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2017年11月30日 (木)

琵琶湖周辺への旅(9)・・比叡山延暦寺

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修復中の比叡山東塔の『根本中堂(国宝)』

旅の最後は、『比叡山延暦寺』で、湖西の『坂本』からケーブルカーで登りました。日本を代表する聖地であるとはいえ、昔の人が寺の建設(多量で大きな資材の運搬)や修業のために、徒歩で登ったことを想像して『大変なことだ』と感心してしまいました。

『織田信長』の命で、『坂本』の街を焼き払い、『比叡山焼き討ち』のために攻め登っていった『明智光秀』の軍勢も、さぞかし大変であったことでしょう。今回の旅行では、100段程度の石段を登るだけでも梅爺達老人グループは難儀したのですから。

女子供も見境なく『皆殺し』を命じた『織田信長』の性格は、後の心理学者が『サイコパス(反社会的人格者)』と呼ぶほどで、常人の理解を越えていますが、乱世にはこのようなリーダー(カリスマ的独裁者)が出現しやすいのかもしれません。

『織田信長』が、本心で『仏教』をどのように考えていたのか、梅爺は理解できていませんが、後の『豊臣秀吉』『徳川家康』のような仏を敬う心は持ち合わせていなかったのではないでしょうか。

『本能寺の乱』を起こした『明智光秀』の心中も、歴史的には謎めいていますが、『恐怖支配』にこれ以上付き合いきれないという葛藤の末の決断であったのかもしれません。

『高野山金剛峯寺(真言宗)』と『比叡山延暦寺(天台宗)』は、開祖『空海』と『最澄』の関係も含め、歴史上梅爺の興味を惹きつけてやみません。

特に『スーパーマン』としか思えない『空海』については、何度もブログに感想を書いてきました。

『最澄』は、『空海』に比べると、何もかも『常識的な人物』に見えてきます。

『桓武天皇』による『平城京』から『平安京』への遷都は、『桓武天皇』が奈良の『南都仏教』の政治介入を嫌ったためと言われていますが、『国家鎮護、五穀豊穣、病気平癒』には『仏教』が必要という考えには変わりがなかったため、唐留学から新しい仏教を持ちかえった、『最澄』『空海』を登用し、特に『平安京』を『守る』役割を担わせました。

『比叡山延暦寺』は、『京都』の鬼門に当たる方角を固めるために、『空海』の『東寺』は、悪霊が都へ入らないようという目的のために建立されたとされています。

『唐から持ち帰った最新の仏教』『天皇の庇護』が、『空海』『最澄』の地位を絶対的なものにし、後の『日本仏教』の基礎を築いたことになります。

山岳信仰、山岳修行などの、日本古来の土着宗教と仏教を融合させたのもこの二人の功績であるように思います。

後の禅宗も過酷な修行を要求しますが、それでも『精神修行』の面が強いのに対し、『高野山』『比叡山』の修業は、命を賭した『肉体修業』が主であるところが特徴です。人間の限界を超えるような修業に耐えた者が、『高僧』として崇められるという考え方は、なんとなく原始的な土着宗教の臭いがするように梅爺は感じます。

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2017年11月29日 (水)

琵琶湖周辺への旅(8)・・三井寺

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近江八景『三井の梵鐘』
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三井寺の山門

湖南『大津市』の『三井寺』を見学しました。

『三井寺』は俗称で、『園城寺(おんじょうじ)』が正式名称です。天台宗寺門派の総本山で、『観音堂』は西国三十三所観音霊場の第14番札所になっています。

境内にある梵鐘は、近江八景の『三井の梵鐘』として知られています。

日本への仏教が伝来して間もないころに、『大友氏』の氏寺として建立されたと伝えられています。実質的に寺の発展の基礎を築いたのは9世紀の『智証大師:円珍』です。『円珍』は比叡山で修業したのち、唐へ留学し、帰国後『三井寺』を拠点として活躍しました。

『天台宗』は、『慈覚大師:円仁』を中心とする門流と、上記『智証大師:円珍』を中心とする門流に分かれ、前者は『延暦寺(山門派の総本山)』、後者は『三井寺(寺門派の総本山)』として継承されてきました。

宗教でも近い関係者が対立すると『骨肉の争い』となるらしく、両門派は対立し、時に抗争にまで及んでいます。ヨーロッパにおける歴史的な『カトリック』と『プロテスタント』の抗争に似ています。

宗教において、何故『宗派』の枝分かれが起こるかについて、梅爺はブログで何度も書いてきました。一言でいえば、『人間は生物として個性的であるように宿命づけられている』からで、『考え方』『感じ方』が同じではないことに起因します。『神や仏の言葉』が絶対の真実というなら、その解釈は一つであるはずですが、人間が関わると実際には『違ってくる』ということにほかなりません。この『矛盾』について、梅爺は宗教関係者から、納得のいく説明を受けたことがありません。

仏教や天台宗に疎い梅爺は、何故『山門派』と『寺門派』に分かれなければならなかったのか詳細の事情は理解できていません。仏の言葉に関する『解釈の違い』であろうことは想像できます。

『三井寺』は、山門派からの焼き打ちにあったり、『豊臣秀吉』の怒りに触れて寺領を没収されたり(実質的なは廃寺)しながらも、再建され続けてきました。そのため『不死鳥の寺』とも呼ばれています。

この寺の『声明(しょうみょう)』は、僧侶の合唱のようにも聞こえるため、東京大学男声合唱団『コールアカデミー』から、作曲家『藤原義久氏』へ委嘱して『法華懺法(ほっけせんぽう)』という男声合唱曲になっています。

梅爺も、何度か歌ってきましたので、『三井寺』には親近感をおぼえます。

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2017年11月28日 (火)

琵琶湖周辺への旅(7)・・びわ湖ホール

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『びわ湖ホール』の舞台から客席を臨む

『大津市』にある、滋賀県の文化施設『びわ湖ホール』を見学しました。座席数1800のオペラも上演可能な本格的な演劇、演奏のための大ホールです。このほかに、中ホール、小ホールも備えています。

通常の琵琶湖周辺観光旅行では、見学対象にならない施設ですが、男声合唱を趣味とする今回のグループにとっては、見学の『目玉』になりました。

幹事のKさんが、地元の人脈を利用して特別に朝の空き時間の見学を可能にしてくださいました。その上、なんと館長さんが、直々に付き添って説明くださり恐縮しました。

『びわ湖ホール』は、文化発信の拠点を目指した滋賀県が、240億円の費用をかけて1998年に開館した施設です。これだけの舞台施設(『せり(上げ下げ)』や『回り舞台』)を保有するホールは、日本では『アクトシティ浜松』『新国立劇場』に次ぐ3棟目のもので、本格的なオペラの上演も可能です。客席スペースの奥行きよりも舞台の奥行きの方が長いという大規模さです。

日本各地に、オーケストラの演奏が可能なシンフォニー・ホールは沢山あり、これは日本が世界に誇る『文化大国』である証でもありますが、『びわ湖ホール』は中でも傑出しています。

これだけの施設を管理、維持するには、経費がかかりますから、滋賀県民の理解がないと運営できません。心から敬意を表したくなります。

本来なら専属のオーケストラを持ちたいところですが、さすがに費用負担が難しいので、代わりに『声楽アンサンブル』という声楽家集団(混声合唱団)を抱えていると館長さんが説明して下さいました。

そのこともあった、以前『びわ湖ホール』の音楽監督を『三沢洋史(ひろふみ)』氏が務めておられたと知りました。『三澤』先生は、『新国立劇場』の合唱指揮責任者で、現在梅爺達の合唱団『アカデミカ・コール』の専任指揮者も引きうけてくださっています。

折角の見学の機会でしたので、音響の良い舞台にあがり、梅爺達は一曲歌いました。座席の形や素材にまでこだわっているだけあって、素晴らしい音響が確認できました。

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2017年11月27日 (月)

琵琶湖周辺への旅(6)・・湖東三山『西明寺』

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紅葉の庭園を通る西明寺本堂への登り道
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西明寺三重塔(国宝)

湖東には『湖東三山』と呼ばれる三つの有名なお寺『西明寺(さいみょうじ)』『金剛輪寺』『百済寺』があります。その中の『西明寺(西国薬師四十九霊場第三十二番札所)』を訪れました。ちょうど紅葉の見頃で、景色も一緒に楽しみました。『湖東三山』は紅葉の名所としても有名です。

『西明寺』は、平安初期の建立(こんりゅう)と伝えられています。『国家鎮護、五穀豊穣、病気平癒』を祈願する寺として、一時は17の諸堂と300人の僧侶を抱える大伽藍でした。歴史を理解するには、『政治』『宗教』『科学』は一体のものであり、『仏教』がその重要な要(かなめ)として存在していたことを知る必要があります。現代と当時では、『仏教』の役割は大きく異なります。

『織田信長』が、『比叡山焼き討ち』を行った時に、『比叡山』の支配下にあったこの寺も標的になりましたが、僧侶の機転で、『山門』に自ら火を放ち、本堂なども焼けおちたと見せかけて、難を逃れたと伝えられています。

『織田信長』が『比叡山』を焼き討ちにしたのは、敵にまわった北近江の大名『浅井(あざい)長政』が『比叡山』と手を結んでいたからです。

『織田信長』と『浅井長政』の関係は複雑です。最初両者の関係は良好で、『織田信長』の妹『お市の方』は『浅井長政』へ嫁いでいます。しかし、『浅井長政』にとってもう一方の同盟関係にあった越前の『朝倉義景』を、織田・徳川連合軍が攻めたことから、『浅井長政』は『織田信長』と決別し、浅井・朝倉同盟軍として闘い、結局『浅井長政』『朝倉義景』ともに織田・徳川連合軍に敗れ、落城、自刃ということになりました。

