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2018年3月31日 (土)

『井沢元彦』氏の史観(3)

『天津国』のリーダーは『天照大神(あまてらすおおみかみ)』で、『国津国』のリーダーは『大国主命(おおくにぬしのみこと)』です。

『国津国』の本拠地は『出雲』ですが、山陰地方、北陸地方、越後、信濃までを支配下に置いていて、当然『葦原中津国(奈良地方)』も制圧していました。

九州から東征してきた『天津国』一族が、かなり強引に『葦原中津国』を強奪し、『国津国』の支配権も手に入れたと考えられます。

この時、『国津国』のリーダーたちは、『殺された』のであろうと梅爺は考えています。一部のリーダーは、信濃の国まで逃げ延びましたが、これも追手によって『殺された』ものと思います。しかし、『国津国』の家臣であった豪族たちは、恭順の意を表して『天津国』の支配下にくだったものと思われます。後に『ヤマト朝廷国家』で勢力をもつことになった『蘇我氏』『物部氏』などの先祖は、もとは『国津国』の豪族であったと考えられるからです。

穏やかな話し合いの上の『国譲り』などという話は、『ヤマト朝廷国家』が自分たちを美化するために創り上げた虚構であろうと思います。

世界の歴史をみても、権力抗争ではなく、穏やかな『話し合い』で『国譲り』をしたなどという例はあまり聞いたことがありません。

『天津国』のリーダーたちは、殺した『国津神』のリーダーたちの『怨霊の祟り』を恐れ、『大国主命』は『出雲大社』に、信濃の国まで逃げた『大国主命』の息子『建御名方神(たけみなかたのかみ)』を『諏訪神社』に祀ったという推測になります。

当時の日本人が最も恐れていたものは、非業の死を遂げた人達の『怨霊の祟り』で、これが、天災、飢饉、疫病などの全ての災いのもとと信じていたことになります。

しかし、この『怨霊』を神社に祀り、鎮魂すれば、今度はその『怨霊』が自分たちを護ってくれるとも信じていました。これが井沢氏の指摘する『怨霊信仰』です。

『殺し合い』をすれば、必ず『勝者』と『敗者』が生じ、『敗者』は『怨霊』となって祟り、災いのもととなると考えた当時の日本人は、『ものごとは、できるだけ話し合いで決めよう』という価値観を持つようになった、というのが井沢氏の推測です。

日本人は『平和愛好民族』であると自画自賛したくなりますが、本当のところは『怨霊信仰』が根にあるという指摘です。現実的な『因果関係』としては、この考え方の方が妥当に思えます。

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2018年3月30日 (金)

『井沢元彦』氏の史観(2)

日本人の大半は『無宗教』と言われていますが、井沢氏は古代の日本人から現代の私達まで継承されている以下の『信仰』があると指摘しています。

(1) 怨霊(おんりょう)信仰
(2) 穢(けが)れを忌避する信仰
(3) 言霊(ことだま)信仰

いずれも、『なぜそのようなことが起きたのか』という歴史の因果関係を推量し、納得するために重要な指摘であると感じました。

井沢氏は更に『神話』も歴史を推量する上で重要な役割を果たすものと指摘しています。

戦前の歴史教育では『神話』を歴史として教えていましたが、戦後は一転して歴史教育から『神話』が排除されました。

『神国日本』などという思想が、軍国主義の土壌になったという皮相な考え方が支配的であった為なのでしょう。

敗戦を機に、今まで『良い』とされていたものが、突然『悪者』にされたわけですから、大人はともかく、子供は頭が混乱することになりました。

『必ず最後は勝つ』と教え込まれていた戦争に負け、その上今までの価値観が、逆転したわけですから、子供はショックを受け、大人不信に陥ったのは当然のことです。

梅爺は、敗戦の時にまだ4歳でしたので、幸いそのような精神的なショックは感じませんでしたが、空襲で家や家財をすべて焼失し、母親が大やけどを負ったために、生活環境が一変して途方に暮れたことは鮮明に覚えています。

『神話』の内容をすべて史実とするのは、適切ではありませんが、『神話』には史実につながる何らかの事実が秘められていることと、何よりも当時の日本人が、物事をどのようにとらえていたかを知ることは、歴史を理解する上で重要であると井沢氏は述べていて、梅爺も同感です。

『神話』は事実ではない、間違った思想の土壌になるなどという、浅薄な認識はいただけません。『神話』の本質的な意義を伝えた上で、歴史と関連付けて教えることには意義があります。

『神話(古事記)』では、『高天原』にいた『天津神(あまつかみ)』一族が、九州の高千穂の峰に『天下り』、既に『葦原中津国』を治めていた『国津神』一族に、『葦原中津国』の禅譲をせまり、『国津国』一族は、了解して『国譲り』が行われたということになっています。

後に『ヤマト朝廷国家』の母体となる国(日本)が、どのように始まったかを記述したものですが、井沢氏は『天津神』一族は、朝鮮半島からの渡来人一族であることを示唆していると解釈しています。『国津神』一族もまた朝鮮半島からの以前に渡来していた人達であったとの推定です。

『国津神』一族は『青銅器文化』、『天津国』一族は『鉄器文化』を保有していたために、『天津国』一族が武力や、農耕技術で勝っていたという推定に基づいています。

穏やかな『国譲り』は、後に創り上げられた話で、実際には、武力による『強奪』に近い話であったであろうという井沢氏は書いています。

これらの推定内容には梅爺も同感です。

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2018年3月29日 (木)

『井沢元彦』氏の史観(1)

『学校では教えてくれない日本史の授業:井沢元彦著(PHP文庫)』を読みました。

井沢氏は、テレビ局の政治記者を辞めて、著作業に専念されている方で、専門の歴史学者ではありません。

井沢氏はこの本の中で繰り返し、『専門の歴史学者は歴史を理解していない』と述べています。確かに『歴史学者』は『専門分野』で区分けされることが多く、そのような学者は、『歴史全体を通観して把握する能力、表現に欠ける』と言われてもしかたがないところがあるように思います。

しかし、全ての『歴史学者』は『専門バカ』であると断ずる根拠を梅爺は持ち合わせていませんので、井沢氏の断言には同意しかねると感じながら読みました。

『アイツ等は分かっていない。でもオレは分かっているぞ』という宣言は、一般の読者には、『権威に対するコキオロシ』で痛快ですから、読者の興味を喚起する方法としては、効果的なのかもしれません。

たしかに『歴史学者』より、『市井(しせい)の歴史好き』や『小説家』の『史観』の方が、啓発的であるケースは多々あります。

梅爺も『関裕二』氏の日本古代史に関する著作や、『司馬遼太郎』の歴史小説を今まで愛読してきました。

井沢氏の少々『自信過剰』に見える自己表現に、『同意しかねる』と梅爺は書きましたが、この本全体に流れている『主張』には、大いに賛同しました。

日本の歴史教育(教科書の著述)は、『いつ、どこで、誰が、何を行ったか』というような表現にとどまっていて、『なぜそのようなことが起きたのか』に関する『因果関係』を説明していません。井沢氏はこれを大きな欠点と指摘しています。

梅爺も学生の頃、『歴史』を面白いと感じなかったのはこのためです。『ウグイス鳴くよ(794年)平安京』などと丸暗記させられることにうんざりしていました。梅爺の興味は『なぜ平城京を捨てて平安京へ遷都する必要があったのか』ということでしたが、そのようなことは何も説明がありませんでした。

『因果関係』で歴史を観るためには、マクロな『通観』が必要になります。井沢氏はこの必要性を力説しています。

『因果関係』主体で『歴史』教育を行えば、『考える(推論する)愉しさ』に多くの学生は『歴史好き』になるのではないでしょうか。

受験のための『丸暗記』など、後々何の役にも立ちません。『平安京遷都』がいつであったかなどは、インターネットやスマホで検索すればすぐ分かることです。日本の教育は『知識』を教えて、『知識』を自分で『知恵』に変える愉しさを教えないのは、なぜなのでしょう。

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2018年3月28日 (水)

塩野七生著『ローマ人への20の質問』(8)

『ローマ帝国』の『衰退の原因』については、まだあまり未だ考えてはいないとしながらも、塩野さんは、何となく『ローマ人の自信の喪失』が原因ではないかと予感していると書いておられます。

個人であれ人間社会であれ、『過剰な自信』は危険ですが、『あるレベルの自信』は存続、成長のために必要なのではないでしょうか。

『自信』は、『精神世界』における自分に対する価値判断を示すもので、抽象概念でもありますから、手に取って見たり、重さを測定することはできません。

ところが、『脳』内で、『自信』はある種のホルモンを分泌し、それが肉体活動に影響を与えます。つまり『精神世界』の事象である『自信』が、『物質世界』に属する『肉体』の活動に関与していることを意味します。スポーツ選手や芸術家のパフォーマンスには『自信』が強く関与します。

『自信』『意欲』などの『精神世界』の事象が、多くの場合『生きる(行動する)』という『物質世界』の事象に『良い影響』を与えていることは注目すべきことです。

梅爺はブログで、何度も『精神世界』と『物質世界』の事象を区分して観ることの重要性を述べてきました。しかし、『人間の行動』に関しては、上記のように『精神世界(心)』と『物質世界(肉体)』は地続きであることを見逃してはならないと思います。

『自信』『意欲』の喪失は、『ローマ帝国』のような人間社会であれ、個人であれ、『衰退』や『死』への引き金になりかねないということです。『病は気から』という諺は、このことを端的に表現しています。

梅爺のような老人には、これは他人事(ひとごと)ではありません。梅爺にとっては『好奇心に触発される思考』が『意欲』をかろうじて喚起しているように思えます。

『ローマ人への20の質問』という本には、このブログで取り上げた質問以外に『パクス・ロマーナとは何であったのか?』『真・善・美について』『パンとサーカスとは何であったのか?』『自由について』『女について』など、梅爺には興味が尽きない話題が掲載されています。

