« 2017年8月 | トップページ | 2017年10月 »

2017年9月30日 (土)

『侏儒の言葉』考・・神秘主義(2)

『文明』が進むと、社会生活は複雑になり、周囲の情報も格段に増え、『行動』のために学ばなければいけないこと、『判断』しなければならないことが急速に増えます。

無線通信、テレビ放送、『インターネット』などが普及し、『情報社会』の真っただ中に身を置き、自動車などの文明の利器を利用している私達は、否応(いやおう)なしに、これを体験しています。

『生物』としての『人間』の『脳』は、時代とともに『進化』はしてきましたが、その『進化』の度合いと、『情報』の増加の度合いは釣り合っていませんから、『情報』の多くは、ざるで水をすくうように意味もなく私達をすり抜け、ざるにかかった『情報』も、全て真剣に『理性』で再チェックする余裕がありませんから、『手っ取り早く、信ずる手法』に頼る事になりかねません。『評論家』『専門的な解説者』がやたらにもてはやされることになります。

『インターネット』は『情報』の宝庫でもありますが、一方『誤情報』『ジャンク情報』もあふれかえっています。また『気に入らない情報』には、『罵りの言葉』を浴びせ返したりしますから、『インターネット』特有の『炎上』などという、レベルの低いおぞましい現象が頻発したりもします。

『文明』が進めば進むほど、私達は『自分の理性で思考する』姿勢を強化しなければならないと考え、『手っ取り早い軽薄な信じ込み』を憂いる『芥川龍之介』の気持ちは理解できますし、梅爺もそのようなことを度々ブログに書いてきました。

しかし、この問題の本質は、『文明』がもたらした『情報』の増加に、人間の『脳』の『情報処理』能力が追従できないという、インバランス(アンバランス)がありますから、そのことも理解しておく必要があります。

『分不相応』な『文明』を追い求めた『人間』は愚かであると、断ずることも本末転倒な主張になります。『文明』には沢山の利点もあるからです。

『庶民が軽薄な姿勢で判断している』ことが増えたという傾向は、確かに不都合なことですが、それよりも恐ろしいことがあります。

それは、『賢人』とはとても言えない『夜郎自大』に属する俗人の『国のリーダー』が、自分の低俗な能力レベルで、『国民の運命』を決めてしまうような事柄を、『判断』し推し進めようとしていることです。『複雑な事象』を『単純なレベルで判断する』恐ろしさです。

『世襲の独裁者』は論外として、民主的に選ばれた『大統領』が、『夜郎自大』な俗物であるという現実が、『民主主義』の危険な面を露呈させています。

『民主主義であれば大丈夫』という安易な『信じ込み』も、『芥川龍之介』のいう『神秘主義』に類する事柄になります。

| | コメント (0)

2017年9月29日 (金)

『侏儒の言葉』考・・神秘主義(1)

『芥川龍之介』の『侏儒の言葉』の中の『神秘主義』に関する文章を読んだ感想です。

書き出しで、『芥川龍之介』は次のように述べています。

神秘主義は文明の為に衰退し去るものではない。寧ろ文明は神秘主義に長足の進歩を与えるものである。

『神秘主義』の定義もなしに、このように書かれてしまうと、肯定も反論もしようがなくなります。

しかし、この文章に続く『事例』を読むと、『芥川龍之介』が何を『神秘主義』とみなしているかが分かります。要約すると以下のような話です。

昔の人は、人間の先祖は『アダム』であると信じていたが、現代(大正時代の日本)では、中学生でも人間の先祖は『猿』であると信じている。昔の人は少なくとも旧約聖書の『創世記』を読んでそのように信じていたが、現代の日本人の多くは『ダーウィン』の『種の起源』など読まずに、そのように信じている。 

また、多くの人は『地球は丸い』と、教えられた通りに信じている。『幽霊』は存在しないと信じている。そして、『一般相対性理論』など理解せずに、『アインシュタイン』の来日を熱狂して迎えている。

このような『事例』を観ると、『芥川龍之介』は、自分の『理性』で納得したことではなく、『そのように教えられたから』『本にそう書いてあるから』『誰もがそれを信じているから』『常識であると言われているから』などという理由だけで、軽薄に『信じ』こんでいる姿勢を『神秘主義』として、軽蔑の視線でこの文章を書いていることが分かります。

『哲学』『神学』などで論じられる『神秘主義』という言葉の定義は、このようなものではないと想像しますが、その分野に造詣がない梅爺には確かなことは言えません。

ここで仮に『芥川龍之介』の『神秘主義』という言葉使いを受け入れたとして、梅爺は、梅爺は半分は受け入れられますが、半分は反論したくなります。

大文豪の『芥川龍之介』に、梅爺ごときが『反論』するなどとは、おこがましい話ですが、これは『芥川龍之介』と梅爺の『科学知識の量と質』が大きく異なっているからにすぎません。

| | コメント (0)

2017年9月28日 (木)

Empty vessels make the most sound.

英語の諺『Empty vessels make the most sound.』の話です。

『空の容器が一番大きな音を立てる』ということで、『頭が空っぽな人ほど、大言壮語をする』という意味になります。実に耳が痛い話です。

もっとも、自分で『耳が痛い』と少しでも反省する人は、まだましで、『自分は大言壮語などしていない』と思い込んでいる人は厄介です。

長屋の『八っつぁん』『熊さん』が、『大言壮語』していても、『笑いの種』で済みますが、一国の政治リーダーが、『大言壮語』をするのは、笑い話では済まされません。

『トランプ大統領』や『金正恩(キムジョンウン)』の『大言壮語』は、深い思慮の裏付けがあるのか、単なる『頭が空っぽ』なのか分かりませんから、判断に窮します。

しかし、梅爺の人生経験では、深い思慮の裏付けがあって『大言壮語』する人に出会ったことはあまりありません。その視点で観ると『トランプ大統領』『金正恩』は、いかがわしい人物と言うことになります。

『頭が空っぽ』という表現は、『単純な基準で何事も判断する』『本質の理解を欠いている』ということを意味します。

人間の『精神世界』は、宿命的に『個性的』ですから、『精神世界』が関与する事象には、多種多様な『価値観』が存在するということをわきまえていることが、本質を理解していることになります。

『自分に都合のよい価値観』だけを認め、それが『正しい』と単純に主張する人ほど始末に負えない人はいません。それが一国の『政治リーダー』であれば、その国を不幸にする可能性が高いからです。

梅爺がこのような話をすると、『そのように多種多様な価値観を認めていたら、何も主張できなくなり、前へ進めないではないか』と必ず反論を受けます。

『ごもっともなご意見』ですが、梅爺は『これが、自分が優先する価値観である』と主張するなと言っているのではありません。

相手に自分の『価値観』を知ってもらうために、それを主張することは、『絆』を確認する上で寧ろ重要なことです。特に『好き、嫌い』の表現は、この目的では許されます。

ただ、自分の主張(価値観)が『正しい』と主張することには、慎重であるべきだと申し上げたいだけです。

梅爺は『モーツァルト』の音楽が好きですが、『モーツァルト』が嫌いであるという人に『あなたは間違っている』とは言えないということです。

| | コメント (0)

2017年9月27日 (水)

アンチョコ『古事記』を読む(10)

『古事記』は『天皇家』の正当性を主張するために書かれたものです。 

九州日向から『東征』してきて『葦原中津国』の支配を奪い取った『ヤマト王権』の先祖は、奪い取ったことを正当化するために、『この地は、アマテラスが高天原から送り込んだ使者の神と、出雲の神との間で(国譲り)の約束ができていた』という話を作り上げて『古事記』に挿入したのでしょう。 

実際に奪いとった経緯は、『国譲り』といった穏やかなものではなかったことの裏返しであるように思います。 

『葦原中津国』にとっては『ヤマト王権』は、新参者ですから、この地を中心とした『歴史』を書こうとすると、自分たちには書く内容がありませんから、『古事記』の神話の大半は、前統治者『出雲』に伝えられた神話を借用しています。今流に下品に言えば『パクッている』ことになります。 

『出雲』の先祖神『大国主命』にまつわる話が多いのはそのためです。 

『ヤマト王権』に関する謎の一つは、『東征』する前に九州日向にいた勢力はいったいその前はどこから来た人たちなのかということでしょう。朝鮮半島からの渡来人集団であるといった説を主張する学者も多いのですが、真相は分かりません。この勢力は朝鮮半島の『新羅』と交流があったといわれています。 

