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2018年10月31日 (水)

テクノロジーは民主主義を脅かすかもしれない(2)

『公正な選挙で政治リーダーを選ぶ』『政治リーダーの任期は限定する』という方法は、国民の意志を政治に反映させ、独裁者のような不適切なリーダーを排出しないしくみとして『民主主義』の根幹の考え方の一つとして定着しています。

しかし、このしくみには『国民に健全な判断能力がある』『適切な資質の人物がリーダーに立候補する』『政治リーダーは私利私欲で判断しない』などの暗黙の条件があるはずです。

現実には、必ずしもこの条件は満たされないことで、『民主主義』でも『いかがわしいリーダー』が登場することになります。

『トランプ大統領』をみていると、アメリカが世界の民主主義の『宗主国』などではとてもなさそうだと思いますし、『プーチン大統領』をみていると、表向き民主主義を装いながら、実態は権力を長期独占する独裁者が見え隠れします。

『民主主義』の基本思想と、それを実現するための『しくみ』との間には乖離があり、『しくみ』には不都合なものがあることを認める必要があります。『民主主義』と叫べば、すべてが是認されるという発想は単純です。

『近視眼的な判断を優先する政治リーダー』は、『科学』だけににとって好ましくないものではありませんが、『科学』の健全な進展が阻害されるということは確かですので、むしろ『科学』が脅かされるという表現の方が適切かもしれません。

しかし、多くの国民が、『健全な科学を阻害する』現在の『民主主義』の『しくみ』は好ましくないと考えれば、現行の『民主主義』が脅かされるという表現になるのかもしれません。

このエッセイの著者が挙げる、『テクノロジーが民主主義を脅かすかもしれない』2番目の理由は、インターネットを利用した『SNS(FaceBook、Line、Twitterなど)』が普及し、人々は、『短い文章』ですべてを理解しようとするようになったことだと指摘しています。

『スマートフォン』を指先で器用に操作することで、日常生活の大半に対応してしまう若者たちは、人類進化で登場した新人種のようなものだと書いてあります。

『短い文章』『スローガン』だけで、判断してしまう習性はたしかに危険で、政治リーダーが逆にこれを利用したりすれば、『民主主義は脅かされる』という主張も一理があります。

『民主主義』の社会合意は、多様な価値観を総合俯瞰し、深い洞察で辛抱強い議論を進めて初めて得られるものです。このため『民主主義』の本質は、時間がかかる非常に効率が悪いものであることを是認する必要があります。

人間にとって『直感』と、『深い洞察』はどちらも重要です。しかし『短い情報』を『直感』で判断し、事足れりとするのは危険なことという主張には賛同したくなります。

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2018年10月30日 (火)

テクノロジーは民主主義を脅かすかもしれない(1)

『What should we be worried about ?(我々は何を危惧すべきか)』というオムニバス・エッセイ集の77番目のタイトルは『Technology may Endanger Democracy(テクノロジーは民主主義を脅かすかもしれない)』で、著者は物理学者の『Haim Harari』です。 

科学は、医療分野、社会、経済の問題を解決する手段と一般に考えられています。人類であるが故に成し遂げられる、魅力的で素晴らしい知的な挑戦とも言えます。  

それなのに、『テクノロジジーは民主主義を脅かすかもしれない』などと発言すれば、多くの方は怪訝に思われるでしょう。  

しかし、このエッセイの著者は7つの理由を挙げて、その可能性を示唆しています。  

このブログでは、先ずその7つの理由を紹介し、最後に梅爺自身の感想を述べたいと思います。ただ『科学』と『民主主義』という異なった概念の相関を『学際的』に検証しようとする態度には共感します。  

当然『科学』や『技術』そのものは、善悪の議論の対象にはなりません。あくまでも、『人間』がそれらを利用、応用しようとするときに、問題の種が生まれます。  

包丁は料理に欠かせない便利な道具でもあり、人をあやめる凶器でもあるという例を思い描いていただければ、ご理解いただけるでしょう。包丁そのものに善悪の資質が内在するわけではありません。 

エッセイの著者が最初に挙げる理由は、『科学や技術の利用・応用』の議論、検証、実現には、長時間を要するにも関わらず、民主主義の社会の政治リーダーは、『次の選挙で勝利する』という精々2~3年先の利害を最優先して、物事を決断するという習性があるため、近視眼的な決断が行われがちであると云う、タイムスパンの価値に関する齟齬の問題です。 

核エネルギー利用や遺伝子操作のことを考えて観れば、最新科学は、人間社会へいかに大きな影響を与える可能性を秘めているかが分かります。 

その影響は、複雑で多岐にわたり、その利用、応用が人間社会にとって総合的に是認できるものかどうかを、議論、検証することは単純なことではありません。勿論安全性を検証することも容易ではありません。 

長期的視野にたった判断が必要な『科学』と、『次の選挙に勝つことを最優先に物事を判断する』政治リーダーの判断基準にズレがあり、それが社会にとって好ましくないことは理解できます。

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2018年10月29日 (月)

中国の”T”について(5)

考古学で発掘された人類の『頭蓋骨』の形状を、『トバ火山噴火』以前と以後で比較すると大きな違いがあることが分かり、その原因が男性ホルモン『テストロステロン』の量の違いによるものと分かってきました。

『トバ火山噴火』以前の人類の『テストロステロン』の量は、以後の人類のそれに比べて多く、『攻撃的』『暴力的』であり、声も低く威嚇的な発声であったと想像できます。

『トバ火山噴火』以降、生き残った人達の『テストロステロン』の量は、相対的に減り、『協力的』『友好的』に他人に接し、ものも『分かち合う』ように変化したと考えられています。

そのことを顕著に示すのは、『人間同士の共食いの習性(カニバリズム)』が、『とば火山噴火』以降、大きく減少していることです。

現在の人間社会にまで、この『協力的』『友好的』『分かち合い』の精神は基盤として継承されていますので、『トバ火山噴火』をきっかけに起きた人類の変化は大きな意味を持ち、その要因は『テストロステロン』であると云うことになります。

『テストロステロン』が何故減少したのか、は推測するしかありません。海岸で生き延びるという新しい生活環境の中にその原因があるのか、それとも『テストロステロン』が偶然少ない人の子孫が、過酷な環境を生き延びる資質として適していたのかは分かりません。多分後者の理由ではないかと梅爺は思います。それが『生物進化』の定石であるからです。

『人間同士の共食いの習性』などを保有していた、『攻撃的』『暴力的』な人達は、過酷な環境では一層絶滅の可能性を高めるだけであったと想像できます。

『思いやり』『分かち合い』などという崇高な精神の起源は、このような『絶滅の危機』にあったということは興味深いことです。『神』や『仏』、『道徳』『倫理』などという概念以前に人類が保有した精神と考えられるからです。

『精神世界』は『物質世界』の基盤の上に形成されているという梅爺の推測にも矛盾しません。

物質世界の『テストロステロン』が『精神世界』へ及ぼす影響は、今後も研究で解明されていくことでしょう。中国の男女比率がインバランスになることは、局所的な事象ですが、『テストロステロン』の影響は、全人類共通の問題です。

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2018年10月28日 (日)

中国の”T”について(4)

偶然このブログを書いている時に、NHKBSプレミアムチャンネルの『コズミックフロントNext』の『過去の人類滅亡の危機』に関する番組を観て、男性ホルモン『テストロステロン』は、人類の歴史上、もっと重要な役割を果たしていることを知りました。

45億年以上の歴史を持つ『地球』は、火山の大爆発の影響を受け続けてきました。地中の岩石に水分を含む『地球』は、その岩石がマグマの中へ崩落した時に多量の水蒸気を発生し、その巨大な圧力で火山の大爆発を起こすことを知りました。

他の惑星でも火山の爆発はありますが、『水の惑星:地球』は特に火山の大爆発を起こしやすい惑星であると云うことです。

火山の大爆発は、地球全体の『気候』に想像以上の甚大な影響を及ぼします。天空高く吹き上げられた粉塵は、やがて火山灰となって地上に堆積し、植物を死滅させる要因になりますが、何よりも粉塵の一部は『硫酸エアロゾル』の雲となって太陽の光をさえぎり、『地球』の地表温度を10度C程度下げてしまいます。この状態は数年続きますから、『地球』の生物生態系に大きな影響が出ます。

『人類』が『地球』上に登場する以前も、火山の大爆発で、生物は絶滅の危機に何度も遭遇してきましたが、『ホモ・サピエンス(現生人類)』の出現後の最大の火山爆発は、7万4000年前の、インドネシア・トバ山の噴火であったと考えられています。火山灰は、アフリカまでも達したことが、地層調査で分かっています。

当時『地球』上に、10万人の『ホモ・サピエンス』が存在していましたが、この火山噴火のために人口は1万人にまで減少したと推測されています。まさしく人類絶滅の危機に瀕したことになります。

生き残れたのは、海岸にまで逃避できた人達で、魚介類を食べて生き延びたと考えられています。地上の食糧、植物、動物は絶滅に瀕しましたが、海の生物は比較的影響を受けなかったからと言われています。

