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2019年8月20日 (火)

江戸の諺『三十の尻くくり』

江戸の諺『三十の尻くくり』の話です。

三十歳にもなれば、思慮も定まり、堅実な生活を営むようになるという意味です。これで思い出すのは、『論語』で『孔子』が語った人生の節目の話です。読み下し文は以下です。

子曰く、
吾れ十有五にして学に志ざす。
三十にして立つ。
四十にして惑わず。
五十にして天命を知る。
六十にして耳従う。
七十にして心の欲する所に従って、矩を踰えず。

現代文へ訳すと以下のようになります。

孔子が云う、
「私は十五才で(学問の道に入ろうと)決めた。
三十才で(学問に対する自分なりの基礎)を確立した。
四十才で戸惑うことがなくなった。
五十才で天命を悟った。
六十で何を聞いても動じなくなった。
七十になってからは、心のおもむくままに行動しても、道理に違うことがなくなった」と。

梅爺は自分の人生を振り返ってみると、とても『孔子』のように順調に節目をクリアしてきたとは言えませんから、『畏れ入りました』というほかありません。

80歳に近くなって、確かに『心のおもむくままに行動』していますが、とても『道理に違うことはなくなった』などとは言えません。

60歳の半ばからブログを書き始め、世の中の事象は、『物質世界(自然界)』と『精神世界(心)』に区分けして、各々の世界の特徴に照らして観ると、たいていのことは納得できる説明ができることに気づきました。

しかし、『孔子』は30歳にして、既に『学問の基礎を確立した』ということですから、雲泥の差です。

もし、梅爺が30歳の時に、『物質世界』『精神世界』の規範で世の中の事象を観ることに気づいていたら、梅爺の人生は大きく異なったものになっていたでしょう。

しかし、30歳の頃は、『物質世界』に関する人類の『科学知識』のレベルは、10年前のレベルには程遠いものでしたので、梅爺もそれを知るすべがなく、多分『物質世界』『精神世界』の規範で世の中の事象を観る方法論は見いだせなかったでしょう。

『三十の尻くくり』は、『そうありたい』と考えたくなることですが、最近の事件のニュースなどをみていると、とても30歳で『思慮分別』が身についているとは言えない人たちの話ばかりです。

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