もうひとつの謎は、『魏志倭人伝』に登場する『邪馬台国』と『ヤマト王権』との関係です。これも学説は定まっていません。

『古事記』では『魏志倭人伝』に触れていますが、具体的に『卑弥呼』『邪馬台国』は『ヤマト王権』のことだとは明言していません。このことから『邪馬台国』は『ヤマト王権』成立以前に畿内地方(奈良地方)に存在していたと梅爺は推測しています。この地は『出雲』が平定していた所で、『邪馬台国』は『出雲』がリーダーになって『卑弥呼』を擁立した『国』であったという推測になります。勿論梅爺の勝手な推測です。

『古事記』には、『神功皇后』とその忠臣『武内宿禰』や、天孫降臨した『ニニギ』の道案内役を買って出た『猿田彦』など、魅力的な人物が登場します。実在の人物の伝承であろうと思いますが、学説は定まっていません。

『ヤマト王権』をめぐって、実質的な権力を握ろうとする豪族たちの暗闘や、朝鮮半島との外交事情が背後にあると感じますが、梅爺には実証する能力がありません。

また、『伊勢神宮』は天皇家の『皇祖』を祀る神社とされていますが、『持統天皇』以来『明治天皇』まで、天皇が参拝に出向いた記録がありません。これも一般に信じられていることと、実態は異なっているのではないかと疑念がわきます。

日本の古代を読み解くことは、推理小説以上に面白いと感じますが、勝手な推測はこの程度にします。

| | コメント (0)

2017年9月26日 (火)

アンチョコ『古事記』を読む(9)

『古事記』を読むと、当時の日本人の『宗教観』が分かります。ただし『宗教観』といっても私達の『宗教』の認識とは異なっていて、『生活の中の当り前な考えかた』の一部ですから、当時の人たちが『宗教』という特別な概念を保有していたわけではありません。

以下のようなことを『当り前』として受け容れていたことが分かります。

(1) 天上界は神々だけが住むところ。地上界は人間の住むところ。ただし、神々は天上界と地上界を自由に行き来できる。さらに神々は万物に宿る。
(2) 人間の先祖は、地上界へ降りてきた神々。天皇家の先祖(皇祖)が『天照大神』であるように、氏族にも先祖の『氏神』がいる。
(3) 神々は、人間と容姿や行動は同じ。神と人間の間に子供が生まれる。神も人間も死ぬと霊になり、『黄泉(よみ)の国』に入る。
(4) 非業な死を遂げた人間の霊は『祟り』を起こす。死の『穢(けが)れ』や『祟り』を祓(はら)うために、『霊』は祀る必要がある。
(5) 自然の恵みや生活の安寧は『八百万の神』によってもたらされる。安寧を願うために神を祀る必要がある。

縄文時代、弥生時代から継承されてきた、日本土着の宗教観は上記のようなものであったと推察できます。青森の『恐山』は、今は仏教の霊場となっていますが、仏教以前から『黄泉の国』のイメージで古代人が『霊場』としていた場所に違いありません。

『神道』は後に、これらの『宗教観』を体系化、儀式化していったものです。

その後、日本には『仏教』がもたらされ、『神仏混淆』で、極めて特異な『宗教観』が醸成されていきます。『修験道』などがその典型例です。

新しい文化に接した時に、『あれか』『これか』の選択をするのではなく、『あれも』『これも』共存させてしまう日本人の柔軟な姿勢は、西欧の合理精神を尊ぶ人たちや『一神教』を信奉する人たちには理解が難しいものかもしれません。

しかし、梅爺は日本人の柔軟で『いい加減』な対応姿勢が好きです。文化は対立するものではなく、融合、混淆の中から、新しい価値観が生まれるからです。

『古事記』の対象になっている時代の日本人は、『仏の慈悲』『神による贖罪、救済』『極楽浄土』などの概念を知りませんでした。しかし、『万葉集』に残されているように、繊細な『言葉』で、精神世界を表現する能力の持ち主でした。『心』を言葉の『比喩』で表現する巧みさに、驚かされます。

当時の人たちは、私達のような『科学知識』を持たず、異なった『常識』『価値観』を信じて生きていましたが、人間の総合能力という意味では私達と何ら変わるところがなかったと観るべきです。

古代人には古代人の文化があり、決して『野蛮人』ではなかったということです。

| | コメント (0)

2017年9月25日 (月)

アンチョコ『古事記』を読む(8)

『葦原中津国(奈良地方)』は、『ヤマト王権』が成立する以前は、『出雲』の豪族が平定して支配していた土地であったと思われます。

この地方の信仰の中心地『三輪山』は、『出雲』の信仰の特徴である『山』や『巨石』をご神体としていると当時に、『大国主命』が祀られています。後にこの地方は『ヤマト王権』の支配中心になりましたが、『三輪山』には『天照大神』ではなく『大国主命』が祀られていることは、歴史を考える上で重要です。

九州日向から『東征』してきた勢力が、『葦原中津国』の支配権を『出雲』勢力から奪って『ヤマト王権』を樹立したと見るのが自然です。

この時、『ヤマト王権』勢力は、軍事的に『出雲』勢力を徹底殲滅に追い込んだのではなく、『出雲』勢力のリーダーまたはその一族を、謀略にかけて殺害し、リーダーの地位を奪ったのではないかというのが梅爺の推測です。

この『後ろめたい行為』が、後々『ヤマト王権』が『出雲の祟り』を恐れ続けた理由ではないかと思います。当時の人たちにとっては『祟り』ほど恐ろしいものはありませんでした。現代の私達は『祟り』を信じたりはしませんが、近世まで日本社会では『祟りを恐れる風潮』が支配的でした。

『平安京』へ移った『桓武天皇』は、京都を『悪霊』から守護するために、『仏教』や『陰陽師』の『加持祈祷』に頼りました。『空海』はこの目的で天皇を信を得ています。京都の寺社の配置場所の意味も、これを考えると分かります。

『ヤマト王権』はリーダーの地位を『出雲』から奪いましたが、かつて『出雲』の支配下にあった地域の豪族たちとの関係は、微妙なものであったに違いありません。『吉備』を中心に中国地方の豪族であった『物部氏』、『出雲』の支配下であった信越、北関東の『蘇我氏』、中部地方の『尾張氏』などが、『ヤマト王権』下でも有力豪族として活躍をすることになります。

豪族たちは、一族の娘を、天皇の正室(皇后)とすることで、一族の血統が『ヤマト王権』に反映されるよう画策しました。

その後、『ヤマト王権』では『天皇後継者選び』が常に大きな問題になり、時に親族間、兄弟間の殺し合いなどになっています。これらの『事件』の背後には、豪族の権力争いが必ずと言ってよいほど絡んでいます。

『ヤマト王権』の歴史を考える時には、『皇后』がどの豪族の娘であるかが重要な視点になります。

『聖武天皇』の母親は、『藤原不比等』の娘『宮子』、妻(皇后)としたのも『藤原不比等』の娘『光明子』というような例もあります。『藤原不比等』がどれほどの権力者、策略家であったかが分かります。

| | コメント (0)

2017年9月24日 (日)

アンチョコ『古事記』を読む(7)

『古事記』に書かれている『ヤマト王権』の『正当性』について、昨日要約を紹介しました。

この『正当性』については、梅爺のような門外漢でもいくつかの疑問を提示できます。

(A)太陽神の『アマテラス』は何故『女の神』なのか。
(B)『アマテラス』は何故息子ではなく孫の『ニニギ』を地上支配のために選んだのか(『アマテラス』には息子がいる)。
(C)『ニニギ』は何故『葦原中津国』へ直接降臨せずに『日向高千穂』へ降臨したのか。
(D)『日向高千穂』から『葦原中津国』へ向かって『東征』を開始したのは、『ニニギ』自身ではなくその子孫の『神武天皇』であるのはなぜなのか。
(E)『ニニギ』の降臨以前に、『葦原中津国』は、『国譲り(出雲の大国主命から天津神へ)』が約束されていたのに、何故再度『日向高千穂』から『神武天皇』は苦労をして『東征』などしなければならなかったのか。

多くの歴史学者が指摘しているように、『アマテラス(女神)が孫のニニギを降臨させた(天孫降臨)』というストーリーは、『持統天皇(女帝)』が孫の『軽皇子』に皇位を譲ることを『正当化』するために創りだしたものという見解を梅爺も受け入れたくなります。

『持統天皇』は『藤原不比等』を重臣として用い、『藤原不比等』が権力を増して後の『藤原摂関家』繁栄の基礎を築きました。

『古事記』『日本書紀』は、『天皇家』『藤原家』の『正当性』を主張するために、『藤原不比等』が編纂に関与したとされていますので、『アマテラス』を『持統天皇』にダブらせるという発想は、『藤原不比等』のものかもしれません。