現在『地球』は、75億人以上の『ホモ・サピエンス』が、我が物顔で支配していますが、7万4000年前には、1万人程度であったということです。

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2018年10月27日 (土)

中国の”T”について(3)

中国で結婚できない男性の比率が異常に増え、犯罪率が高くなるなど『社会の不安定』が顕著になると、それが政治や経済にも悪影響を及ぼし、結果的に国際関係にも悪影響が及ぶであろうとこのエッセイの著者は危惧しています。

まさか国家リーダーレベルの人達まで、暴力的な政策を優先すると云うようなことは起こらないにしても、社会情勢に不安を抱える国家の経済は、少なくとも悪い影響を受けますから、中国の経済に陰りが生ずるのは見過ごせないことかもしれません。

中国の経済力は、もはや世界経済に直接影響を与えるほどのものになっているからです。世界の78ケ国にとって、中国とは貿易量が1番目か2番目に多い国になっています。

韓国や台湾は、中国経済のマイナスに変動すると、甚大な被害を直接受けますが、米国、欧州、日本なども、重要と供給のバランスが崩れて、かなりの被害をこうむることになります。

このエッセイが書かれた頃のアメリカ人は、まさか『トランプ大統領』のような人物が出現し、『アメリカが貿易で被害をこうむっているのは、アメリカへ無節操に輸出する国が悪いから』として、中国からの輸入に高い関税をかけるようになり、それに中国も報復関税で対抗するというような事態が起こることは予想していなかったに違いありません。

世界経済に甚大な被害を及ぼす要因は、『中国の未婚男性の増加』などという間接的なものではなく、『アメリカ第一』などと叫んで、単純な判断をする『大統領』の言動の方がより直接的であるという滑稽な事態になっています。

『結婚できない男性の数が増える』社会は、どのような事象を引き起こすかは、その社会にとって重大な問題ですが、それが『世界経済』に悪影響を及ぼすという主張は、すこし大げさではないかと感じました。直接影響を与える要因は、他にも沢山あります。

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2018年10月26日 (金)

中国の”T”について(2)

どの生物でも、オスとメスの比率が、メス優位になるとオスは暴力的になり、人間も例外ではないと言われると、『生物進化論』の正当性がより鮮明になるような気がします。

人間は『神』から愛された特別な生物であるという主張が、説得力を失うからです。

人間が特別な生物である言えるのは、『精神世界』の『理性』が働いて、暴力的にならないように自己抑制ができる可能性を秘めているということでしょうか。しかし、残念ながら、全ての人間が、全ての場合『理性』で自己抑制できるわけではないところが、人間社会に問題を投げかけ続けてきました。

梅爺も、如何なる場合も沈着冷静に振る舞えるという自信はありません。その時の体調や状況によって、『怒りが爆発する』などということがないとは言い切れないからです。

自分の都合を優先するという本能は強力であり、いわんや男性ホルモン『テストロステロン』が脳内に増えれば、無意識のうちに暴力的な性向が高まるとしたら、厄介な事態は避けられなくなります。

『一夫多妻』が容認される社会では、中国と同じように結婚できない男性の比率が増え、これが社会の犯罪発生率を高める要因になると、このエッセイは述べています。

『一夫一婦』は、宗教的、道徳的価値観が基盤にある崇高なるものと、真面目に受け止めておられる方は、実は、『一夫一婦』は、性欲を満たすことができない不満が社会にもたらす悪影響を最小限度に抑えるための、次善の策として人類が選んだ知恵にすぎないなどと言われれば、眉をひそめられることと思いますが、人間も基本的には『物質世界』の摂理の支配で生きている生物の一種であることを直視すれば、むしろ選択した知恵を賞賛したくなります。

ある状況に置かれれば、男性は『テストロステロン』が増えるということは、本人の意識や理性などと無関係に、物理的に起きることということになりますから、人間を理解する上で、『物質世界』の摂理の支配で生きている生物であるという側面は無視できないことを意味しています。死の恐怖と向き合う極限状態に置かれた兵士に、『レイプ』や『慰安婦』の問題がつきまとうのは、このことを如実に示しています。

『レイプ』や『慰安婦(娼婦)の役目を強制すること』が女性の人権侵害にあたる違法行為であることは議論の余地がありませんが、戦場は一般論が通用しないほどの異常環境を出現させ、男性をケダモノに変えてしまう恐ろしいものであるということでしょう。人間は『素晴らしい存在』であると同時に、時に戦争などを起こす『おどろおどろしい存在』でもあります。

宗教、道徳、倫理は無意味であるというつもりはありませんが、これだけで『善い人間だけの社会』は実現できないということです。

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2018年10月25日 (木)

中国の”T”について(1)

『What should we be worried about ?(我々は何を危惧すべきか)』というオムニバス・エッセイ集の76番目のタイトルは『All the T in Chaina(中国のTの全て)』で、著者はペンシルバニア大学の心理学部学長の『Robert Kurzman』です。

読者に、『T』とは何かと興味を抱かせる、思わせぶりのタイトルですが、『T』は男性ホルモンの『テストロステロン(Testrosteron)』のことです。

2020年に、中国の人口は、女性より男性が3000万人多くなると、予測されていて、この人口における男女利率のインバランスが、社会現象として何を引き起こすかを述べ、結果的に世界経済への大きな影響が出るかもしれないという懸念がこのエッセイの主旨です。

中国の男女人口構成が上記のようになると、15%の男性が、結婚相手を見つけることができなくなるという計算になります。

何故中国でこのようなことが起こるのかの原因は、推測するしかありませんが、永年継続されてきた『一人っ子政策』が背景にあるように梅爺は感じます。

『家』は男子によって、家督継承されるという、多分『儒教』に由来する社会価値観が根強く、『一人っ子政策』の時代に、『男の子』が強く望まれたということなのでしょう。

私たちが知らない『男女産み分け法』を中国の人達が会得したとは思えませんので、『男の子』の方が多いという事実の裏には、何やらいかがわしいことが潜んでいるようにも感じます。『一人っ子政策』には公にしたくない『闇の部分』があるような気がします。

男子に依る家督継承は、日本にもある社会観念ですが、日本では異常な『男性過剰』になっていないのは、勿論『一人っ子政策』のような極端な制約が無い上に、『男女平等』の思想がいきわたりつつあるからなのでしょう。自然で健全な社会対応ですから喜ばしいことです。

結婚できない男が増えると、社会はどうなるのかは、歴史的に社会学者が調査対象にしてきたことですが、一般的に言えば、結婚できない男の『テストロステロン(男性ホルモン)』が増え、その男は、攻撃的、暴力的になり、社会の『犯罪発生率』が増すという、好ましくない事態が生じます。

人間だけでなく、どの生物種でも、『オス』が過剰になると、『オス』は暴力的になると言われています。

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2018年10月24日 (水)

『侏儒の言葉』考・・或自警団員の言葉(6)

『安泰を希求する本能』が、人間を支配している限り、私たちは『文明』を高度にし続けようとするのは、自然な成り行きです。『便利』『快適』は『安泰』の要因であるからです。

『文明』で築き上げた環境が、或時大震災などで機能しなくなって、『不便』『苦痛』を強いられ突然、『文明に害されている』『人間はひ弱だ』と嘆きたくなる気持ちは分かりますが、そのような皮相な議論の対象になるほど『文明』や『人間』は単純なものではありません。

『文明』がもたらす影響は、『バラ色』のものだけではないことは確かですが、『文明』を全否定することはできません。『文明』とどのように対峙するかは人間の『理性』に関わる問題です。人類が築き上げた『文明』の為に人類が滅亡することがあるとすれば、それは人間と云う生物が愚かであったということにほかなりません。

『便利で快適な生活』に慣れた現代人が、昔の人より『利己的』になり、財産の保有高の多寡だけが幸せを決める要因と思うようになったのは嘆かわしいというような論調に良く出会います。

『現在』の都合の悪い点を嘆いて、『昔は良かった』というような論調に走るのは、単純すぎます。

どの時代でも、都合の悪いことがあり、その都度『昔は良かった』と繰り返されてきました。

どの時代の老人も、『最近の若者は嘆かわしい』と眉をひそめてきました。一方、どの時代の若者も『老人は頑迷で融通がきかない』と叫んできました。

しかし、『文明』の進展は、自然な成り行きであるとすれば、新しい環境を受け容れて、その上で、不都合があれば是正するしかありません。

私たちは、『昔へ戻る』ことはできないからです。『昔』を『理想郷』のように云うのは幻想です。

『芥川龍之介』の『或自警団員の言葉』の、『人間はひ弱だ』という主張は間違いではありませんが、一方において『人間はしたたかだ』と梅爺は考えるが故に、少し不満が残りました。

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2018年10月23日 (火)

『侏儒の言葉』考・・或自警団員の言葉(5)

