧』『五穀豊穣』などを願う『加持祈祷』です。

現代の日本人の多くは、天皇家の『神事』は、伝統的な形式として観ているだけで、『加持祈祷』の実効などは期待していません。ただ、日本の場合は、『民を治める』実務を担当する『為政者』の暴走を抑制する役割で『天皇』が存在するという、実に巧妙な『しくみ』が暗黙のうちに存在することが特徴となっています。

これは日本人の『知恵』ともいうべきもので、『天皇聖廃止論』に、梅爺が必ずしも賛成しない理由になっています。日本では『トランプ大統領』のような思いあがった人物が出現しにくいことになるからです。

近世以降の『科学』は、人類が『精神世界』で考え出し『主観の共有』として継承してきたものが、『理』の観点では『虚構』であることを明らかにしてきました。『あの世(地獄、極楽)』『魂』『霊』の存在は、『理』では説明できないこと、『加持祈祷(人間の願い、祈り)』は、『物質世界』の事象である『天災』『疫病』などには効用が無いことを明らかにしました。人類の歴史の中で、このような状況を体験しているのは現代人だけです。

しかし、人類の『主観の共有』は根強いものであり、私たちは一方で『科学』が明らかにしたことを受け入れながら、他方では、『あの世』『魂』『霊』の存在を信じ、都合の悪いこと、良いことを『加持祈祷』に頼って解決しようとします。

しかし、永い目で観れば、人類の『主観の共有』内容は、変貌し、すたれていくであろうと梅爺は想像しています。

『古代エジプトの神々』『古代ギリシャの神々』『古代ローマ帝国の神々』を、『信ずる』人は現代ではいなくなっていることがその証拠です。

しかし、『願う』『祈る』『信ずる』という行為は、先が見通せない人間にとって、『生きる』ために必要な行為ですから、形を変えて存続し続けるでしょう。

『芥川龍之介』の『地獄』論が、とんでもない話に脱線しましたが、このように、あることに啓発されて、思考の世界が広がるのも、人間の特徴であり、梅爺の生きる『楽しみ』でもあります。

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