古代の日本で土着の『太陽神』信仰があったことは分かっていますが、太陽の神は『陽』で男、月の神が『陰』で女というのが、どこの国の神話でも自然な受け止め方で、日本でもそうであったのではないでしょうか。

上記の『藤原不比等』の陰謀があったとすると、何故『アマテラス』を『女神』にする必要があったのかが見えてきます。

日向から『東征』してきた『神武天皇』が、『葦原中津国』の支配を獲得する時に、その地方をそれまで治めていた『出雲』勢力との間で、『何らかの諍い』があったことは容易に想像できます。

以降『ヤマト王権』は、皇族メンバーの不慮の死や、社会が天変地異や疫病などに襲われると、『出雲の祟り』と恐れていますが、これは多分『葦原中津国』の支配を獲得する時に、謀略を用い『出雲』系の人たちの恨みを買うような『出来事』があったのであろうと梅爺は推測しています。

『出雲』系の主なる豪族は、『ヤマト王権』によって排除されましたが、『出雲』に仕えていた他の豪族たちは、『ヤマト王権』の支配下に下り、その後その中の『蘇我氏』のように、『ヤマト王権』の中で権力者にのし上がっていったものもありますから、『出雲』系豪族が根絶したわけではありません。『ヤマト王権』成立は全て力づくで屈伏させたわけではなく、豪族間の微妙な力関係で成立したらしいことが何となく見えてきます。

| | コメント (0)

2017年9月23日 (土)

アンチョコ『古事記』を読む(6)

日本の歴史を通観してみると、『天皇』や『上皇』が、権力者の実質頂点に立とうとした時代は、そうでない時代に比べて、政情は不安定で、庶民からすると『迷惑な時代』であったように思えます。

有能で徳のある人物がリーダーになれば、理想的な社会が実現できるのではと私達は考えますが、現実は多くの場合権力者になりたい人は自己主張が強く、独裁者になる傾向が強いということでしょう。

実権のない『天皇』が形式的に上に位し、その下で権力者が政治の実務を担当するという二重構造は、一見効率が悪いようにみえますが、権力者が独裁者になりにくい抑制力として『天皇』が効果的に機能しているように思います。

しかし、この考え方が日本に定着したのは、中世以降で、『古事記』が対象にしている時代や、『古事記』が書かれた時代は、『天皇』の地位や権力のあり方が必ずしも固まっておらず、実権を誰が担うかについて抗争や模索が絶え間なく続いていたと考えるべきではないでしょうか。

『古事記』は『天皇家(ヤマト王権)』の正当性を主張するために書かれた歴史書です。

その正当性がどのように主張されているのか、梅爺は良く理解していませんでした。『古事記』を読んで、以下のように理解しました。

(1)『天津国(天上界)』に最初の神々『天津神』が現れた。このころ地上界は、水に浮かぶ脂のようなドロドロの世界であった。
(2)天津神の中のイザナキ(男神)、イザナミ(女神)は神々の命を受けて、『大八島(淡路島、四国、隠岐の島、九州、壱岐の島、対馬、佐渡島、本州)』を産み出した。イザナミは更に大島、姫島など六つの島や、八百万の神々も産み出した。
(3)『大八島(日本)』は、『国津神(神々)』が支配するようになった。
(4)『高天原(天津国)』でイザナキから、太陽神(アマテラス)、月神(ツクヨミノミコト)、スサノウノミコトが分身して生まれた。スサノウノミコトは粗暴なため地上(国津国)へ追放された。
(5)『アマテラス』は、『天津神』の一人を地上へ送り、『葦原中津国(奈良地方)』の支配権を出雲の『国津神』から『国譲り』で譲り受けることに成功した。
(6)次に『アマテラス』は孫の『ニニギ』を『国津国(葦原中津国)』支配のために、『高天原』から日向高千穂へ降臨させた。
(7)『ニニギ』の子孫『神武天皇』が、日向高千穂から東征を開始し、『葦原中津国』で『ヤマト王権』体制を確立した。

| | コメント (0)

2017年9月22日 (金)

アンチョコ『古事記』を読む(5)

権力者が『正室』のほかに『側室』『側女』を沢山抱えるという習慣には、『男子の世継ぎ者』には事欠かないという利点もありますが、一方『世継ぎ候補者』の数も多くなって、必ずと言ってよいほど、『後継者を巡る権力闘争』が起きています。

『ヤマト王権』の歴史は、『天皇の後継者選びに関わる権力闘争』の歴史であるといっても過言ではないでしょう。『万世一系』などという『きれいごと』ではなく、『権謀術数』をつくした謀略や血塗られた事件が『古事記』の時代には横行していたことが分かります。

『壬申の乱(627年)』は、『天智天皇』の没後、皇太子の『大友皇子』と叔父の『大海人皇子(後の天武天皇)』が、皇位を争った事件として知られていますが、『皇位後継』だけの単純な問題ではなく、有力豪族たちの権力争い、朝鮮半島との関係が背後に絡んでいます。

『壬申の乱』では『大海人皇子』が勝利し、『天武天皇』となって皇后(後の持統天皇)とともに、強い『天皇』権力の実現を計りました。

実質的に強い豪族が権力支配する体制から、『天皇』の権力一極体制へ転換をはかったのが『天武天皇』と後の『持統天皇(天武天皇の正室)』です。

『古事記』から、5世紀『雄略天皇』も、権力一極体制を進めた『天皇』であることが分かります。

『豪族たちの合議』に支えられて『ヤマト王権』は3世紀末から4世紀に始まったように観えますが、やがて『雄略天皇』『天武天皇』のように、『天皇』の一極支配に体制を変えようとする『天皇』が現れました。

実質権力者は、『天皇』なのか、別の『権力者』なのかは、その後の日本の歴史の中でも繰り返し問題になってきました。

やがて『天下人』『幕府の将軍』が実質権力者で、『天皇』は『象徴』という関係が定着し、現在の日本国民が主権者、『天皇』は『象徴』という関係にまで至っています。このことは、日本や日本の文化を考える上で重要な意味を持ちます。

もしも、『天皇』による一極権力体制が、主流として定着していたら、日本の歴史は大きく変わっていたことでしょう。前にも書きましたが、『天皇』を『象徴』とすることで、実質『権力者』の横暴が間接的に抑制される『しくみ』は、日本人が継承してきた『知恵』で、重要なものと梅爺は考えています。

『古事記』の時代は、このような『しくみ』が未だ固まらない、動乱期であったことになります。

| | コメント (0)

2017年9月21日 (木)

アンチョコ『古事記』を読む(4)

近世まで日本の社会では、権力や財力を持つ男は、正妻(正室)のほかに、『側室』『側女(そばめ)』を持つことが『許される』風潮がありました。

男の『身勝手な欲望』を許容するという寛容さというより、家系を維持するために『男子の世継ぎ者』が必要であり重要であるという考え方が社会の基盤にあったのでしょう。

『古事記』に登場する『ヒーロー』『天皇』『豪族』などは、『美しい娘』に出会えば次々に自分のものにしています。中には父親と息子が同じ女性を奪い合ったりする話も登場します。

『美しい娘』に出会って、『お前は誰か(誰の娘で、名をなんというか)』と男が問えば、それ自体が当時は『お前を私のものにしたい』という意思表示であったことが分かります。

それでは、女性は『弱い立場』にあったのかというと、そうとは言いきれず、特に『正室(天皇の場合皇后)』は政治に強い影響力をもっていました。『女帝』や『神功皇后』の活躍が『古事記』には記載されていることからもそれが分かります。

当時の人たちも私達と同じ『人間』だなと笑ってしまうのは、『正室の嫉妬』に男が手を焼いたりして様子が『古事記』に書かれていることです。正室に対して『お前だけを愛している』という内容の歌を送っておきながら、舌の根も乾かぬうちに、他の女を追いかけたりしていますから、今も昔も『懲りない輩』の振る舞いは変わりません。

ただ、男女とも『恋心』や『想い』を伝えるのに、『歌』が使われる風習が当時からあったことがわかりますから、社会の上層にいる人たちは、ある種の『教養』を必要としていたことになります。『教養』を重んずる習慣は、その後の日本文化の形成に大きな影響を与えているように思います。

| | コメント (0)

2017年9月20日 (水)

アンチョコ『古事記』を読む(3)

