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2018年12月28日 (金)

SNSは本当に大衆のものなのか(2)

従来大衆への『情報』は、特定の組織(新聞社、出版社、ラジオ局、テレビ局)が、発信内容を自己責任で管理していましたから、この様に発信された『情報』は『ある程度信憑(しんぴょう)性がある』と大衆は暗黙に認めていました。もちろん絶対『間違い』がないわけではありませんが、総じて大衆は信用して付き合っていたことになります。

しかし、インターネットやSNSで、『個人』がその他多数の他人へ向けて、自由に『情報』発信できるようになって、『情報』の信憑性への信頼は大きく揺らぐことになりました。

『個人』は良識ある『個人』とは限りませんので、『公序良俗』に反する『情報』、『偽りの情報』なども発信され、『情報』野放し状態になってしまったからです。

もちろん『個人』が自由に『情報』発信できることのこれまでにないメリットは沢山ありますから、何もかもけしからんということではありません。『多様性』は一見混乱を招きやすく効率が悪いように見えますが、『均一』よりも強靭である場合があります。『民主主義』を『独裁主義』と比較する場合によく言われることです。

中東の国の大衆による民主化運動では、政府側の弾圧の実態が動画で全世界に流され、国際世論の形成に貢献し、運動が有利に展開することになりました。

結論的に言ってしまえば、『情報』を取得した個人が、その『情報』の信憑性を自ら判断しなければならない時代になったということです。

しかし、多くの人たちは『情報は総じて正しい』と受け止めることに慣れてしまっていますので、『情報』を無条件に信じてしまうという不都合が横行しています。

このエッセイは、この種のSNSが抱える問題ではなく、SNSへ発信したコンテンツの著作権に関する不透明さ、SNS経営会社が将来経営不振などで、業務が継続できなくなったときの責任、『情報』を発信者本人や他人が利用したい(検索や再編集など)と思う時のサービス提供のありかたなどに、『危惧』を表明したものです。

『情報』がSNS運営会社や、国家などに、発信者個人の思惑とは異なった利用をされてしまうことへの『危惧』でもあります。

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