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2018年12月25日 (火)

『侏儒の言葉』考・・「人間らしさ」(1)

『芥川龍之介』の『侏儒の言葉』の中の、「人間らしさ」についての感想です。

前半が重要と思いますので、転記して紹介します。

わたしは不幸にも「人間らしさ」に礼拝する勇気は持っていない。いや、屢(しばしば)「人間らしさ」に軽蔑を感ずることは事実である。しかし又常に「人間らしさ」に愛を感ずることも事実である。愛を?・・或は愛より憐憫(れんびん)かもしれない。が、兎に角「人間らしさ」にも動かされぬようになったとすれば、人生は到底住することに耐えない精神病院に変わりそうである。Swiftの竟(つい)に発狂したのも当然の結果という外はない。

『侏儒の言葉』を読んでいて、梅爺が戸惑うのは、重要な意味を有するように見える言葉を使いながら、その言葉の『定義』が提示されていないことです。

今回は「人間らしさ」という言葉がそれにあたります。そのようなことは、説明しなくとも分かるだろう、ということなのかもしれませんが、梅爺は見栄を張って『分かった』振りもできませんので、戸惑います。

『礼拝(らいはい)する勇気は持っていない』『憐憫を感ずる』ということから察すると、「人間らしさ」はあまり好ましくないことと『芥川龍之介』は受け止めているらしいことは推察できます。

でも『「人間らしさ」に動かされぬようになったら、人生は住むに耐えられない精神病院に変わってしまう』というようなことを言っていますので、文脈からすると『好ましくない「人間らしさ」のおかげで、私たちは発狂せずに生きているが、頭がよくて一代の鬼才と言われたSwiftのような人物は、真面目に「人間らしさ」を排除しようとして、発狂してしまう』という風に読みとれます。

「人間らしさ」は『必要悪』で、これを排除すれば、発狂してしまうということになります。

さて、皆様は「人間らしさ」が、ここでは何を意味するのかを「読みとれたでしょうか。

梅爺は、「人間らしさ」は、『情と理が絡んで機能する精神世界を駆使して生きること』とまず考えてしまいます。

高度に進化した『脳』を保有する人間であるからこそ、可能なことで、他の生物にはみられない「らしさ」であるからです。

『精神世界』は、『哲学』『宗教』『科学』『芸術』を生み出す基盤でもありますが、『情』が『理』に先行して強く作用するために、『愛する』『嫌悪する』『信ずる』『疑う』などといった『理』では必ずしも説明できない行為が重要な役割を演じます。

『理』は、『因果関係』を論理的に特定しようとする能力で、主として生後受けた教育や、育った環境で育まれます。『理』は『情』を抑制するためにも重要な役割を演じます。『感情』を表に出したら不利になるという『因果関係』を重視すれば、『感情』を表現することを抑制します。

厄介なことに『精神世界』は個性的であり、誰もが同じよう『考え』『感じ』たりするわけではありません。このため、『情』の強さ、『理』の抑制の強さは、人によって異なり、他人の行為が、理解しにくいことも生じます。

このため、自分と異なった価値観の持ち主は『敵』と見なして、排除しようとして『戦争(殺し合い)』などという恐ろしい行為にも発展することがあります。

『精神世界』を「人間らしさ」と考えるならば、確かに『好ましくない』ことが起こる要因でもありますが、でも『生きる』ために獲得してきた機能ですから、『精神世界』そのものを『好ましくない』と言って否定することはできません。

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