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2019年9月15日 (日)

『侏儒の言葉』考・・『恋は死よりも強し』(1)

『芥川龍之介』の『侏儒の言葉』にある、『恋は死よりも強し』というエッセイに関する感想です。

『恋は死よりも強し』という表現は、モーパッサンの小説に出てくるものと紹介されています。

『死』より強いのは、別に『恋』ばかりではなく、『食欲』『愛国心』『宗教的感激』『人道的精神』『利慾』『名誉心』『犯罪的本能』など数え上げればきりがないと書いています。

つまり、『死に対する情熱』だけを例外として、その他のあらゆる『情熱』は、『死』より強いものだと述べています。

そして我々を支配しているものは、フランスの小説『ボヴァリー夫人(フローベル著)』の主人公のように、自身を伝奇の中の恋人のように空想する『感傷主義』であると書いています。

『ボヴァリー夫人』は、田舎の退屈な生活に飽き飽きして、華やかな生活を求めて都会へでますが、不倫や借金の問題を抱えて、最後は服毒自殺するというストーリーです。

『死』より最も強いものが『恋』と言えるかどうかは別として、『死』より強いものが存在することは認めたうえで、我々を支配している大元は『感傷主義』であると断じています。

『恋は死より強し』ということは、『恋が成就するならば死んでもよい』『愛する人のためならば自分の命は捧げてもよい』というような、『死』より『恋』の価値観を優先することを言うのでしょう。

本来、『死』と『恋』は直接比較することができない概念です。比較する為の普遍的な尺度が無いからです。

しかし、私たちの『精神世界』は、これを『価値観』という尺度で、比較の対象にします。この『価値観』という尺度は、普遍的ではなく『個性的』なものですから、『ある人の価値観ではそのように言える』ということにすぎません。

言い方を変えると、私たちの『精神世界』は、『個性的な価値観』で、どんなものも比較の対象にすることができます。典型的な例をあげれば『命は地球より重い』などという表現がそれに当たります。

『侏儒の言葉』で述べられていることの大半は、『芥川龍之介』の個性的な『精神世界』が下した『判断』『評価』であるということになります。『芥川龍之介』がどのような人物であるかを私たちが『判断』『評価』するうえで、これらは有益なものですが、『芥川龍之介』のような偉大な作家が言っていることなので、この『判断』『評価』は『正しい』と短絡的に『受け入れる(信ずる)』必要はありません。

もちろん『芥川龍之介』の『判断』『評価』に『共鳴』する方がおられるのも当然ですが、自分の『価値観』とは『違う』と梅爺は感じています。しかし、梅爺は『芥川龍之介』の存在を否定するつもりはありません。偉大な才能に敬意を表した上で、『価値観が違う』と感じているだけです。『精神世界』が個性的である以上、これは当然の話です。

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