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2019年9月10日 (火)

江戸の諺『狂言師』

江戸の諺『狂言師』の話です。これも諺ではなく、江戸の時代に使われていた比喩の用語です。

『狂言師』は、本来は、『狂言』を演ずる人のことで、江戸時代は、大名お抱えの『エンターテイナー(芸人)』のような立場にありました。

しかし、庶民の間で『狂言師』は、色々な細工をこらして人をだます、現代でいえば『詐欺師』の意味で使われました。『からくり師』ともいわれました。

現代の感覚でいえば、『能』『狂言』は、格式高い日本の伝統芸能であり、関係者は『人間国宝』に叙せられる方もおられるくらいですから、『狂言師』を『詐欺師』に例えるのは失礼な話です。

『狂言』のストーリーには、確かに『人をだます』内容のものおありますが、それよりも『狂言』という文字表現があたえる印象で、『詐欺師』の意味に転じたのではないでしょうか。江戸の庶民の娯楽は『歌舞伎』『人形浄瑠璃』が中心で、『能』『狂言』は、室町時代から伝統的に武士社会中心に継承されてきました。

『能』『狂言』は、日本の『精神文化』を理解する上で、重要なものと梅爺は感じています。『能』は『ワビ』『サビ』、『狂言』は『諧謔』という『精神世界』の価値観を様式化した日本独特の芸能様式で、日本人の『死生観』『美意識』が色濃く反映しています。

無駄なものを、徹底的に排除して、本質を『型』に凝縮しながら、逆にその『型』の制約の中で、自由奔放な精神の解放を表現しようとする、世界にあまり類を見ない芸能の域に達しています。厳選された『所作』や『言葉』が、非日常の世界を創り上げていながら、実は人間の本質を洞察したものになっています。『茶道』『華道』『和歌、俳句』なども共通した『精神文化』が根底にあります。

この日本の『精神文化』を、感じとれる外国人は多くはいないと思いますが、最近では日本人の多くもこの『精神文化』が疎遠になりつつあります。

しかし、この『精神文化』の一端は、今でも日本人の中に無意識に継承されているように思います。

日本の『精神文化』が、他国より『優れている』と思いあがることは控えるべきですが、私たちの『アイデンテティ(特徴的な個性)』であることを誇りに思い、自らの価値観として堂々と主張すべきです。

『四季が鮮明な豊かな自然環境』『武士の台頭』などが、この『精神文化』を育む土壌になっているように感じます。そしてもっと深くこの事について考えてみたくなります。

もうひとつ梅爺の興味の対象は、『芸能』『娯楽』が昇華して『芸術』の領域に達するプロセスです。『能』『狂言』などが典型です。

人間はなぜ、『世俗的なもの』を『高尚なもの』に変えようとするのかという疑問です。

『高尚なもの』は、庶民の多くにとって疎遠になってしまいますが、人間社会の一部にこれを高く評価する人たちがいて、『芸術』は認められ、継承されていきます。

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