塩野さんの優れた『個性的な観方』『個性的な表現能力』を羨ましく思うと同時に、啓発されることのは『愉しさ』を味わえる読書になりました。

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2018年3月27日 (火)

塩野七生著『ローマ人への20の質問』(7)

この本に提示されている『20の質問』の最後は以下です。

『なぜローマは滅亡したのか?』

これに対して塩野さんは、18世紀のイギリスの歴史家『エドワード・ギボン』の『ローマ帝国衰亡史』を次のように引用しています。

『ローマの衰退は、並はずれて偉大な文明のたどり着く先として、ごく自然で不可解な結果であった。(中略)・・・ゆえに、人工によるこの大建造物を支えていた各部分が、時代か状況かによってゆらぎはじめるや、見事な大建築は、自らの重量によって崩壊したのである。ローマの衰亡は、それゆえに、単純な要因によってであり、不可避であったのだ。だから、なぜ衰亡したのかと問うよりも、なぜあれほども長期にわたって存続できたのかについて問うべきなのである』

塩野さんは、この観方に賛同しているものの、『ギボン』が、『ローマ帝国』が揺らぎ始めた後の歴史を『ローマ帝国衰亡史』として記述しただけで、建国から共和制崩壊までの『建造の時代』と、帝政移行期から五賢帝時代の末期までの『維持の時代』について記述していないことに不満を漏らしています。

『ギボン』が指摘するように、『なぜ長期に存続できたのか』を問うならば、『建造の時代』『維持の時代』について知ることが先決であろうと述べています。

塩野さんは、『ローマ人の物語(全15巻)』のようやく2/3(『建造の時代』『維持の時代』にあたる)の執筆が終わった所(この本の執筆当時)なので、未だ『衰退の時代』については考えがまとまっていないと正直に書いておられます。

塩野さんの執筆スタイルは、現代の視点で『過去』を眺め、裁くというものではなく、ご自身を『過去』にタイムスリップさせ、その時代の人の考えを共有する姿勢を重視しておられます。従って未だ『衰退の時代』については考えていないという表現は理解できます。

『ギボン』以降も、多くの歴史家が、『なぜローマは衰亡したのか』を論じてきました。その中で、最も支配的な意見は、『堕落する一方のローマを清新なキリスト教徒が救おうとしたが、時すでに遅しで、堕落の度合いが強かった西ローマ帝国は滅亡した』というものであると塩野さんは紹介しながら、この説には納得できないとも書いておられます。時すでに遅しでなければ、救えたのかと皮肉ってもおられます。

『善(キリスト教)』と『悪徳(ローマ帝国)』の単純な対比で裁くのは、梅爺も同意できかねます。大体『悪徳』などというものは、衰退期のローマだけにあったものではなく、人間社会ならどの時代にも不可避に存在するものではないでしょうか。『あるレベルを越してしまった悪は、善も救済できない』などという論理も不可解です。

『ギボン』の時代の西欧教養人は、『人間の理性を信頼していた』と塩野さんは書いています。『やがて人類は知恵も増えて、良い方向へ向かう』という『理性』に対する楽観的な信頼があったということです。ローマを教訓にして、人類は同じ過ちを犯さないであろうといういう視点で『ローマ帝国衰亡史』は書かれたのでしょう。

しかし、20世紀以降現代にいたるまで、『人間の理性などあてにならない』事件が頻発し、私達の『理性』に対する『信頼』は揺らぎ始めています。

そういう時代の著作として、塩野さんは『ローマ人の物語』を書いておられることになります。歴史を教訓とするためではなく、歴史の中の人物の言動に惹きつけられておられるのでしょう。

『人間はこうあるべきだ』ということを書くのではなく、『人間はこういうものだ』ということを書きたいのではないでしょうか。

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2018年3月26日 (月)

塩野七生著『ローマ人への20の質問』(6)

『ローマ帝国』が、地中海沿岸を中心に、ヨーロッパに巨大な『支配領域』を確立し、長期に権力を維持できたのは、『制圧した相手を従うのであれば受け容れる』という『寛容さ』があったからであると、多くの歴史学者が指摘しています。塩野さんもこの考え方を支持しています。 

当然『ローマ帝国』の支配領域では『言語』としては『ラテン語』が公用語であったと思われますが、新しく支配地になった場所のローカルな『言語』』を排除していません。 

『宗教』に関しても、基本的には同じで、ローカルな宗教も『従えば認める』という対応でしたが、4世紀に『キリスト教』を国教とすることが宣言され、その後帝国内での他の『宗教』は禁止されました。ただし、異教徒の『国外追放』『弾圧、殺戮』などという話はあまり聞いたことがありませんので、現実的には暗黙の共存があったのではないでしょうか。 

『使徒ペテロ』『使徒パウロ』などのローマでの殉教や、『皇帝ネロ』の時代の『キリスト教徒弾圧』は、『ユダヤ』の『ローマ帝国』への反乱なども背景にあり、『キリスト教徒が皇帝より上位に神を位置づける』のは『ローマ帝国』への反逆とみなされたためであろうと思います。『従うものは受け容れる』ということは、『一度は反逆しても、敗北して恭順の意を示せば受け容れる』ということで、逆に『徹底反逆するものは徹底弾圧する』が『ローマ帝国』の基本ルールであったということです。この『敗北者も時に仲間にしてしまう』という考え方が『寛容さ』と評される所以(ゆえん)です。

日本の歴史では、『織田信長』は、『反抗するものは徹底殺戮』、『徳川家康』は『降参したものは受け容れる』という逆の対応をしました。結果的に徳川幕府が長く続きましたから、『ローマ帝国』との共通点のように思えます。 

『ローマ帝国』の『国教』に『キリスト教』がなったということは、以降の世界の歴史に大きな影響を及ぼすことになり、現在にまでその影響は及んでいます。しかし、『キリスト教』自体ももこの後『宗派分かれ』が頻繁に起こり、それぞれが『正統性』を主張する複雑な事態になりました。 

『キリスト教』に依らず、『宗教はなぜ宗派分かれするのか』が、梅爺の基本的な疑問の一つです。『神仏』の概念や、『宗教』の教義は、そもそも『人間が創造したもの』と考えれば、人によって『解釈』が違ってくるのは当然ということになりますので、現状ではそのような考え方を受け容れています。 

『ローマ帝国』は『被制圧者にも寛大であった』ということに加え、『優れた異文化を受け容れ、更に改良、改善して自分のものにしてしまう』という習性で優れていました。 

何やら、近世以降の『日本』に似ている話です。

『ローマ帝国』は文化的に『ギリシャ』に征服されたのではなく、『チャッカリそれを自分のものにしてしまった』という表現が妥当なのかもしれません。

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2018年3月25日 (日)

塩野七生著『ローマ人への20の質問』(5)

二つの異なった『文化』が遭遇すると、両方とも相手の影響を受けますが、レベルの差が大きい場合には、レベルの高い文化が低い文化を圧倒します。人類の歴史においてこの現象は、繰り返してきました。

極東の島国であった『日本』は、幸運にも異民族に政治的、軍事的に完全制圧されたことはありませんでしたが、『文化』については、古代から大陸、朝鮮半島経由で移入される『文化』の影響を受けてきました。

江戸時代は『オランダ』、『明治維新』以降は西欧諸国、第二次世界大戦の敗戦後は『アメリカ』の文化的影響が顕著であったことは、ご承知の通りです。

レベルの差というのは、具体的には『科学』『芸術』の技術などの差を指します。

興味深いことに、民族の『言葉』は、異民族の高い『文化』に遭遇したからと言って、相手の『言語』にとって代わられてしまうことはありません。とってかわられてしまうのは、政治的、軍事的な制圧を受けて、異民族の言葉の採用を強要された場合にのみ起こります。西欧列強、『日本』などが植民地先でこれを実行してきました。『言語』を失うということは『民族』の『アイデンテティ』を失うことに等しい深刻な事態で、多くの場合後に、『民族独立』『言語復権』紛争が起こることになります。

幼児期から『母語』として脳に刻み込まれた基本は、ちょっとやそっとのことでは変わらない頑健な基盤を保有していることになります。ただし、自分の『言語』には存在しない表現内容の語彙が相手『言語』にあれば、新しい語彙を追加するなどの対応措置がとられます。

『日本語』が、歴史的に『中国語』『オランダ語』『英語』など影響を受けて、語彙を補ってきました。現在の『日本語』には『外来語』が氾濫しているのはそのような背景があるからです。

『ギリシャ』と『ローマ』の『言語』における関係も同じでした。語彙の豊富さでは圧倒的に『ギリシャ語』が優れていましたが、やがて『ローマ帝国』は、自国語である『ラテン語』の語彙を追加することで、『ラテン語』を補強していきました。

『ローマ帝国』は『共和期』に『ラテン語』の補強がほぼ完了し、それまで教養人が『ギリシャ語』で著述をすることがありましたが、それ以降は『ラテン語』が主に使われるようになりました。

『ラテン語』は、その後『カトリック』の公用語として、中世まで西欧諸国に逆に影響を与え続けることになります。『英語』『ドイツ語』などに、『ラテン語』を語源とする派生語彙が沢山含まれているのはこのためです。

『ラテン語』は、『書き言葉(ラテン語)』と『話し言葉(俗ラテン語)』にやがて枝分かれし、『俗ラテン語』がローカルに変容して『イタリア語』『フランス語』『スペイン語』『ポルトガル語』などになっていきました。

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2018年3月24日 (土)

塩野七生著『ローマ人への20の質問』(4)

『ローマ帝国』の歴史は、大きく以下に区分されます。

『王政期』 BC753年(建国)からBC509年まで。
『共和期』 BC509年からBC27年まで。
『帝政期』 BC27年からAC395年(東西ローマ帝国へ分離)
『西ローマ帝国滅亡』 AC476年
『東ローマ帝国滅亡』 AC1453年

『王政期』の頃は、『都市国家(ローマ地方)』のレベルで、初期の歴史は神話として伝承されています。その頃地中海沿岸で支配的であったのはギリシャの都市国家で、軍事、経済、文化のレベルでギリシャが優勢であり、交易などに使われる言葉も『ギリシャ語』でした。

