« 梅爺創作落語『極楽詣で』(12) | トップページ | 『侏儒の言葉』考・・暴力(2) »

2018年12月11日 (火)

『侏儒の言葉』考・・暴力(1)

『芥川龍之介』の『侏儒の言葉』にある『暴力』という一文への感想です。

大変短い内容ですので、全文を紹介します。

人生は常に複雑である。複雑なる人生を簡単にするものは暴力より外にある筈はない。この故に往往石器時代の脳髄しか持たぬ文明人は論争より殺人を愛するのである。
しかし、亦権力も畢竟(ひっきょう)はパテントを得た暴力である。我々人間を支配する為にも、暴力は常に必要なのかも知れない。或は又必要ではないのかもしれない。

最初に『芥川龍之介』は『人生は複雑である』と言い放っただけで、『何故人生は複雑なのか』には言及していません。

自分の意思とは無関係に『生命』を得てこの世に現れ、また自分の希望とは無関係に死を迎えるという、自然界(物質世界)の『摂理』に支配されて『生きる人生』という視点で見れば、確かに一人の人間を構成する60兆個の細胞が繰り広げる『生の営み』は気も遠くなるほど『複雑』ですが、『芥川龍之介』の指摘する『複雑』は、このことではないでしょう。

『芥川龍之介』の指摘する『複雑』は、『人間関係』に由来するものと推察できます。

この『複雑』という言葉に、『人生はなかなか自分の思うようにはいかない』という意味が含まれているとすれば、その原因は『人間は一人一人個性的であるように宿命づけられている』ことであろうと梅爺は思います。『生物進化』の過程で獲得した世代交代の『しくみ:両親の遺伝子から子供の遺伝子が偶発的に決まる』がその宿命の要因です。

無人島に一人生きる『ロビンソン・クルーソー』は、生物として『生きる』ことには過酷な試練をうけますが、『複雑な人間関係』に悩むことはありません。つまり『ロビンソン・クルーソー』には『芥川龍之介』流の『人生は複雑である』という表現はあてはまりません。

人間が『個性的』であるために、必ず『価値観』の違いが生じ、『人間関係』の中で、その『価値観』の違いにどのように対応していくか求められます。

論理的にいえば、人間の数だけ異なった『価値観』があるということで、この事実を『理性』でまず理解しなければなりません。

残念ながら、多くの人が『人間は個性的である』ということの深い意味を理解しているようには見えません。その証拠に、他人が自分と異なった『価値観』を表明すると、戸惑い、怒り、『あなたは間違っている』と糾弾し、自分の『価値観』だけが『正しい』と主張します。

|

« 梅爺創作落語『極楽詣で』(12) | トップページ | 『侏儒の言葉』考・・暴力(2) »

コメント

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)




« 梅爺創作落語『極楽詣で』(12) | トップページ | 『侏儒の言葉』考・・暴力(2) »