『古事記』の『上巻』を読んで、先ず興味を抱いたのは、8世紀の日本人が、『神』『先祖』『人間(自分たち)』の関係を、連続的な『つながり』として捕えていることです。

つまり、『自分たち(氏族)の先祖は神であり、昔は人間と神が共存していた』という考え方が『常識』であったということです。『共存』を認めている点は、『ギリシャ神話』の世界と極めて似ています。

『神』と『人間』の間に『子供』ができるなどということは『当り前』なのですが、その『子供』は『神』であったり、『人間』であったりします。『子供』に『神』の名前がつけられたりしていれば、『子供』は『神』であるとすることにも当時の人たちは抵抗を感じていないように観えます。

それならば、論理的に『自分たちも神なのか』ということになりますが、8世紀の人たちは、『自分たちは神である』とは主張していません。先祖は『神』、自分たちは『人間』という関係を当り前に受け容れています。

『先祖が神なら、自分たちも神である』というのが、西欧の論理思考ですが、日本人の多くが、『先祖は神であったが、現在の自分たちは人間である』という考え方を柔軟に受け入れているところに興味を惹かれました。

『神との関係』を厳密に考えない『曖昧さ』『いい加減さ』が、日本人の『宗教観』の中に今でも継承されているように思います。結婚式は教会や神社で、葬式は寺でなどと柔軟に対応します。クリスマスには『きよしこの夜』を歌い、正月には神社へ初詣に出向きます。

西欧の論理思考では、理解できない世界です。勿論、『ユダヤ教』『キリスト教』『イスラム教』の『一神教』では、『自分たちの先祖は神であった』などいう考え方はあり得ません。『人間』は『神』の創造物であって『神』にはなりえないという考え方に立っています。

『古事記』で、もうひとつ面白いのは、『神々が支配する天上の世界(天津国)』と同じく『神が支配する地上の世界(国津国)』の存在を信じていることです。

天上の世界を支配するのは『天津神(あまつかみ)』、地上の世界を支配するのは『国津神(くにつかみ)』で、それぞれ『神』は無数(八百万)に存在することになっています。

『天津神』と『国津神』は、自由に交流できるのですが、興味深いことに、『何となく天津国、天津神は、国津国、国津神より格式が高い』と誰もが認めているように観えます。最初は神々は天上界だけにいましたが、やがて神々の一部が地上界に降りて、地上を支配するようになったということなのでしょう。

有名な『天津神』の一人が『天照大神』で、有名な『国津神』の一人が『大国主命』です。

神話を読むと、古代の日本人が『性(セックス)』に関して、おおらかな考え方を持っていたことが分かります。

儒教やキリスト教などの、『性』を『秘め事』『罪』とする価値観が『常識』となっている現代人には、古代の日本人の『あっけらかんさ』に驚きます。

当時の日本人の倫理観念レベルが低かったのではなく、『常識』が異なっていたと単純に理解すべきでしょう。『性』は『豊穣』につながると信じられていたことも背景にあるのではないでしょうか。

| | コメント (0)

2017年9月19日 (火)

アンチョコ『古事記』を読む(2)

『古事記』は、上、中、下巻の三部作で、以下のような内容構成になっています。

上巻:神話時代から『神武天皇』の誕生まで
中巻:初代『神武天皇』から、15代『応神天皇』まで
下巻:16代『仁徳天皇』から、33代『推古天皇(女帝)』まで

『古事記』が出来上がったのは8世紀の初めで、『壬申の乱』で勝利した『天武天皇』が編纂を命じたとされています。

その時点で『諸説』あった伝承内容を整理して、後世に正しい『歴史』を残すためという『タテマエ』が述べられていますが、実際には『ヤマト王権』の正当性を主張することが『ホンネ』であったことは明白です。

どこの国でも、どの時代でも『権力者』は『自分の正当性を主張する内容』を『正しい歴史』として残そうとするものです。

日本で『古事記』と同時代の『日本書紀』は、時の権力者『藤原不比等』が、『藤原氏』の正当性を主張するために編纂させたという背景が今では『定説』になっています。

『古事記』は準備に40年をかけ、『稗田阿礼(ひえだのあれい)』などの語り部が記憶していた伝承内容を、『太安万侶(おおのやすまろ)』などが、『漢字』を用いて記述されたと伝えられています。日本最古の『文献』として貴重な価値があります。

8世紀に編纂された『古事記』の中に、梅爺が知りたい2世紀から4世紀にかけての『歴史』がどのように反映されているのか、つまり編纂時から400年から600年前の『出来事』がどのように伝承されていたのかがポイントです。

口伝で伝承されてきた記憶内容が、どれほど『真実』を反映しているかは、かなり疑いの目で観る必要がありますが、『真実の片鱗』が形を変えて伝えられていることも期待できますから、総合的な洞察力が求められます。

『古事記』は『何のために』『誰のために』編纂されたのかという背景の理解はもちろん重要ですが、それに加えて当時の日本人が、『何を信じていたのか』『何を恐れていたのか』という『常識』や『価値観』を理解することが更に重要になります。

『上巻』の神話は、現代人にとっては『荒唐無稽』な話ですが、旧約聖書の『天地創造』などと同様に、当時の人たちには、共通の常識理解であったということです。

『古事記』の編纂者は、『上巻』の『神話』を、勝手な『作り話』として加えたのではなく、真面目に『歴史』として認識していたと考えなければなりません。

| | コメント (0)

2017年9月18日 (月)

アンチョコ『古事記』を読む(1)

日本の古代史、特に弥生時代後期、古墳時代から『飛鳥時代』にかけて、つまり2世紀から6世紀にかけて『国家がどのよう形成されていったのか』に強い興味を抱き、参考になる本を何冊か読みました。

この時代のことを文献から推測するには、中国や朝鮮半島に残されている『魏志倭人伝』などの『史書』と、日本に残されている『古事記』『日本書紀』各地の『風土記』、寺や神社の残されている伝承文献などを手掛かりにすることになります。

一方、古墳や遺跡の発掘調査からも、近年新しく沢山の『事実』が明らかになりつつあります。

これらを総合的に俯瞰して観ると、従来『定説』とされていた歴史内容に疑念が生じ、『異なった観方』の可能性も検討され始めています。

『色々なことが分かってくる』と、『はっきりする』ことも増えますが、一方『謎が一層深まる』ことにもなり、日本の古代史は、梅爺のような野次馬にはたまらなく『面白い分野』です。とにかく、下手な推理小説を読むより『面白い』こと請け合いです。

専門の『歴史学者』『考古学者』のほかに、市井(しせい)の『歴史マニア』も色々な自説を唱えますので、沢山の『仮説』が存在しています。

梅爺のお気に入りの『歴史マニア』は『関裕二』氏で、この人が執筆した文庫本を何冊か読みました。

『関裕二』氏は、文献で異なった人物として記述されている複数の人物が、実は『同一人物』であるとする『仮説』を主張する場合が多く、そこだけを読むと『そのような勝手な想像ならいくらでもできる』と反論したくなりますが、何故『そのような仮説を立てるにいたったか』について、思考過程を詳細に述べて論理矛盾が少ないことを強調していますので、『なるほど、そういう考え方もある』と納得します。

『何が正しいか』という知識より、『何が正しいかを論理的に推論する過程』が大好きな梅爺は、『関裕二』氏に共鳴することが少なくありません。

『関裕二』氏が唱えていることが『正しい』かどうかは、あまり興味の対象ではなく、『関裕二』氏の『思考プロセス』に興味があるということです。

とにかく『関裕二』氏の文献読破の量、洞察の鋭さには、驚かされます。梅爺も自説を唱えたくなりますが、知識が乏しすぎますから、せめて『古事記』を読んでみようと思い立ちました。

原典を読む能力はありませんので、『由良弥生』さんが現代文に翻訳した『眠れないほど面白い古事記』という文庫本をアンチョコに読みました。

| | コメント (0)

2017年9月17日 (日)

『釈迦』の倫理と論理(8)

現在『釈迦』の出身地『インド』の仏教徒は1%にも満たず、『キリスト』の出身地『ユダヤ(イスラエル)』のキリスト教徒は2.1%に過ぎません。

歴史的にその地の『宗教』は、支配者の権力と深く関わり、支配者の庇護がなければ布教は困難になります。時に『宗教』は権力の象徴ともなります。

『ローマ帝国』と『キリスト教』、『朝廷(天皇、皇族)』と『日本の仏教』の関係を思い浮かべていただければ納得いただけるでしょう。日本の民衆が『仏教』の素晴らしさを自ら見出して、受け入れたわけではありません。