『物質世界(自然)』の『変容』である大震災に襲われると、人間社会は生活を支えていたインフラが機能しなくなり、命を維持することさえ難しい状況に追い込まれます。

『芥川龍之介』は、『文明』の恩恵を失った人間が、いかに『ひ弱な存在』であるかと嘆いています。

たしかに、生物としての『ヒト』が、『文明』の進展とともに、『ひ弱』に退化した面がないとは言えません。一日の『歩行量』『力作業の量』が減り、現代人は古代人より、筋力が劣っているかもしれませんし、『命にかかわる事象』を確認するために遠方のものを観たり、聴いたりする必要性も少なくなり、視力や聴力も劣化したのかもしれません。

しかし、人間は、いつの時代でも『物質世界』の中の自分たちにとって都合のよい部分だけを利用して『生きて』きたことには変わりがありません。

更に『文明』は、都合のよい状況を人為的に創出し、それが『快適』『便利』をもたらしました。しかし、人間は、『物質世界』の『摂理』をうまく応用しただけで、新たな『摂理』を創りだしたり、従来の『摂理』を変えたりしたわけではありません。

『物質世界』の一部に『ムラ』や『ズレ』が生ずると、平衡状態が崩れて、新しい平衡状態へ全体が遷移します。これが『変容』であり、この『変容』を支えている法則が『摂理』です。不変の『摂理』で、全体が『変容』するという『物質世界』の特徴を理解する必要があります。

人類は、『摂理』の一部を発見し、それを応用してきましたが、何故『物質世界』に不変の『摂理』が存在するのかは、全く分かっていません。

『文明』を利用した人間の行動の総量が、『物質世界(自然)』の平衡状態を崩すほどの影響力を持っているかもしれないと私たちは感づき始めました。『地球温暖化』の議論がまさしくそれです。しかし、本当に『地球温暖化』は人間の行動が引き起こしているのかどうかは、厳密に検証できていません。

『文明』は人間を『ひ弱』にしたとも言えますが、一方『強靭』にもした言えます。『新生児の死亡率』を減少させ、『伝染病』を抑制したのも『文明』であるからです。更に『大量殺戮兵器』を創り出すという『怪物』にもなりました。

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2018年10月22日 (月)

『侏儒の言葉』考・・或自警団員の言葉(4)

『或自警団員の言葉』の中の『自然は唯冷然と我々の苦痛を眺めている』という表現で、『芥川龍之介』の『精神世界』の価値観を窺い知ることができます。 

これも昨日書いた、『精神世界』の自由奔放な価値観の表現ですから、この文章が『正しい』かどうかなどは議論しても始まりません。 

ただ梅爺の価値観で観ると、『自然』は『物質世界』であり、ここには『精神世界』の情感に依る価値観を持ち込むことは、意味がないという判断になりますから、『自然』は厳然と摂理に則った変容を繰り返し存在しているだけで、『人間』を『冷然と眺めている』などということはないであろうと云うことになります。 

『精神世界』の価値観を絡めて『物質世界(自然)』を表現することは、自由に許されますが、それは個性的、相対的な価値観で、普遍的、絶対的なものではないことを理解しておく必要があります。 

前に何度か書きましたが、『神々しい日の出』『美しい山河』は、『精神世界』にとって意味がある表現ですが、『物質世界』そのものには『神々しい』『美しい』などという概念はありません。ただ『日の出』『山河』が存在するだけです。人類がもしこの世からいなくなったら、『神々しい日の出』『美しい山河』という概念は消滅することを考えればご理解いただけるでしょう。 

『物質世界(自然)』の事象としての『変容』は、時に人間に、苦痛、不安をもたらすことは確かですが、『自然』は、人間に冷たく当たろう、困らせてやろうなどという『意図』はありません。 

人間にとって都合のよい『変容』は、『自然の恵み』という表現になり、都合の悪い『変容』は、『牙をむく』『冷然と我々の苦痛を眺めている』などという表現になります。

このように、私たちは、『精神世界』の価値観や概念が、『物質世界』にも適用できると勘違いする習性を保有しています。

『精神世界』では『目的』『あるべき姿』を想定して、努力することに大変意味があることですが、『物質世界』の『変容』には、『目的』『あるべき姿』という概念は当てはまりません。『変容』は『摂理』によって、ダイナミックに平衡状態が遷移している現象に過ぎません。

『神が天地を創造した』という表現には、暗黙に『神が意図(目的)を持って行動した』という意味が込められますが、『ビッグバン』およびそれ以降の『宇宙(物質世界)』の『変容』には、『目的』はありません。壮大な動的平衡移行が続いているだけです。このことは『天地創造』は人間の『精神世界』が創出した虚構であることを如実に示しているのではないでしょうか。

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2018年10月21日 (日)

『侏儒の言葉』考・・或自警団員の言葉(3)

人間の『精神世界』が創りだす事象(人間が想像で考え出す事象)は、『物質世界』の事象が必ず『摂理』の支配、拘束を受けるのに対して、そのようなことがありません。つまり、自由奔放にものごとを表現できます。

昨日紹介した新約聖書マタイ伝のイエスの表現もそれに該当します。

(1)命は食べ物より大切。
(2)体は衣服より大切。

そうは云っても、食べ物がなければ命は維持できず、衣服がなければ寒さで凍え死ぬことがありますから、上記は、本来比較できないものの価値を、比較できるかの如くに扱った表現であることが分かります。

(1)(2)を論理命題とすれば、普遍的に『真』とは言えないことになります。

これに似た表現で、多くの人が得意げに表現するものに、『命は地球より重い』があります。云いたいことは理解できますが、比較のしようがないものの重さを比較するのは無理な話です。

ことほど左様に、『精神世界』は自由奔放に、『抽象概念』『因果関係』『虚構の物語』を創出できます。更に『精神世界』は個性的ですから、その価値判断も個性的になります。絶対的な比較尺度がない抽象表現を、個性的に判断するわけですから、価値観についても多様な表現が可能になります。

『芥川龍之介』の『侏儒の言葉』を読む時も、『聖書』を読む時も、私たちはこの『精神世界』の特徴を理解しておく必要があります。

大文豪の言葉であるから『正しい』、大聖人の言葉であるから『正しい』とするのは単純すぎます。自分の『精神世界』の価値観で共感できるかどうかを、自分で判断すべきです。これは『芸術』に対応する時の姿勢と同じです。

『精神世界』の表現は本来自由奔放であるとはいえ、人間社会の多くの人から共感が得られないものは、集団の中では『慎む』という配慮も時に必要になります。『法』『道徳』『倫理』などという概念が、何故人間社会では必要かを洞察することも重要であるということです。

本来個性的である『精神世界』が自由奔放であることを人間社会は抑制しようとするという、矛盾した関係も私たちは理解しなければなりません。

『人間』と『人間社会』の特徴、習性を洞察した上で、私たちは周囲の事象に対応しなければなりません。そのためには自分の理性を磨くしかありません。

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2018年10月20日 (土)

『侏儒の言葉』考・・或自警団員の言葉(2)

鳥は人間のように、生きることで思い悩んだりしているようには見えない、と書いてる部分を読んで、『聖書』の有名な一文を思い出しました。

だから、言っておく。自分の命のことで何を食べようか何を飲もうかと、また自分の体のことで何を着ようかと思い悩むな。命は食べ物よりも大切であり、体は衣服よりも大切ではないか。空の鳥をよく見なさい。種も蒔かず、刈り入れもせず、倉に納めもしない。だが、あなたがたの天の父は鳥を養ってくださる。あなたがたは、鳥よりも価値あるものではないか。(新約聖書マタイ伝6章25-26節)

イエスの『山上の垂訓』の中の有名な部分です。

イエスは、また『野の花を見なさい。栄華を極めたソロモンより美しく装っているではないか。神は必要なものを与えて下さるのだ』というようなたとえ話もしています。

2000年前のユダヤ人社会、文化の中で生きたイエスが、『万物は神の創造』『生は神の愛の恩恵』という信条の下に、物事を考え、価値観を醸成していったことは、当然のことですので、このような『空の鳥、野の花を見よ』といった教えが生まれたことは理解できますが、現代人の考え方の基盤は当時とは同じではありません。

特に現代科学が示唆することは、『万物は物質世界を支配する摂理がもたらしたもの』『生(命)も物質世界で摂理が創りだしている変容の一つ』ということですから、ここには『神』も『愛』も出現しません。

それでは、『神』や『愛』は一体何かと言えば、最も説得性がある説明は、『それらは人間の精神世界が過去に創出した抽象概念である』ということになります。

『神が人間を創った』のではなく『人間が神(と云う概念)を創出した』ということですから、歴史的な教義を継承する『宗教』を信仰される方からは、顰蹙(ひんしゅく)を買う表現ですが、梅爺の理性は、その方が得心がいくと囁き続けています。

『神』は科学知識を持たなかった時代の人間が、『得体のしれない』『理解ができない』ものを受け容れる時の実に役立つ概念として、考え出されたものではないでしょうか。『神の御業(みわざ)』と云ってしまえば、それでどのような因果関係も説明できてしまうからです。