『お市の方』とその三人娘(長女茶々:豊臣秀吉の側室で豊臣秀頼の母、三女お江:徳川秀忠の正室)の数奇な人生は、戦国時代の著名な女性として歴史に残ることになりました。

『西明寺』の『本堂』『三重塔』は、現在国宝に指定されています。

山間(やまあい)のお寺なので、ここも『山門』から『本堂』に至る路は、途中見事な庭園内を通るとはいえ登り道の連続で、喘ぎながら登りました。

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2017年11月26日 (日)

琵琶湖周辺への旅(5)・・彦根城

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国宝『彦根城』天守
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風情にある彦根の町並み

湖東の『彦根』は、城下町です。

現在進行中のNHK大河ドラマ『女城主直虎』の養子『井伊直政』が、徳川幕府の譜代筆頭大名として築城した『彦根城(国宝)』があるところです。

元々『今川家』の支配下にあった『井伊家』が、『今川家』の没落に乗じて、『徳川家』の家臣に転じ、その後三河家臣団、浜松家臣団という『徳川家康』子飼いの家臣団を追い抜いて、譜代筆頭大名にのし上がったわけですから、『井伊直政』という武将は、『武』は勿論のこと『才』にも恵まれた人物であったのでしょう。特に外交、折衝に長けていて、『徳川家康』の信任を得たと言われています。

一時『武田家』によって滅亡に追いやられた『井伊家』の跡継ぎとして、お家再興を成し遂げたのは、養母『井伊直虎(次郎法師)』と『井伊直政』の才覚に依るものですが、歴史には『幸運』『不運』が付きまといますから、『幸運』にも恵まれたのでしょう。

『井伊直政』の末裔である『井伊直弼(なおすけ)』は、幕末の徳川幕府大老として、天皇の勅許を得ずに、アメリカとの『通商条約』を結んだとして、桜田門外で水戸浪士等に依って暗殺されました。国難時のリーダーの決断として『正しい』『間違い』と単純に論ずることはできませんが、結果的にその後の日本の行く末に影響を与えたことは確かです。『井伊家』には最後に『悲運』が待ち受けていたことになります。

『彦根城』は、国宝であるだけあって、見事な城です。老人たち御一行には、高台にある城まで登り、更に急な階段を使って天守に登るのは難儀なことでしたが、梅爺はなんとか踏破しました。

特に、城内にある大名庭園『玄宮園』の美しさに魅了されました。

『彦根』では、近江牛のすき焼きを昼食で堪能しました。

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2017年11月25日 (土)

琵琶湖周辺への旅(4)・・竹生島

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竹生島の『宝厳寺(ほうごんじ)』

湖北の『長浜港』から、観光船で『琵琶湖』の島『竹生島(ちくぶじま)』に渡りました。

『竹生島』の港から、お目当ての『宝厳寺(ほうごんじ)』へは、石の階段を165段登らなければならず、『老人グループ御一行』は難儀しました。

『竹生島』の周辺湖底には、古代からの遺跡(水深70m)が眠っていて、縄文、弥生時代から中世に及ぶ、土器、須恵器などほぼ完全な形で見つかるのだそうです。このような湖底遺跡は、世界でも珍しく、何故そこに遺跡があるのかの原因は、良く分かっていないようです。縄文、弥生時代ならば、湖水面が今より低かったのではないかなどと推測できますが、中世となると現在に近い水深となり、遺物は人為的に沈めたとしか考えられません。

古代から、この『島』が信仰の対象であったことは容易に想像できます。日本人は、自然の全てに『神が宿る』という考えを精神文化として受け継いでいます。特に『山』『川』『大岩』『大木』などは信仰の対象であり、『島』は周囲と隔絶されていることもあり、『神秘な場』とされたのでしょう。縄文時代から『聖地』であったのではないでしょうか。

『宝厳寺(西国三十三所観音霊場の第30番札所)』と『都久夫須麻神社』がこの島には同居しています。日本へ『仏教』が伝来して以来、土着の『神道』と融合して、日本独特の『神仏習合』が成立しましたが、この島も典型例です。

少なくとも日本を二分する『宗教戦争(仏教対神道)』などは、歴史上起きていませんから、日本人の柔軟な精神対応は評価されるべきものではないでしょうか。『いい加減』『チャランポラン』などと揶揄の対象にすべきものではなく、もっと深い精神性が関与していると梅爺は感じています。

『宝厳寺』は、『聖武天皇』の命で『行基』が建立したと伝えられています。当初は『東大寺』の支配下にありましたが、その後『比叡山(天台宗)』の支配下になり、現在は『真言宗豊山派』の管理下になっています。

1558年の大火で寺は焼失しましたが、『豊臣秀頼』の命で再建されました。『関ヶ原の戦い』の後『大阪冬の陣』で『豊臣秀頼』が死に追いやられるまでの間のことです。この寺の『唐門(国宝)』は、京都の『豊国廟(豊臣秀吉の霊廟)』から移築したもの、『渡廊』は『豊臣秀吉』の御座舟の用材を転用したものと言われています。

『竹生島』は、昼間は観光客で賑わいますが、夜間は無人島になるのだそうです。梅爺はお土産屋で甘酒をおいしくいただきました。

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2017年11月24日 (金)

琵琶湖周辺への旅(3)・・渡岸寺『国宝十一面観音像』

「渡岸寺 十一面観音像」の画像検索結果

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『向源寺(こうげんじ)』と国宝『十一面観音像』

湖北『長浜市』の高月町渡岸寺(どうがんじ)にある『向源寺(こうげんじ)』の境内観音堂に国宝『十一面観音像』が安置され、一般公開されています。

『渡岸寺(どうがんじ)』は寺の名前と思っていましたら、これは地名であると分かりました。

現代の日本人にとっては、突然鄙(ひな)びた町に『国宝』が、ポツンと存在するという話は、意外に感じますが、歴史的に奈良や京都と深い関わりのある地方であったことの証左なのでしょう。

伝えに依ると、この仏像は、『聖武天皇』が疫病(疱瘡)除災のために、『泰澄』に命じて作らさせたものとされています。『泰澄』の加持祈祷は、天皇の病気平癒、疫病の流行阻止に効果があると評判になり、『大僧正』にまで登りつめた僧侶です。『泰澄』がこの地に『光眼寺(こうげんじ)』を建立し『十一面観音像』を祀ったとされています。

この伝えが正しければ、この仏像は『天平仏』ということになりますが、現在の調査では、平安初期の作品と推定されています。

像高は194cmで、檜材の一木つくりです。ボランティアの説明員から、他の『十一面観音像』との違いを説明してもらいましたが、仏像に疎い梅爺には、『何故違うのか』について理解が及びませんでした。

日本の仏像は、平安末期から鎌倉時代にかけて、『運慶』の登場で、他国にみられないリアルな表現に変わりますが、この『十一面観音像』は、インドや西域の風情が感じられます。仏の特徴として、手(腕)の長さなどは人間ではありえないものになっています。

この寺は『織田信長』の焼き討ち対象になったため、僧侶や村人がこの仏像を事前に地中に埋めて守ったと伝えられています。

その後この寺は、『光眼寺(天台宗)』から『向源寺(真宗)』と改名、改宗されました。『真宗』では本堂に『阿弥陀仏』以外の仏像を祀ることを禁じていますので、境内に『観音堂』を建立し、この建物および『十一面観音像』は、現在地元の有志によって輪番制で管理されています。

人間界の事情で次々に翻弄され、梅爺なら『いい加減にしろ』と言いたくなりますが、さすが仏様は穏やかに立っておられました。

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2017年11月23日 (木)

琵琶湖周辺への旅(2)・・琵琶湖

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湖北にある北国街道沿いの町『木之本』の造り酒屋

『琵琶湖』は、『バイカル湖(ロシア)』『タンガニーカ湖(タンザニア)』に次いで、世界的に見ても成立が古い『古代湖』であることを知りました。
 

約600~400万年前に、現在の三重県あたりにできた湖が、その後北へ移動して、100~40万年前に今の位置へ落ち着いたということです。想像しただけで壮大な話です。 

『日本列島』が、大陸から分離したのは約2300~530万年前と言われていますので、『日本列島』と『琵琶湖』の歴史はほぼ同じ頃と言えます。分離したと言っても、その後の氷河期では、海水面が下がり、北海道の北、九州の南は陸続きまたは近距離での渡海が可能で、動物や人間の日本列島への移入が可能であったと考えられています。 

しかし、アフリカで人類の祖先と、チンパンジーの祖先が『生物進化』で枝分かれしたのは、約800~500万年前と推定されていますから、『琵琶湖』ができたころの日本には、勿論人類は存在しません。 

『琵琶湖』は成立以来自立した環境であったために、独自の生態系があり、動植物の『固有種』が存在します。 

『琵琶湖』へ流入する河川は119本あり、流出は『瀬田川(流域で宇治川、淀川と名前が変わる)』と人工的な『琵琶湖疏水(京都へ送水)』だけです。 

近世以前、『琵琶湖』は、船を使った重要な輸送路でした。大量の荷物を効率よく運べるのは『船』だけでしたから、『海』は勿論のこと、日本中の『河川』『湖』は輸送路として大活躍していました。その後鉄道便、トラック便が主流になり、『海(沿岸)』『河川』『湖』は『輸送路』であるという認識が薄れてしまいました。当時の『経済』を知るには、船輸送の知識が欠かせません。 