『共和期』の中ごろ(紀元前4世紀頃)、イタリア半島の諸都市国家が統一され、地中海沿岸地域の支配がはじまります。

『共和期』の最後に登場するのが『ジュリアス・シーザー』で、『帝政期』最初の皇帝となったのが『アウグストゥス(オクタビアヌス)』です。以降『ローマ帝国』は隆盛期を迎えます。

エジプト支配をめぐる『ジュリアス・シーザー』と『クレオパトラ』の物語が有名です。

一方、『キリスト』の活動期間は、初代皇帝『アウグストゥス』の治世下であることは注目すべきことです。

当時の『ユダヤ』は、『ローマ帝国』が支配する属州の一つであり、『ポンティオ・ピラト』が提督として在任していました。『ヘロデ王』を擁する『ユダヤ王国』は、『ローマ帝国』への恭順を示して形ばかりの存在でした。ユダヤ教の『エルサレム神殿』はその存在を『ローマ帝国』も認めていました。

皇帝『アウグストゥス』は、自分の彫像を『神』として崇めるように、属州へも通達したと言われ、これが『ユダヤ人(ユダヤ教の信奉者)』反発を招きました。

『キリスト』は直接反『ローマ帝国』で立ちあがったわけではありませんが、『ローマ帝国』からすると、『神(ユダヤ人の神)への帰順』を説く『キリスト』は民衆を煽る不穏分子とみなされ、『ローマ帝国』の刑法の『十字架刑』で処刑されました。しかし、この事件は『ローマ帝国』側の歴史資料としては残っていないために、『キリスト』は実在の人物なのかという議論のタネになっています。『死後三日目に蘇った』などという驚くべきことが事実なら、何らかの大ニュースとして資料に残されているはずと、疑う人たちは主張しています。

『キリスト』死後、『ユダヤ人民』の『ローマ帝国』に対する反乱が起こり、『ローマ帝国』はエルサレムを中心に、徹底破壊して鎮圧しました。『エルサレム神殿』はこの時破壊され、現在『嘆きの壁』だけが残されています。

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2018年3月23日 (金)

塩野七生著『ローマ人への20の質問』(3)

この本の『20の質問』を逐一取り上げて、ブログで感想を書くことは避け、最初と最後の二つの質問だけに絞りたいと思います。

最初の質問は以下です。

『ローマは軍事的にはギリシャを征服したが、文化的には征服されたとは真実か?』

『ローマは軍事的にはギリシャを征服したが、文化的には征服された』は、初代皇帝『アウグストゥス』時代の詩人『ホラティウス』が述べた言葉として伝えられています。

ローマ人自身がそのように言っているのであるから『そうなのであろう』と、後世の人達がこれを『ローマ帝国』を評する代表的な『言葉』に仕立て上げてきました。

しかし、塩野さんは、この発言の背景は、『ローマ人の劣等感の証拠というよりも、彼らの自信と余裕の証拠に思えてならない』と書いておられます。

一般の『認識』と、『塩野史観』による『認識』が正反対であることが分かります。

勿論、塩野さんはそのように考える『理由』も述べておられます。『ローマ帝国』繁栄の礎を築いた皇帝『アウグストゥス』も評価していた同時代の詩人『ホラティウス』が、このような言葉を述べても、『国家侮蔑罪』として非難されたりしていないことがその一つです。

『あの優れたギリシャでさえもなしえなかった、偉大な世界を自分たちが創り上げた』という、自信と余裕が背景にあるという観方は説得力があります。

少しでも気に入らないことを言われると、目くじらを立てて糾弾するような、狭隘な心の持ち主がリーダーであったり、それに迎合する国民であったりすれば、『ローマ帝国』は『並みの国家』であり、あのような繁栄は続かなかったであろうと考える塩野さんに同意したくなります。

些細なことに目くじらを立て、糾弾合戦を繰り広げる、外交が現在の国際社会でも後を絶ちません。

日本でも、言葉尻をとらえて、鬼の首をとったように騒ぎ立てる人達や、マスコミが存在します。

これでは、『ローマ帝国』の自信と余裕を背景とした『おおらかさ』『寛容さ』に劣ることになりますから、早晩そのような国家や社会は衰退するのではないかと危惧したくなります。

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2018年3月22日 (木)

塩野七生著『ローマ人への20の質問』(2)

塩野さんを『歴史作家』と呼ぶのは適切でないかもしれません。

『歴史作家』は、『史実』をベースにして、全体としては『虚構の物語』を創作する作家のことで『司馬遼太郎』などがそれに該当します。

『司馬遼太郎』の小説には、主人公として『坂本竜馬』や『西郷隆盛』などの歴史上の実在人物が登場しますが、作品の中の主人公の言動の全てが『史実』とは限りません。

『こういう人物であったであろう』『こういう人物であったとしたら面白い(興味深い)』と作家の『精神世界』が推定した『人物像』として主人公は描かれています。

『司馬遼太郎』の個性的な『史観』で描かれた、作品上の主人公に魅了され、『坂本竜馬が好き』『西郷隆盛が好き』と言われる方が多いように思います。『司馬史観』が、多くの日本人の『精神世界』へ影響を及ぼしていることになります。

『歴史を事実として理解する』ことは、厳密にいえば不可能に近いことかもしれません。『何が起きたか(できごと)』は把握できますが、それに関与した人物の『精神世界』の詳細は、『想像(推定)』するしかないからです。歴史は『人間』『人間社会』が創りだすもので、『できごと』は結果に過ぎません。

従って、作家が異なれば、同じ人物が『善人』として描かれたり、『悪党』として描かれたりすることにもなります。作家の『個性的な史観』とはそういうものです。

多くの日本人が『司馬史観』に共感を覚えるために、『司馬遼太郎』の小説は人気を博するのでしょう。

塩野さんの作品も、『塩野史観』をベースに記述されていますから、『虚構の物語(フクション)』の部分がありますが、塩野さんが述べたい主要部分は、『ご自身の史観』であって、『人物』はその手段であるように梅爺は感じます。

従って、『歴史作家』というより『歴史評論家(史論家)』の方が適切であるように思います。

塩野さんが、多くの文献を読み、それらを総合してご自身としては『矛盾』が少ないと感ずる『ご自身の史観』を創出されたことになります。直感や理性的な推論が駆使されていますから、読者の『精神世界』も啓発されることになります。

梅爺は塩野さんと同じだけの文献を読み、独自の『史観』を構築する能力がありませんから、手っ取り早く『塩野史観』を読んで、自分の『精神世界』が啓発されることを喜びとしていることになります。

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2018年3月21日 (水)

塩野七生著『ローマ人への20の質問』(1)

イタリア在住の歴史作家『塩野七生(ななみ)』さんの著作を愛読する方々が、梅爺の周辺には沢山おられます。感覚的に言うと、中高年の男性に愛読者が多いように感じます。実は梅爺もその一人です。

塩野さんの史実を洞察する能力、日本語の文章の表現能力の背景に『理性』『知性』があり、これが『理を好む』中高年男性の心に響くからではないかと思います。

塩野さんの作品を好まれる女性がおられるとしたら、その方は『男性的な思考』が理解できる方ではないでしょうか。

一般的に『男性的思考』と『女性的な思考』には違いがあると梅爺は感じているだけで、『男性的な思考』が相対的に優れているなどと申し上げるつもりはありません。

『人間』や『人間社会』の本質は、ある程度『人生経験』をつまないと見えてきません。塩野さんの作品の面白さは、『人間』や『人間社会』への洞察、表現にありますから、愛読者に中高年の方々が多いのはそのためでしょう。

なんといっても塩野さんの最大の大作は『ローマ人の物語(全15巻)』ですが、梅爺はこれをつまみ食いのように何冊か読んだだけで、全巻は読破していませんから、胸を張って『愛読者である』とは言えません。

今回『ローマ人への20の質問(文春新書)』を読みました。

この本は、架空の質問者が『ローマ帝国』に関して20の質問を発し、それに塩野さんが答えるという体裁で書かれています。

質問の設定も、選定も実は塩野さんが行っていることになりますから、『ローマ帝国』の本質を読者に分かりやすく提示するための『しかけ』としての体裁です。

読者は、質問者が『自分』であると感情移入して読みますから、すっかり『しかけ』に乗せられていることになります。

梅爺もこの手法で、『夢の中の神様との対話』などという戯れ文をブログに書いたことがあります。作者自身の頭を整理する上でもこの『しかけ』はなかなか有効です。

http://umejii.cocolog-nifty.com/blog/2010/08/post-4845.html

http://umejii.cocolog-nifty.com/blog/2010/09/post-d046.html

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2018年3月20日 (火)

単細胞生物『粘菌』の驚くべき能力(8)

『粘菌』の『迷路最短路を見つける能力』を利用して、『粘菌』に『最適ネットワークを設計させる』という試みも行われました。

日本の首都圏を含む関東の地図の複数主要個所上に餌を置き、地図上に『粘菌』をまんべんなく広げた状態で配置すると、やがて『粘菌』は、各主要個所間を結ぶネットワーク状に『変容』します。

このネットワークは、人間が設計した首都圏の鉄道ネットワークと、極めて類似しています。人間の眼には『粘菌がネットワークを設計した』ように見えます。

これも『粘菌』が、『最適ネットワーク』を設計しようという『意思』『目的』を保有しているわけではなく、『自律分散』的に振る舞ったら、結果的に『最適ネットワーク』が出現したということです。

『生物』の『自律分散』対応能力は、『生物』を生みだす母体となった『宇宙』の『摂理』から受け継がれているように梅爺は感じます。

『宇宙』の部分部分は、単純なルールで『自律分散』的に『変容』していますが、結果的にそれらは組み合わされて、全体としては極めて複雑な『変容』をしているように見えます。

『宇宙(物質世界)』には、『集中管理』の機能がありません。従って『目的』『あるべき姿』『意図』『デザイン』は存在しません。それらは当然人間にとっては重要な意味を持ちますが、人間の『精神世界』が考え付いた概念です。つまり人間にしか通用しない概念です。