それならばと多くの人が『神』に『願い事』を聞いてもらおうと祈りを捧げるようになり、今も多くの人が捧げています。

しかし、『願い事』は『神』によって成就されるものではなさそうだと、現代人は薄々感ずるようになりました。大災害など『物質世界』の変容は、『願い』や『祈り』とは無関係なものであるように見えるからです。

『愛』と云う概念は、100年後も重要なものとして伝えられていくと思いますが、『神』は過去の概念となってしまうかもしれません。

江戸時代『風神』『雷神』の存在は人々の常識でしたが、現代人は信じていないように。

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2018年10月19日 (金)

『侏儒の言葉』考・・或自警団員の言葉(1)

『芥川龍之介』の『侏儒の言葉』の中にある『或自警団員の言葉』に関する感想です。

これは、『関東大震災』と思える大災害の後の時期に、夜通しの警戒に当たる自警団員が、独り言で、文明と人間、人間のひ弱さなどを語っている体裁の文章です。

『或自警団員』に『芥川龍之介』自身の思いを語らせているのかどうかは、勿論判然としませんが、少なくとも『芥川龍之介』の人生観、死生観の一部が反映していると観て差し支えないのでしょう。

梅爺が興味を持った部分を以下に抜粋で紹介します。

聴き給え、高い木々の梢に何か寝鳥の騒いでいるのを。鳥は今度の大地震にも困ると云うことを知らないであろう。しかし我々人間は衣食住の便宜を失ったためにあらゆる苦痛を味わっている。いや、衣食住どころではない一杯のシトロンの飲めぬ為にも少なからぬ不自由を忍んでいる。人間と云う二足の獣は何と云う情けない動物であろう。我々は、文明を失ったが最後、それこそ風前の灯火のように覚束(おぼつか)ない命を守らねばならぬ。見給え、鳥はもう静かに寝入っている。羽根布団や枕を知らぬ鳥は! 

(中略) 

もし幸福と云うことは苦痛の少ないことのみとすれば、蟻も亦我々よりは幸福であろう。けれども我々人間は蟻の知らぬ快楽をも心得ている。蟻は破産や失恋の為に自殺をする患はないかもしれぬ。が、我々と同じように楽しい希望を持ち得るであろうか? 

(中略) 

我々は兎に角あそこへ来た蟻と大差のないことは確かである。もしそれだけでも確かだとすれば、人間らしい感情の全部は一層大切にしなければならならぬ。自然は唯(ただ)冷然と我々の苦痛を眺めている。我々は互いに憐れまなければならぬ。況(いわん)や殺戮を喜ぶとは、---尤(もっと)も相手を絞め殺すことは議論に勝つよりは手軽である。

人間と云う生物のありのままの姿を受け容れる時に、あまり悲観的、厭世的にならないようにしたいと考えている梅爺から観ると、これは少しばかり悲観的、厭世的なものの観方のように感じます。

たとえ話にしても、人間と鳥や蟻を較べて、どちらが幸福かなどと論ずることは、あまり深遠な意味があるようには思いません。

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2018年10月18日 (木)

梅爺創作落語『夢見の枕』(9)

(将軍家家老)『遺憾ながら「夢見の枕』は、他の秘宝と同じとは申せませぬな。他の秘宝は、ただ珍しい、美しい、稀であるなどで済まされますが、「夢見の枕」は、それ自身がある種の魔力を秘めたるもので、その魔力が、将軍家の為にならぬことに使われた時には、取り返しのつかない不幸を招来してしまいかねませぬ。将軍家の御世継ぎを決める時などは、決まって己に都合のよいお世継ぎ候補を担ぐ者が何人か現れ、多少なりとも揉め事が生じます。悪知恵を働かす者が、「夢見の枕」のご託宣と称して、自分の押すお世継ぎ候補を次の公方様に据えようとされるようなことが起きぬとも限りませぬ。左様なわけで、藩主様の公方様へ秘宝を献上されようと云う忠なるお心は、よく分かり申しましたが、この「夢見の枕」を将軍家で所蔵することはできかねます。お気持ちだけは公方様へお伝えいたします故、今日二ところはこれにてお引き取りくださいますように』

というような次第で、殿様の思惑通りには、事が運ばずに、殿様と、江戸家老は江戸藩邸へすごすごとひき返すことにあいなりました。

(江戸家老)『殿、将軍家家老があのように、ねちねちと小賢しい論を振り回す嫌な奴とは思いもいたしませんでした。事前にそのようなことが分かっていれば、もう少し他の手立ても講ずることができたやもしれませぬ。それがしの落ち度でございました。お詫びのしようもございませぬ』
(殿様)『なに、そちが気にかけることはない。天下の将軍家を実質的に取り仕切るご家老さまともなれば、あのような細心の御思案や、お疑いは当然のことであろう。わしも色々と学ぶことができた故、あながち全てが水泡に帰したわけでもない』
(江戸家老)『それにしても、殿が「夢見の枕」に関して抱かれた夢が成就せず、まことに遺憾に存じます』
(殿様)『古来かなわぬことを例えてそう申すではないか、「夢のまた夢」とな』

お後がよろしいようで。

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2018年10月17日 (水)

梅爺創作落語『夢見の枕』(8)

(殿様)『「邯鄲(かんたん)の枕」は仙人からもたらされたものでございますが、「夢見の枕」は、我が国の木曽山中で荒行を積んだ修験者が、会得した秘術でで創りあげたものでございます。「夢見の枕」と「邯鄲の枕」は効用が同じでございますが、唐の国からもたらされたものではありません』
(将軍家家老)『ほぉ、左様でございますか。しかしながら、藩主さまのお話を疑うようで大変恐縮ですが、「夢見の枕」は言い伝えだけの代物で、実は贋物であるということはございませんぬか。公方様に贋物を献上するというわけにはいきませぬゆえ』
(殿様)『大変鋭いご指摘畏れ入ります。そこは抜かりなきように、当方にて既に真物であることを確認いたしております』
(将軍家家老)『と申されることは、藩主様直々に「夢見の枕」を用いて、真物であることを確認されたということでございますな』
(殿様)『いや、そうではございませぬ。正直者の家臣を選び、3晩続けて「夢見の枕」で夢を見させ、3晩とも寸分たがわぬ夢の内容であることを確かめました。3晩続けて同じ夢を観るなどということは考えられませんので、これをもって「夢見の枕」は真物と判じました』
(将軍家家老)『なるほど、それはなかなかの名案でございますな。しかしながら、藩主様ご自身で「夢見の枕」をお試しにならなかったのは、いかがなるわけでございましょう』
(殿様)『「夢見の枕」を用いた者は。己の先行きを観知ることになり、その運命は変えられませぬ。人は先行きが分からぬゆえ、志を立て精進するものでございます故、それがしは先行きを知らぬ方が藩の為になると思案いたした故でございます』
(将軍家家老)『なかなか鋭いご洞察でございますな。しかし、同じことが公方様にも当てはまるとはお考えになりませんだか』
(殿様)『と申されますと』
(将軍家家老)『不幸にも凶なる先行きを、公方様が知っておしまいになるということは、将軍家の為にならないということは同じではございませぬか』
(殿様)『公方様が天下の秘宝をお持ちになっておられるということが、将軍家の力を世に示すことでございます故、「夢見の枕」を実際にお使いになる必要などございませぬ。他の秘宝と同様に蔵の奥におしまい置かれれば良いのではございませぬか』

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2018年10月16日 (火)

梅爺創作落語『夢見の枕』(7)

早速、正直者として誰もが認める根本直助なる若い家臣が選ばれ、3晩続け『夢見の枕』を用いて眠り、毎朝夢の内容が仔細に調べあげられました。その内容は、いずれも寸分たがわぬ同じと判明いたし、江戸家老と才野勝之進は早速殿へ報告に上がりました。

(殿様)『おぉ、待っておったぞ。して結果はいかがであった』
(江戸家老)『殿、ご案じなさいますな。「夢見の枕」は真物と判明いたしました』
(殿様)『そうか、そうとにらんだわしの眼力まんざらではなかったの』
(江戸家老)『さすがでございます。そうとなれば、さっそくみどもが、江戸城へ赴き、ご家老さまへの殿の面会の手はずを整えましょう』
(殿様)『将軍家ご家老へ、「夢見の枕」のことを事前に話してはならぬぞ。密かにご相談したきことがあるとだけ伝えておけ。よいな。才野勝之進この度のことはあっぱれであった。褒めて遣わす。後で褒美をつかわそう』
(才野勝之進)『ははぁ、身に余る光栄に存じます』

