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2019年8月19日 (月)

二つの異なった『自我』のせめぎあい(4)

『右脳』の『経験重視自我』は、それを体験している時がピークで、それが働く要因がなくなると、『経験』は『記憶』へ移行し、『感覚』も『想像上の感覚』にかわります。『想像上の感覚』は、一般に時が経つと薄れていきます。

『痛さ』を感じている時と、『あの時は痛かった』と『記憶』を呼び起こした時の『感覚』は同じではありません。『のど元過ぎれば熱さを忘れる』のはそのためです。

また異なった二つの『経験重視自我』が連続して働いた場合、最後に体験した『経験重視自我』の方が強い影響力を持ちます。

女性の出産は、最大限の『苦痛』と言われていますが、生まれてきた赤ん坊を見た時に、母親は『大きな満足感(達成感)』を経験し、更に『母性愛』に包まれ、直前の『苦痛』をこの『満足感』『母性愛』が圧倒してしまうことになると『ホモ・デウス』には書いてあります。一般に、後の『経験重視自我』が勝るという傾向が強く、『また子供を産もう』ということになるのでしょう。

もちろん、この体験感覚は人によって異なりますから、『あんな苦痛は二度とゴメン』と考える人がいないとは限りません。

『生物進化』の過程で、『右脳』の『経験重視自我』が最初に形成され、後に『左脳』の『語り部自我』が加わったものと考えられます。

人間以外の『動物』も、『経験重視自我』は保有しているようにみえますから、『語り部自我』こそが、他の動物から人間を区別する要因といってもよいのではないでしょうか。

『語り部自我』は、自由奔放に自分にとって都合のよいストーリーを創出します。『神』『愛』『自由』『平和』『平等』などという高度な『抽象概念』を考え出し、それを他人と共有することで、人間は他の動物とは異なった『文明』を築いてきたといってもよいでしょう。

周囲の事象に触発されて、先ず『右脳』の『経験重視自我』が機能し、そこに『左脳』の『語り部自我』が介入するというのが、一般的なケースですが、『経験重視自我』なしに、直接『語り部自我』が機能し始めることもあるように思います。

このような場合は、人間は自分の『自由意思』で意識的に判断していると思うはずです。前に『ジャンケン』の例をあげて、梅爺は『自由意思』で決めていると感ずると書きましたが、これはそれにあたるのではないでしょうか。この場合、『語り部自我』のトリガーとなるものは何かを『脳科学』は明らかにしてほしいと願います。

いずれにしても、『語り部自我』も『経験重視自我』も、『脳』の中では、『物理反応』『化学反応』であることは確かです。

これらの『物質世界』の反応が、『精神世界』を生み出す基盤と言えます。

私たちは『自分のことは自分で分かっている』『自分は自分で制御できる』と考えがちですが、実態はそれほど単純ではありません。異なった二つの『自我』のせめぎあいが、その複雑さの象徴です。ただ『精神世界』は『安泰を希求する本能』に支配されているという梅爺の持論に矛盾がないと再確認できました。 

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