昔の人達は、何事にも『目的』『あるべき姿』『意図』『デザイン』が存在すると考え、『神による天地創造』という『虚構』を思いついたのであろうと梅爺は推測しています。梅爺も『科学知識』がなければ、同じようなことを思いつくに違いありません。

考えてみると『人間社会』の事象も、『自律分散』的に処理されていることに気付きます。個性的な『個人』が、自分の価値観で行動しながら、社会全体にはある種の『変容』が出現するからです。

『自律分散』は決して効率の良いシステムとは言えませんが、結果的に最適解とは言えないまでも、そこそこの『解決』を生みだす可能性を秘めています。『粘菌』の行動がそれを示しています。

『粘菌 偉大なる単細胞が人類を救う』という本は、『粘菌』のことを知るだけではなく、著者の『知性』『ウィット』『文才』を通じて、『人はどう生きるべきか』について多くの示唆が得られる素晴らしい本です。中垣先生は、最後を以下の『南方熊楠(みなかたくまくす):明治時代の偉大な自然科学者』の言葉で締めくくっています。

宇宙万有は無尽なり。ただし人すでに心あり。心ある以上は心の能(あた)うだけの楽しみを宇宙よりとる。宇宙の幾分を化して己の心の楽しみとす。これを智と称することかと思う。

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2018年3月19日 (月)

単細胞生物『粘菌』の驚くべき能力(7)

『粘菌』が、『迷路の最短経路を見つけ出す』ということはこういうことです。

側壁がある立体迷路の中の全ての通路に『粘菌(変形体:一個の単細胞)』をまんべんなく敷き詰めます。入口と出口に『粘菌』が好む餌オートミールを置きます。すると、入口、出口付近の『粘菌』は餌を見つけて移動し栄養分の摂取を始めます。やがて摂取効率を高めるために、迷路内の遠くにいた『粘菌』も入口、出口の餌場へ移動すると同時に、入口と出口を結ぶ『導管』を形成します。『導管』は摂取した栄養分の一部を『導管』部へ供給するための通路です。

結果的に、入口と出口に大きな『集合』ができると同時に、入口と出口を結ぶ導管だけになります。

これを人間の目で見ると、『粘菌が迷路の最短経路を見つけ出した』ように見えます。『導管』は、迷路の最短経路上に構成されるからです。

『粘菌』には『脳』も『神経』もありませんから、全体を統制する機能はありません。問題を効率よく解決しようとする『目的』や『意図』を保有しているわけでもありません。部分、部分が『自律分散』的に、環境へ対応した結果、全体としては生存に適した形へ『変容』したということになります。

このことには、最初の『生命体』が、どのように行動して生き残ってきたかを示唆するカギが包含されているように梅爺は感じます。その基本習性の一部は、私達『ヒト』へも継承されているに違いありません。

上記の『粘菌』の行動から、『粘菌』にも『知性』があるとは言えませんが、『ヒト』が『知性』を獲得したプロセスの原点に関与しているのかもしれません。

『ヒト』や動物の多くは、『脳』『神経』で、効率よく『集中』管理を行うシステムを後に選択採用しました。効率が良いことの裏返しとして、『脳』に血液がいきわたらなくなると数分で全体は『死ぬ』という欠点も抱えることになりました。『粘菌』は、一部を除去しても、再び再生し全体が『死ぬ』ことはありません。

『生物』の原始的は形式は、『集中』管理方式ではなく、部分部分の『自律分散』方式であったということを示唆しています。

『ヒト』も60兆個の『細胞』が、連携して命を紡いでいるという点では『自律分散』方式も継承していることになります。各『細胞』が自律的に機能することで、結果的に全体が保持されているからです。梅爺の『細胞』は、全体が梅爺であることなどは『知らず』に、ただ黙々と自分の役割を果たしているだけです。梅爺は自分の『意思』で各『細胞』に命令を発しているわけでもありません。梅爺が、自然の摂理で『生かされている』と感ずる理由がここにあります。

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2018年3月18日 (日)

単細胞生物『粘菌』の驚くべき能力(6)

『単細胞生物』と聞くと、微生物や少なくともミリ単位の大きさの、小さな生物を思い浮かべますが、『粘菌』はなんと数メートルの大きさになる生物であることを知りました。

写真を見る限り、『粘菌(後述する変形体の状態)』のイメージは黄色い『カビ』のようですが、『カビ』の一種ではないようです。『変形体』は大きくなった時には数メートルの広がりを示します。

『粘菌』は、藪や都会の植え込みに生息する、特に珍しい生物ではなく、腐敗した落ち葉などを栄養源としているのだそうです。

『粘菌』は厳密には『真性粘菌』と呼ばれるもので、『変形菌』の一種ということです。『変形菌』は、ライフサイクルの中で『変形体』と呼ばれる時期と、『子実体』と呼ばれる時期があり、『変形体』の時には、ゆっくりながら移動して微生物などを餌として捕食する『動物』のように振る舞い、『子実体』の時には、移動せず『胞子』をつくって次の『変形体』を生みだす準備をする『植物』または『キノコ』のように振る舞います。

『動物』のようにも見え、一方『植物』のようにも見えるという話を聴くと、『生物』が初期の原始的な『単細胞生物』の段階から、やがて『動物』と『植物』に枝分かれしていくためのプロセスとして重要な意味が隠されているのではないかと梅爺は、勝手に想像してしまいます。

著者の中垣先生は、『粘菌』は、『モノ』に近い存在にも見えるということで、『モノ』から『生命体』が生まれたプロセスを想起させると書いておられます。

同じ素材を使いながら、一方は『モノ』、一方は『生命体』という事実、つまり『モノ』がどのようにして『生命体』に変容したのかを解明しようと科学者が奮闘していますが、現時点では明解な答が見つかっていません。

私たちの身体も脳も、素材は『モノ』と変わりありませんが、『何故生物として存在できるようになったのか』の大元のプロセスは分かっていないということです。

これでは、哲学者が『私たちはどこから来たのか』などといくら頭をひねってみても、答が見つかるはずがありません。『創造主は神である』という宗教の主張も、論理的な答にはなりません。『神』そのものの存在が証明できないからです。『神』の存在は『信ずる』対象ですが、『信ずる』という行為は、理性的論理の世界では意味をなしません。『信ずるから存在する』と言い出せば、何でも存在することになってしまうからです。

『単細胞生物』には『脳』も『神経』もありません。日常の会話で『あの人は単細胞だ』と表現することは、『考えが浅い人だ』という貶(おとし)める表現になります。

ところが『粘菌』には、『複雑な迷路の入り口と出口を結ぶ、最短路(最適路)を見出す能力』があることが指摘されています。

中垣先生は、この『不思議な能力』に魅せられて、25年間『粘菌』を研究対象にしてこられました。

人間の『知性』の源を解明するカギが、ここにあるかもしれないという期待があるからです。

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2018年3月17日 (土)

単細胞生物『粘菌』の驚くべき能力(5)

人間を含め、全ての生物は、『細胞』で構成されています。その意味で『細胞』は『生命』の最小単位であると言えます。

人間の身体は、60兆個の『細胞』で構成されています。『性細胞』である『卵細胞』と同じく『性細胞』である『精子』が偶然遭遇し、受胎が成立した後に、『卵細胞』は分裂を開始し、最終的には60兆個の『細胞』で構成される『ヒト』になるという壮大な話です。

『自分』がそのようにして現在存在しているなどと、私たちは普段あまり考えませんから、その事実を知った時に驚き、『自分』の存在がなにか不思議な客観的なものに見えてきます。

『生き方を誤るな』『生き方を選べ』などと言われると、『生きている』ことは『自分』の意志によるものと考えてしまいますが、実は『自然の摂理』によって、基本的には『生かされている』とふいに気付きます。『自然の摂理』は私達の意志などとは無関係に冷徹に作用しています。『生まれる』『生きる』『死ぬ』は、『自然の摂理』の掌(たなごころ)の上で起きている事象です。

35億年前に、地球上に最初の『生命体』が出現したと考えられています。その『生命体』は当然最小単位の一つの『細胞』、つまり『単細胞生物』であったと推測されます。

その最初の『単細胞生物』が、現在地球上に存在するすべての生物の『先祖』であると、簡単な説明を受けることがありますが、大意としては間違いないとしても、実態がそうであったかどうかは、明らかではありません。

たった一つの『生命体』が偶然出現したのか、同じ環境下で同時に同じような『生命体』が複数個出現したのかは分かっていません。また、『生命体』は、何度か『出現』と『絶滅』を繰り返したのかどうかも分かりません。

ただ、私達の『先祖』は、何らかの『単細胞生物』であることは、確かなことと言えます。

35億年後の現在の地球にも、『単細胞生物』は多数存在しています。

『病原菌』『アメーバ』『ゾウリムシ』などが『単細胞生物』であり、この本の主役である『粘菌』もその一つです。

『ヒト』のような『高等多細胞生物』が存在すると同時に、今でも『単細胞生物』も存在するわけですから、『地球』は不思議な環境です。

『生物進化論』にとってこれは矛盾する事象ではありません。条件によって『進化する』『進化しない』『退化する』の選択を『生命体』が繰り返してきたことに他ならないからです。

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2018年3月16日 (金)

単細胞生物『粘菌』の驚くべき能力(4)

昨日ご紹介した中垣先生の『名文』は、『釈迦の解脱』や日本の伝統文化でもある『自然との一体感に基づく死生観』『ワビ、サビの心』などに通ずる深い思考が含まれています。

梅爺がブログを書いていて気付いた『物質世界と精神世界に分けて事象を観る』という方法を適用して、今まで霧に包まれていたようなことが『なんだ、そういうことだったのか』と見え始めた時の感動を思い出しました。

