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2019年10月17日 (木)

江戸の諺『腹が見え透く』

江戸の諺『腹が見え透く』の話です。『魂胆が見え透く』と同じで、『ホンネが見え見え』の状態を表現したもので、現代でも使われます。

『ホンネ』は『タテマエ』の逆で、『タテマエ』は自分を取り繕った『きれいごと』ですから、『ホンネ』は理屈抜きで自分に都合のよいことを望む慾得が絡みます。『ホンネ』は、梅爺がいつも書いてきた『安泰を希求する本能』を率直に表現したものになります。

人間の行動が複雑なのは、『ホンネ』を持ちながら『タテマエ』で対応しようとしたりすることです。

何故このようなことになるのかと言えば、『ホンネ』は『自分勝手』であり、それをあからさまに表現すると、他人から『蔑(さげす)まされる』ことを感じとって、防御のために『自分を取り繕う』『見栄を張る』『体裁を飾る』ことをしようとするからです。

生物そして『群を作って生きる』ことを選択した『ヒト』にとって、他人から自分は否定的に観られることは、『安泰』を脅かされることになりますから、これを避けようとする心理が無意識に働くことになります。人間社会で『絆』が重視されるのはこのためです。

無人島で一人暮らす『ロビンソン・クルーソー』には、『タテマエ』などの必要はありません。

一見矛盾する『ホンネ』も『タテマエ』も、同じ『安泰を希求する本能』が根源であるということです。

『ホンネ』を『タテマエ』でカモフラージュすることが、『上手い人』と『下手な人』がいて、どちらも他人から、良くいわれることもあれば、悪くいわれることもあります。

『上手い人』は、『思慮深い人』と褒められたり、『腹黒い人』とけなされたりします。『下手な人』は、『軽率な人』とけなされたり、『天真爛漫な人』と褒められたりします。

子供は、『タテマエ』を弄する術を身につけていませんから、一般に『天真爛漫』で『ホンネが見え見え』に振舞います。

人間が『何を考えるか、何を感じるか』は『脳』の機能であることは、現代人は科学知識として知っていますが、江戸の人たちは、『魂胆』は文字通り『腹』にあると考えていたのでしょう。

『腹が立つ』『腹が煮えくりかえる』『腹が据わる』『腹を決める』『腹をくくる』『腹黒い』などという表現が、沢山日本語として継承されています。外国人から観ると、これは『異文化』で興味深いことではないでしょうか。

古代エジプトから中世の西欧まで、『心』は『心臓』の働きと考えられていました。恋をすれば『胸がときめき』ますから、そう考えたくなるのも分かります。

古代エジプトでは、死者の『心臓』を壺に入れて、ミイラと一緒に埋葬しました。『あの世』でも『心』が必要と考えたからなのでしょう。

『腹が見え透く』は、あまり良い意味では使われません。相手が『自己中心の人であることが見え見え』と蔑むニュアンスがこめられます。

しかし、生物の宿命として『ヒト』は、誰も多かれ少なかれ『自己中心』であることは弁えておく必要があります。 

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