『琵琶湖』は日本一大きな『湖』で、奈良や京都に近いこともあり、その周辺には、沢山の中世の歴史的な遺跡があります。『織田信長(安土城)』『豊臣秀吉(長浜城)』『石田三成(佐和山城)』『井伊直政(彦根城)』の活躍拠点でした。そのため、歴史的な『姉川の戦い:(織田信長、徳川家康などと浅井長政、朝倉景健などの戦い)』『賤ヶ岳(しずがたけ)の戦い:(羽柴秀吉と柴田勝家の戦い)』の舞台にもなりました。戦国時代を彩った、有名な女性たち(お市の方、茶々など)も、この地と深い関係があります。

『琵琶湖』は、古代から、人々の暮らしや出来事の側に存在し続けてきたことを改めて痛感しました。

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2017年11月22日 (水)

琵琶湖周辺への旅(1)・・琵琶湖

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彦根城の大名庭園『玄宮園(げんきゅうえん)』 池に『逆さ天守』が映る

11月13日から15日にかけて、2泊三日で『琵琶湖周辺への旅』を楽しみました。

梅爺が大学時代に部活動で属していた東京大学音楽部『コール・アカデミー(男声合唱団)』同期生グループの親睦旅行に、夫婦で参加しました。

このグループが、夫婦同伴の親睦旅行を始めたのは、15年以上前の話で、最初の頃は仕事の現役時代であったこともあり、2年に1度の頻度で、海外旅行(台湾、アメリカ、中欧、ベトナム、カンボジア、韓国)や国内旅行を行いました。

最近では、同期生の大半が仕事をリタイアし、その上『後期高齢者』に達したこともあり、『少しでも達者なうちに、楽しめるものは楽しもう』と毎年国内旅行を続けています。

観光、郷土料理、温泉などが旅程に組み込まれ、夜の宴会では『ハモる(男声合唱で歌う)』のが恒例になっています。

メンバーが代わる代わる『幹事』を務め、今回は地元在住のKさんが、地元の人脈を駆使して情報を集め、見事な計画を立てて下さいました。梅爺も過去に『函館』や『会津』への旅行で『幹事』を務めました。

今回の参加は、夫婦13組、単身参加6名の計32人で、このグループの親睦旅行参加者数の多さとしては新記録となりました。

大学を卒業して50年以上経過していますから、この友好関係の継続はメンバーにとって『人生の宝』になっています。

『琵琶湖周辺の旅』ですから、今回は『滋賀県の旅』とも言えます。

『大阪』『京都』『奈良』は、過去に訪れた回数は多いのですが、『滋賀県』となると、仕事で出向いた『石山(石山寺があるところ)』と、2年前に夫婦で観光した『大津市』近辺くらいしか馴染みがありませんので、地名は聞いたことがあっても、地図との関係は頭に入っていませんでした。

今回の旅行で梅爺の新しい『知識』になったことについて、ブログに感想を書くことになりますから、先刻ご承知の方にとっては、『おいおい、そんなことも知らなかったのか』と呆れられる話かもしれません。

『琵琶湖』は『滋賀県』の面積の1/6を占め、『滋賀県』は『琵琶湖』を中心に、『湖北』『湖東』『湖南』『湖西』で構成されることを知りました。

今回の旅行では『湖北(木之本、長浜)』、『湖東(彦根城、湖東三山の一つ西明寺)』、『湖南(大津、三井寺)』、『湖西(坂本から比叡山へ)』を巡りました。

一日目は『長浜(北ビワコホテルグラツィエ)』、2日目は『大津(琵琶湖ホテル)』に宿泊しました。

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2017年11月21日 (火)

吾輩は猫である(4)

『吾輩は猫である』は『名言』のオンパレードです。一部をご紹介します。

● 金を作るにも三角術を使わなくちゃいけないというのさ。義理をかく、人情をかく、恥をかく、これで三角になるそうだ。
● 呑気(のんき)と見える人々も、心の底を叩いて見ると、どこか悲しい音がする。
● どうしたら好(よ)かろうと考えて好い智慧(ちえ)が出ないときは、そんな事は起こる気遣はないと決めるのが一番安心できる近道である。
● 人間の定義を言うと、ほかに何にもない。ただ要(い)らざることを捏造(ねつぞう)して自ら苦しんでいる者だと言えば、それで充分だ。

辛辣に人間の本質を表現しているといえますが、諧謔が込められていますから、つい笑ってしまいます。

特に梅爺は最後の『人間の定義(要らざることを捏造して自ら苦しんでいる者)』が気に入っています。

いつもの梅爺流の『精神世界』の本質に照らしてみると、何故人間はそうなのかが一層歴然としてきます。

『精神世界』の根底にあるものは、『安泰を希求する本能』であり、『安泰を脅かす』何かを認識した時に、意識的に、または無意識にそれを緩和する、排除する策を考え、対応しようとします。

『策を考える』ときには『推論機能』が使われ、色々な因果関係を思いつきます。この場合の『因果関係』は、『物質世界』の『摂理』が関わる『因果関係』とは異なり、『真偽』の判定は求められません。

上司や先生から叱責された時、ストレスが発生し落ち込みますが、『実は私に期待するから叱って下さったのだ』と自分に都合のよい『因果関係』を思いついて、自分を納得させようとするようなケースです。

どんなことでも思いつくことができるという意味で、『捏造』するという表現も不穏当でなくなります。

更に厄介なことに、自分で思いついた『因果関係』が、自分の『精神世界』の『安泰を脅かす』要因になることさえあります。『マッチポンプ』のような例で、『要らざることを捏造して自ら苦しんでいる者』とはそのことを指します。

単純な例を挙げれば、『ガンで死ぬのではないか』『受験に失敗するのではないか』『あの人に嫌われるのではないか』などという、推論を捏造して、勝手に落ち込むというようなことです。

『吾輩(猫)』からすると、人間は変な生物であるということでしょう。そういう『吾輩』も最後は、客の飲み残したビールを飲んで、酔っ払って水瓶(みずがめ)に落ちて死んでしまいます。『猫』も、『人間』も50歩100歩で、お互いに偉そうなことは言えないと『夏目漱石』は言いたいのかもしれません。

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2017年11月20日 (月)

吾輩は猫である(3)

名無しの『猫(雄猫)』が、この小説の『狂言回し』役として登場します。『苦沙弥』先生の家の飼い猫です。『苦沙弥』先生宅の隣に住む『二弦琴のお師匠さん』の飼い猫『三毛子(雌猫)』、近所の『車屋(人力車夫)』の飼い猫『黒(雄猫)』が猫仲間として登場します。

この小説は、『猫の仲間や登場人物の間で実際に展開する事件、物語』『猫に語らせる人間評論』『毛色の異なった人間が集まって交わす蘊蓄(うんちく)、議論』の三本柱で進行します。『大人のための寓話』『高度な落語』という印象を受けるのはそのためでしょう。

『猫に語らせる人間評論』『毛色の異なった人間が集まって交わす蘊蓄(うんちく)、議論』は、あたかも『梅爺閑話』の風情に似ていますから、梅爺は興味をそそられながら読みました。

『真面目』と『滑稽』は表裏一体であると受け止める、江戸の文化を『夏目漱石』は継承しているのでしょう。大真面目に議論すればするほど、『滑稽』がにじみ出てくる絶妙な『諧謔』に満ちています。庶民を含め『人間』を温かい視線で観ている『夏目漱石』の人柄が分かります。

『苦沙弥』先生は、時折英語やラテン語を引用し、それを理解しない奥さんを責めたりしますが、奥さんの方は『馬耳東風』でそれを聞き流し、庶民の鋭い視点でやんわり逆に夫をたしなめたりします。読者からみると奥さんに軍配を上げたくなります。

この小説には、『漢籍』や『禅』の表現を引用した難しい漢字の『熟語』が頻繁に使われています。

英国への留学経験のある『夏目漱石』ですが、幼少時から学んだ『漢籍』の素養を持ち合わせていたことが分かります。『明治』を生きた教養ある日本人のレベルが垣間見えます。

現代の日本人では、ふりがなをつけてもらってようやく読むことができますが、本当の意味を理解することは至難のことです。

明治の読者の大半が、これを苦もなく読みこなしていたとしたら、当時の日本人の漢字情報を理解する能力は、現代人に比べてかなり高度であったことになります。

現代人は、明治の人たちが体験していない事柄(インターネット対応、電子機器の操作、車の運転など)について、多大な能力を使っていますから、明治の日本人との単純な比較は無意味ですが、それにしても日本語理解能力はかなり変貌していることが分かります。

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2017年11月19日 (日)

吾輩は猫である(2)

『吾輩は猫である』に登場する主要人物は、以下の通りです。

『珍野 苦沙弥(ちんの くしゃみ)』・・中学の英語教師(リーダー専門)、偏屈な性格、胃弱、ノイローゼ気味。妻と幼い3人の娘(とん子、すん子、めん子それに下女おさん)が家族と同居人。
『迷亭(めいてい)』・・苦沙弥の友人、美学者、ホラ話で人を煙に巻く。
『水島 寒月(みずしま かんげつ)』・・苦沙弥の元教え子、理学士。
『越智 東風(おち とうふう)』・・寒月の友人、新体詩人。愛と芸術の信奉者。
『八木 独仙(やぎ どくせん)』・・哲学者、難解な漢籍を引用する癖がある。
『金田(かねだ)』・・苦沙弥の近所の実業家、金持ち。