学ぶことで深まる『知的感受性』が、肩書きやお金と無関係に、自分だけの喜び(のんきな気分)であると、心底(しんそこ)思います。

この本には『心理物理学』という言葉も登場します。一見高尚に見える『心の動き』も、煎じつめると脳内で起きている、無数の物理反応、化学反応である以上、きっと『基本法則(行動原理)』があるにちがいないとして、科学の追求対象とする学問領域のことです。非常に複雑に見える世界(複雑系)も、実は単純な数少ない基本本則で出現するものではないかという推測が背景にあります。

このように『心』に『科学』が介入することを、『宗教』『芸術』の関係者は、こころよしとされませんが、これは『宗教』や『芸術』を貶(おとしめ)めようとする試みではありません。ただ、『法則』が見えてきた時に、『宗教』や『芸術』の意味や価値を少し見直さなければならないようなことにはなるかもしれません。

梅爺流に表現すれば、『心』は『精神世界』で、『精神世界』は『物質世界』の実態(ここでは脳)があって初めて成立する『仮想政界』であるということになります。

『精神世界』は、基本的には『物質世界』の影響を受けます。これを明らかにしようとするのが『心理物理学』です。

しかし、ややこしいことに『精神世界』が創りだす『虚構』や『抽象概念』は、『物質世界』の法則支配を受けません。分かりやすく言ってしまえば『桃から生まれた桃太郎』『処女マリアから生まれたキリスト』という表現が可能になります。

『心理物理学』は、たとえば『神』という概念を科学法則で導き出そうというのではなく、『何故人の心は神と言う概念を必要とし創出するのか』を明らかにしようとする学問ではないかと思います。

現在では『心理物理学』は、手がかりさえもみつからない状態ですが、思いもよらない他の科学分野の成果が、ここに適用されて将来大きく進展するかもしれません。

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2018年3月15日 (木)

単細胞生物『粘菌』の驚くべき能力(3)

肝心な『粘菌』のご紹介に入る前に、それとは関係のない話が続いて恐縮なのですが、それほどこの本には、触発される『文章』がここかしこにちりばめられています。

梅爺がブログを10年間書き続けてきて、本当は皆さまに一番伝えたかったことが、この本には以下のような『名文』で綴られています。

一般に学ぶとは、「自分自身が今いる世界から外へ出る」ことだと思われます。その本質とは自分の限界を超克することですから、自らが進んで困難に立ち向かう強い気持ちが必要です。好奇心や冒険心をはじめとして、不屈の闘志が、そして独善をしりぞける謙虚さ(これを持てる人は本当にたくましい)も必要です。ですから学ぶという作業は、予想以上に消耗が激しいものです。心身ともに疲労します。
しかし、その苦しさの後に訪れるであろう、「ああ、わかって楽しい」とか、「世界観が広がって愉快だ」とか、「人間に対する理解が深まってしばしコトバを失った」とか、そんな風に世の中の景色が違って見えてくること、それが学ぶことのご褒美です。この時はじめて、自分が以前いた世界の外に出たことが、つまりもっと広い世界の中に入れたことがわかりかす。こういう風に自分自身の心の足跡を喜べる心のありかた、これが学びの駆動力ともなり、幸福感をもたらしてくれます。これは「知的感受性」とでも呼べるものかと思います。

人生ってなんだろう? と思い始めた時には、私たちは皆すでに「死」へ向かって放り出されていることに気づきます。たいそうな驚きとともに。実に情けない無情な人生と言わざるをえません。それでも「ああ、生まれてきてよかった」としみじみと思わせてくれるもの、それが世の中を美しく、あるいは味わい深く見せてくれる知的感受性という「フィルター」ではないでしょうか。「世界ってこんなに広く深いものだったのか。私という存在はそんな世界の一部なのか」というある意味で素っ頓狂な精神状態になれることが、理屈もなくただただ心になにかを満たしてくれます。それは肩書やお金を離れた実に「のんき」な気分です。伊達や酔狂に一脈つながるようでもあります。

これほど梅爺の『心』を見事に代弁していただいた文章にであったことは今までありません。まさに有頂天の気分になっています。

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2018年3月14日 (水)

単細胞生物『粘菌』の驚くべき能力(2)

『イグ・ノーベル賞』は、元ハーバード大学の研究者『マーク・エイブラハム』氏を中心に運営されている『催し物』で、ハーバード大学の多くの研究者が運営協力をしており、中には本物の『ノーベル賞』受賞者も含まれていることを知りました。  

賞の方針は『まずもって人々を笑わせ、次に考えさせる研究成果』に与えるとしており、ともすれば権威主義的になりがちな『科学』というものに警鐘を鳴らしているようにも受け止められると中垣先生は書いておられます。  

一切の権威主義的な色彩を排除した授賞式(ハーバード大学内サンダース。シアター)に参加した時の感想を、中垣先生は以下のような日本語で表現されておられます。梅爺が『日本語の優れた使い手』と言いたくなる理由の一端を感じ取っていただけるでしょうか。  

『真面目と不真面目さの境界が判然とせず、なにか不思議なバランス感覚が漂っており、自分自身最後までその場を「掴みきれない感」がぬぐい去れませんでした。真面目な研究として科学にとりくんでいる日々ですが、やはり科学は諧謔やユーモアと隣り合わせなのかもしれない、そんな気分になって帰国しました』  

授賞式の『受賞者あいさつ』『研究内容紹介』の時間は、それぞれ1分、5分と厳しく決められていて、その時間をオーバーすると、舞台のそでから可愛らしい少女が登場して、『お願い止めてよ、私もう飽きたわ』と繰り返し叫ぶ趣向になっていることを知りました。アメリカ人らしいユーモアです。  

中垣先生は、会場の雰囲気に乗せられて、ご自分では『まあまあ対応できた』と書いておられる一方、最後に『客観的なある人のコメント』として以下の一文をを載せておられます。  

時々、ぼそぼそっと何かいって、笑いをとるという作戦は、英語の下手なものには正しい』  

本当は、『大うけ』であったと梅爺は想像しますが、このような一文を付け加える配慮から、本物の謙虚さが伝わってきます。

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2018年3月13日 (火)

単細胞生物『粘菌』の驚くべき能力(1)

素晴らしい本を読みました。

『粘菌 偉大なる単細胞が人類を救う:中垣俊之著(文春新書)』です。

何が素晴らしいかと言えば、勿論『粘菌の驚くべき能力』について研究成果を述べておられる内容もさることながら、文章、文体から伝わってくる著者の謙虚なお人柄に魅了されることです。形ばかりの謙虚さは、すぐに見破られてしまいますが、奥深い本物の謙虚さは、人に感銘をあたえます。

著者の『中垣俊之』氏は、北海道大学電子科学研究所の教授ですが、梅爺のような素人に、『興味を抱かせ』、次に『考えさせる』見事な日本語の文章の使い手です。

梅爺は、読書の世界だけで『福岡伸一』先生(生物分子学)、『村山斉(ひとし)』先生(宇宙物理学)、そして今度は『中垣俊之』先生という、一流の科学者でありながら、見事な日本語の使い手に出会う幸せを手に入れました。

日本には、梅爺が知らない、多彩な才能をお持ちの科学者が、他にもたくさんおられるのでしょう。ノーベル賞の受賞も素晴らしいことですが、梅爺のような凡人を啓蒙してくださる科学者も貴重な存在です。

ノーベル賞と言えば、著者の中垣先生は、2008年と2010年の2回にわたり『粘菌の研究成果』で『イグ・ノーベル賞』を受賞されておられます。

『イグ・ノーベル賞』は『ノーベル賞』のパロディとして『おふざけ』の催し物と一般には受け止められています。

梅爺も中垣先生が『イグ・ノーベル賞』を受賞されたことはテレビなどの紹介で知っており、この本を購入した動機も、『何となく面白そうだ』という軽い気持ちからでした。

しかし、この本で紹介されている『イグ・ノーベル賞』の実態、中垣先生などが参加したその授賞式の詳細な様子から、多くの人に『科学』への興味を抱いてもらう手段として、意義ある催し物であると認識を改めました。

『イグ・ノーベル賞』の受賞内容から、やがて本物の『ノーベル賞』につながる成果が生まれる可能性もあると思いました。

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2018年3月12日 (月)

鉄を生みだしたヒッタイト帝国(4)

『ヒッタイト帝国』をつくった人達が、どこからこの地へやってきたのかはよく分かっていませんが、現在のウクライナ地方に住んでいた人達がカスピ海沿いにアナトリア地方へ移ってきたのではないかと考えられています。

アナトリア地方は、無人地帯であったわけではありませんから、それ以前は『メソポタミア』の商業都市があったと言われています。『ヒッタイト』が新しい支配者になったということです。

『ヒッタイト帝国』は『古王国』『中王国』『新王国』時代に区分されますが、最も栄えたのは『新王国』(紀元前15世紀頃)時代です。

『ヒッタイト帝国』の没落は、歴史的に素性が分からない『海の民』の攻撃によるものと言われています。地中海を海洋貿易で利用していたとすれば、『海の民』の正体として『フェニキア人』が思い浮かびますが、これは梅爺の想像にすぎません。

『ヒッタイト帝国』の『古王国』時代の王は、平等な市民の中の一人と考えられていたようですが、『新王国』になると、王は『神の化身』と崇められるようになります。

人類の歴史を観ると、『神』と特別の交流能力を持つ『呪術師』がコミュニティのリーダーになる場合もあれば、俗人が権力者になった後で、『自分は神の化身である』と宣言する場合もあります。権力を保持するための手段として『神』を利用するという発想は、人間の『精神世界』が関与するもので、梅爺には興味深いことです。

『古代エジプト帝国』の『ファラオ』や『インカ帝国』の『王』は後者のように思えます。

面白いことに、この場合『王』の権威を補佐する『神官』という役目の人達が登場し、時に『神官』の権威が増して『王』との権力争いになることもあります。

『政治が宗教を利用』『宗教が政治を利用』という相互関係は、古代ばかりではなく現在にも存在します。

『ヒッタイト帝国』がどのような『宗教』を保有していたのか、梅爺は知りませんが、『エジプト』や『メソポタミア』から文化的影響を受けていたことだけは確かでしょう。人類が『一神教』の様式を確立するのはずっと後のことですので、当時の『宗教』は『多神教』であったのでしょう。

