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2018年12月10日 (月)

梅爺創作落語『極楽詣で』(12)

(ご隠居)『それでも八っつぁんが観てきた極楽の周囲の様子は、和尚の話とそれほど違いませんな。暑くも寒くもなく、色とりどりの花が咲き乱れ、香(かぐわ)しい香りが漂い、天女の楽の音がどこからか聞こえてくるといったところは、和尚の話とそっくりじゃありませんか』
(八五郎)『そういわれればそうですな。でも又兵衛さんにも言ったとおり、あっしはあんな何も変化がないところに3日もいたら、飽き飽きして逃げ出したくなるというのがホンネですな』
(ご隠居)『でも極楽の霊者は、その何も変化がないことこそ心の安らぎと受け取って満足しておられるなら、それでいいんじゃないのかい』
(八五郎)『とにかく分かったことは、この世とあの世は全くの別の世界であるということですな。この世で通用する考え方、感じ方の尺度は、あの世には持ち込めないと覚悟する必要がありますな。とにかく誰も死ねば極楽へいけるのですから、そこへ行ったら郷に従えばよいという、それだけのことですな。それよりも、人がこの世にある時の生き方について述べられたお釈迦様の教えにもっと耳を傾けるべきではないんでしょうかな。極楽で阿弥陀如来様から聞いた話では、お釈迦様の本当の関心は、何故人が生きることはとは苦しいことを伴うのかといったことで、そのために煩悩の解脱という境地に至ったということでした。あっしはそれを聞いて目からうろこが落ちました。死後の救いではなく、生きている時の救いをお考えになったということですからな。あっしらにとってはまず生きる方が死ぬことより先決でござんしょ』
(ご隠居)『なにやら極楽を観てきて、八っつぁん、一段と賢くおなりだねぇ』
(八五郎)『聞いていたことと、実際に観たことが大きく違っている時、聞いて極楽観て地獄、何ぞといいますが、極楽は観ても聞いても極楽でしたな。地獄なんぞはないと分かれば一層すっきりしますなぁ』
(ご隠居)『そういった事情を知らない檀家の人たちは、地獄へ落ちることから免れようと、お布施を包む紙があと何枚必要なのだろうと、そんなことばかり気にして生きているんですな』
(八五郎)『それで、檀家の衆たちは、御本尊の前で、ナンマイダ、ナンマイダ(何枚だ:南無阿弥陀仏)とお伺いを立てているわけですな』

お後がよろしいようで。

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