登場人物の名前だけ見ても、『夏目漱石』のシャレ好きが分かります。『珍野 苦沙弥(ちんの くしゃみ)』は言うまでもなく、『ちんくしゃ』に由来します。つぶれたような顔の中国の珍犬『狆(ちん)』が『くしゃみ』をした時の顔、という表現が『ちんくしゃ』で、勿論人の容貌を笑い物にする上品な表現ではありませんが、諧謔に富んだ絶妙な比喩で、耳で聞いた時の語感を含め梅爺は嫌いではありません。

『迷亭』は酒に酔いしれて正気を逸した『酩酊』を想起しますし、『越智 東風(おち とうふう)』は、日本語の古語で『遠音、近音』を意味する『おちこち』をもじったものでしょう。『東風』も古語では『こち』と表現します。ちなみに、『南風』は『はえ』、『西風』は『ならい』、『北風』は『あなじ』と表現されていました。

『金満家』の名前を『金田』としたのは、少々直接的な軽蔑の意が含まれているのかもしれません。

これらの登場人物には、それぞれ実在のモデルがいるという説があり、『苦沙弥』は『夏目漱石』自身、『水島 寒月』は『寺田虎彦』と言う説が有名です。『迷亭』は東大教授の美学者『大塚保治』ではないかと言われています。

モデルがあるにせよ、『夏目漱石』が『精神世界』を駆使して、特徴を際立たせていますから、『虚構の人物』として受け入れれば、それでよいのではないでしょうか。

『英語教師』『美学者』『理学士』『新体詩人』『哲学者』が、『苦沙弥』先生の家に集まっては、世の中の事象を、それぞれの立場で論ずるという設定が、先ず秀逸で、これが面白くないわけがありません。

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2017年11月18日 (土)

吾輩は猫である(1)

アマゾンの電子書籍リーダー『Kindle』を購入して、新しい読書スタイルを楽しんでいます。

それでも、以前に購入して未読で書棚に積んである本が、かなり残っていますので、紙の本と『Kindle』の併用が続いています。

『夏目漱石』『芥川龍之介』『太宰治』などの名作は、すでに著作権の有効期間が過ぎているために、『Kindle』では無料でダウンロードできます。

書籍から電子データへの変換は、多聞ボランティアの方々が、ワープロ機能を利用して入力作業を行ってくださったのか、あるいは『OCR(工学的文字読み取り装置)』を使って自動変換入力が行われたかどちらかなのでしょう。

いずれにしても、そのような善意の努力のおかげで、現在は『無料ダウンロード』が可能なわけですから、年金暮らしの梅爺にはありがたい話です。

これを機会に『夏目漱石』を読んでみようと、まず『吾輩は猫である』から読みました。この小説のタイトルは勿論知っていますが、最後まで真面目に読みとおした記憶がありませんので、今回は新鮮な読書になりました。

1905年(明治38年)から1906年(明治39年)にかけて『ホトトギス』に連載された『夏目漱石』の処女作ともいえる名著で、これで小説家としての名声を得ました。

『夏目漱石』という文豪の、『人柄』『精神世界』を垣間見るのに、これ以上のものはありません。

『教養』『好奇心』『推論能力』『諧謔精神』が、テンコ盛りの小説で、『高等な落語』のような風情です。

明治維新からたった40年後に、このような文豪を排出した、日本の精神文化のレベルに驚かされます。

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2017年11月17日 (金)

できそこないの男たち(6)

生物の原型は『メス』であり、『オス』は後に『メス』が変形して出現したものであることが、この本を読むと分かります。

『メス』だけの世界では、『母親』が自分のコピーを創って(細胞分裂して)『娘』が産まれるというプロセスで子孫が出現します。『娘』は『母親』のクローンであり、これは『無性生殖』と呼ばれるものです。

『オス』との面倒な関係や『夫との性格不一致』などに煩わされることなく、『母親』はどんどん『娘』を産み増やせばよいわけですから、極めて効率の良いしくみのように思えますが、大きな問題は、『クローン』で皆同じ資質の子孫になりやすいといことです。

同じ資質の『種』は、生存環境に大きな変化があったときに、一斉に全滅してしまう危険度が高いことです。

その点後に出現した『両性生殖』の方式は、受胎時に『メス』と『オス』の遺伝子のシャッフルが行われれ、個性的な資質を保有する『子供』が産まれます。これは、生存環境の変化には強いしくみで、環境に対応できる能力を持った子供の子孫が生き延びることができる確率が高くなります。少なくとも最初の生命体が地球に出現してから30億年以上は『無性生殖』だけであったのではないでしょうか。

地球の生命体の歴史の中で、『無性生殖』だけであった世界に、いつ、どのようにして『両性生殖』のしくみが出現したのかは正確には分かっていません。『両性生殖』の出現には、細胞内の小容体『ミトコンドリア』が関与しているという話を前に別の本で読んだ記憶がありますが、詳しいことは忘れました。

私達『ヒト』は、『両性生殖』のしくみを継承した生物ですので、産まれる子供の資質が全て異なっている、つまり『個性的』な存在になります。

多聞、『種』の生き残りの確率を高めるために、このしくみが採用されたと考えられますが、そのおかげで私達は、『個性』が異なっている個人が社会で共存しなければならないという『難題』を抱えたことになります。

この『難題』に解答が見いだせないために、人類は『戦争』『宗教対立』などを今でも続けています。

『オス』は『メス』から派生して(変形して)出現したという話を読んで、梅爺は『男のプライドが傷つけられた』とは思いませんが、『男はできそこない』と言われると、反論はしたくなります。しかし男の平均寿命が短いことから、基本的に『男』は『女』より虚弱であることは確かなようです。

勿論『福岡伸一』先生はユーモアでこのタイトルを採用されたことは理解しています。

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2017年11月16日 (木)

できそこないの男たち(5)

『人間』の『遺伝子構造』のしくみは分かりましたが、その情報全体(30億文字)を解読するのは不可能と最初は諦められていました。 

しかし、『スーパー・コンピュータ』の実用化で、解読が可能になり、日本を含めた国際協力で『ヒト・ゲノム(人間の遺伝子構造)』の解読が、想像以上の速さで進行し、2003年に完了しています。人類の偉大な『資産』の一つです。 

胎児は最初『女の子』として出現し、その後『遺伝子情報の指令』で『男の子』に変身するのであるとすると、そのプロセスに、どの『遺伝子情報』が関与しているかを特定する『発見競争』が、科学者の間で繰り広げられました。 

『ヒト・ゲノム』が解読される以前の20世紀末の頃で、『福岡伸一』先生が、アメリカの研究所で働いていた時期の話です。 

『発見競争』の顛末を、福岡先生は、同時代を共有した科学者として、『面白いストーリー』にまとめ、『できそこないの男たち』という本で紹介しています。これを読むと、面白いばかりではなく特定の『遺伝子』を見つけるための科学的な方法論の知識も得られます。 

『男を男たらしめる遺伝子情報』は、『性染色体Y』に含まれていることはすぐに推定できます、『性染色体Y』は『男』だけが『細胞』内に保有しているからです。 

しかし、『性染色体Y』の情報量は2500万文字(記号)もあり、この中から特定の遺伝子(文字列)を発見することは当時は至難の業でした。 

最初は、アメリカの若い科学者が『発見した』と宣言しましたが、後にイギリスの研究グループが矛盾を指摘し、違った遺伝子情報を『発見した』と再宣言しました。結局、イギリスの研究チームが勝利を収めました。『科学』は、『発見者』『発明者』のみが栄誉を得る、過酷な分野であることが分かります。 

『男を男たらしめる遺伝子』は『SRY遺伝子』と名付けられ、この『SRY遺伝子』を持つ胎児が、『女の子』から『男の子』に変身させる最初の引き金を引くことが分かりました。 

具体的には、この『SRY遺伝子』が、『男の子』の『陰嚢(いんのう)』を形成するのに必要な『たんぱく質』の生成を促すことが分かりました。『SRY遺伝子』がこのようにオンになると、それが他の関連『遺伝子』をオンにするといったプロセスが連鎖的に起こり、『男の子』に必要な部位が次々に出現して全てそろうことになります。 

『遺伝子』がどのような仕組みで、この『連鎖反応』を引き起こすのかについても、本には詳細に紹介されています。『生物進化』の過程で偶然出来上がった『方法』と分かっていても、その見事な仕組みには感嘆するばかりです。このような絶妙な『しくみ』は、偶然出来上がったとは思えないとして、『神』のデザイン説を唱える方のお気持ちもわかるような気がします。しかしその場合には『神』が存在することを論理的に証明しなければならばいという難題に遭遇します。

産まれた子供が、成長して大人になっていく過程で、私達の『身体』には色々な変化が起こります。これらは、必要なタイミングで必要な『遺伝子』がオンになるためですが、『必要なタイミング』を指示する情報はどこにあり、どのように指示がなされるのかは、詳細には分かっていません。

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2017年11月15日 (水)

できそこないの男たち(4)

生物の遺伝子構造は、たった4個の化学物質(ヌクレオチド)を『文字(記号)』として記述された膨大な『指令書』であることが科学的に判明しました。

『指令書』の規模に差がありますが、遺伝子構造の『カラクリ』は、全ての生物に共通であり、『人間』もまた例外ではありません。この事実は『生物進化論』の強力な傍証でもあります。