『インド』は、『釈迦』の時代以降、『仏教』を優先する権力者に恵まれず、イスラム教徒の侵攻などもあり、現状では『ヒンドゥー教(80.5%)』『イスラム教(13.4%)』『キリスト教(2.3%)』『シク教(1.9%)』『ジャイナ教(0.4%)』『仏教(0.8%)』の割合になっています。

もし『仏教』が主流であり続けたら、『カースト制度』などは排除されていたに違いありません。『釈迦』の思想は、『平等』であったからです。

『宗教』はその『教義』の正当性を主張するために、論理的な説明を試みたりします。

しかし『教義』の根幹は『倫理』であることが多く、『倫理』は社会の『約束事』ですから、普遍的な正当性を示す尺度がありません。

『釈迦』の『論法』が説得性を持つのは、思想基盤である『命題』を『真』と仮定して(『釈迦』が信じて)、その上に『論理』を構築しているからです。

これは『科学』が『公理』を利用して『真偽』の判定をしていくのに似ています。

『釈迦』の基本『命題』は、『生ずる性質のものは、滅する性質のものである』『この世の全ては縁起でつながっている』などですが、これが『真』であると断定はできないまでも、『偽』であるともいえないほど、『なるほど』と私達の直感が受け入れますので、その後の『論法』が強い説得性を持つことになります。

『釈迦』は『生きることに伴う苦を滅するにはどうすればよいか』を考え抜きついに『涅槃の境地』にたどり着きました。

『安泰を希求する本能』を捨てることができない私達は、『煩悩の解脱』はできませんが、『涅槃の境地(仏)』に近付く努力は意味があり、尊いと理解できます。

『釈迦』が梅爺と同様、『物質世界』と『精神世界』を区別する『科学知識』を保有していたら、どのような『哲学思考』を展開したのだろうかと、つい夢想してしまいます。梅爺は『釈迦』の思考姿勢に共感を覚えます。

| | コメント (0)

2017年9月16日 (土)

『釈迦』の倫理と論理(7)

『釈迦』は、『生きることは何故苦なのか』『苦を滅する方法はあるのか』を、理性で徹底的に考えた哲学者です。

その思考のプロセスで派生的に見出したことがらで、特徴的なことは以下の三つではないでしょうか。(梅爺も『釈迦』にならって箇条書きを用います)

(1) 人は法の下では平等である(男女差、貧富の差などを認めていない)
(2) 迷信、ドグマ、占いなどは排除すべし(自分の理性で考えることが大切)
(3) 自分の中の仏心を希求せよ(煩悩の解脱を目指せ)

梅爺が見出したこれらの特徴は、日本の『仏教』が説く話とはかなり異なります。このことで梅爺は『仏教』の歴史に興味を覚えました。これも箇条書きにすると以下のようになります。

(1) 原始仏教(初期仏教) 『釈迦』と直弟子の時代(紀元前4~5世紀)
(2) スリランカに伝わる(紀元前3世紀)
(3) 『部派仏教(小乗仏教)』の出現(紀元前3世紀末)
(4) 『大乗仏教』の出現(紀元前後頃)
(5) 『密教』の出現(呪術的世界観、ヒンドゥー教と融合 7世紀以降)

日本へは、中国、朝鮮半島を経て、『仏教』は伝わり、更に日本の土着宗教と融合(修験道など)して、平安、鎌倉、室町時代に『日本の仏教』が出現したことになります。

『日本の仏教』は日本の文化を反映していますから、それなりの意義をもちます。日本の名僧たちの深い思考内容も傾聴に値します。しかしその分『釈迦』の最初の教えがないがしろにされがちなことは残念なことです。

私達現代人は、『釈迦』の大元の教えに立ち戻って、その倫理、論理を学ぶべきではないでしょうか。

『民主主義』では、『賢人』が社会のリ-ダーに選ばれにくいという欠点があり、『夜郎自大』な傲岸な人物がトップに君臨することになりがちですが、私達は昔の『賢人』の言葉に耳を傾けて、リーダーの『愚』を見抜き、批判する必要があります。

人間は誰も先を見通すことができませんから、『賢人』の考えに従えば良いという単純な話ではなく、時に自らの直感による『果敢な決断』も必要ですが、少なくとも『賢人』の論理で考えれば、大きなミスを犯す確率が減るのではないかと思います。

| | コメント (0)

2017年9月15日 (金)

『釈迦』の倫理と論理(6)

『釈迦』は物事の本質を箇条書きで提示します。これは『論理的説得』には非常に効果的で、『釈迦』が推論能力に長けた人物であったことが分かります。

ギリシャ哲学以前に、このような哲学的思考のできる人物がインドに存在していたことを、私達は正しく理解していないのではないでしょうか。西欧が東洋より文化的に進んでいると、思い込んでいるからかもしれません。

とにかく『釈迦』から受ける人物の印象は、『キリスト』や『ムハンマド』から受ける印象と異なります。『理』で、『情』さえ抑制してしまう頭脳明晰な賢人に見えます。

箇条書きの例をご紹介します。

 『苦集滅道』と略称される4つの諦(たい)。

(1) 苦諦(くたい) - 一切は苦であるという真理
(2) 集諦(じったい) - 苦には原因があるという真理
(3) 滅諦(めったい) - 苦は滅するという真理
(4) 道諦(どうたい) - 苦を滅する道があるという真理

『八正道(はっしょうどう)』 迷信やドグマ(独断的な説)を排除して、自分で考えなさいという教え

(1) 正見(しょうけん)     正しく見ること
(2) 正思(しょうし)       正しく考えること
(3) 正語(しょうご)       正しく言葉を用いること
(4) 正業(しょうぎょう)     正しく振る舞うこと
(5) 正命(しょうみょう)     正しく生活すること
(6) 正精進(しょうしょうじん) 正しく努力すること
(7) 正念(しょうねん)      正しく思念すること
(8) 正定(しょうじょう)      正しく精神統一すること

質問に答える時の方法論

(1) 断定的に答えるべき問いには断定的に答える(一向論:いっこうろん)
(2) 分けて答えるべき問いには分けて答える(分別論:ぶんべつろん)
(3) 反問して答えるべき問いには反論して答える(詰論:きつろん)
(4) 捨ておくべき問いには捨ておく(止論:しろん)

現代の総合知識を駆使して、これらを批判することはできたとしても、これだけ『理路整然』と迫ってくる相手は、なかなかお目にかかれません。

屁理屈屋の梅爺も『釈迦』の前ではかすんでしまいます。

| | コメント (0)

2017年9月14日 (木)

『釈迦』の倫理と論理(5)

『釈迦』の哲学の一つの基盤は『諸行無常』であると昨日書きましたが、もう一つの基盤は『縁起』で、『全ての事柄は、相互に関連している』という考え方です。

この『縁起』に関して、『釈迦』は『十二因縁説』という『因果関係』の連鎖を提示しています。

(1) 無知(無明)
(2) 形成力(行)
(3) 識別作用(識)
(4) 名称と色形(名色:みょうしょく)
(5) 六つの感覚のあるところ(六入:ろくにゅう)
(7) 接触(触)
(8) 感受作用(受)
(9) 渇愛(愛)
(10) 執着(取)
(11) 生まれること(生)
(12) 老死(老死)

(1)から(12)は、次々の連鎖する『因果関係』として述べられています。この『十二因縁説』を梅爺は理解できているとは言えませんが、少なくとも(1)から(10)までは、現代科学でいえば、『脳機能の生育プロセス』『脳の諸機能の関連』を示しているように感じます。

『脳科学』の知識が全くなかった2500年前の時代に『釈迦』が、『精神世界』の基盤をかなり的確に推定していることに驚きます。

最後の(12)老死は何となくわかりますが、『生』の位置づけが何故(11)なのかは、梅爺には理解が難しいことです。『生』が(1)に来るならば、分かるような気がします。

純粋無垢(無知)な赤ん坊が、『精神世界』の生育を経て大人になり、やがて『死』を迎えるという『物質世界』と『精神世界』を包含して『人の一生』の『因果関係』連鎖に見えるからです。

この連鎖の中に、『何故生きることは苦なのか』という原因が示唆されていて、『釈迦』は『苦を滅する境地』として『涅槃』に至る方法論を考え出したことになります。私達が『煩悩を解脱して仏になる』と言う表現で知っていることがこれにあたります。

原始仏教においては、『仏に帰依すれば救われる』という考え方はなく、あくまでも『自分が煩悩を解脱できれば仏の境地(涅槃)に達することができる』という考え方であったことが分かります。

梅爺は自分が『煩悩を解脱できる』かどうか自信がありませんが、『釈迦』の『論法』は受け入れることができます。

| | コメント (0)

