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2019年2月16日 (土)

江戸の諺『目から鼻へ抜ける』

『目から鼻へ抜ける』も現代に通用する表現です。

『頭がよい』『機転がきく』『要領がよい』などの意味でつかわれます。

突飛な言葉の組み合わせで表現することを、この時代の日本人は好んでいたといえるのではないでしょうか。江戸ではそれが『粋(いき)』であったのでしょう。

亡くなった落語家の『立川談志』は、江戸の落語の『真髄』は『ファンタジー』であると喝破(かっぱ)していました。実に見事な洞察です。突飛な発想が『おかしさ』の根源なのです。梅爺も『創作落語』ではこのことを配慮しますが、どうしても『理屈っぽい』内容になってしまうのは梅爺の『個性』のせいです。

論理を好む西欧人なら、『そのようなことは実際にはあり得ない』などといって、受け入れないであろう突飛な言葉の組み合わせが、、日本人には『うける』ということは、興味深いことです。

多分『精神世界』の『理』より、直感的な『情』を優先する傾向が強いためでしょう。周囲の自然環境が『情』を豊かにする多様性を秘めているからではないでしょうか。この習性は現代の日本人にも継承されていますから、デメリットとしては、西欧人と『ディベート(論理的な議論をする)』ことは得意ではないことが挙げられます。

もちろん、当時の人たちも、最初に『突飛な表現』に接した時には、何のことか分からなかったはずですが、『お前さん、そんなこともご存じないのかい』などと言われると、自分が『粋』ではないことを認めることを恐れて、必死にそれを受け容れる努力をしたのでしょう。これも現代に日本人に共通する習性です。日本人にとっては『他人(ひと)と違う』のは、恐ろしいことなのです。

『目から鼻へ抜ける』は、大仏の職人が、目玉をはめた後に、鼻の穴から脱出したことで『機転がきく』という意味になったと言われていますが、本当のことは分かりません。

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