梅爺は、トルコの観光旅行をした時に、『アナトリア文明博物館』を見学したことがあり、夥(おびただ)しい数の発掘品が展示されていて圧倒されました。

勿論『楔形文字(せっけいもじ)』の『粘土板』も展示されていました。

当時は、この本の著者の大村氏が、単身トルコへ乗り込んで、『ヒッタイト帝国』の遺跡発掘、歴史研究に勤(いそ)しんでおられることなどは知る由もありませんでした。

『ヒッタイト帝国』の研究は、世界中で行われていますが、日本にも優れた学者がいるということは誇らしいことです。

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2018年3月11日 (日)

鉄を生みだしたヒッタイト帝国(3)

人類の古代文明発祥地とされる、ナイル川流域の『古代エジプト文明』と、チグリス・ユーフラテス川流域の『メソポタミア文明』に丁度はさまれた中間地域であるアナトリア地方(現在のトルコ中央部)に、『ヒッタイト帝国』が出現したのは、条件に恵まれていたと言えるでしょう。

『ヒッタイト帝国』が、強国でありえたのは、『文字の活用』と『製鉄技術の独占』に依るものでした。

『文字』は『メソポタミア』で考案された『楔形文字(せっけいもじ)』方式を流用(採用)しています。自分たちの言葉を『楔形文字(せっけいもじ)』で表現したということです。

中国から渡来した『漢字』を利用して『表音文字』である『かな文字』を考案し、自分たちの言葉(日本語)を表現した日本のようなものです。

『古代エジプト文明』は『ヒエログリフ(象形文字)』を植物繊維の紙『パピルス』に記述したり、建築物の壁面に彫ったりして表現しました。

情報伝達媒体として『パピルス』は優れたものですが、貴重品であり手近に利用するには制限がありますが、『ヒッタイト帝国』の採用した情報媒体は『粘土板』であり、どこでも多量に入手できる利点があります。

『ヒッタイト帝国』では、王の通達を始め、個人間の情報のやり取りにふんだんに『粘土板』が『手紙』として使われていました。『粘土板(手紙)』の運搬には二輪馬車(戦車)が利用されたことでしょうから、迅速な伝達が可能であったはずです。遺跡から発掘され、『楔形文字(せっけいもじ)』の『粘土板』解読ができるようになった為に、私たちは『ヒッタイト帝国』の歴史を知ることになりました。

記述された文字情報で『情報』を共有するという手法は、誤解や誤認を避けることができ、社会運営が効率よく行えます。『ヒッタイト帝国』は、外国との外交、講和条約の発行などにも『粘土板』記録(記述)を用いています。

高度な『製鉄技術』を『ヒッタイト帝国』自身が考え出したのか、他人の技術を流用、発展させたのかは不明ですが、結果的に『製鉄技術』を『ヒッタイト帝国』がある期間独占したことは確かでしょう。

『粘土板』には『鉄の製造に適した季節がある』と書いてあるようなので、燃料の木材が入手できる時期、季節風が吹く時期などに集中的に『製鉄』が行われていたと推測されています。

『鉄器文明』はその後、他民族、他国家にも伝わり、人類の生活は一変しました。

『日本』には、『縄文後期』『弥生前期』にもたらされました。『弥生人』が『縄文人』を圧倒したのは『稲作農耕』と『鉄器』によるものと考えられています。

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2018年3月10日 (土)

鉄を生みだしたヒッタイト帝国(2)

『ヒッタイト帝国』は、大雑把にいえば現在のトルコの中央部アナトリア地方を中心とした帝国で、現在のシリア(地中海沿岸部)で『古代エジプト帝国』と勢力圏が接し、また内陸南東では現在のイラクに位置した『メソポタミア』と勢力圏が接していましたから、隣国として交流があると同時に、時には『戦争』関係にもありました。

紀元前17世紀には、『メソポタミア』に攻め入って征服しています。

紀元前13世紀の『古代エジプト帝国』と『カディシュの戦い』は有名で、エジプトの『ラムセス2世』は、自分が勝利者であると、その様子をエジプトの宮殿壁面彫刻に残していますが、実際は『ヒッタイト帝国』に撃退され、『講和条約』を結んだというのが実状です。

『ヒッタイト帝国』が軍事的に優位であったのは、鉄製の武器、防具を保有していると同時に、馬にひかせた鉄製車輪の2輪戦車(映画『ベン・ハー』に出てくる戦車のイメージ)を使っていたからと考えられています。軍隊の俊敏な移動、輸送などで大きな差があったのでしょう。

人類最初の『製鉄技術』は『ヒッタイト帝国』が生み出したというのが定説ですが、『ヒッタイト帝国』以前から、アナトリア地方にはあった技術を継承したものだという説もあります。

いずれにしても『ヒッタイト帝国』は、この圧倒的に有利な技術を、勢力圏内部から流出しないよう職人たちを厳しい管理下に置いたことは想像できます。

『ベネチア共和国』がガラス職人をムラーノ島に隔離し、ヨーロッパの『マイセン王国』や日本の九州大名が陶磁器職人を管理下において技術を独占したのと同じです。

この本の著者大村氏は、その秘密の製鉄場所を特定しようと奮戦しました。

『ヒッタイト帝国』が存在していた時代は、日本は『縄文時代』です。

『鉄器文化』が日本へもたらされたのは、紀元前5~6世紀と考えられますので、『ヒッタイト帝国』から1000年も後のこととなります。

現在では『情報』が瞬時に世界中へ行きわたりますが、古代は『ホモ・サピエンス』の移住に合わせて、文化、文明が移動、普及していきました。

『ホモ・サピエンス』の出発点は『アフリカ』ですが、極東の島国『日本』への到達は遅くなったのは当然のことです。

『縄文時代』に、中近東では既に『帝国』が存在し、『文字』が使われ、鉄車輪の戦車まであったということです。

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2018年3月 9日 (金)

鉄を生みだしたヒッタイト帝国(1)

『鉄を生みだした帝国 ヒッタイト発掘:大村幸弘著(NHKブックス)』を読みました。

『ヒッタイト帝国』は、紀元前17世紀から紀元前12世紀頃まで、約500年間続いた帝国で、中心地はアナトリア地方(現在のトルコ)でした。

『ヒッタイト帝国』は、鉄の生産技術を保有していて、世界史を『青銅器時代』から『鉄器時代』へ転換させる重要な役割を果たしたことで有名です。

中近東の地理や歴史に疎い梅爺ですが、何となく『人類の製鉄の歴史』を知ろうと、この本を購入しました。

著者の大村氏は、早稲田大学を卒業後、トルコのアンカラ大学へ留学し、その後トルコにとどまって、現地の考古学者と一緒に『ヒッタイト遺跡』の発掘に従事されてきた方です。

留学後、一からトルコ語を習得し、アンカラ大学の考古学教授の指導で、古代の『楔形文字(せっけいもじ)』が解読できる能力も身に付けられました。

『楔形文字(せっけいもじ)』は、古代メソポタミアで考え出された文字表記方式で、粘土板に葦を削ったペンで書きつけられたものです。

メソポタミア文明は現在のイラクに栄えた古代文明で、『ヒッタイト帝国』以前のアナトリア地方は、メソポタミアの商業都市でしたから、『ヒッタイト帝国』の支配になった後も、『楔形文字(せっけいもじ)』の文化は受け継がれたものと思われます。

『楔形文字(せっけいもじ)』が書かれた粘土板は、現在でいえば『手紙』『公文書』として使われていました。遺跡から発掘された膨大な数の粘土板から、『歴史』が解明されつつあります。中には『恋文』なども見つかり、今も昔も人間は同じように振る舞っていたことが分かります。

大村氏は、『楔形文字(せっけいもじ)』文書に書かれている『ヒッタイト帝国』で『アリンナ』と呼ばれた所が、『製鉄の中心地』であろうと推定し、『アリンナ』が現在の『アラジュホユック』という村であることを探り当てます。

『アラジュホユック』の遺跡からは製鉄の名残の『残滓(ざんし)』も発掘され、大村氏の功績は、現地の考古学に大きく貢献しました。

この本は、単身異国へ乗り込んだ日本人考古学者の長年にわたる奮闘記とも言えるもので、梅爺も日本人として感情移入して読みました。勿論『ヒッタイト帝国』に関する知識も増えました。

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2018年3月 8日 (木)

テクノロジーが誘発するファシズム(2)

このエッセイの著者のように、『自分の価値判断が正しい』として、鬼の首をとったように得意げに自説を主張する人が多いように梅爺は感じます。

問題の本質は、『なぜ人間は利己的に振る舞うのか』『人間社会はなぜある種の格差を是認せざるを得ないの』『技術の応用の初期段階は高価なものになるのは何故か』です。

この問題の本質を洞察するには、『生物としてのヒトの習性』『社会運営に必要な経済のしくみ』を理解する必要があります。

『個性的(生まれつきの能力差)であることを宿命づけられているヒト』、『安泰を希求する本能を保有するヒト』が集団で生きる『コミュニティ(人間社会)』では、『格差』を前提とした社会規則が適用され、経済行為が行われます。私達の周囲は『格差』だらけです。『受験』『オーディション』『コンテスト』で、適者、不適者が振り分けられます。『格差』を認めなければ社会は成り立ちません。『格差のない社会を実現します』などと発言する政治家は、人間や人間社会の本質を洞察できない人ですから、政治家には不適任です。

ただし『極端な格差』は、コミュニティを逆に不安定にしますから、あるレベルでこれを是正する知恵が求められます。コミュニティの合意事項として、どのように『極端な格差』を回避できるかは、そのコミュニティの成熟度(教育レベルの高さなど)で決まります。大衆が結束して『ファシズム』に走るとしたら、それは成熟度の低いコミュニティであることを露呈しているにすぎません。現状の日本がどうであるか、私たちは見極める必要があります。