2017年9月13日 (水)

『釈迦』の倫理と論理(4)

『ブッダ論理学 五つの難問』という本では、『釈迦』の論理体系の基本となる4つの『公式』が紹介されています。

(1) これがあるときかれがある。
(2) これが生ずるからかれが生ずる。
(3) これがないときかれがない。
(4) これが滅するからかれが滅する。

この基本『公式』の『これ』『かれ』に、適切な『言葉』『概念』を挿入して、現代論理学でいえばその表現『命題』を『真』として、議論を進めます。

抽象的で難解と考える必要はありません。『これ』『かれ』にたとえば『生(誕生)』『死』を代入してみると、俄然色々なことが見えてきます。

(1) 『生』があるとき『死』がある。
(2) 『生』が生ずるから『死』が生ずる。
(3) 『生』がないとき『死』がない。
(4) 『生』が滅するから『死』が滅する。

この『公式』によって、『生』と『死』の多面的な『因果関係』が提示されていることに気付きます。要するに『生ずる性質のものは、滅する性質のものである』ということになり、私達が知っている『諸行無常』を言い表していることになります。『色即是空、空即是色』もこの『公式』に則っています。

『釈迦』の『公式』は本当に『真』なのかといった、現代論理学による検証はあるのかもしれませんが、『これ』『かれ』に色々な『言葉』『概念』『事象』を挿入してみて、大きな矛盾が見いだせないと『釈迦』は理解したのでしょう。

話がそれますが、『現代論理学』は必ずしも万全のものではないことは分かっています。たとえば『時間の経過』が含まれる事象や、『神』といった形而上学的概念(抽象概念)をふくむ事象は論ずることができません。

『現代論理学』は西欧的合理主義の基盤として、とくに『物質世界』の事象を解明しようとする『科学』の領域では重要な役割を担っていますが、『精神世界』の事象を論ずる手段としては役に立ちません。したがって、『現代論理学』では『神は存在する』という『命題』の『真偽』は議論できません。

『釈迦』は当然『現代論理学』の存在など知らなかったわけですが、自分の『論法』で、『現代論理学』では論ずることができない事象も『議論』の対象にしてしまったといえます。

| | コメント (0)

2017年9月12日 (火)

『釈迦』の倫理と論理(3)

『釈迦』や『キリスト』の『教え』に関して、梅爺が残念に思うのは、教祖直筆の資料が残っていないことです。

現代であれば、書いた資料はなくても、『教えを説く様子』などが動画で記録され、後々それを検証の材料にできますが、『釈迦』や『キリスト』についてはそれはかないません。

『釈迦』の場合は、『釈迦』の入滅後(死後)、直近の弟子たちが聞き及んでいた『尊師の教え』を『阿含経(あごんきょう)』としてまとめたと伝えられています。

『釈迦』は弟子たちに質問する形式で、弟子が『教え』を適切に理解しているかどうかを随時確かめた(禅問答などがその名残)と言われていますので、『尊師と弟子たちのやり取り』はかなり正確に『阿含経』に反映していると考えられています。更に弟子たちは、『阿含経』の中に矛盾する記述はないかと、何度も編集会議を開催して見直したとも伝えられています。

『キリスト』の『教え』を記述した『福音書』は、『キリスト』の処刑後50年から100年位後に、著者が『伝聞』を集めてまとめられたものです。適切な『福音書』や重要資料、書簡などを選んで『新約聖書』として体裁が整ったのは、『ローマ帝国』が『キリスト教』を『国教』と定めた後のことですから、5世紀の初め頃のことで、『キリスト』の死後400年以上も後のことです。『新約聖書』には『パウロの書簡』も含まれていますが、『パウロ』も生前の『キリスト』とは面識がない人物です。

『阿含経』や『聖書』が、『聞き及んだ内容の記録』『伝聞記録』であるとすれば、どれだけ正しく『教祖』の『教え(言葉)』を反映しているのかと疑う梅爺は、少々偏屈爺(へんくつじじい)ですが、『伝聞』は現在の裁判でも証拠としての価値は低いことを考えれば、やはり『教祖』直筆の資料が存在しないのは残念と思う気持ちをご理解いただけるでしょうか。

梅爺が『教祖』から受ける印象は、『釈迦』と『キリスト』では全く違います。

『キリスト』は『神の前で人間はどう生きるべきか』を説いた『宗教家』であり、『教え』の本質は『愛』であるように思います。

一方『釈迦』は、『この世を支配する根源的な法(ルール)は何か』を模索し続けた『哲学者』の印象が強烈です。

『生きることに伴う苦』を『滅する』にはどうすればよいかを、追求し、理想の境地『涅槃』に論理的な思考で到達しました。

『キリスト』の『教え』は『神ありき』ですが、『釈迦』の『教え』は『仏ありき』ではありません。『釈迦』にとって『仏』は人間が到達しうる最高の境地であり、人間の外側に存在する別の『崇高なもの』ではありません。『神』に近い『仏』の概念に変わったのは、後の『仏教』によるものです。

『この世』や『人間』を洞察する姿勢は『哲学者』にほかなりません。

『釈迦』の教えは、いくつかの『前提』を仮定し、そこから敷衍する論理に矛盾がないかどうかを検証していくものです。

| | コメント (0)

2017年9月11日 (月)

『釈迦』の倫理と論理(2)

『ブッダ論理学 五つの難問』の著者『石飛道子』さんは、インド哲学の研究者であることを知りました。ご自分は『仏教に深い知識があるわけではない』と書いておられますが、『釈迦』の説話をまとめた『阿含経(あごんきょう)』を原典で読む能力をお持ちですので、『釈迦』の教えについては誰よりもご存じであるはずです。

『釈迦』の教えと、現代の『仏教』の間に大きなギャップがあるように梅爺は感じます。『仏教』が布教の過程で変容した事情、または変容せざるを得なかった事情については理解するにしても、そもそも当初の『釈迦』の教えの本質はなんであったのかを知ることが、『仏教』を理解する上での原点ではないでしょうか。

これは『キリスト』の教えと、現代の『キリスト教』の間にあるギャップについても同じことが言えるのではないかと思います。壮大な大聖堂、きらびやかな儀式などは、『キリスト』の教えとは無縁なものなような気がします。

持てる知識を駆使して、周囲の事象の本質を考えてみることに興味を抱く梅爺は、哲学者『釈迦』に共感を覚えます。

梅爺がブログを書き続けて見出した考え方は、周囲の事象を『物質世界』『精神世界』に分けて観るというものです。

『宇宙』『生命体』『生物(進化)』『脳』などに関する科学知識が、梅爺の考え方の一つの基盤になっています。『物質世界』の『因果関係』は、その『摂理』に厳しく支配され、その束縛からは逃れられませんが、『精神世界』では、『摂理』に縛られず自由奔放に『因果関係』を創造(想像)できます。

『桃から生まれた桃太郎』は『物質世界』では出現しない事象ですが、『精神世界』では存在し、共有される事象であるということです。

『桃太郎』は童話の架空の主人公であると人々は認めますが、『神』は『実在する』と多くの人々が『信じて』いるのは何故なのでしょう。『精神世界』で考え出した『神』と言う概念が、『物質世界』にも実在すると敷衍(ふえん)して考えてしまうからであろうというのが梅爺の推測です。『精神世界』では重要な意味を持つ『平和』『正義』『自由』などという概念も、『物質世界』には実態がありません。

この本の著者『石飛』さんは、『倫理と論理は紙の表裏の関係と同じ』と書いておられます。

『殺すなかれ』『盗むなかれ』というような『倫理』に属する事柄を、人間社会で共通認識とするためには、その『倫理』の正当性を『論理』で説得する必要があるというようなことをおっしゃりたいのなら分かります。

しかし、『倫理』は『人間社会(精神世界を保有する人間が集まっている所)』でのみ通用する価値観で、本来『正しい』『間違い』を決める普遍的な尺度がありません。

『あなたは殺されるのは嫌でしょう。ですからあなたも他人を殺さないようにしましょう』というような『論法』で説得するということは分かりますが、本来の『論理』は絶対的な『真偽』の判定の手段ですから、『倫理』の説得には利用できません。

『物質世界』の『真偽』の判定には『論理』は欠かせませんが、『精神世界』の『価値観』は絶対的な尺度のない世界ですから、『倫理』の判定に『論理』を持ち込むことに無理があります。

| | コメント (0)

2017年9月10日 (日)

『釈迦』の倫理と論理(1)

