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2019年8月 2日 (金)

『神道主義』と『人道主義』(2)

中世の人たちは、『疫病の流行』『飢饉』それに『戦争』までも、背景に人間のはかり知ることができない『神のお考え』が関与していると考え、その原因に自分たちの『信仰』の足りなさが関与していると想像して、それを『罪』として恥じました。隣国との間に、一時の休戦状態があったとしても、相手国がいつまた攻めてきてもおかしくないと人々は考えながら生きていました。つまり『戦争のない世界』などは『信じて』いませんでした。ローマ法王が『神の御意志』を代弁して、『異教徒から聖地エルサレムを奪還せよ』と述べれば、騎士たちは『神の正義』を実現するために『十字軍』に参加しました。

ヒットラー時代の苦い経験があっても、現在のフランス人の大半は、近い将来ドイツが、突然攻め込んでくることなどは『無い』と感じながら生きていますから、中世の人たちとは全く異なった『価値観』で世界を観ていることになります。

中世の人たちも、『人間』である以上、『理解できない事象』の『因果関係』を特定して、『精神世界』の安堵を得ようとする習性は、現代人と同じでしたが、『自分たちが知らないことも神は御存じで、その答は聖典(聖書)に示されている』という考え方を受け入れ、それで安堵を得ようとしました。『天地は神が創造した』という説明以上に納得できる考えは浮かびませんでしたから、誰もがそれを『信じ』ました。『地球は平らなのか、丸いのか』などという議論も、その答えを『旧約聖書』の中の記述に求めようとしました。

私たちは今、『人道主義』を尊重して、それを『あたりまえ』として受け入れていますから、中世の人たちも自分たちと同じと勘違いしがちです。『神道主義』を『あたりまえ』とする自分を想像してみることは難しいからです。

しかし、少数ながら現在でも『神道主義』を最優先する考え方の人たちも存在します。『宗教』の『原理主義者』の人たちです。他の多くの『宗教』の信仰者は、時代の『人道主義』尊重の風潮からも多大な影響を受けて、ある種の『矛盾』を心の中に抱きながら、何とかバランスを取りながら生きていることになります。多くの信仰者も、『原理主義者のテロリズム』を非難する穏健な立場を取ろうとすることからもそれが分かります。

これに関して面白いエピソードが『ホモ・デウス』には紹介されています。エルサレムで『同性愛者が権利を求めるパレード』を行ったときに、もちろん『ユダヤ教』『キリスト教』『イスラム教』の関係者から、『パレードはやめろ』と反対の声があがりました。『神道主義』の時代なら、反対の理由は明確で、『神は同性愛をお認めになっていない』で済みましたが、現代の『反対表明理由』はそうではなく、『信仰者を不快にする行動はやめろ』というものでした。これは明らかに『他人を不快にする行為は良くない』という『人道主義』の考え方に則ったものです。『同性愛は神が認めない罪』と断ずることを避けて、『私を不快にする権利はあなたにない』という間接的な主張になっているのは、現代社会ではその方が『説得力を持つ』と、感じているからでしょう。

『神道主義』から『人道主義』への転換のきっかけは、『科学』がもたらした知識です。『聖書』に書かれている『物質世界』の事象に関する説明が、『正しいとは言えない』ことが判明し始めたからです。

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