江戸の諺『のぼす(のぼされる)』
江戸の諺『のぼす(のぼされる)』の話です。
これは『諺』ではなく、動詞の単語に過ぎませんが、その意味にこめられた『諧謔性』から、『諺臍の宿替』という原本に作者が採用したのでしょう。
『のぼす』は『おだてる』、『のぼされる』は『おだてられる』という意味です。現在でも『のぼせあがる』などという表現で使われます。
『のぼす(おだてる)』『のぼされる(おだてられる)』と言う行為が、意味を持つのは『ヒト』が『精神世界』を保有する生物であるからでしょう。
何度もブログに書いてきたように、『精神世界』を支えるものは『安泰を希求する本能』ですから、『のぼされる(おだてられる)』と人は、『自分以上の自分になった』と勘違いし、良い気分になります。つまり『精神世界』は『安泰』を感じて満足することになります。
『安泰』の状態にあるときには、脳内にそれに対応するホルモンが分泌され、『気分爽快』で『前向き』になり『自信』が湧いてきます。『ヒト』にとって、それは肉体的にも、精神的にも『好ましい状態』と言えるものになります。
逆に他人から『叱責される』『貶(けな)される』と、『安泰』は脅かされ、逆の状態になります。
『スポーツ』や『教育』で、コーチや教師が、選手、生徒を『褒める』ことが、『やる気』や『能力』を引き出すことに有効と言われるのは、このためです。『長所』を伸ばしてあげれば、選手や生徒は自ら自分の『短所』に気づき、それを自分の努力で克服しようとするようになるからです。
しかし、人間社会で『のぼす』『のぼされる』は、何らかの『損得勘定』が裏側にあることが多く、『スポーツ』や『教育』のように、『きれいごと』にはならない場合が大半です。
上司に『ゴマをする』部下は、本心では上司の無能に辟易していながら、自分への高評価を期待して、追従(ついしょう)していることになります。
まじめな部下は、『ゴマをする』という『さもしい行為』は、自分には耐えられないと控えます。
本当に有能な上司なら、部下の『ゴマすり』の下心を見抜いて、その部下を高くは評価することはなく、『ゴマすり』をしない部下を低く評価することはないはずですが、残念ながら人間には弱いところがあり、多くの上司は『ゴマすり』と感じながらも、その心地よさに麻痺するようになっていきます。
公平な判断ができていたはずの有能な人も、地位が高くなり、権力を持つようになると、自分の周囲に『イエスマン』だけを配置するようになりがちなのは、このためです。
江戸の人たちは、脳におけるホルモンの機能等に関する知識は持ち合わせていませんでしたが、『のぼす』『のぼされる』という行為には、人間関係で悲喜劇を引き起こす、何やらいかがわしいものが潜んでいると察知して、これらの言葉を『諧謔』の対象として、笑い飛ばしていたのでしょう。『アッパレ』と称賛したくなります。
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