『技術の応用の初期段階は高価なものになる』のは、単純に経済原則に依るものです。需要が増えれば、価格は下がります。初期の高価な時代には、富裕層だけが恩恵を享受できるのは、好ましくないとはいえ、しかたのない話です。自動車が高価な時は、私たち庶民は自動車を購入できませんでした。

このエッセイが、『極端な格差』は社会不安の原因となると言っていることは、その通りですが、『極端な格差』の元が『技術』だけにあるように言うのは、少々こじつけに感じます。『極端な格差』の元は、他にも沢山あります。

従って、『技術』の進展が阻まれることを危惧する前に、『極端な格差』を抑制する現実策を考えてほしいと願います。

しかし、実は、『極端な格差』を抑制するために、誰もが合意できる普遍的な解決策はありません。

何回もブログに書いてきたように、『個人』と『社会』の利害の対立という『矛盾』を解決する方策を人類は、見つけられないでいるからです。

次善策として『民主主義』や『法律』を適用していますが、これらは必ずしも理想的なシステムや約束事ではないからです。

であるからこそ、どう対応するかで、そのコミュニティの成熟度が問われることになります。理性的な思考、判断ができる人が多い社会は、成熟度が高いといえそうだと梅爺は考えています。

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2018年3月 7日 (水)

テクノロジーが誘発するファシズム(1)

『What should we be worried about ?(我々が危惧すべきことは何か)』というオムニバス・エッセイ集の53番目のタイトルは『Technology-oeiented Fasism(テクノロジーが誘発するファシズム)』で、著者は未来学者の『David Rodanis』です。

エッセイの主旨は、『テクノロジー(技術)』が、先の大戦以来人々の間に根付いていた『ファシズム』反対の合意を反故(ほご)に帰すのではないかという危惧に関するものです。

『テクノロジー』と『ファシズム』がなぜ結びつくのか、梅爺は即座には理解できず、入念にエッセイを読んでみました。

分かったことは、『技術の恩恵を受ける人』は『一部の富裕層』で、『恩恵を受けない人』は『大半の中産階級、貧困層』であるとし、この『恩恵を受けない人』が、『恩恵を受ける人』を共通の『敵』とみなし、集団で『暴力、いやがらせ』の行為に及び、『技術』そのまでが『否定される』ことを憂いるという内容でした。

人類にとって、今こそ必要とされる『技術』が、このような行動で否定されることはいかがなものかという主張であると理解しました。

『ファシズム』という言葉の意味も、必ずしも判然としませんので、『広辞苑』で調べてみましたら、『全体主義的あるいは権威主義的で、議会政治の否認、一党独裁、市民的、政治的自由の極端な制圧、侵略的政策をとることを特色とし、合理的な思想体系を持たず、もっぱら感情に訴えて国粋的な宣伝をする』こととありました。

著者が例に挙げている『技術』の応用は、高価な『医薬品』『医療技術』で、『一部の富裕層』だけが、その恩恵を受けて延命に預かり、お金のない人たちは同じ状況下で助からないという状況の指摘です。

社会の大半を占める中産階級、貧困層が、一部の『富裕層』を『敵』として、結託し『反乱』に走るという事態は、人類の歴史上繰り返されてきましたから、そのようなことが起きないとは言えません。

このエッセイの著者は、中間階級、貧困層を政治基盤とする『リーダー』が、戦前の『ファシズム』の恐ろしさを体験していない世代であると、『ファシズム』のような行動をとるのではないかと危惧しています。

ギリシャで、このような『ファシズム』的なグループの男性リーダーが、反対派の女性国会議員を殴打するシーンがテレビのニュースで流されたにもかかわらず、大衆の男性リーダーの支持率は寧ろ上がったという例を挙げています。

『同じ立場の多数派』が、『異なった立場の少数派』を、『いじめ』『弾圧』するのは人間の習性で、そのため学校の『いじめ』は後を絶たないとも書いています。

しかし、梅爺はこの著者の主張は、あまりに単純すぎるように感じます。

『理性を欠いた人間は、自分本位に行動する』『人間社会には多かれ少なかれ格差を是認せざるを得ない状況がある』『技術の応用の初期段階は高価になる』という個々の事象は、確かに明解な解決策のない問題ですが、これらが必ず結びついて、社会が手に負えない状況になると決めつけることは単純すぎます。

『今最も必要とされる技術の進展が阻まれることは問題』という認識も一方的です。社会の混乱を抑えるためには、『技術』の一部の進展も抑制する必要があるという逆の価値観もあるはずです。

つまり、世の中には色々な価値観があることを認めずに、自分の価値観である『技術至上主義』だけを『正しい』と主張するのは単純すぎるというのが梅爺の感想です。

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2018年3月 6日 (火)

ウンベルト・エーコのエッセイ『死がもたらす不利益、利益について(6)』

『人は何故死ぬのか』という問いに、哲学者、神学者、科学者などが答えようとしてきました。

どのような答が提示されようと、『死』は避けられないであろうことは、推測できます。

科学技術、医療技術が進歩すれば、人間の平均寿命は、150歳程度までは延ばせるという予想を聞いたことがありますが、それが『個人』にとって、『社会』にとって好ましいことなのかどうかは、梅爺には即断できません。

しかし、実現すれば『人生設計』『社会の運営』に大きな影響をもたらすであろうことは容易に推測できます。

『死』は、自分だけの問題ではなく、周囲への負担も避けられない『出来事』です。自分の『死』は、できるだけ周囲への負担の少ないものであってほしいと願いますが、こればかりは自分では制御できません。

『死』をどのように受け容れるかは、言葉を換えれば『どのように生きるか』ということになります。

歳をとると肉体機能の衰えは、誰もが避けられず、その影響は『精神世界』にも及びますが、幸いなことに、ある種の訓練や努力で、『精神世界』への影響を少しにとどめたり、寧ろ『精神世界』を拡大したりするこもできたりします。これは老人にとって『心の満足』『生きがい』につながります。

ブログを書くようになってからの梅爺の『精神世界』は、現役でバリバリ働いていた時の梅爺の『精神世界』より異なった広がりを見せています。

若い頃よりは、現在の方が事象への『洞察力』が鋭くなっているとさえ感じます。

若いころに現在の『洞察力』を身につけていたら、もっと違った成果を出せたろうにと悔やまれますが、『生きる』ということは、自分を『変えていく』ということなので、このようなことが起こるのも当然なのでしょう。

老人にとって『精神世界』を健全に保つことが、最大の願いになります。『物質世界』に属する『脳』が損なわれないことが条件ですので、これも願いの対象です。

『精神世界』が維持できる間は、『他人と会話する』『本を読む』『テレビを観る』『芸術を鑑賞する』『歌を歌う』などをしながら『考える』『書く』を続けたいと思っています。

少なくともそれができている現状に深く感謝しています。

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2018年3月 5日 (月)

ウンベルト・エーコのエッセイ『死がもたらす不利益、利益について』(5)

『もし自分が不死の身になったら』という前提で考える時に、『自分だけが不死になったら』という場合と、『人類全体が不死になったら』という場合に分けて『ウンベルト・エーコ』は考察しています。 

確かに論理的な考察なのですが、このような『理屈っぽさ』には、多くの日本人は辟易させられると感ずるのかもしれません。しかし、『ギリシャ哲学』の『理』を重んずる文化を伝統して継承している西欧の教養人では、ごく自然の対応なのでしょう。梅爺個人は、このような『理屈っぽさ』はあまり苦にならない性格です。 

『自分だけが不死の身になったら』、周囲の人、特に愛する人達が次々のこの世をさっていくのに立ち会わなければならないことになります。子や孫、そのまた子や孫と付き合っていくなどと考えただけで気が重くなり、特に去っていった人たちに対する思いが増えるばかりで、とても耐えられないことになると『ウンベルト・エーコ』は書いています。 

梅爺が同じ境遇でも、そのように感ずるだろうと思いますが、『不死の人』が一人だけ存在するという社会で、人々はこの『不死の人』をどのように見、どのように扱うだろうかということの方が気になります。大昔ならば『神』と崇められたかもしれませんが、現代ならば、好奇心、羨望、嫉妬の対象になるにしても結局社会にとってもゾッとする『厄介者』になり、歓迎される存在であるとは思えません。 

『人類全体が不死になったら』と考えると、もっとおぞましい事態を想像することになります。人口は増える一方で、若者には希望のない社会にるに違いありません。資源や社会の地位をめぐって、老人層と若者層が対立することになると『ウンベルト・エーコ』は書いています。

若者層が、地球を見捨てて他の惑星へ移住するようなことになれば、地球に残された老人層は、お互いに毎日繰り言を言いあって過ごすことになり、とても耐えられないと『ウンベルト・エーコ』は皮肉をこめて書いています。

人の『死』は、個人にとっては累積してきた知識や知恵を全て無にするという点で、『不利益』な面があり、生前自分の『死』を考えると、『悲しい』『空しい』『惜しい』などと言うマイナスのストレスが『精神世界』を襲いますから、『死』は避けられないものとしても『できるだけ生きていたい』と願うことになります。

しかし、人間社会の営みを考えると、上記のように『不死』の『不利益』が想像できますから、これを言いかえれば『死』には『利益』があるということになります。

『ウンベルト・エーコ』は触れていませんが、『生物進化』のためには『世代交代』が必要条件ですから、『死』は必要と言うことになります。

なんとか自分を納得させる理由を見つけて、『思い残すことはない』などと強がりを言いながら死ぬことが理想であるとは梅爺は思いません。しかし、『あれもやりたかった、これもやりたかった』などと悔いばかり口にしながら死ぬのも少しみっともないように感じます。

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2018年3月 4日 (日)