『人間』は『文字(記号)表記』を発明し、『文字』で『情報』を記述することで、急速に文明を進化させてきましたが、『生物』は、最初の『生命体』として地球上に出現して以来、『文字(と等価なもの)』を用いて情報伝達を行ってきたことが分かります。

複雑多様な『生物』の命の営みが、たった4個の基本記号で記述された『指令書』を原点としていることに、梅爺は驚きます。

複雑多様な『宇宙』も、基本的な数の『摂理』で始まり、成長しているらしいことが判明していますから、『物質世界』の事象は、極めて限定された『ルール』から開始されるような印象を受けます。

話が飛躍しますが、私達の周囲で展開されている、『政治』や『経済』の複雑な事象も、原点は簡単な『動機(原因)』なのではないかと、梅爺は想像してしまいます。複雑に見える事象の『本質』を洞察することが極めて重要であるように感じます。ただし、『本質』を洞察することと、勝手な因果関係を思いついて、それを盲信することとは、似て非なる行為ですから注意を要します。

遺伝子構造は、『指令書』であると書きましたが、具体的には、必要なタイミングで情報(遺伝子)が機能オンになり、必要な『たんぱく質』が生成されることを意味します。

『受胎細胞』は、遺伝子情報に従って『たんぱく質』を生成し続け、気も遠くなるようなプロセスを経て、私達の個性的な『身体』が出来上がります。1個の『受胎細胞』が、60~70兆個の『細胞』になるのですから、気も遠くなるという表現は大袈裟ではありません。しかも『生きている』間は、全ての『細胞』が『指令書』に従って、黙々と活動していることになります。

これだけの『細胞』があると、全てが正常に機能するというわけにはいかず、ある確率で『がん細胞』に変貌してしまうものも出現するのは避けられません。人間には、生成された『がん細胞』を排除しようとする機能もありますが、不幸にして『がん細胞』がそれに打ち勝って居座ってしまうと、『がん』に犯された状況になります。

人間は誰もが『がん』に犯される可能性を保有していると考えるのが自然です。

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2017年11月14日 (火)

できそこないの男たち(3)

昨日梅爺は、産まれてくる子供の『性別』がどのようにして『決まる』のかについて箇条書きにしました。

これは『広大な命の営み』の一端に過ぎません。

『科学』が多くのことを明らかにしつつあるとはいえ、以下のような基本的な疑問は詳細に解明されてはいません。

(1) 最初の単細胞生物は、どのようにして地球上に出現したのか(約40億年昔のことと推定されています)。
(2) 単細胞生物が、人間のような複雑な多細胞生物(60~70個の細胞の相互連携)に変貌していった詳細なプロセス。
(3) 最初の生物は『メス』だけで、子孫は『無(単)性生殖(細胞分裂でクローンを創りだす)方式』であったのが、何故、複雑な『両性生殖方式』に一部が変わったのか。
(4) ある遺伝子が、何故特定の条件とタイミングで効力を発揮し始めるのか(オンになるのか)。たとえば『思春期』の発現など。

それに、6600万年前に、小惑星が地球に衝突し、『恐竜』が死滅した時に、何故人間の祖先である『哺乳類』の一部が生き残ることができたのか、なども詳細に分かっているわけではありません。

『命のカラクリ』の一部は、分かってきましたが、何故、どのようにその『カラクリ』が出現したのかは分かっていないという話です。ほとんどに『生物進化』が絡んでいると思いますが、『生物進化』だけで説明できるとは思えません。

この点、『広大な命の世界』は『広大な宇宙』と似ています。つまり、基本的なことの多くが、未解明であるということです。

謎の一つが解明されると、その先にいくつもの新しい謎が見えてきますから、『科学』は果てしなく続くことになります。

逆に、非常に明らかなことは、『私達が存在する』のは、途方もない数の幸運が連鎖的に関わってきたからということです。

『宇宙の歴史』『生物進化の歴史』の中で、一つでも他のシナリオが偶然採用されていたとすれば、私達は存在していなかったと言えるからです。

『地球』が『太陽』から『ハビタル・ゾーン』と呼ばれる距離にあり、液体の水が存在すること、『地球』の内部の液体金属の対流が生み出す『地磁気』で、有害な『宇宙線』『太陽風』から生物を保護していることなど、全て偶然の『変容(動的な平衡状態の移行)』がもたらしたものです。

『人間』は『神が、神に似せて創りだしたもの』などとはとても思えません。『全知全能』の『神』が、危なっかしい『偶然』を利用して、私達の存在を創りだしたとは思えないからです。

ただ、私達が存在していることは確かですから、『途方もない数の幸運な偶然の連鎖』には、『感謝』のほかありません。梅爺は、自然の摂理によって、『生かされている』と実感しています。

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2017年11月13日 (月)

できそこないの男たち(2)

この本を読むと、梅爺は生物としての自分を、『ほとんど知らずに』生きている事実を思い知らされて戸惑います。自分の中で、喜怒哀楽とは無関係に、『命を紡ぐ広大な世界』が黙々と機能していることに圧倒されます。『細胞』は『物質世界』の『摂理(物理法則、化学法則)』だけで活動しています。 

『科学』は『物質世界』に属する『ヒト』を研究対象として、その『生命の営み』を解明し続けています。

『精神世界』を中心に、『哲学』や『宗教』や『芸術』で『自分とは何か』を見つめることも、勿論大切ですが、一度『情感』を排除して、生物としての自分を冷徹に眺めてみることも重要なのではないでしょうか。

生物としての『命の営み』がなければ、『精神世界』は存在しないという関係を認識して、一方では『生物(ヒト)』であり、一方では『精神世界』を保有する『人』であるという全体像が初めて見えてくるからです。 

『科学』の先端知識の大半は、ここ数十年で人類が獲得したものですから、梅爺が学校で習った『生物』の知識は、今やほとんど役立ちません。 

『生物の基本形はメスである』などという知識もその一つです。 

『細胞』に含まれる、『染色体』と、その『染色体』が包含する膨大な『遺伝子情報』の役割についての研究が急速に進んでいることは目を見張るばかりです。 

福岡先生の専門分野『分子生物学』は、この分野に相当します。

『自分の中にある、命を紡ぐ広大な世界』と梅爺が書いた背景は以下のように記述できます。

(1) 私達の『身体』は、約60~70兆個の『細胞』で構成されている(人間のマクロな命は、『細胞』のミクロな命の相互連携で維持されている)。
(2) 一日に約1兆個の『細胞』は『死滅』し、新しく『再生』された『細胞』と入れ替わっている(部分的な死と誕生で、全体の命が維持されている)。
(3) 全ての『細胞』(卵子、精子といった性細胞は除く)は、22対の『常染色体』と2個の『性染色体』を保有している。『性染色体』には、XとYの2種類があり、男性は『XY』、女性は『XX』の『性染色体』を保有している。
(4) 『染色体(常染色体、性染色体)』は、その人固有の『遺伝情報』が記述されている百科事典のようなもので、『性染色体Y』だけを例にとっても、2500万文字で構成されている。『文字』は4種類(『ヌクレオチド(リン酸核の結合物質)』)だけで、全ての情報はこの4種類の文字の組み合わせ(文字列)で表現されている。
(5) 性細胞『卵子』は22個の『常染色体』と1個『性染色体X』を保有している。性細胞『精子』は2種類あり、一つは22個の『常染色体』と1個の『性染色体X』、もう一つは22個の『常染色体』と1個の『性染色体Y』を保有している。前者の『精子』が『卵子』とが受胎時に結合すれば『女の子』になり、後者の『精子』が『卵子』と結合すれば『男の子』になる。
(6) 『性染色体Y』の中に、『男の子』を創りだすための情報(SRY遺伝子)が記述されていて、この『SRY遺伝子』が効力を発揮し始める(オンになる)と受胎時には『女の子』であった胎児が『男の子』へと変身を開始する(『男の子』として産まれる)。

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2017年11月12日 (日)

できそこないの男たち(1)

『分子生物学』を専門とされる『福岡伸一』先生の著書『できそこないの男たち(光文社新書)』を読みました。 

『ダメ男』であると自認している梅爺でも、面と向かって『できそこない』と言われると心穏やかではありませんが、幸いこの本は梅爺のような『ダメ男』を論じた本ではありません。 

一言で言ってしまうと、生物の『基本形』は『メス』であり、『オス』は『メス』から派生したものであるということを、『性染色体』『遺伝子』の最新科学知識から解き明かした内容の本です。 

『私は理系ではないので、難しそうな本だ』と敬遠される必要はありません。 

『福岡伸一』先生は、類稀(たぐいまれ)な日本語の文章の達人で、構成力、表現力(特に美しさ)に秀でていますから、つい引き込まれて読み進むことになります。 

勿論、『科学知識』のない人への配慮もされていますから、科学文献や教科書を読む味気なさは全くありません。

『専門分野(分子生物学)の理解能力』『日本語の文才』の両方を併せ持つ『福岡伸一』先生は、梅爺にとっては羨望の的です。

もし先生ほどの文才が梅爺にあれば、『梅爺閑話』は今のように『難しい、面白くない』などという評を受けずに、面白いブログと評判になっているに違いありません。

さて、先生がこの本で指摘されていることが、現時点で『科学知識』として定説となっているとすると、『旧約聖書(創世記)』に書かれている、『アダムとイヴの誕生(人間の出現)』の話は、『正しくない』ということになります。『科学』は又『宗教』にとって都合の悪い事実を明らかにしたということになります。