それから10日ばかり後のこと、殿様は将軍家家老との面会が許され、『夢見の枕』を持参のうえ、藩の江戸詰家老をお伴につけて江戸城へ出向きました。

(殿様)『将軍家ご家老さまには、いつもながらのご健勝のご様子、お慶び申し上げます』
(将軍家家老)『お互い多忙な身である故、無駄なあいさつはなしにして、早速用向きを伺いましょう』
(殿様)『しからば、単刀直入に申し上げます。当藩は最近ひょんなことで天下の珍宝「夢見の枕」なるもを入手いたしました。このような貴重な宝は、当藩のような弱藩が所有するににつかわしいものではございませぬゆえ、是非将軍様へ献上いたしたく持参いたしました。将軍様を置いて他にこの宝の持ち主として相応(ふさわ)しい方はおられぬと愚考いたした次第でございます』
(将軍家家老)『それはまことにありがたいお話で畏れ入ります。当方も単刀直入にお聞きしますが、献上されることへの何か見返りを求めてのことでございますか』
(殿様)『見返りなど滅相もございません。日ごろの将軍家からのご厚情への感謝の念を表明いたしたいと存じただけでございます』
(将軍家家老)『それはそれは、一層畏れ入るお話でございますな。して「夢見の枕」とやらはいかなる代物でございますかな。天下の珍宝と断言されるからには、よほどのものなのでございましょうな』
(殿様)『唐の国の故事「邯鄲(かんたん)の枕」のことはご存知のことでございましょう。「夢見の枕」は「邯鄲の枕」と同様の効用がございます』
(将軍家家老)『「邯鄲の枕」なら承知いたしております。その枕を用いて一睡した者が、その者の先行きの観知ることになるという話でございましょう。しかし、遠い昔の唐の国の珍宝が、我が国に存在するとは少しばかり信じがたいお話ですな』

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2018年10月15日 (月)

梅爺創作落語『夢見の枕』(6)

(殿様)『しかし、その前に一つだけせねばならぬことがある。それはこの「夢見の枕」が贋物(がんぶつ)ではないことを確かめることじゃ。もし万が一これが贋物であるようなことが、将軍家へ献上した後に判明でも致せば、将軍家も当藩も天下の笑いものになり、当藩を利するどころか、お取りつぶしの羽目になるやもしれぬ』
(江戸家老)『なるほど、これは両刃(もろは)の剣でございますな。しからば、殿ご自身で「夢見の枕」をお使いになって、その真偽をお確かめになられてはいかがでございますか』
(殿様)『それはできぬ』
(江戸家老)『はて、それはまたいかがな理由(わけ)でございましょう』
(殿様)『考えてもみぃ。「夢見の枕」が贋物でないことを自ら確かめたとしても、それはわしや当藩の先行きのことを、予め観(み)知ることになるのじゃぞ。先行き吉(きち)なることだけが続くとなれば、それは結構なことだが、禍福(かふく)はあざなえる縄のごとしと申すではないか。必ず禍(わざわい)事も観知ることになり、それは我が藩の安泰を乱すことになりかねぬ。誰か差しさわりの無い方法で「夢見の枕」の真贋を確かめることができる知恵者はおらんかのぉ』
(江戸家老)『江戸詰で、当藩きっての知恵者ということなら、勘定役の才野勝之進を置いて他にございません。早速ここへ呼び出してご下問なされてはいかがですか』
(殿様)『才野勝之進とは、名前からして賢そうであるな。直ぐにここへ呼べ』

というようなわけで、才野勝之進が殿の前へ呼び出され、事の次第と、殿の目論見について仔細な説明がなされました。

(殿様)『この件は、密かに進めておること故、誰にも他言はしてはならぬぞ。してこの「夢見の枕」が贋物でないことを立証する妙案があれば申してみよ』
(才野勝之進)『それはたやすいことにございます』
(殿様)『何、たやすいとは頼もしいの。して、それはいかがな手立てか申せ』
(才野勝之進)『先ず、当藩きっての正直者を一人選び、その者に「夢見の枕」を用いて、3晩、いや3晩続けて夢をみてもらいます。そして毎朝、江戸家老さまとそれがしで、夢の内容を子細に聞き出します。もし夢の内容が、3晩とも寸分たがわぬ同じものと分かれば、「夢見の枕」は贋物ではないと判じてよいのではございませんぬか。偶然3晩続けて全く同じ内容の夢を観るなどと云うことは普通はあり得ないことでございますので』
(殿様)『なるほど、名案であるな。早速試して結果を聞かせよ』

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2018年10月14日 (日)

梅爺創作落語『夢見の枕』(5)

(本陣の主人)『「夢見の枕」は、当家に代々伝わる貴重なるものとは言え、蔵の奥に封印したままでございますので、あってなきがごとくの品でございます故、殿様のお役に立つのであれば、喜んでお譲りいたしましょう。その上、大枚のお心遣いまで頂戴できるということであれば、手前どもに異存はございません』
(殿様)『そうか、そいつはありがたい。あとのことは、ここにおる伴家老が取り仕切る故、よしなに頼むぞ。そうじゃ、このことが他の大名などの耳に入らぬように内密にねがいたい。よかろうのぉ』
(本陣の主人)『しかと承知いたしました。ただ、畏れながら殿様に一つだけ確かめておきたきことがございます』
(殿様)『なんじゃ、申してみよ』
(本陣の主人)『最前も申しました通り、「夢見の枕」は封印したままで、当家の者は誰も実際に使ったものはおりません。先祖からの言い伝えの内容は、間違いのないものと手前は信じておりますが、後々これが単なる贋物(がんぶつ)と判明することが全くないとは申せません。万が一そのような場合、手前どもが殿様をだましたなどというお咎(とが)めがなきようお願いいたします』
(殿様)『この話はわしから云いだしたことゆえ、何があろうとその方を咎めることなどありはせぬ。武士に二言はないぞ』
(本陣の主人)『畏れ入ります』

念願通り『夢見の枕』を手に入れた殿様は、参勤交代の長旅を無事終え、江戸屋敷に入りました。

(殿様)『これ、江戸家老をここに呼べ』
(江戸家老)『殿、無事の御帰還何よりでございます。して御用向きは何でございましょう』
(殿様)『他でもない「夢見の枕」のことじゃ。おぬしも伴家老から聞き及んでおろうが、妻籠宿で世にも珍しきものを手に入れてのぉ』
(江戸家老)『その話なら聞き及んでおります。なにやら殿にお考えがおありのことと申すので、封印のまま蔵に納めてございます。殿のお考えとはいかようなものでございましょう』
(殿様)『「夢見の枕」は、唐(から)の国の「邯鄲(かんたん)の枕」と同様、これを用いて一睡したものは、夢でその者の先行きを観(み)知ることができるという天下の珍宝じゃ。わしは、これを将軍家へ献上しようと考えておる』
(江戸家老)『なるほど、それは御名案でございますな。天下の珍宝を献上いたしたとなれば、何かにつけて公方様の当藩へのおぼえも目出たくなり、当藩を利することになると、そうお考えになられたというわけですな。殿も隅に置けぬ策士ででございますな』

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2018年10月13日 (土)

梅爺創作落語『夢見の枕』(4)

(本陣の主人)『当家に伝わる話は、なにせ100年ほども前のできごとで、曖昧なところもございますが、「夢見の枕」は、木曽山中で長年修業を重ねた修験者が、めでたく荒行を無事終え、下山して当宿に宿泊した折、礼にといっておいていった品物でございます。一見、何の変哲もないただの素朴な木彫りの枕でございますが、修験者が、会得した秘術でつくりあげたもので、唐の国の故事の「邯鄲(かんたん)の枕」と同じ効用があると聞き及んでおります』
(殿様)『「邯鄲の枕」とは、あの有名な能の『邯鄲』に出てくる枕のことか』
(本陣の主人)『左様でございます。唐の国の故事では仙人が枕をつくったことになっております』
(殿様)『唐の国の故事と、我が国の能では、少々話の内容は変えられておるが、枕で夢を観た主人公が、人生の栄枯盛衰は一睡の夢に過ぎないと悟るということでは同じであるな。唐の国の主人公は、現状への不平不満を祓い落すことになり、能の主人公は諸行無常を悟って仏へ帰依する気持ちになるということになっておる。ところで、その枕を当家で封印したのは何故(なにゆえ)じゃ?』
(本陣の主人)『この枕で眠った者は、一睡で、自分の先行きを観知ることにあいなります。たとえ凶なる運命(さだめ)であったとしても、それは如何なる方法でも後に避けることはできません。当家の先祖は、先行きを観(み)知ってしまうことは、人を決して幸せにはせず、むしろ生きる意欲を殺(そ)ぐものとと考えて、この枕を封印するように命じたのであろうと存じます。先行きは「一寸先は闇」であるからこそ、人は願い事を心に抱き、それへ向かって精進するもので、それこそが生き甲斐と考えたのでございましょう』
(殿様)『なるほど、先行きは、凶ばかりとは限らず吉のこともあろうが、凶が人の意欲を殺ぐという洞察は鋭いのぉ、ご先祖はなかなかの賢者であるな』
(本陣の主人)『畏れ入ります』
(殿様)『ところで突然のことながら、その「夢見の枕」をわしに譲ってはもらえまいかの』
(本陣の主人)『これはこれは、驚き入りました。殿様は本気で御所望(しょもう)なのでございますか』
(殿様)『ただで譲れとは云わぬ。30両なら今すぐ工面できる故、それでどうじゃ』

