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2019年9月12日 (木)

江戸の諺『頭を丸める』

江戸の諺『頭を丸める』の話です。『坊主頭になる』ことで、『出家して仏門に帰依する』ことを本来意味します。

しかし、江戸の人たちは、この諺を『猛省する』『罪滅ぼし(謝罪)の意を示す』といった意味の比喩で使っていたのではないでしょうか。本当に『坊主頭になる』わけではありません。

不始末を仕出かした部下に、上司が『頭を丸めて出直せ』などと叱ることは、現代でもある話です。

俗世の苦しみ、悲しみを嫌というほど味わった人が、仏門に帰依して仏の慈悲の下(もと)に、心穏やかな新たな生活を開始するというような、人物は沢山歴史上登場します。

罪を逃れるための手段として『出家する』ということもあったと思いますが、俗世の人も出家した人の科(とが)はそれ以上問わないという不文律があったのでしょう。

梅爺が現役時代に働いていた会社の部署で、一部の事業内容を他社と設立する新合弁会社へ移管するという計画が進められたことがありました。もちろん経営内容がおもわしくない状況に追い込まれていたこともありますが、日本のコンピュータ産業の国際競争力を高めるために、会社の数を減らすといった通産省の思惑も背後にありました。

この合弁会社設立、一部事業移管の計画は、関連する両社の経営トップと限られた実務者だけで、秘密裏に行われ、その内容が公に発表されるまでは、梅爺たちには知らされませんでした。発表は文字通り『寝耳に水』でした。

梅爺が属していた部署の、約半分の人たちは、『新合弁会社』へ出向することになり、残りの半分は、そのまま元の会社に残ることになり、梅児は残留組になりました。

サラリーマンにとっては、生活環境が一変する一大事で、『これからどうなるのだろう』と不安に駆られることになりました。

その時、梅爺の会社で、合弁会社設立の秘密計画を進めていた実務責任者が、発表の当日、文字通り『頭を丸めて(坊主頭になって)』出社してきたことに梅爺たちは驚きました。そして『会社の経営方針とは言え、仲間を欺いてきたこと』に『無言の謝罪の意』を示したかったのであろうとその心中を察しました。『土下座をする』『頭を丸める』などという行為は、観方によっては『スタンドプレイ』で、白々しいということにもなりますが、日本の文化の中では、一般に『誠意のある謝罪』の表現と受け止められます。

『頭を丸める』『駆け込み寺へ逃げ込む』などということは、俗世の手が及ばない『別世界』が宗教にはあるということを示しています。

人間社会のこの『価値観』は『主観の共有』に由来します。『精神世界』で『主観の共有』が意味を持つのは、生物の中で人間だけのように見受けられます。

『神』『国家』『貨幣価値』などという、抽象概念が『主観の共有』の対象になると、あたかもそれは実態のあるもののように変貌し『文明』の基盤になります。犬や猫の世界では、このようなことは起きません。

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