『創世記』によれば、『天地創造』の6日目に、『神』は土くれから『神』の姿に似せて『アダム(男)』を創り、息を吹き込んで『精神』を宿らせ、次に『アダム』のあばら骨を一本抜きとって、それを素材に『イヴ(女)』を創ったということになります。

最初に出現した『人間』は『男(アダム)』で、『女(イヴ)』は、それから派生して創られたという順序になりますが、『科学』が解明した結果は逆で、最初に出現した生物は『メス』で、その『メス』から『オス』が派生して出現したということになります。

『人間』も生物の一種に過ぎませんから、この原則は同じです。

このことを決定づける事実は、『人間』の胎児は、後に『男の子』になる胎児も受胎後の数週間は『女の子』で、ある時期『性染色体(Y染色体)』の遺伝子情報が機能し始めて、『男の子』へ変わっていくということだと知りました。

福岡先生は、この『変身』のプロセスを、男女性器の各部位を対応づけて、あっけらかんと説明しています。これを読んでいると、『性』や『性の営み』は、ひそやかに取り扱うものだという『価値観』は薄らぎ、『眼』や『口』といった、身体の他の部位の話と同じだと気付きます。

梅爺流にいえば、『物質世界』の事象として、『性』を論ずる時と、『精神世界』の価値観を絡めて『性』を論する時の違いということになます。

福岡先生は、『物質世界』の事象として、『女の子』が『男の子』に変わるプロセスを述べているということです。『物質世界』では、『恥ずかしい』『いやらしい』などという情感の価値観は意味を持ちません。

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2017年11月11日 (土)

ウンベルト・エーコのエッセイ『相対主義とは?』(4)

梅爺は、大学時代に『男声コーラス』の部活動に属していました。その時の同期生たちと、卒業後50年以上経った今でも、交流が続いており、夫婦同伴でグループ旅行を楽しんだりしています。

このグループだけで通用する、『ジャマイカ党』と『ジロンド党』という言葉があります。中欧へ『オペラ鑑賞』の旅行を行ったときに、雑談の中から生まれた言葉です。

『ジャマイカ党』は、自分の定見を持たずに、『じゃ、まあいいか』と他人の意見をすぐに認めてします『チャランポラン』な性格の人のことで、一方『ジロンド党』は、何事でも『自論』を述べたがる『理屈っぽい』人のことです。

仲間内で、『あいつはどうもジャマイカ党だ』とか『あいつは、筋金入りのジロンド党だ』とか、相互評価をして大笑いしました。

梅爺は、自分はかなりの『ジャマイカ党』であると思っていましたが、仲間内の評価は『ジロンド党』の総裁クラスというものでした。

確かに『梅爺閑話』は、『自論』のオンパレードですから、『筋金入りのジロンド党』と思われがちですが、よくお読みいただければ、決して『自論』だけが『正しい』などと主張していませんから、『複数の価値観が存在する』ことは柔軟にに認めているとご理解いただけるはずです。

『相対主義』『原理主義(絶対主義)』という言葉に接して、何となく『ジロンド党』『ジャマイカ党』という冗談を思い出しました。

昨日も書いたように、『相対主義』は『ジャマイカ党』、『絶対主義(原理主義)』は『ジロンド党』という単純な結びつきにはなりません。

『ジャマイカ党』でありながら、重要な局面では『ジロンド党』に変身したり、『ジロンド党』でありながら、他人の価値観を認めて受け入れる『ジャマイカ党』に変身したりすることが重要なのではないでしょうか。

『生きて』いくためには、周囲の些細であると思えることには『ジャマイカ党』で対応し、ここぞという重要な局面では『ジロンド党』で対応すればよいと梅爺は考えています。

最も困るのは、些細なことに『ジロンド党』で、重要な局面に『ジャマイカ党』で対応する人です。

人間は生物として宿命的に『個性的』であることと、『精神世界』が関与する事象の大半には、普遍的な真偽や善悪を判定する基準がないことの二つを理解していれば、『相対主義』『原理主義』は、『ジャマイカ党』『ジロンド党』と同じくらい、柔軟に使い分けて良いような気がしました。

『ウンベルト・エーコ』のエッセイからは、かなりはずれた感想のブログになってしまいました。

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2017年11月10日 (金)

ウンベルト・エーコのエッセイ『相対主義とは?』(3)

『相対主義』という言葉が、『哲学』などでどのような意味として定義されているのか梅爺はわきまえていませんが、同じ問題に直面した時に、複数の観方(価値観)が存在することを受け入れる立場のことかなと勝手に想像しています。

一つの観方(固定観念)だけにとらわれるよりは柔軟であり、人間社会では『相対主義』はむしろ好ましいことではないのでしょうか。

『中道主義』『中庸主義』と『相対主義』は必ずしも同じではありません。複数の価値観が存在することを認めることでは同じですが、具体的な方策を選ぶときに、極端な価値観を避けて、穏やかな方策を選ぶのが『中道主義』『中庸主義』です。『相対主義』そのものには、最後は穏やかな方策を選ぶというような意味はないように思えます。

『穏やかな方策』を選ぶことは、多くの場合『無難』ですが、コミュニティや個人にとっていつもそれが『最善』である保証はありません。

優秀な経営者は、重役が全員一致で『賛成』した方策は採用しない、などという話を聴いたことがありますが、誰もが思いつくアイデアはすでに陳腐であるというような意味が込められているのでしょう。『尖鋭なアイデア』が企業を勝者へと導くことはよくある話です。

『民主主義』は、大怪我をしない無難なシステムともいえますが、結果的に『良い結果』が保証されるわけではないという、厄介な話です。

同様に『相対主義』は『優柔不断』とも結びつきません。

『優柔不断』は、沢山の価値観の中から、最終選択できずに、前へ進めないことを意味します。

『複数の価値観の存在を認めること』と『その中から自分の主張を込めて一つ具体案を選ぶこと』が、両方できる人が器の大きな人です。

『相対主義』でも『優柔不断』ではないということを意味します。

『私は、こういう理由で、これを選ぶ』と主張するには、普段から『考える』能力を高めておく努力が必要になります。単なる『好き嫌い』ではなく、そこにある種の論理的で説得性のある『因果関係』が含まれていることが望ましいからです。

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2017年11月 9日 (木)

ウンベルト・エーコのエッセイ『相対主義とは?』(2)

この世の中で、『普遍的に正しい』と言えることは、『科学(数学を含む)』の世界にしかありません。梅爺流にいえば、『物質世界』を支配する『摂理』に関するものしかないということになります。 

『殺すなかれ』『盗むなかれ』などという倫理的な『価値観』は、『普遍的に正しい』ではないかと反論を受けそうですが、残念ながらそうではありません。 

『戦争で敵を倒す』ことは、時に英雄的行為と称えられ、『死刑』を法で定めたコミュニティはたくさん存在しまうから、時と場合によって『殺してもよい』と受け入れていることが分かります。 

『経済行為』の一部には『略奪行為』と紙一重なものがあり、『合法的』という言葉で言い逃れはしますが、観方に依っては『盗んでいる』ことになります。そもそも『経済行為』は、『格差』を利用した行為ですから、微妙な問題をはらむことになります。 

人間が『生きていく』ためには、『精神世界』の『価値観』を駆使して『判断』し、前へ進みます。『精神世界』の『価値観』は『個性的』であり、普遍的な尺度がありませんから、何かを参考にすることはっても最後は『自分の尺度』に頼るしかありません。 

『自分の尺度』は『普遍的な尺度』ではないことをわきまえている人は、器の大きな人で、多くの人たちはそうではなく『自分の尺度』が『正しい』と、考えて(信じて)います。人間社会の『諍(いさか)い』の大半は、これによって生じます。 

『自分の尺度』が『正しい』と極度に『信じて』いる人は、『原理主義者』などと呼ばれて、周囲に迷惑をかけます。 

『原理主義』は、『宗教』『イデオロギー』が関与する場合が多く、このために人間社会は深刻な問題を抱えることになります。 

北朝鮮の独裁体制、中国の共産党一党独裁体制、『イスラム国』などがすぐに思い浮かびますが、『アメリカ・ファースト』などと臆面なく唱える大統領のいる国も、あやしいものです。 

真似するように『都民ファースト』『ジャパン・ファースト』などと得意げに唱える政治家が日本にも現れて、梅爺は困惑を覚えます。コミュニティの利益を優先することは、言うまでもない話で、政治リーダーに求められる知恵は、コミュニティの外との関係を配慮しながら、その方策を模索することです。『自分を最優先にする』だけなら、誰にでもできる知恵のない話です。 

『原理主義者』は、それを認めない人を『世俗主義者』『背信者』『冒涜者』などと非難します。

『原理』という言葉は、『科学』の世界では普遍的に正しいことを意味しますが、人間社会の『原理主義者』は、『宗教』の教義や『イデオロギー』の基盤となる主張などを『原理』としていて、これらは決して『普遍的に真』といえるものではありません。

自分を正当化したり、相手を誹謗したりするために、意図的な『表現』が用いられますので、言葉に惑わされないように私達は十分注意する必要があります。

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2017年11月 8日 (水)

ウンベルト・エーコのエッセイ『相対主義とは?』(1)

