« 科学が『パンドラの箱』を開けてしまった(4) | トップページ | 二つの異なった『自我』のせめぎ合い(2) »

2019年8月16日 (金)

二つの異なった『自我』のせめぎ合い(1)

『科学』が『パンドラの箱』を開けてしまったという内容のブログを前に書きました。

科学知識が乏しかった中世までは、人類にとって『宇宙』『生命』『人間』は、『ブラック・ボックス』で、表面的な事象はもちろん認知できましたが、その表面的な事象の裏側に、どのような『しくみ』が潜んでいるのか、その『しくみ』はどのような『法則』で成り立っているのかは、理解出来ませんでした。

それでも、『わからない』ことを放置することは、人間の『精神世界』にとっては『安泰を脅かす要因』ですから、古代から多くの人たちが想像を巡らせて、『もっともらしい話』を創作し、それが権威をもつようになって人々は『そういうことか』と受け入れてきました。特に『宗教』が『神』という概念を利用して、『全ては神の御業』とすることで、『ブラック・ボックス』の謎は一見解消したようにみえました。何か『わからない』ことがあれば、『神』『聖書』『聖職者の判断』に頼るということですから、梅爺はこれを『神道主義』と呼ぶことにしました。

現代人の私たちは、『神話』は、古代の人たちが幼稚な頭で考え出した根拠のない『ファンタジー』と考え、真実の『歴史』とは一線を画して受け止めますが、古代の人たちにとって『神話』は、まじめな『歴史』でした。『古事記』『日本書紀』で語られる『神話』は、8世紀の日本人にとって、決して『ファンタジー』などではありませんでした。

『ブラック・ボックス』の中で、『人間』がもっとも厄介なものであったと言ってよいでしょう。なぜなら、中世までの人たちにとって、『自分が人間として生きている』ことは、間違いなく認識できているにも関わらず、『自分の中で何が起きているのか』は皆目見当がつかないことであったからです。

『私はどこから来たのか、なぜ存在するのか、そしてどこへ行くのか』と哲学者や芸術家は、問い続けることになりました。

もちろん現在でもこの問いに答えることは易しくありませんが、それでも『科学』知識で、ある種の論理的な説明は可能になりました。

『人間』は、『物質世界』の『変容』によって出現した『生物種』の一種で、『死』によって、無機質な素材だけが残り『物質世界』へ再び吸収されることになる、という実に味気ない説明になります。『物質世界』の『変容』には、『目的』『意義』などはありませんから、『物質世界』の視点で観るかぎり、『なぜ存在するか』などと問うことにも意味がありません。

誤解が無いように申し上げれば、梅爺は人間の『精神世界』にとって、『目的』『意義』は重要な事柄であることは承知しています。『自分はなぜ存在しているのか』という問いに、自分を説得させられるだけの『目的』『意義』を設定しないと、『安泰が脅かされる』からです。しかし、これは『人間』にとって重要なことであるだけで、『物質世界』にはそのような価値観はありません。

『人間』を『物質世界』に属する『生物』として観るか、『精神世界』を重視する『生物』として観るかで、物事は代わって見えてきます。この二つを混同せずに、しかも双方を尊重して『人間』を認識する必要があります。

|

« 科学が『パンドラの箱』を開けてしまった(4) | トップページ | 二つの異なった『自我』のせめぎ合い(2) »

コメント

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)




« 科学が『パンドラの箱』を開けてしまった(4) | トップページ | 二つの異なった『自我』のせめぎ合い(2) »