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2019年2月17日 (日)

青木紀久子 室内楽の夕べ(ウィーンの輝き)

2月15日(金)の夕刻、品川の『アンビエンテ』で、『青木紀久子 室内楽の夕べ(ウィーンの輝き)』が催され、梅婆と出かけました。

『青木紀久子』さんは、室内楽の著名なピアニストで、毎年演奏会を続けておられます。梅爺の合唱仲間で畏友の『青木修三』氏の奥様で、そのような御縁から毎年楽しみにしている演奏会です。

今回も、会場は満席で、素晴らしい演奏を堪能しました。

演奏者は去年と同じで以下のメンバーでした。

青木紀久子(ピアノ)
クリストフ・エーレンフェルナー(ヴァイオリン)オーストリア
ヘルベルト・ミュラー(ヴィオラ)オーストリア
富岡廉太郎(チェロ)

プログラムは5ステージで、以下の内容でした。

シューベルト・・弦楽三重奏
ベートーベン・・弦楽二重奏
モーツァルト・・ピアノ三重奏曲
フンメル・・ピアノとヴィオラのソナタ
モーツァルト・・ピアノ四重奏曲

作曲家は、18世紀から19世紀の初頭にかけて、ウィーンを中心に活躍した人たちで、クラシック音楽の黄金期と呼ばれる『ロマン派』の時代を築きました。

音楽は、音や声で『精神世界』を表現する芸術領域で、人類の歴史とその歴史が一致するであろうと考えられています。『精神世界』を表現することは、群で生きる人類にとっては、他人との『絆』を確認する手段、『神』と交流する手段であったからです。

『西欧音楽ロマン派』は、古代ギリシャから継承されてきた『理』を重んずる文化を基盤として継承しているために、『情感』を表現することが主体でありながら、音程、和声、対位法など『理』の法則(ルール)が背後に組み込まれています。

この特徴が、異なった楽器を集めた『合奏』や、人間の声を集めた『合唱』というような様式を可能にしています。『理』が整然としたハーモニーや旋律の進行に寄与していて、聴く人の『精神世界』にも調和感を喚起します。

日本の伝統音楽も含め、西欧音楽以外の『音楽』では、この『理』の取り込みがあまりないため、素朴感や情緒の表現に止まっているように感じます。

『室内楽』は、演奏家の音楽性が一つになって、互いに会話のような受け渡しが行われます。楽器の特徴も顕著ですから、緊張感の中に調和感があります。

演奏会の余韻を楽しみながら帰宅しました。

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コメント

尊敬する梅爺様

 室内楽に関し、格調高い論調を展開していただき有難うございました。指は、立派なリハビリの先生のおかげもあって一昨年の前回よりは良かったと思いますが、本人としてはなお、もどかしさ、口惜しさが残るステージであったようです。「音楽を出来る楽しさ、弾ける喜び」に感謝するようにとだけ言っております。
 確かに、掛け合いが主の室内楽は、自己主張と他人の意見を聴き入れることのバランスが重要ですから、論理的展開をやや苦手とするわが国では、少しばかり貴重なジャンルかもしれません。
お忙しい中のコメントまことに有難うございました。末筆ながら「梅婆様」にくれぐれもよろしくお伝えいただければ幸甚です。

投稿: 青木修三 | 2019年2月17日 (日) 13時16分

青木さま

コメントありがとうございます。

奥様の御苦労を知りながら、能天気ですみませんが、来年も楽しみにしています。

投稿: 梅爺 | 2019年2月17日 (日) 21時42分

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