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2018年10月12日 (金)

梅爺創作落語『夢見の枕』(3)

(殿様)『「夢見の枕」を我が藩の家宝にしようなどとは考えておらぬ。ただこれを我が藩を利するためのある目的で利用する一計を思いついての。ただし、ことは内密に進めねばならぬ故、そちといえども今は中身を話すわけにはゆかぬ』
(伴家老)『何やら殿に思案がおありのご様子承知いたしました。殿のご裁量に従いましょう。さすれば、さっそく宿の主人(あるじ)をここへ呼びましょう』
(殿様)『頼む。そちも同席して話を聞きおけ』

(本陣の主人)『殿様、いつもながらのご健勝のご様子お喜び申し上げます。この度も当本陣にお泊まりいただき光栄に存じます』
(殿様)『まあまあ、堅苦しい挨拶はその辺で良い。表を挙げよ』
(本陣の主人)『何やら不行き届きの儀がございましたでしょうか』
(殿様)『そのようなことがあれば、そこの伴家老を介して申しつけるだけのこと。お主をわざわざ呼び出したりはせぬ。実はちと直々に聞きたいことがあっての』
(本陣の主人)『これはこれは、一体何でございましょう』
(殿様)『当本陣に、代代「夢見の枕」なる家宝が伝わるとちと耳にしての。これに偽りはないか?』
(本陣の主人)『どうもこれは畏れ入りました。一体誰がそのようなことを殿様のお耳に入れたのでございましょう』
(殿様)『昨日宿泊した本陣の主人(あるじ)から聞き及んだ話じゃ』
(本陣の主人)『左様ならば合点がいきました。あそこは、手前の家内の実家でございます。今の主人は家内の兄でございますが、どうも男にしては口が軽すぎまして、時折難渋いたします』
(殿様)『それでは、「夢見の枕」の話は、偽りと申すのか』
(本陣の主人)『滅相もございません。確かに「夢見の枕」は、当家に伝えられておりますが、先祖からの言い伝えで、堅く封印して蔵の奥にしまってございます。ごく身内の者しか所在を知りませんし、わざわざ人様にお見せするようなこともございませんので、家宝などと大層に考えたことはございません』
(殿様)『そもそも「夢見の枕」とはいかなるもので、どのような経緯(いきさつ)でここにあるのか、それに何故封印せねばならぬのか是非聞きたいものじゃ』

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2018年10月11日 (木)

梅爺創作落語『夢見の枕』(2)

江戸の世で、大名が『参勤交代』で利用した街道筋としては、東海道、中山道などが有名でございます。

東海道も、中山道も、京都三条大橋と江戸日本橋を結ぶ街道でございますが、東海道は海沿い、中山道は内陸を通るものでございました。

中山道は、途中嶮しい山路があり、宿場の数も東海道より多御座いましたが、それでも30ほどのお大名が『参勤交代』でこの街道を利用しておりました。

なかでも加賀百万石のような大大名が『参勤交代』をするときには、行列の規模は数千人に及び、全員が宿場を通過するのに数日を要するといった大層なものでございました。

各宿場には、殿様がお泊りになるための『本陣』という特別な宿がございました。

このお話は、越前のさる小藩のお殿様が『参勤交代』で、中山道の『妻籠(つまご)宿』にお泊りになった所から始まります。5万石に満たないお殿様ですから、行列の規模も数十人程度のこじんまりとしたものでございました。

(殿様)『これ、誰かおらぬか』
(家来)『殿、何か御用でござりますか』
(殿様)『うむ、伴(とも)家老にすぐにここへ参るように申しつけよ』
(家来)『かしこまりました』

(伴家老)『殿、突然何事でございますか。何か不行き届きの儀がございましたでしょうか』
(殿様)『いや、そうではない。ちとそちに確かめたいことがあっての』
(伴家老)『どうのようなことでございましょう』
(殿様)『もしわしが今50両の金が要ると申したら、工面できるかの』
(伴家老)『これはこれは、今すぐにと云うことでございますか』
(殿様)『そうじゃ』
(伴家老)『殿も御承知の通り、苦しいやりくりをしながらの道中故、すぐに50両の工面は難しかろうと存じます。30両程度が限度でございましょう。して殿はそのような大金を何にお使いになるおつもりでございますか』
(殿様)『昨日宿泊した本陣の主人(あるじ)から聞き及んだ話をそちも覚えておろう。この妻籠宿の本陣に代々家宝として伝えられている「夢見の枕」のことじゃ。これをここの主人(あるじ)にかけあって、是非それを譲り受けたいと思いついての』
(伴家老)『恐れながら、「夢見の枕」などというものは、とんだ贋物(がんぶつ)やもしれませぬ。殿ともあろうお方が、ちと酔狂が過ぎませぬか。それとも、殿ご自身がこの枕をお使いになり、あやしげな夢を楽しもうという御所存でございますか』

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2018年10月10日 (水)

梅爺創作落語『夢見の枕』(1)

一席お笑いを申し上げます。

江戸の世には、幕府が定めた『参勤交代』というのがございました。三代将軍『徳川家光』が始めたことと言われています。

いずれの藩主も、1年毎に江戸と国元の間を、行ったり来たりせねばならぬというしきたりで、殿様にとっては、厄介な話でございましたでしょうな。

なにしろこの為に江戸表に『江戸屋敷』を構える必要があり、殿様が国元へ帰った時でも、正室と世継ぎは江戸に滞在するように求められていましたから、これは体(てい)の良い人質確保のしくみといえますな。もっとも、殿様にとっては、口うるさい正室の監視を逃れて、国元でかわいい側室と羽をのばすことができると云うありがたい側面もあったのかもしれません。

その上、『参勤交代』は、たいそうな大名行列を仕立てて、長旅をするわけですから、事前の周到な準備もさることながら、それにかかる費用も藩にとっては並々ならぬ負担でございました。特に小さな藩には、つらい話でございますな。

各藩が、幕府に対して謀反や謀反の準備をすることを抑えると云う実に見事なしくみといえますな。いつの時代でも、権力者の周りには、このよな入れ知恵をする、頭の良いお人がいるもんでございますな。

殿様も、心の中では『バカバカしい』と思いながら、表向きは公方(将軍)様に恭順を意を示すわけですから、どうも殿様と申すのもつらい役目でございますな。

もっとも手前ども落語家なんてのも、お客の入りが悪い上に、あからさまにあくびなどなさるお客が見受けられたりすると、心の中では『おいおい』と思いながら、『いっぱいのお運びで』などと作り笑いでお迎えするわけですから、同じような話かもしれませんな。

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2018年10月 9日 (火)

世界規模の老齢化(4)

少子高齢化が進む日本などでは、労働力の不足が深刻な問題になっています。既に対策が始まっていますが、考えられる施策は以下になります。

(1)出生率の向上を計る。
(2)女性を活用する。
(3)若者が増えつつあるアジアやアフリカからの移民を受け入れる。
(4)ロボットを活用する。

第一線で活躍する女性が増えると、出生率は更に下がるという矛盾が予測できます。

先進国で、出生率向上に成功しているのはフランスです。80年代フランスの女性が第一子を産む平均年齢は25歳でしたが、現在では33歳と高齢化しています。それでも出生率が向上しているのは、出産に依って職を辞める必要がない条件が、国の政策で強化されているからです。勿論、育児への経済的な支援も加味されます。

地球規模で観れば、総人口が減少することは、資源の奪い合いが減少することで望ましいことのはずですが、個々の国家にとっては、人口の減少は経済システムが成り立ちにくくなる問題を抱えているという皮肉な話です。

一方、貧しい国で人口が爆発的に増えるのも、その国を疲弊させるという皮肉な結果になります。

『個』と『全体』の都合は、必ずしも一致せずむしろ対立することが多いという事象の一つです。人間社会にとって、これは過去から解決できていない問題の一つです。将来も続くことになるでしょう。

日本は世界に誇る長寿国で、この背景には、医療、衛生維持のインフラ(安全な水)、環境インフラ(空調)、食品安全管理などのレベルが高いことがあります。経済や教育などのレベルも高くなければ、これらは実現できません。

一方少子高齢化は、上記のような問題を惹起すると同時に、更に介護を必要とする老人の数も増え、家族ばかりでなく国家としても負担が増えます。

さすがに『老人の数を減らせ(長生きするな)』という過激な主張を口にする人はいませんが、問題を考えると『困ったことだ』というホンネが存在しないとは言えません。

梅爺に出来ることは『つつましく生きる』という程度のことでしょうか。

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2018年10月 8日 (月)

世界規模の老齢化(3)

老人比率の高い社会は、『民主主義』の視点でも問題が多いとエッセイの著者は指摘しています。

『民主主義』では数が力となります。老人は『変化を好まない保守主義』を優先するために、将来のために必要な大胆な改革などが行われなくなり、国の活力が弱体になるという指摘です。このような事態は、人類の歴史にとって初めてのことです。