ウンベルト・エーコのエッセイ『死がもたらす不利益、利益について(4)』

生きている分だけ、人間の知識、知恵、経験は増えていくと単純に考えると、老人の知識、知恵、経験は若い人に比べて多いということになります。

『ウンベルト・エーコ』は、多くの人が、『もう一度若かった日々へ戻りたい』というけれども、自分はそうは思わないと書いています。

肉体は衰えていても、現在の知識、知恵、経験が、人生において頂点にあるという自負があるのでしょう。『知の巨人』に、そう言われてしまうと『若かりし日へ戻りたい』と時折夢想する梅爺は黙るしかありません。

折角積み上げてきた膨大な、知識、知恵、経験が、『死』によって一瞬に無に帰してしまうと想像すると、『悲しみと恐ろしさ』を感ずるとも書いています。これは誰もが感ずることではないでしょうか。

芸術家や哲学者は、この『悲しみと恐ろしさ』を少しでも振り払おうと、作品や著作を後世に残す努力をするのかもしれません。ひょっとすると梅爺がブログを書いているのも、このような衝動が無意識に働いているのかもしれません。

しかし、どのように頑張ってもある人の『精神世界』の全貌を、後世に残すことはできず、そのことが『死がもたらす最大の不利益』であると、『ウンベルト・エーコ』は述べています。『愛する人への思い』『星空を眺めた時の感動』などは残せないと説明しています。

先人が達したかもしれない『精神世界』の高みが具体的に残されていないために、私たちは、また山の麓から登り始めることを繰り返すことになり、これは効率の悪い話であるということになるのかもしれませんが、梅爺は必ずしもそうとは思いません。

梅爺は、『人間』の本質の一つが『個性的であること』と考えていますので、人生で目指す『精神世界』の高みは、それぞれ違い、違っていることが自然であると思うからです。

もし、先人の到達した高みの全貌が、具体的に残されていたら、確かにそれは参考になり、効率の点では有利なことかもしれませんが、それが自分の目指す目的の地点かどうかは、各人が決めることではないでしょうか。

『死がもたらす不利益』というものがあるならば、『死がもたらす利益』は何かと『ウンベルト・エーコ』の思索は移行していきます。西欧の教養人に共通する論理的な思考パターンと言えます。

『死がもたらす利益』は『不死がもたらす不利益』と同義と考え、『もし自分が不死の身になったら、どういうことになるか』を想像することで、これを検証しようとします。

梅爺は『死がもたらす利益』と聞けば、『世代交代の必要性』などという生物進化の考え方や、『社会全体の経済性』などという社会問題として考えようとしますが、『ウンベルト・エーコ』は、あくまでも『もし自分が不死の身になったら、自分に何が起こるか』という主観的な視点で、この問題を論じています。

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2018年3月 3日 (土)

ウンベルト・エーコのエッセイ『死がもたらす不利益、利益について』(3)

このエッセイの中で、『ウンベルト・エーコ』は、自らの『死』を受け入れるための次のような方法論を述べています。

『馬鹿馬鹿しく見えるかもしれないが、本気で考えたことだ』と、ことわって、『生徒』の質問に『先生(ウンベルト・エーコ)』が答えるというユーモラスな形式で表現しています。梅爺の意訳(一部省略)で紹介します。

(生徒) 死にアプローチする最善の策は何でしょう?

(先生) それは、周りの人達全部が馬鹿者であると自分に言い聞かせることです。だってそうでしょう、もし君が死の床についているときに、将来有望な若い男女がディスコで踊っていたり、優れた科学者が宇宙の最後の秘密をついに発見したり、腐敗とは縁遠い政治家が良い社会を創りあげたり、新聞やテレビが意義あるニュースばかりを報じたり、責任感の強い経営者が環境を損なわない製品を市場に送って、そのために飲み水にもできる河の流れや、オゾン層に護られたきれいな空と降り注ぐ甘美な雨が当り前に存在していたら、君は心残りで死ねないでしょう。
ですから、ディスコで踊っている若者たちは全員馬鹿者、宇宙の謎を解いたなどという科学者は馬鹿者、社会に安寧をもたらすなどと主張する政治家も馬鹿者、ゴシップだけを報ずるジャーナリストは馬鹿者、地球環境を破壊し続けている企業経営者は馬鹿者と考えれば良いのです。そうすれば、安心して、救われて、満足して、君は馬鹿者に満ちたこの世におさらばできるでしょう。

(生徒) どの年齢からそのように考え始めれば良いのですか?

(先生) 20代、30代の頃は、周りの人間は全員賢い人たちであるとして畏敬の念を持ちなさい。もし、周りが全部馬鹿者であると主張する人がいたら、理性のない人ですから無視しなさい。40代で、少し周囲に疑いの目を向け、50代、60代ではすこしづつ疑いを強め、100歳までは生きられるかもしれないと思い始め、それでもお迎えが来たらいつでも受け入れられると悟ったら、初めて周囲は全員馬鹿者と思いなさい。
考え方を変えていくのはやさしいことではありません。勉強や努力が必要です。死の直前までは、君が愛する人たち、尊敬する人達を馬鹿者と思ったりしてはいけません。そして最後の最後に、自分でさえも馬鹿者と思いなさい。そうすれば心おきなく死ねるのです。

(生徒) そうするかどうか、ゆっくり考えてから決めたいと思います。でも、大変失礼ながらそのような考えの先生が馬鹿者に見えてしまうのですが・・・

(先生) 君はまともで、なかなか良い線をいっているよ。

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2018年3月 2日 (金)

ウンベルト・エーコのエッセイ『死がもたらす不利益、利益について』(2)

古代ギリシャの哲学者の『死』に関する以下の『三段論法』は有名です。 

『人間は皆死ぬ。ソクラテスは人間である。したがってソクラテスは死ぬ』

古代ギリシャの人達も、『人間は皆死ぬ』という『命題』を覆す証拠を持ち合わせていなかった(見出すことができなかった)のでしょう。この『命題』が『真』であるという前提を肯定すれば『三段論法』は成立します。

『死は免れない』と『理』で肯定せざるを得ないとしても、『自分の命が尽きる』という事態は、『さびしい』『悲しい』『心残り』という『情』は誰でも感じることになります。『精神世界』の『安泰を希求する本能』が強固に働くからです。

歴史上の多くの権力者は、『自分だけは死を免れたい』と願い、『不老不死』の方法や薬を探し求めたりしました。しかし、これに成功した事例は伝えられていません。

そこで、今度は『死』で肉体は朽ちるのは仕方がないとしても、『霊魂』だけは死後も存在し続けるという推測を思いつき、その推測は『事実』であると『信ずる』ことで、『心の安らぎ』を得ようとすることになります。

どの宗教でも、『死後の世界が存在する』という説明がなされますから、『死後の世界』という概念は、必ず人間が思いつくアイデアであり、『心の安らぎ』を得るために、実に巧妙な方法論であると梅爺は感心してしまいます。『死後の世界』は誰も生前確認できませんから、反論もできないからです。

更に、生前『善行を行った者』『功徳を積んだ者』だけに、『死後の世界』では『良い場所(極楽、天国)』が与えられると『宗教』は追加説明するようになります。人間社会で『善人』を尊重する風習が出来上がるという利点ばかりではなく、『功徳』の中には『宗教組織』への『献金』『お布施』も含まれますから、『宗教』を経済的に支えるアイデアとしても見事なものです。

一方『悪行を行った者』『罪を犯した者』は『死後の世界』では『悪い場所(地獄)』に堕ちることになるということにもなり、これを免れるために人々の宗教組織へ依存度が高まることになります。

『死後の世界』『功徳』『罪の救済』などは、宗教組織の権威や立場を維持するために、実にうまくできたストーリーであると、信仰心の薄い梅爺は感じますが、これは梅爺の『価値観』ですから、この考え方が『正しい』と主張するつもりはありません。

多くの方が『信仰』で『心の安らぎ』を得ておられる『事実』は、上記のような批判を打ち消すほどの『価値』『利点』であるという主張も成り立つからです。

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2018年3月 1日 (木)

ウンベルト・エーコのエッセイ『死がもたらす不利益、利益について』(1)

『ウンベルト・エーコ』のエッセイ集『Turning Back the Clock(時を遡る)』の42番目のエッセイ・タイトルは『On the Disadvantages and Advantages of Deth(死がもたらす不利益、利益について)』で、文字通り人間の『死』の意味を論じたものです。

これがこのエッセイ集の最後のエッセイです。難しい内容にお付き合いいただきありがとうございました。 

『ウンベルト・エーコ』は、人類は『物事には始めと終わりがある』ことを認識した時に哲学的思考を開始したのであろうと書いています。 

何故『初め』と『終わり』があるのかという疑問への『答』を、人々は『精神世界』で推論して求めようとしたということでしょう。

『分からないこと(疑問)』は、『脳』がストレスとして感じますので、『安泰を希求する本能』が働いて、なんとしても『因果関係』を推論して得ようとするのは、古代人も現代人も同じです。

推論した『因果関係』を、誰かが『事実である』と言い出すと、人間社会に大きな影響を及ぼすことになりかねません。『神が天地創造を行った』などという推論は、永らく人類にとって『事実』と受け止められてきましたし、今でもそれを『信ずる』人は少なくありません。

『物質世界』の事象に関わる『因果関係』は、『摂理(法則)』によって普遍的に『真偽』の特定が可能ですが、『精神世界』が考え出した『因果関係』は、『摂理』の支配を受けない自由奔放なものですので、多くの場合『真偽』の特定はできません。『神が天地創造を行った』という『因果関係』は後者に属するものと梅爺は考えています。

『釈迦』も、『初め』と『終わり』の関係を、哲学的な思索で『生まれる性質のものは、滅する性質のものである』と表現しています。

若い人たちは、『死』を一般論として理解していますが、自分にとって差し迫った問題とは受け止めません。

しかし、親しい他人の『死』に遭遇したり、自分自身が年老いたりすると、『死』は切実な問題になって迫ってきます。

稀代の教養人で賢人の『ウンベルト・エーコ』も、老齢に達して、自分の『死』を受け入れるために、あれやこれやと自分を納得させる『理屈』を考えていることがこのエッセイを読むと分かり、凡人の梅爺は『あなたのような方でも、私とあまり変わりませんね』と安心しました。

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