« 『侏儒の言葉』考・・『地獄』(1) | トップページ | 『侏儒の言葉 』考・・『地獄』(3) »

2019年10月 1日 (火)

『侏儒の言葉』考・・『地獄』(2)

『生きることは何故苦しみに満ちているのか』という疑問を抱いた先人として『釈迦』が有名です。『釈迦』はインドの王国の王子で、地位、財産、家族(妻と子)に恵まれていましたが、29歳の時に、それらを全て捨てて出家し、6年間の過酷な修行(哲学的思考)の末に、ついに自分で納得できる『答』を見出しました。『煩悩を解脱して涅槃(ねはん)に入る(仏になる)』がその『答』です。最初に『釈迦』が『苦しみ』ととらえたのは『病』『老い』『死』です。

『釈迦』の死が『涅槃』の姿として伝えられていますが、本来『涅槃』は『悟りの境地』のことで、死を意味するものではありません。

『釈迦』の教えを、他の言葉で表現すれば『人間の心には、邪心(煩悩の元)と仏心が共存しているので、できるだけ邪心を排除して仏心だけの存在(仏)に近づきなさい』ということであろうと梅爺は解釈しています。

『釈迦』にとっては『仏』は、人間が到達すべき理想の境地で、論理的には誰でも『仏』になれる可能性を秘めているということです。この『人間は仏になれる』という考え方は、他の宗教の『人間は神になれない(神と言う実態は別に存在する)』という考え方と、決定的に異なっています。

もっとも、『釈迦』の死後、その教えは各地へ広まると同時に、その地に以前から存在していた土着の宗教と結びついたりして、現在の『仏教』は、『釈迦』の教えそのものから大きく異なったものに変貌しています。『日本の仏教』も例外ではありません。中国、朝鮮半島経由で学んだことと、日本人の高僧が考え出したこと、日本独自の風習、土着の宗教(神道)と結び付いたことなどが、まじりあったものになっています。『チベットの仏教』『タイの仏教』とも異なります。

その変貌の中で、『阿弥陀如来』『薬師如来』などという、『人間とは異なる実態』が出現し、人々はこれに『救い』を求めるようになりましたので、これだけをみると、『人間は阿弥陀如来にはなれない』ということになり、他の宗教の『人間は神になれない』という考え方と似たものになってしまっています。

『釈迦』が現在の『日本の仏教』の内容を知ったら、『私はそのような話をしたことは一度もない』とおっしゃるのではないでしょうか。『如来』『菩薩』『天』などという諸々の仏たちや、『地獄』『極楽』といった『あの世』の話は、『釈迦』の教えには含まれていません。

梅爺には『釈迦』は、宗教の教祖というより、『偉大な哲学者』に観えます。『生きることは何故苦しい』のかという『疑問』を、徹底追及し、極めて論理的な思考で、『答』を見出そうとしています。

そのために、この世を支配している基本的な法則を特定し、その法則から、『理』の連鎖で『答』に到達するという手法を用いています。

『煩悩を生み出す原因』『煩悩を解脱する為の方法』などが、4つとか8つの箇条書きで提示されているのも、『理』を尊重する人の手法です

思考方法だけを観れば、古代ギリシャ哲学の『理』で真実に迫る思考方法に似ています。

|

« 『侏儒の言葉』考・・『地獄』(1) | トップページ | 『侏儒の言葉 』考・・『地獄』(3) »

コメント

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)




« 『侏儒の言葉』考・・『地獄』(1) | トップページ | 『侏儒の言葉 』考・・『地獄』(3) »