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2018年12月12日 (水)

『侏儒の言葉』考・・暴力(2)

自分の『価値観』の正当性を『問答無用』と相手に押し付ける手段が『暴力』であるとするならば、肉体的に危害を与える行為だけが『暴力』ではありません。

『言葉』も『暴力』になりえます。このことを理解しない人たちが多いために、インターネット上で他人の尊厳を貶める『罵詈雑言』が行き交い、『炎上』などという品格を欠いた事象が頻発します。、

社会的な地位を利用して、それを行うならば『パワー・ハラスメント』になります。

社会的な地位が高くなると、人間は『自分は偉い』と勘違いしやすくなります。『貴様は自分を何様だと思っているのか』『私が誰かわかって口をきいているのか』などと威嚇する人物に、尊敬に値する人物はいません。

スポーツは、軍隊と似たところがあり、『上下関係』で命令に絶対服従する必要が時に生じますので、昨今スポーツ界で『パワー・ハラスメント』の問題が噴出している背景に、『上下関係』に関する勘違いがあるのでしょう。

『暴力』でしか問題解決が出来ない人を、『芥川龍之介』が『石器時代の脳髄しか持たぬ人物』と表したくなる気持ちはわかります。

『教養』や『理性』が、『暴力』を抑制する要因になることはわかりますが、人間社会から『暴力』が一向になくならないところをみると、人間と『暴力』の問題には、人間の本質にかかわる何か深い要因があるのかもしれません。

『芥川龍之介』もなんとなくそれを感じたのでしょうか、『人間支配には暴力は必要なのかもしれない、或は必要でないのかもしれない』と曖昧な表現で、それ以上の言及を避けています。

梅爺は、これも『精神世界』を根源で支配している『安泰を希求する本能』が関与していると考えたくなります。

自分の『安泰』を脅かすものを、根本的に排除する手段は、自分の『安泰』を脅かしている相手を完全に抹殺することです。

生物の世界で、『相手を完全に抹殺する』という『暴力』行為が生存競争の中で行われます。もちろん自分の『生き残り』を賭けた命がけの行為ですから、その行為を行った生物には『暴力はいけないことである』などという認識はありません。

他の生物を捕食のために殺すという『暴力』も、根源は『安泰を希求する本能』ですから、本来『罪の意識』などとは無関係な行為です。

『暴力』を『いけないこと』『罪』と関連付けて認識するのは、人間という生物の『精神世界』が高度な進化を遂げてきたからです。

しかし、人間にも先祖の生物から継承している『安泰を希求する本能』があり、自分を優先する『生き残り』のために『暴力』という手段を行使する誘惑から逃れられないのではないでしょうか。

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