ウンベルト・エーコのエッセイ集『Turning Back the Clock(時を遡る)』の35番目のタイトルは『Relatism ?(相対主義とは?)』で、過去の哲学的思考と『相対主義』の関連を論じたものです。

短いエッセイですが、このエッセイ集の中で、梅爺には最も難解な内容でした。

『キリスト教神学者(哲学者):トマス・アクィナスなど(複雑なものも、視点に依ってある種の真実が見えるという考え方)』、『リチャード・ローティ(米国のネオプラグマティズム主義者:物事は普遍的に正しいかどうかではなく、過去の重要体験に照らしてみて意味をもつかどうかで判断すべきという考え方)』、『カントおよびカント信奉者(主観的認識は相対的なものとする考え方)』、『クイン(Quine)のHolism(全体は部分の総和以上の意味を持つとする考え方)』、『倫理は文化に依って異なる(普遍的ではない)とする考え方』、『ニーチェ(事実は存在しない、説明があるのみという考え方)』、『ドフトエスキィ(神が存在しなければ、全ては許されるという考え方)』、『レーニン(著作「唯物主義と経験批判」での主張)』などが突然出てきて、どの一つさえよく理解できていない梅爺は、頭を抱えてしまいました。

『ウンベルト・エーコ』は何が言いたいのか分かりませんが、無理に推測すれば、色々な哲学的思考が存在するということは、絶対的尺度が存在しないということで、それぞれは『相対的』な主張にすぎないということなのかもしれません。

西欧の『思想史』に精通した『ウンベルト・エーコ』が、膨大な知識の一部を披歴するだけで、後は読者で考えてごらんなさいとばかりに突き放されても、本当に困ります。もう少し梅爺のような教養のない読者への配慮があってもよさそうなものと、恨み事を言いたくなります。読者のレベルが問題なのか、読者のレベルを配慮しない著者が問題なのか、どちらなのでしょう。西欧の読者でもどのくらいの人たちが、この内容を理解できるのか疑問でもあります。

そこで今回のブログは、このエッセイにとらわれず、梅爺が『相対主義』という言葉を聴いたときに、どのようなことを考えるかを述べたいと思います。

『ものごとは、こうも言えればああも言える』という主張が『相対主義』であるとすれば、梅爺はかなりの『相対主義者』です。言い方を換えれば『ご都合主義者』です。

人間の『精神世界』の価値観は、宿命的に『個性的』で、厳密にいえば誰も考え方、感じ方が異なっているというのが梅爺の自論ですから、人が『ご都合主義』なのは当然のことと考えるからです。

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2017年11月 7日 (火)

『生命の起源』再び(10)

『地球』の地殻変動で、海底で生成されていた『有機高分子』が、熱水環境の海水の中に放り出され、多くは『加水分解』されて元の『無機分子』へ戻ってしまったものの、ごく一部は『硫化鉄』の『小胞』の内部へ偶然潜り込み、『加水分解』をまぬがれ生き延びた、というのが、中沢氏の『仮説』です。

生き延びた『小胞』に包まれた『有機高分子』は、雑多な種類があったはずですが、その中で『DNA』のような遺伝子情報を次世代へ継承できる性質の『有機高分子』が後の『生命体』へと進化していくことになったというわけです。中沢氏は、最初の『生命体』の出現は37億年前程度と推測しています。

この中沢氏の『仮説』も、勿論『偶然』の要素がありますが、従来の『海底の熱水噴出孔付近で、偶然DNAができた』というような『仮説』よりは、格段に論理的で説得力があります。今後、中沢氏の『仮説』が、実験で証明されたり、または矛盾が見つかって修正されたりすることはあろうと思いますが、現時点では最も説得力が高い『仮説』と梅爺は受け取りました。

中沢氏の『仮説』の卓越しているところは、『生物進化』以前に、『地球』環境で『地球軽元素進化』のプロセスがあったという主張です。

『無生物』である、『無機物質』が、『地球』に起きた環境変化で、小規模の『有機高分子』、大規模な『有機高分子(RNA,DNAなど)』へと『進化』していき、その『進化』の延長上に『生物進化』があるという主張は、『突然生命体が出現し進化が始まった』という従来の説明より説得力に富んでいます。

『ダーウィンの進化論』では、『地球』上の全ての『生物』は、『進化』を逆にたどっていけば共通の一つの『先祖』に到達するということになります。

しかし、実際には、初期の『単細胞生物』が他の『単細胞生物』を呑みこんで『共生(呑みこまれた単細胞は、膜に覆われた小容体として生き残った:ミトコンドリア、葉緑体など)』という現象があったために、共通の『先祖』を探り当てることは、不可能に近い話です。

中沢氏の『仮説』は、『地球系元素進化』と『生物進化』がつながりますから、前者では『小胞』同士の合体、後者では『単細胞生物』同士の合体という、類似の事象がとして、『共生』を説明できます。

『生命誕生』という本を読んで、梅爺の理解は格段に向上しました。

今後は、この知識をベースに、『生命の起源』に関する情報に接した時には、その妥当性を判断することになりそうです。

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2017年11月 6日 (月)

『生命の起源』再び(9)

『プレートテクトニクス』で、一部の海底地層は、『熱水』に晒され、一部は『マントル』の下へ潜り込んでいきました。

『熱水』に晒された海底地層に含まれる『有機高分子』はこの時、最大の危機に遭遇したことになります。そのままでは『加水分解』でバラバラにされ、元の『無機物質』へ逆戻りしてしまうからです。

中沢氏は、この危機を一部の『有機高分子』が克服してサバイバルした原因を、海水中で生成され存在した『硫化鉄』などの素材でできた『小胞(膜でできた泡)』に『有機高分子』が包み込まれる現象があったと推測しています。アルカリ性と酸性の熱水がぶつかったところで『硫化鉄』の『小胞』が生成されることが確認されています。

この『小胞』は、後の『細胞膜』の先駆体と考えられます。勿論、現在の『細胞膜』は、『硫化鉄』などではなく、生物由来の『高分子油性膜』ですが、これは『生物進化』のプロセスで自然選択されて変容していったという推測です。

これで、『生命体』の『細胞』に類似した、『小胞膜に覆われた有機高分子』が出現したことになります。勿論、これは出発点であって、まだ『生命体』とは程遠いものです。

当然、上記のように『小胞』に覆われて生き延びた『有機高分子』は少数で、大半の『有機高分子』は『加水分解』されて、無機物質へ戻ってしまったことでしょう。

『小胞』に包まれた『有機高分子』も、色々なタイプがあり、更に『小胞』同士が一つに結びついて、異種の『有機高分子』が一つの『小胞』に吸収されるようなことも起きたことでしょう。

このような事象は、後に異種の『細胞』が一つになる(ある細胞が他の細胞を呑みこみ共生する)事象と類似しています。

『進化』は、それ以前の『進化』様式を踏襲すると言われていますので、その時点では未だ『無生物』の『小胞』で、後の『生物』の『細胞』で起きたようなことが既に行われていたという考え方も説得力があります。

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2017年11月 5日 (日)

『生命の起源』再び(8)

『地球』上に、『有機高分子物質』が何故存在するようになったのか、については従来『隕石と一緒に宇宙から飛来した』『海底の熱水噴出孔付近で、偶然合成された』などと根拠が薄弱な推測が大半でした。

『生命体』を構成している『有機高分子物質』が、全て『親水性』『親粘土鉱石性』である理由も大きな謎でした。

中沢氏が提唱する、『有機高分子ビッグバン』説は、多量の『有機物質』が一気に『地球』上に出現したプロセス、『生命体』を構成している『有機高分子物質』が、全て『親水性』『親粘土鉱石性』である理由も論理矛盾なく解消しています。

私達は、『海が生命の母』という表現を常識として受け容れ、海水の中で最初の『生命体』が誕生するプロセスが進行したと思い込んでいました。しかし生命に利用される『有機物質』が、より高分子に重合されていくには『脱水反応』が必要であり、海水の中でこれが起きるとは考えにくいというのが、従来説の難点でした。このため一部の学者は、海水中ではなく、『干潟』で重合が行われたと主張しています。しかし、何か苦し紛れの推測のように梅爺には思えます。

しかし、この中沢氏の『仮説』を受け入れるならば、『生命誕生』に必要な準備プロセスは、海水の中ではなく、海底の地層の中で進行していたということになります。

さて、ここからは次なる難問へ向かうことになります。

海底の地層中で多量に出現した『有機高分子物質』が、その後どのようなプロセスで、『生命体』出現へつながっていくかという問題です。

中沢氏は、この回答も『惑星地球科学』の『知識』の中に求めています。

それは約40億年前に始まった、『プレートテクトニクス』という、『地球』の地殻の変動に関する『知識』です。

海底が、海溝から『マントル』へ沈み込み、一部の海底は逆に隆起して『大陸』が出現した現象です。『プレートテクトニクス』は現在でも続いており、『大陸移動』『地震』『火山噴火』などの原因となっています。

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2017年11月 4日 (土)

『生命の起源』再び(7)

中沢氏は、『大量の隕石の海洋衝突』が以下の条件で起きたと想定しました。 

『地球』にあるものは、大気を構成する『窒素』『炭酸ガス』『水(水蒸気)』、『海水(液体の水)』そして海底やその下を構成する『カンラン石(マグネシュウム、鉄、硫黄などが成分)』と考えました。 