アメリカの調査では、35歳になると、新しい音楽様式は受け容れなくなり、39歳になると新しい食べ物は受け容れなくなると報告されています。

音楽や食べ物の話なら他愛のないことですが、政治、経済、全般にこのような価値観が反映されるのは確かに問題です。

先進国の中で老齢化が特に進んでいるのが、日本、スペイン、イタリアですが、これらの国は、国粋的なナショナリズムが台頭するのではないかと、このエッセイの著者は述べています。

梅爺の周囲の老人たちの中には、ホンネで『中国、韓国は好きではない』と述べる人達が多いことは確かですが、『日本』が『国粋的ナショナリズム』へ向かっているというのは少し大袈裟な危惧のように思います。

『異文化』を排除して、慣れ親しんだ『自文化』だけでやっていきたいと思う心は、『安泰を希求する本能』を持つ人間の習性でもありますが、一方国際社会の一員としてでなければ、国家は維持できない時代になっていますので、『異文化』を理解し、ある程度受け容れる努力が必要となります。

日本人の老人も相対的には保守的になることは避けられませんが、世界を『理性』で観ることさえできなくなるほど頑迷になってほしくない気がします。

梅爺も老人の一員として、心して生きていくつもりです。

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2018年10月 7日 (日)

世界規模の老齢化(2)

このエッセイの著者は、社会の老人の比率が高くなることの弊害を挙げいています。このような指摘は、これが初めてではありませんが、再確認しておく必要はあるでしょう。

若者の数が老人を凌駕している時代は、老人たちの年金の一部を若者が負担し、そのようなシステムが代々継続できるという見通しでした。若者も自分が老人になった時は、次の世代の若者が支えてくれるということで、現状に対する不満は少ないことになります。年金システムは実に巧妙な仕組みであったと言えます。

しかし、老人の数が若者を凌駕する社会では、このシステムは機能しません。中国は、現状ではまだ働く若者の数が引退した老人の数を上回っていますが、早晩他の先進国同様に、若者が老人を支える仕組みは成り立たなくなることが見えていますので、有名な『一人っ子政策』を緩和しようとしています。

国が夫婦の生む子供の数を規制するなどということは、『一党独裁の国家』か『独裁者が支配する国家』でなければ実現が難しい政策です。建国時の中国は、その時点で抱えていた国民をとにかく『餓死させない』ために、国家形態を何として維持するために、このような極端な選択が必要であったのでしょう。『一人っ子政策』は、基本的人権を無視した悪政の極みであるなどと、ステレオタイプな意見を多くの人が述べますが、国家は存続できるかどうかの瀬戸際に追い込まれた時にも、同じ主張ができるのかどうか、自分の胸に手を当てて考えてみる必要があります。

建国時の、不安定な時期をとにかく克服した中国にとって、『一人っ子政策』は、今度は弊害の方が目立つようになってきました。上記の年金などの社会制度が支えられない問題のほかに、結婚できない男性の数が異常に増えつつあることも大きな問題になりつつあります。

本来、生まれる子供が男の子か女の子かは、ほぼ五分五分で同数に近いはずですが、家の後継者は男の子であって欲しいという中国社会の価値観が、このような男の子が多いという結果をもたらしたのでしょう。『産み分け術』だけではこのようにはうまくいかないでしょうから、何やら後ろめたい『闇のシステム』の存在が背後にあるように感じられます。結婚できない男性の増加が、中国社会にどのような影響を及ぼすのかも心配です。

社会の若者の比率の減少は、『労働力不足』『生産高の減少』という経済上の深刻な問題を生みます。

労働者の定年年齢を引き上げて、もっと老人にも働いてもらおうという政策に走りがちですが、それは若者の昇給、昇進をはばむことにもなり、社会の活力を減少させることにもなりかねません。

スポーツのチームがそうであるように、人間社会は『若返り』が、活力維持の原動力であるからです。

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2018年10月 6日 (土)

世界規模の老齢化(1)

『What should we be worried about?(我々は何を危惧すべきか)』というオムニバス・エッセイ集の75番目のタイトルは『Global Graying(世界規模の老齢化)』で、著者はニューヨーク・タイムズなどへ寄稿するジャーナリストの『David Berreby』です。

地域や国によって、事情は同じではありませんが、『老齢化』が世界中に広まっていることを著者は危惧しています。ちなみに著者は56歳で、『老齢化予備軍』に属しています。

人類は今までにこのような事態を体験したことがありませんので、経験則としての対応方法を知りません。

対応方法を予測して準備ができているのか、もしかして準備どころか対応について真剣に考えていないのではないかと著者は心配しています。

端的に表現すれば、『2000年以前は、若者の数が老人を凌駕していたが、2000年以降は、老人の数が若者を凌駕するようになる』ということです。人口年齢分布に関するパラダイムシフトです。

老齢化は以下のように予測されています。

(1)2050年には、世界の人口は90億人となるが、そのうちの20億人は『老人性痴ほう症』を患うことになる。
(2)21世紀の半ばには、先進国で3人1人が60歳以上になる。
(3)中国の現在の平均年齢は35歳であるが、2050年には49歳になる。
(4)インドにおいて、60歳から80歳の人口は、2050年には3倍になる。
(5)ブラジルにおいて、現在老人人口は7%であるが、2050年には25%になる。

アジアやアフリカの貧しい国で、人口が爆発的に増え、若者が増えつつありますが、それは世界のトレンドから観ると例外です。

老齢化の進行は、以下のような深刻な問題を惹起します。

● 成人病の増加
● 年金、医療費の財源不足(社会保障制度の破たん)

このような問題は、勿論多くの人が認識していますが、明確な対応策が示されていないことが著者の危惧するところになっています。

政治家や官僚は、何も考えていないのではなく、あまりに大規模な社会構造の急激な変化に、『総合的な対応策』を創出できずに戸惑っているというのが実態ではないでしょうか。

一つの対応策は、他の部門へ影響を及ぼし、誰もが既得権を要求する為に、調整がつかないということでしょう。民主主義は、このような場合『合意』に達するまでに、多大な時間と労力を必要とするという点で、効率の良いシステムではありません。

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2018年10月 5日 (金)

『侏儒の言葉』考・・人生(4)

『芥川龍之介』は、『精神世界』だけで『人生』を論じ、『理不尽な闘いの場』であると断じて、我慢して闘うか、嫌なら自殺するしかないと暗い結論を提示しています。

『死』も『精神世界』だけで論ずれば、『自己の消滅は理不尽』という結論にもなるかもしれません。

しかし、『人』は基本的には『ヒト』であるという事実を受け入れれば、『死にたくはないと願っても死ぬ必要がある』と云うことと同様に、『人生は理不尽な闘いの場であってほしくはないと願っても、闘う必要がある』という矛盾を覚悟して受け容れる必要があることに気付きます。生物としての『ヒト』に『摂理』が課す宿命であるからです。

植木等のように『人生で大事なことは、タイミングにC調に無責任、とかくこの世は無責任、コツコツやる奴ぁ、ご苦労さん』などと、能天気なことを云うつもりはありませんが、『芥川龍之介』のように、暗く、暗く認識するよりは、『前向き』に『死』や『人生』を認識し、時に諧謔で笑い飛ぶすくらいの方が、健康的であるような気がします。同じ状況に置かれても、それをどのように受け止めるかはその人の価値観で変わります。『根暗(ねくら)』に対応して人生で得することはあまりありません。

いくら考えても、解消できない矛盾は、矛盾として受け容れるしかありません。

『闘いは理不尽である』と云ってみても、『ヒト』として生きるためには、食料として何らかの生物の『命』を奪って摂取していることを考えると、否応なく闘いに加担していることになります。

『(自分が生きるために、他の命を)ありがたくいただく』という日本伝統の受け入れ方は、矛盾を受け容れている姿勢にほかなりません。

『闘い』は避けられないという受動的な受け入れ方があると同時に、人間には『闘って勝ちたい』という願望もあります。

ルールの中で『闘い』、勝者と敗者を決めるなどという人間が考え出した『スポーツ』は、『闘う』本能を昇華させた人間ならではの行為です。

『人生』は『暗い、つらい』ものであるという認識も間違いとは言えませんが、『愉快で楽しい』とする受け止め方も重要です。『闘い方』を学ぶのも『愉快で楽しい』と受け止める方が、脳内に『愉快ホルモン』が分泌し、結果的に長生きするという研究結果も報告されています。

梅爺は、できれば『世をはかなむ爺さん』よりは、笑顔の『好々爺』でありたいと、願っています。

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2018年10月 4日 (木)

『侏儒の言葉』考・・人生(3)

『新しい命の創出(誕生)』『既存の命の終焉(死)』、特に『死』を例にとって、『物質世界』と『精神世界』の視点で考えてみると、問題の本質が見えてきます。

『物質世界』の『死』は、生物としての『ヒト』が『命』を継続できなくなる事象で、『摂理』で支配されている『変容』の一つの形態です。勿論『誕生』も、『変容』の一形態です。

