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2018年12月27日 (木)

SNSは本当に大衆のものなのか(1)

『What should we worried about ?(我々は何を危惧すべきか)』というオムニバス・エッセイ集の80番目のタイトルは『Is the New Public Sphere...Public ?(新しく大衆が獲得した世界は本当に大衆のものなのか)』で、著者は南カリフォルニア大学で、ジャーナリズムを教える『Andrew Lih』です。

『新しく大衆が獲得した世界』というのは、YouTube、Twitter、FaceBook、Instagramなど、今流行りのSNS(社会ネットワークシステム) のことです。

梅爺自身は、まだスマホを持たずガラケー(ガラパゴス・ケータイ)で済ませていることもあって、SNSへはまりこんではいません。

パーソナル・コンピュータを使った、ブログ(梅爺閑話)へは熱心な投稿を続けているほかは、時折コンテンツ検索のためにWikipedia、YouTubeを利用したりするだけです。

梅婆は、専用の『iPad』を所有していて、子供たちや孫たちとSNSを利用した交流をしていますので、我が家では梅爺だけが、原始的なガラパゴス生物種に属しています。

仕事の現役時代には、最先端の企業用コンピュータ・システムのビジネスに携わっていましたので、多くの方から『率先してSNSをお使いでしょう?』と質問を受け、その都度曖昧な返事をしています。

とりわけ、SNSへ反感を持っているわけではありませんが、SNSといえども営利システムですから、裏側で展開される経営側のホンネを忖度して、『そんなものには踊らされないぞ』と肩ひじを張っているのかも知れません。

何よりも『イイネ』などという軽薄な返事を返すことに、気恥ずかしさを感じて無意識に避けているのかもしれません。

そうはいっても、そのうちに何かの拍子でSNSにどっぷりはまることもないとは言えません。

SNSが、世界的に及ぼした社会的影響が大きいことは、いまさら言うまでもありません。インターネットを利用して、見知らぬ多数の人たちが情報を共有できるという画期的な手段であるからです。

インターネットやSNSの出現で、『情報』に関する考え方が大きく変わりました。それまでは、手紙、電話(個人と個人の情報交換)、新聞、雑誌、書籍、ラジオ、テレビ(特定の組織から大衆への情報発信)に限定されていた『情報』が、個人から多数の他人へ『情報』を送る手段が提供されたからです。

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