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2019年9月18日 (水)

『侏儒の言葉』考・・『恋は死よりも強し』(4)

『生誕(受胎)』『生命の維持(生きる)』『死』は、『物質世界』の事象として観れば、『摂理』のみに支配されて繰り広げられる『動的な変容』にしかすぎません。

しかし、人間の『精神世界』は、これらに特別の『意義』『目的』『あるべき姿(理想)』を付与して観ようとします。

単なる偶然の『動的な変容』などと言われては、『不安』『不満』ですから、何としても『意味のあるもの』にしたいと『願う』からです。

中でも『死』は、人間にとって最も厄介な事象です。どんなに『願っても』それを回避できないと観念せざるを得ないものであるからこそ、逆に『特別な意義』を見出そうとします。最も影響力の強い事象であると認めざるを得なくなると、『いやいや、死よりも更に強い影響力を持つものがある』と言いだして、『死』を相対的に軽んじようとしたりします。『恋は死よりも強し』などという表現は、そのように生まれます。

『精神世界』は、『どちらが正しいか』『どちらが強いか』などと、白黒の決着をつけようとします。それで『安泰』が得られるからです。

しかし、残念ながら世の中の事象の大半は、特に人間の『精神世界』の価値観が絡む事象は、『どちらが正しいか』『どちらが強いか』などと判定することはできません。

現実には、白黒の決着はつけられないにも関わらず、白黒の決着をつけないと『精神世界』の安泰が得られないという矛盾を抱えながら生きていることを、冷静に見つめることができる人は『器の大きな人』です。

多くの人は、どのような問題にも必ず『正解』があるはずだと、勘違いしています。学校のテストでは必ず『正解』があったことから、そういう勘違いが助長されてきたのでしょう。自分は『正解』を知らないけれども、『正解』を記述した本があるはずだ、『正解』はネット検索でみつかるはずだ、『正解』を知っている人がいるはずだと、助けを外部に求めようとします。その結果、テレビに登場する『専門家』『解説者』のことばを鵜のみにしたりします。

『賢明な人』は、外部の『助け』は参考にしますが、最終的には、自分の持てる能力を総動員して、自分なりに矛盾が少ないと思える『答』を見出そうとします。その『答』には、自分の個性的な『価値観』が関与していることも承知していますから、その『答』が『正しい』などと主張することには極めて慎重な姿勢をとります。常に他人が提示する『答』にも注意を払い、自分の『答』よりは矛盾が少ないとすれば、自分の考えも柔軟に修正しようとします。

『芥川龍之介』が、人間の根幹は『感傷主義』であるというのも、『理想的な状態にある自分を夢想しながら生きる』ということなら、それも『安泰を希求する本能』から派生したものと言えます。

『感傷主義』が根幹にあるのではなく、『安泰を希求する本能』が根幹にあると考えた方が矛盾が少ないという梅爺の考え方は、依然変わりがありません。

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