『ブッダ論理学 五つの難問(石飛道子著:講談社選書メチエ)』という本を読みました。

『ブッダ』は『ゴーダマ・ブッダ』、つまり『釈迦』のことです。

梅爺は多くの日本人と同様、幼少期から生活の中で自然に『寺』『仏像』に接し、お葬式などにも参列して『仏教』を身近に感じてきました。見事な仏像に、心打たれることも度々ありました。

しかし、梅爺が感じている『仏教』は、建造物、仏像、様式、それに儀式であって、教祖『釈迦』の『教え』やその本質を知らないことが気がかりになってきました。

勿論梅爺は『キリスト教』『イスラム教』などのことも本質を理解しているとは言えませんが、『釈迦』に関する本を少しばかり読んで、『釈迦』から受ける印象は、他の宗教の『教祖』から受ける印象とは異なり、『宗教家』というより偉大で天才的な『哲学者』であったのではないかと思うようになりました。

『釈迦』は、『世の中(自然、人間、人間社会)』を支配する基本的な『法(ルール)』は何かを考え続け、ついにそれを見出したのではないでしょうか。

『釈迦』は2500年前のインドの人物ですから、当時の人間が保有する『知識』を駆使して、矛盾のない『法』を見出そうとしました。

現在梅爺が保有している『知識』、とくに『科学知識』は『釈迦』が保有していた『知識』より格段多いことは明らかです。もし『釈迦』が梅爺と同等の『知識』を保有していたら、到達した『法』の表現内容は変わっていたに違いありません。

しかし、『釈迦』が偉大で天才的であるのは、非常に制約された『知識』の中で見出した『法』であるにも関わらず、その本質は現代にも通用するものであることです。

『ブッダ論理学 五つの難問』は、『哲学者』としての『釈迦』を論じた論じた本です。『釈迦』の『法』を、現代論理学と比較して分析し、『釈迦』の『法』が包含する見事な論理性を明らかにしています。

古代ギリシャ哲学が出現する以前に、インドにこのような『哲学者』が実在したことは驚きに値します。

| | コメント (0)

2017年9月 9日 (土)

日本の古代国家の体制(6)

日本の歴史は、『飛鳥時代』から、歴史的建造物や文献が急に多くなり、まるで魔法のように、国家が出現したように感じますが、『縄文時代』『弥生時代』『古墳時代』からつながりの延長上で『飛鳥時代』を観る必要があります。

その間、『日本語』はどのように形成されていったのか、土着の『アミニズム』から始まった『神道』は、どのように体系化されていったのかなどが梅爺の興味の対象です。

『村落社会(縄文時代)』『豪族による地域支配社会(弥生時代)』『小国連合社会(古墳時代)』と変遷し、5世紀の頃『ヤマト王権(雄略天皇の時代)』がようやく『権力集中掌握社会』を実現したように観えます。

『邪馬台国』や初期の『ヤマト王権』国家では、『祭祀(占い、祈祷)』は霊能力の高い『シャーマン』が担当し、日常の『行政』は豪族間の『合議』で行われていたと考えられます。

『ヤマト王権』国家の『大王(天皇)』は、『祭祀』の最高責任者と『行政』の最高責任者の役割をどのようにバランスさせていくかが問われるようになったはずです。

日本固有の『神道』と、渡来した『仏教』を『国家』運営にどのように関係づけるのか、中国を模倣した『律令制度』をどのように『日本流』に変えていくのか、などが『飛鳥時代』以降の大きな課題になりました。

『ヤマト王権』国家の中で、実質的な行政権力をどの豪族一族が握るかの、権謀術数や謀略が繰り広げられましたが、『中臣(藤原)氏』が最終勝者になり、近世まで摂関政治で朝廷に影響を与え続けてきました。

従来の豪族もそうであったように、『藤原氏』は娘を天皇へ嫁がせることで、地朝廷内の地位を盤石にしました。

『日本書紀』は、『中臣鎌足』の子『藤原不比等』が、編纂を命じた歴史書ですから、『藤原一族』礼讃の内容となっています。『蘇我氏』は大悪人になっていますが、本当の大悪人は『中臣氏』かもしれません。

その後、日本の歴史の中で、実質的な支配者は登場しましたが、『祭祀』の最高責任者として『天皇』の存在を認めてきたことが、日本独特の政治文化を形成することになりました。

実質的な支配者も、『天皇』の前では勝手に振る舞えないという関係は、支配者が『独裁者』になることを抑制する結果になっています。

実に見事な『知恵』が働いているように梅爺は思います。

有徳の『天皇』が象徴として存在するかぎり、アメリカのようなおかしな大統領や、北朝鮮のような独裁者は、日本では出現しにくい『しくみ』になっています。

人間は、誰もが能力に限界がありますから、そのような人間に『スーパーマン』の権限を付与したり、『スーパーマン』の能力を求めたりしても無理があります。

日本の『古代国家』の体制が、現在の日本にまで影響を及ぼしていることを改めて感じました。

| | コメント (2)

2017年9月 8日 (金)

日本の古代国家の体制(5)

『ヤマト王権』が成立する以前から、日本の古代国家『倭国』の体制は、『小国連合』であったのではないかと推察されます。

『小国』のリーダーは『豪族』であり、『豪族』間の『合議』で政治が行われていたのでしょう。勿論、力のある『豪族』が『合議』を取り仕切っていたと考えるのが自然です。力の強い『豪族』が、他の『豪族』を征服支配していないところが注目に値します。『出雲』の『神あり月』は、神々が一年に一度集うという言い伝えですが、これは『合議』のことではないでしょうか。

『ヤマト王権』成立以前に、『倭国』の中心地は畿内であり、それを取り仕切っていた有力豪族は『出雲』であったと梅爺は考えています。多分『邪馬台国』は『出雲』中心の『連合国』の中心地であったのでしょう。

九州から東征してきた『ヤマト王権』の先祖が、どのようにして畿内の支配権を『出雲』から奪ったのかは、歴史的にも謎です。

ただ、徹底的な武力制圧ではなかったのではないかと考えられる節がいくつかあります。

しかし、穏便な話し合いによる『国譲り』というほど、平和な移行であったとも考えられません。

『出雲』のリーダーは、『ヤマト王権』の策略で、『非業の死』を遂げたのではないかと梅爺は考えています。

以降の『ヤマト王権』の時代になって、色々な事件が起こると『出雲の祟り』が必ず問題になっていたことがその証拠です。『祟り』を恐れるのは、『やましいこと』が背後にあるからです。

『出雲大社』は、『出雲』の土着宗教と、『鎮魂の社』の両方の性格を継承しているように思います。『大国主命』は、『ヤマト王権』によって『非業の死』を遂げた『出雲』のリーダーであったのでしょう。

後に『ヤマト王権』が編纂した歴史書『古事記』『日本書紀』のなかで、『大国主命』を『良い神(良い人物)』として誇張しているのは、真相を秘匿するためのような気がします。

『ヤマト王権』が、それ以前の体制を徹底排除していない証拠は、『出雲』系の豪族『蘇我氏』、『吉備』の豪族『物部氏』、『東海』の豪族『尾張氏』などが、有力なメンバーとして『ヤマト王権』を支えていることです。

大局的には、『連合体制』のリーダーが、『出雲』から『ヤマト王権』へ移行したように観えます。

『ヤマト王権』の墳墓様式は『前方後円墳』ですが、これはそれ以前の豪族の墳墓形式『円墳』『方墳』の特徴を寄せ集めたもののように観えます。これも『連合』の証拠のような気がします。

最初は『連合体制』でしたが、やがて『大王(天皇)』の中から、実質支配者の強力な権力を求める人物が登場し、『王権』と『連合』支配の関係は微妙に変化していったのではないでしょうか。『豪族』は娘を天皇に嫁がせて、外縁者として『天皇』に影響力を持とうとするようになりました。

『豪族』で最後の勝利を収めたのが『中臣(藤原)氏』で、近世まで『藤原氏』の摂関政治が継続しました。

| | コメント (0)

2017年9月 7日 (木)

日本の古代国家の体制(4)

『祭祀』と『行政』が政治の両輪であるという考え方は、歴史的には日本だけのものではなく世界共通です。

日本を含め、多くの先進国では『行政』を『祭祀(宗教)』から独立させていますが、イスラム圏では、『宗教』が『行政』に対して強い影響力を今でも保有しています。トルコのようになんとか『行政』と『祭祀』を切り離そうと、『世俗主義』などという考え方を導入しようとしている国もありますが、全てうまくいっているとは言えません。『公共の場で、女性はヒジャブ(頭髪を覆う頭巾)を着用してはいけない』と『世俗主義』は決めましたが、多くの女性が『信仰』を理由に、それに異論を唱えています。日本人の私達は、『本人の考えに任せればよいのでは』などと言いたくなりますが、トルコの人たちには簡単な問題ではないのでしょう。異文化を理解することは易しくありません。

