« SNSは本当に大衆のものなのか(3) | トップページ | 古代人の『精神世界』(1) »

2018年12月30日 (日)

SNSは本当に大衆のものなのか(4)

SNSで発信された『情報』の『著作権』のありかたについて、このエッセイの著者は危惧をしています。

表向きは、発信者の個人に『著作権』があることは、認めながらも、SNSのサービスを無償利用するときの『承諾事項』として、SNS側にもその『情報』を、利用、加工、改変、他への発信する権利があることを認めることを要求しているとエッセイには書かれています。

これは、非常に曖昧な『著作権』の拡大解釈ですから、本来なら司法の判断を仰ぐべきことかもしれません。

『個人』が発信した『情報』は、それだけをとればそれほど価値があるとは思えないものも多く、目くじらを立てるほどの問題はないと考えがちですが、それらを、総合分析すると、大衆のホンネ(意向)や心理が浮かび上がってくることになりますので、簡単に問題がないとは見過ごせません。これを、ビジネスがや国家が戦略的に利用すれば、逆に知らない内に大衆は、ビジネスや国家に操られてしまうという問題がないとは言えまないからです。

アメリカでは、『FaceBook』が、すべての電子『情報』を、逐次『国営ライブラリー』へ提供しているとこのエッセイには書かれています。

『FaceBook』の言い分は、将来万が一『FaceBook』が、何らかの理由で存在しなくなった時も『国営ライブラリー』に資料は保存されていることのメリットを強調していますが、『国営ライブラリー』がこの膨大な『情報』データをどのように利用するかは、明確にされていませんから、そう単純な問題ではないことが分かります。

『情報を握った者が勝者』であるとよく言われますから、『情報社会』では、『Google』『MicroSoft』『Yahoo』『SNS各社』などが、最も『勝者』に近い存在かもしれません。

中国などは、『国家』そのものが『情報』を握ろうとし、一党独裁でそれが可能ですが、民主国家では国家が、上記のような『勝者企業』と結びつこうと考えるのは当然のことですから、私たち大衆は、そのことにも警戒を怠らないようにしなければならないというのが、このエッセイの主旨ならば、『そのとおり』ということになります。

大衆は、従来は考えられなかった巨大な『監視社会』に身を置くようになったということです。

|

« SNSは本当に大衆のものなのか(3) | トップページ | 古代人の『精神世界』(1) »

コメント

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)




« SNSは本当に大衆のものなのか(3) | トップページ | 古代人の『精神世界』(1) »