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2019年10月20日 (日)

江戸の諺『箒(ほうき)客』

江戸の諺『箒(ほうき)客』の話です。箒(ほうき)で『掃く』という表現は、遊里で遊女が手当たり次第に次々に客をとるという意味でも使われ、転じて『客掃けが良い』は、お店に客が次から次へ訪れ、去っていく様子を表現することになりました。

箒を逆さに立てかけるのは、嫌な客が長居をせずに早く帰ってほしいと願う『おまじない』のことです。『箒客』は『歓迎したくない客』の意味になりますが、現在ではあまり使われません。

京都の人は、『タテマエ』で客に対応し、『ぶぶ漬け(お茶漬け)でも、どうどす』と勧めた時は、『早く帰ってほしい』というのが『ホンネ』であると、その慇懃無礼を大阪の人が茶化す話は有名です。

客に『ごゆるりと』と口ではいいながら、陰で箒を逆さに立てているような様子が目に浮かびます。

日本人は『ホンネ』と『タテマエ』が判然としないと、外国人から批判されますが、これは社会の価値観が、『個人重視』より『全体重視』に重きを置く文化が踏襲されているからなのでしょう。

日本は『農耕文化』の色合いが強いために『全体重視』になり、西欧は『狩猟文化』の色合いが強いために『個人重視』になるというような、もっともらしい説明がよく行われますが、一部は当たっているとしても、文化のルーツはそれほど単純な理由ではないような気がします。

『タテマエ』を聴いて『ホンネ』を『忖度(そんたく)』するという、日本の文化は、社会に波風をたてない奥ゆかしい文化でもありますが、『忖度できない人』や『過度の忖度をする人』が、問題を起こすことにもなります。

個人の『ホンネ』を重視する文化は、『違い』が明確になる文化でもありますから、『違い』にどう対応するかが問題になります。波風が立つのは仕方がないということにもなります。『ディベート』は『違い』を明確にした上で、『妥協点』を見出そうとする方法です。

『個人重視』の社会では、『自己主張』は当然であり、これをしないと『損』をすることになります。

スポーツの『チーム・ワーク』という言葉も、日本と外国では、少しことなった意味になります。日本では『規律を守る』『全体のために自分を犠牲にする』というような意味になりますが、外国では『自分の個性を発揮して全体に貢献する』という意味になります。

日本の野球やサッカーの選手が、外国のチームへ移籍した時に、この違いを克服することが最初の課題になります。

『個人重視』と『全体重視』のどちらが優れているか等と言う議論は、あまり意味がありません。双方に長所と短所があるからです。

ただ、日本人が外国の人と付き合う時には、『違い』を理解しておく必要があります。

日本社会では、日本人らしく、国際社会ではそれに準じた対応をしなければなりませんから、『ダブル・スタンダード』になりますが、それができる日本人が増えることが、日本の将来にとって重要なことになります。

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