『隕石』の成分は、これまで収集され測定されたものの大半を占める『普通コンドライト』と同じと想定しました。『普通コンドロイド』は多量の金属鉄成分を含んでいて、これが衝突後の化学反応に重要な役割を果たしたと考えられます。

隕石が海洋に衝突すると、一瞬にして大量の海水は、超高温の気体(蒸気)になり、隕石や海底の鉱物成分も一緒に蒸発して、『衝撃後蒸気流』となります。

この超高温の『衝撃後蒸気流』の中で、『水』は『水素』と『酸素』に分解されますが、『酸素』は同じく蒸発した『鉄』『硫化鉄』『カンラン石』を酸化することで吸収され、『衝撃後蒸気流』は、『水素』過剰の『還元的』大気になります。この時『窒素』と『水素』が反応して、多量の『アンモニア』が生成されたと考えられます。

『アンモニア』を含む『還元的』な大気の環境では、容易に『アミノ酸』などの有機化合物が生成されることは、従来の実験で確認できていますから、この時点で『局所的』『一時的』に多量の『有機化合物』が出現すると考えられます。

『生命誕生』の著者中沢氏は、これを『有機高分子ビッグバン』と呼んでいます。それまで、『無機物質』が主体であった『地球』に、一気に多量の『有機物質』が出現したことになります。

この大気中の『有機物質』は、やがて大気が低温になり、『雨』と一緒に、海水に溶け込みます。『有機物質』のうち、『親水性』『親粘土鉱物性』のものは、『粘土鉱石』の粒子に付着し、海底へ沈殿していきます。

因みに『疎水性』の『有機物質』は海面に浮上し、または蒸発した後に、時間をかけてもとの『無機物質』へ分解されてしまったと考えれます。

時間をかけて、海底に『有機物質』を含んだ、厚い地層が構成された推定できます。

この地層は、海水から強い圧力を受け、高圧である程度温度も上昇した環境になります。

この環境で、『有機物質』は、『脱水反応』を起こし、より大きな『有機高分子物質(たとえば、RNA,DNAといった後に遺伝子継承に必要な有機高分子)』になっていったと推定できます。

後に『生命誕生』に関わる『有機高分子物質』は、このように海底の地層の中で多量に産まれたという推測になります。

この『仮説』は、従来なかった新しいもので、従来の『仮説』の曖昧さや矛盾を克服した非常に説得力があるものです。

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2017年11月 3日 (金)

『生命の起源』再び(6)

『地球』は、約45億年前に、恒星『太陽』の惑星の一つとして誕生しました。『太陽』も『地球』も、その時点で『宇宙』に漂っていた『ガス』と『塵(ちり)』が、引力で集まって形成されました。

『ガス』や『塵』は、『ビッグ・バン』以降『宇宙』で起きた変容、たとえば『超新星爆発』などが『宇宙』へ飛散させたものです。

『地球』誕生直後は、『太陽』の惑星は沢山あり、惑星同士の衝突も頻繁にあったと考えられています。『火星』規模の惑星と『地球』が衝突(ジャイアント・インパクト)し、その時『宇宙』へ飛散した『ガス』『塵』が、集まって『地球』の衛星『月』ができたというのが定説です。当時の『地球』は文字通り『灼熱の火球』であり、『生命体』が出現できる環境ではありませんでした。

その後、惑星衝突の頻度は下がり、地球は温度が下がって、『海(水)』に覆われた惑星になりました。この当時『大陸』は、ほとんど存在していなかったと考えれれています。

38~40億年前に、『火星』と『木星』の間に存在する『小惑星帯』から、多数の『小惑星』が『地球』へ飛来し、衝突したと推定されています。『月』の『クレーター』は同時期『月』でおきた『小惑星』との衝突の名残と考えられています。

何故この時期に『小惑星』の飛来が増えたのかは、梅爺も理解できていませんが、多聞当時の惑星の軌道の相関によるものではないでしょうか。

その後、『小惑星』と『地球』の衝突は激減し、『地球』はある程度『安定』な状態になりました。しかし、全く衝突がなかったわけではなく、6600万年前には、メキシコのユカタン半島に大きな隕石が衝突し、数億年続いていた『恐竜』の時代が終焉したのは有名な話です。

現在も、将来も、隕石の飛来、衝突が起こる確率は、ゼロではありません。その時に、人類が生き残れるかどうかも保証がありません。危険な飛来物をいち早く観測発見し、その軌道計算をして『地球』に害があるかどうかを確認する作業が、天文科学者によって常時行われています。

『生命誕生』の著者中沢氏は、この38~40億年前の『多量な隕石の海洋への衝突』が、『地球』で多量な『有機物質』が生成された要因と考え、小規模ながらこの衝突を模擬する実験を行い、確かに『有機物質』が生成されることを確認しました。

『地球』に存在する『有機物質』は、『隕石』と一緒に運ばれてきたのではなく、『隕石』と『海洋』が衝突した時の、『物理反応』『化学反応』として、『地球』で生成されたという『仮説』です。

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2017年11月 2日 (木)

『生命の起源』再び(5)

1953年に、米国の『ミラー』は、『アンモニア』『メタン』『水』の『還元的』な性質の混合気体中で火花放電させて、『グリシン』『アラニン』『アスパラギン酸』など、『たんぱく質』を構成する『アミノ酸』の一部を合成することに成功しました。

『還元的』というのは、『酸素が奪われ、水素が付加する』性質のことです。

この実験成果の反響は大きく、『生命出現の前段階プロセス』として多くの科学者が受け入れ、類似の実験がその後約40年間も相次ぎました。学校の教科書でも紹介され、梅爺も少し前までは、『これが事実』と考えていました。

ところが、この間『地球惑星科学』の進展は目覚ましく、『太古の地球の大気』は上記の『生物学者』『化学者』が想定したものとはまるで違うことが分かってきました。

当時の『地球』は、激しい隕石の衝突によって、あらゆるものが溶融する超高温状態であり、大気は『窒素』『水』『二酸化炭素』の『酸化的』な混合気体であったということが判明したのです。

『酸化的』というのは、『水素が奪われ、酸素が付加する(燃焼する)』性質のことです。

『ミラー』やその追従者の実験は、『還元的な大気なら、有機物の生成が起こりうる』ことを実証したものでしたので、実際は『大気は酸化的であった』とすると、証拠にはならない(事実とは言い難い)ことになってしまいました。

『地球』上に、何故『有機物質』が存在するようになったのかという疑問は、振り出しへもどってしまい、『宇宙から隕石と一緒に飛来したのではないか』などという、科学的な議論としてはお粗末な『推測』が、横行するようになりました。

『生命誕生』の著者の中沢氏は、全く新しい視点で、この疑問に答える『仮説』を提示しています。

中沢氏は、『地球惑星科学』を基盤に、『地球』の変化の要因の中に、『有機化合物』が多量に『地球』で創りだされる『できごと』があったと考えました。

そして、その『出来事』とは、『38~40億年前の、大量な隕石の海洋への衝突』であることを突き止めました。

このことは『生命科学』は、ある特定の学問分野では解明ができないことを示唆しています。学問は『学際的時代』になっているということです。

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2017年11月 1日 (水)

『生命の起源』再び(4)

『細胞』は『細胞膜』で覆われています。『細胞膜』は実に見事なしくみで、全体としては外の影響から内を守っていますが、必要な『養分』だけは外から取り込み、不要になった排泄物は外へ捨てるという、透過機能は保有しています。

『細胞膜』の内側に、『細胞』活動に必要なものがすべてあることになりますが、最も重要なものが、『遺伝子情報』を搭載した高分子構造(DNA)です。

『遺伝子情報』に従って、『アミノ酸』を原料に特定の『たんぱく質』が生成され、それが、新しい『細胞』を構成する素材になります。

このしくみを使って、『細胞分裂』や新規の『細胞生成』が行われ、結果的に『生物』は成長したり、『子孫』を残したりして『生命』『遺伝子情報』が継承されていくことになります。

『DNA』はリン酸、塩基で構成される酢酸でで、『高分子生体物質』と呼ばれます。

『高分子生体物質』や、『細胞生成』に必要な『アミノ酸』といった有機高分子化合物が地球上に存在しなければ、『生命誕生』や『生物進化』はなかったことは必然ですから、科学者たちは、『有機高分子化合物』が地球上に何故存在するようになったかを解明しようと考えました。

1924年に、ソ連の生物学者『オパーリン』が、『生命の起源』という著書で、『前生物的分子進化』という新しい考え方を提唱し、科学界に大きな影響を与えました。

『オパーリン』は、『生物進化』以前に、自然界(物質世界)においては、『分子』のレベルの『進化』があったがゆえに、それが『生命体』出現につながったと主張しました。

つまり『無生物(分子)』の『進化』の延長上に『生物』の『進化』があるという画期的な視点が提示されたことになります。

『無機物質』の世界に、突然『生命体』が出現したと考えると、頭が混乱しますが、それ以前に『無機物質』の世界でも『分子の進化』があったと考えると、『無生物』と『生物』が『進化』という直線上でつながることになり、たしかに説得力があります。

『無生物』と『生物』の間に、両者をつなぐ『中間物』があったと考えれば、突然『生物』が出現したのではないということになります。現在『ウィルス』は、『無生物』と『生物』の『中間物』であるといわれていますので、この説を裏付けるものと言えるのかもしれません。

この『オパーリン』の考え方に影響を受けて、地球の太古の大気環境で、『条件さえ整えば、無機化合物から有機化合物が生成できる』ことを証明しようとする実験が科学者によって始まりました。

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