『種』の継承の確率を高めるために、『誕生』も『死』も生物進化のなかで『自然選択』されてきたものです。

つまり、『ヒト』の平均寿命は、『種』を最も効率よく継承させていくために、試行錯誤で『物質世界』が到達した値です。限られた環境資源を、世代が奪い合うことを避け、新しい世代へ優先して付与する形式が採用されています。単細胞生物から始まって、生物進化には約40億年の歴史があります。

ところが、『ヒト』が『人』になって、『精神世界』を保有することになり、厄介な事態が生じました。誰もが『死にたくない』『できるだけ長生きしたい』という願望を本能(情)として保有するという事態です。『安泰を希求する本能』があるかぎり、それは当然のことです。

そうは云うものの『死は避けられない』とい事実は、『物質世界』の事象を観察すれば理性で認めざるをえませんので、誰の『精神世界』の中でも『死は避けられない』『でも死にたくない』という基本的な葛藤(矛盾)が生じます。

いつの時代でも、この『葛藤』が人類の歴史に影響を与え続けてきていることが分かります。

『宗教』は、『輪廻転生』『来世』『魂の不滅』などを説いて、人々の葛藤に由来する不安を解消しようとしました。

権力者は、自分だけは特権的に『不老不死』の妙薬や方法を手にしようとしました。

この葛藤は、現代でも解決策はありませんから、『最新の科学で老化防止、病気根絶、寿命伸長を実現せよ』と叫ぶ人と、『寿命の伸長は人類社会を混乱破滅に導く』と叫んで反対する人の論争は続いています。

『個』の価値観と『全体』の価値観は一致しないという典型的な事例で、人類はこの問題を普遍的に解決する方法を見出していません。

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2018年10月 3日 (水)

『侏儒の言葉』考・・人生(2)

『人生』『死』『愛』など、人間に関わる事象を論ずる時には、『物質世界』に属しその『摂理』によって『命』が営まれている生物としての『ヒト』という視点と、『脳』が創りだす『精神世界』という仮想世界を保有する『人』という視点の、二つの視点から論ずる必要があります。

この『物質世界』と『精神世界』という異なった世界の本質と関連を理解することが、重要であることを、梅爺はブログを10年書き続けて会得しました。ブログを書き続けてきた最大の成果です。

『精神世界』を保有する『人』は、『物質世界』に属する生物としての『ヒト』という土台の上にその存在が成り立っています。『精神世界』は独立して存在しているように見えますが、実はそうではありません。

『物質世界』は、物理法則、科学法則、数学的論理法則など、峻厳な法則(摂理)だけに支配されていますから、ここに『情』の概念を持ち込んでも通用しません。

厄介なことに、一方の『精神世界』では、『情』が重要な役割をはたします。『情』は元々生物が生き残りの確率を高めるために獲得した『安泰を希求する本能』を根源として派生したものと梅爺は考えています。

『安泰を希求する』とは、周囲の状況が自分にとって都合がよいものか、悪いものかを判断し、都合がよい方を選ぶ習性のことです。

人間の高度な『精神世界』は、これを『好き嫌い』『美醜』『善悪』『正邪』などという『情』に関する抽象概念として対比させ、顔の表情、身体のしぐさ、言葉などで表現して、他人と共有してきました。

つまり、自分の『情』の表現、他人の『情』の感知は、群をなして生きることを選択した『ヒト』にとっては、重要な『絆』確認の手段となりました。

『情』は、『精神世界』でのみ通用するものであるということを、多くの人は理解していないように見えます。梅爺もそのように明確に教えられた記憶がありません。

従って私たちは、『物質世界』の事象にも『情』の表現を付加します。『神々しい日の出』『恵みの雨』『美しい山河』などがそれにあたります。

これは、『人間』同士が、同じ情感を共有するための表現としては意味をもちますが、『物質世界』には『日の出』『雨』『山河』などがただ存在するだけです。

『人間』がいない世界には、『神々しい』『恵み』『美しい』などという抽象概念は存在しないことを考えれば理解できるはずです。

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2018年10月 2日 (火)

『侏儒の言葉』考・・人生(1)

『芥川龍之介』の『侏儒の言葉』の中にある一文、『人生』に関する感想です。

このタイトルには『石黒定一君へ』と云うサブタイトルがついています。『芥川龍之介』とどのような関係にある人物なのか、残念ながら梅爺には分かりません。『君』と呼ぶところをみると、社会的に対等以下の関係かと想像できますから、友人、弟子、読者の一人なのかもしれません。いずれにせよ、『石黒定一』氏から『人生とは何か』というような質問があって、この一文は書かれたのでしょう。

この一文の以下の部分は、『名句』としても有名ですから、皆さまもどこかで目にされたことがあるのではないでしょうか。

人生は一箱のマッチに似ている。重大に扱うのは莫迦莫迦(ばかばか)しい。重大に扱わなければ危険である。
又 
人生は落丁の多い書物に似ている。一部を成すとは称し難い。しかし兎に角一部をなしている。

もし上記の文章を『夏目漱石』が書いたとすれば、その人柄からこれは『人生』を肯定的に受け止めながらの『諧謔』の表現と受け止められ、読者も一緒に笑い飛ばす気になるかもしれません。しかし、『芥川龍之介』のこの文章に先立つ部分を読めば、『人生』を基本的に『理不尽な競争の場』であると、否定的にとらえていますから、この表現は『ネガティブな冷笑』に見えてきます。少なくとも健康的な『笑い』の対象ではありません。

『人生』という一文で『芥川龍之介』は、概略以下のように述べています。

人生は、泳ぎ方も走り方も教えられないままに、突然競技の場へ放り込まれるようなものだ。理不尽極まりない。
自殺と云う逃避の方法はあるが、そこにいる限り、溺れそうになったり、泥にまみれたり、とにかく満身創痍は避けられない。
人生は狂人が主催する競技会のようなものだ。人生と闘いながら、闘うことを学ばねばならない。

『人生』に関するこのような『価値観』は、『精神世界』が生み出した『価値観』です。『精神世界』の『価値観』の大半がそうであるように、この『真偽』を普遍的に判断する方法はありません。

この『価値観』に共感するか、しないかといった個人的な立場の違いはあるにせよ、これが『正しい』と断ずることは誰にもできません。勿論『間違い』であると断ずることもできません。

一方、生物として生きる『ヒト』は、『物質世界』に属する存在で、その『摂理』によって『命』が支配されています。

この視点で『ヒト』をみると、冷酷に『生き残り』を競う宿命を負った存在であることが分かります。『命』を保有したその瞬間から、『争い』が始まります。

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2018年10月 1日 (月)

死による喪失(4)

一体どういう人が500歳まで生きたいと欲するのでしょう。老いや痛みに悩まされることなく、好きなことに多くの時間を費やすこと、沢山のことを成し遂げること、人生の神秘ながら素晴らしい体経を味わいつくすこと、大人になった子供や孫ばかりでなく、彼らの子供や孫にまで会えることが可能になるとしたら、それは結構なことだと云いたくなります。

しかし、ちょっと待ってください。人間の寿命の長さには、その長さであるべき理由があります。生物界には、カゲロウのようにたった一日程度の寿命から、ガラパゴスカメのように100年を超える寿命、更に南極のカイメン(海綿)のように1500年の寿命をもつと考えられている生物まで、多様な寿命の長さがあります。

これらの寿命の長さは、その種の継承に最も適したものとして、生物進化の過程で選択され、遺伝子に組み込まれてきたものです。最も適したという意味は、子孫の面倒をみることと、子孫と資源を争うことの最適なトレードオフで見出した長さということです。

私たちは親を愛します。しかし、私達の親ばかりか祖父母、曾祖父母、それに、他人の親や祖父母、曾祖父母が実存していて、400年間あまり変わらない考え方や価値観で支配されている社会を想像してみてください。

あなたの上司はあと100年、あなたにそのポストを譲ろうとしないような社会を想像してみてください。各世代は、食料、住居、仕事、空間をお互いに我が物にしようと争うことになります。

若者は、寿命が延びた年長者が、中年になっても小さな家に住もうとせず住宅価格を吊り上げ、リタイアせずに若者の失業率をあげていると、不満を漏らすことになるでしょう。

家の中に400年生きている人達がいることや、あなたの仕事の序列の上に同じく400年生きている人達がいる事態を想像してみてください。

人間の寿命を延ばすことは、しばしばメディアが話題として取り上げますが、多くの場合ほとんどそのことに疑問を呈することはありません。

誰も、老化防止の研究をこのまま進めること、遺伝子を特定し操作すること、遺伝子操作を利用すること、に疑いの目を向ける人はいません。誰も死にたくありませんから、これらの研究が成功するように期待します。自分だけでなく、家族も、できればいつまでも生きていられるようにと願うからです。

でもそれは、人類種という生物種にとって良いことなのでしょうか。40億年かけて築き上げてきた生物進化の成果は、無意味といえるのでしょうか。私達は南極海綿でも青カビでもありません。私達の死や寿命には理由があるはずです。

私たちは、次世代の若者たちが繁栄のために、死ぬのです。死という概念が薄らいでしまう(喪失してしまう)ことを危惧しています。

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