世界の歴史を観ると、『行政』が『祭祀』を支配するという形式が多くみられます。エジプトの『ファラオ(王)』や中国の『皇帝』は、『祭祀』を行う神官を配下において支配しました。神官は『王』や『皇帝』のために『占い』『儀式』などを行っていました。中には『王』自身が『神の子』であると宣言して、『行政』と『祭祀』を独り占めした支配者も多く存在しました。

キリスト教文化圏でも、『王』と『教会』は常に支配をめぐって『微妙な関係』を続けてきました。『バチカンが自分の離婚を認めないのは怪しからん』と、『イギリス国教会』を支配下に設立してしまったイギリスの『ヘンリー8世』のような横暴な王様も出現しました。

日本の古代国家で運用された『祭祀』と『行政』のバランスのとり方が、その後日本では定着し、現代にまで『天皇制』として継承されていることは、日本の文化風土を考える上で重要な意味を持つように思います。

時に色々な問題をはらみながら、『行政』の権力者(織田信長、豊臣秀吉、徳川家康など)が、『祭祀』を司る『天皇』をないがしろにしてこなかったことは、特筆すべきことです。

同じ『立憲君主制』といっても、日本とイギリスでは歴史的な経緯が異なります。イギリスでは『行政』『王室』『教会』のバランスが必要ですが、日本では『行政』と『皇室』のバランスが求められるだけです。

『邪馬台国』と『ヤマト王権』の関係は、はっきり分かっていませんが、当初の『ヤマト王権』でも『邪馬台国』と同じく、『行政』は豪族間の『合議』で、『祭祀』は『天皇』で分担するという様式が踏襲されたのではないかと思います。

九州から東征してきた『ヤマト王権』の先祖が、力づくで『ヤマト王権』を設立したのではなく、有力な豪族の『合議』で、『天皇』の存在が認められる体制が出来上がったのかもしれないと梅爺は考えるようになりました。

『出雲』による『国譲り』など、常識では考えられないと思っていましたが、上記のような背景での『合議(話し合い)』で、『ヤマト王権』が出来上がった可能性もあると考えるようになりました。

| | コメント (0)

2017年9月 6日 (水)

日本の古代国家の体制(3)

2世紀の日本人が、朝鮮半島や中国大陸に『大きな国家体制』『進んだ文化、技術』が存在することを、『知っていた』ということは、蒙昧(もうまい)な野蛮人ではなかったということです。『卑弥呼』が中国の『魏』に使者を送り朝貢していることがそれを物語っています。海を渡る航海技術、中国語の通訳技術などがなければ朝貢などできません。『卑弥呼』は中国の『文字文化』や宗教(道教など)の存在も知っていたに違いありません。

しかし、その一方、当時の日本人の生活は、『宗教』に強く支配されるものであったということを理解する必要があります。

ここでいう『宗教』は、縄文時代から継承されてきた日本土着の『アミニズム(自然崇拝)』で、後の『神道』につながるものです。

世界の多くの民族も、原始時代は『アミニズム』型の宗教を保有していたことから、それが人間の『精神世界』が考え出す共通のパターンであるような気がします。

科学知識を持ち合わせない人間にとって、自然界の事象の多くは『摩訶不思議』であり、『自然に宿る霊』に『死者の霊』などという概念も加えて、『祀る』『鎮める』などという礼拝行為が宗教形式として確立していくことになったのでしょう。自然災害や疫病の流行は全て『悪霊の祟り』と特に権力者は非常に恐れていたことになります。『祟り』を恐れる風習は、近世まで続いていました。このことを抜きに、古代から近世までの日本の歴史は考えられません。

日本の『神道』が、どのようにして体系化されていったのかは、梅爺は浅学にして承知していませんが、何となく体系化の原点は『出雲』地方ではないかと感じています。巨石や山をご神体とする信仰形式が、『出雲』の特徴です。『出雲大社』は『神道』を研究する上で重要な意味を持っているはずです。

『伊勢神宮』は、後の『ヤマト王権』が、『出雲』様式を真似して自分たちの氏神を祀ったものではないかと考えています。しかし、それにしては『伊勢神宮』には謎が多く、古代史との関連で、解き明かされていないことが秘められているように感じます。

『アミニズム』では『シャーマン』が重要な役割を果たします。『神』や『霊』と人間を橋渡しする役目を負っているからです。『将来を占う』ために『シャーマン』が『神(霊)の意向』を聞き出すことになります。

日常『小国』を治める行為は、権力者のリーダーが行うことですが、『将来どうすべきか』『外国とどのように接するのがよいか』などは、俗人の権力者では見極められませんから、それは『シャーマン』に頼ることになります。

政治には、『祭祀』と『行政』の両輪が必要であることを、2世紀の日本人は理解していて、強い霊能力をもった『卑弥呼(シャーマン:巫女)』を共通に擁立することで、連合国家体制が可能になったのではないかと思います。背景に外国からの脅威があったこともそれを後押しすることになったのでしょう。

『ヤマト王権』が成立する頃から、『祭祀』の責任者が『天皇』になりました。『天皇』は必ずしも『霊能力者(シャーマン)』ではないために、古代には『天皇』が『斉王(女性のシャーマン)』を任命していたということも分かっています。

『祭祀』の最高責任者が『天皇』であるという『考え方』を理解しないと、その後の日本の歴史は見えてきません。

| | コメント (0)

2017年9月 5日 (火)

日本の古代国家の体制(2)

日本に出現した最初の『国家体制』が、『小国』の連合体制であったとしたら、それは大きな意味を持っています。連合体制を維持するには、『合議』というしくみが必要ですから、古代の日本人が何らかの理由で『連合』の重要さを理解し、そのための『合議』のしくみも持ち合わせていたことになるからです。 

『小国』は各地の豪族による地域支配ですから、連合体制が出来上がる以前は、『小国』同士の争いがあったと考えるのが自然です。 

世界の各地の歴史をみても、『小国』同士の争いの中から、強い『小国』が出現し、そのリーダーが他の『小国』を制圧して、中央集権的な『大国』へ移行するというパターンが一般的です。中国の歴史などは典型的です。 

梅爺もこのパターンが『常識』と考えていましたので、日本も『そうであったに違いない』と思い込んでいました。 

しかし、実際は合議制による『連合体制』が早い時期に実現していたとすると、それを必要とする日本だけの事情があったと考えざるをえません。 

『古代の日本人は争いを好まない平和志向の人たちであった』などという能天気な説明は通用しないでしょう。 

このことを考える上で、『魏志倭人伝』には重要な記述があります。 

『倭国は長い間乱れていたけれども、『卑弥呼』を女王に立てることで争いが収まった』いう記述です。

日本にも、ご多聞にもれず『小国』同士が争う時代があったということが分かります。

『小国』のリーダーは、権力を持った男性であったと考えると、『小国』のリーダー(男性)同士が談判して、女王を擁立したしたというところが注目に値します。

現代人の私達は、男性の一人を王にすれば話がまとまらないので女性の王を擁立することでお互いに妥協したのではと推測したくなり、確かにそのような側面がなかったとは言えませんが、『卑弥呼』が政治的権力者というより、呪術を操る『シャーマン(巫女)』であったということに、本当の理由が込められているのではないでしょうか。日本の土着の宗教(アミニズム)では、『シャーマン』は女性であることが常識であったと想像できます。

もうひとつ考えられることは、日本の『小国』のリーダーたちは、朝鮮半島や中国大陸に、大きな『国家体制』が存在していることを知っており、それら外国の大きな国家から攻撃を受けたら、『小国』単位では対抗できないという危機感を持っていたのではないかということです。

2世紀の日本人は、私達が想像する以上に、朝鮮半島、中国大陸のことを知っており、気にかけていたと考えないと、日本の古代国家の姿は見えてこないような気がします。

| | コメント (0)

2017年9月 4日 (月)

日本の古代国家の体制(1)

梅爺は、興味をそそられることがあると、それにばかり熱中して関連の本を読んだり、考えたりする癖があり、今は『日本の古代国家はどのような体制であったのか』という疑問に取りつかれています。

梅爺は、考古学や歴史学を深く学んだことがありませんから、関連の本を読んで得た知識は断片的であり、ご専門の方のような洞察は期待できませんが、それでも、総合して考え、矛盾が少ない答を探してみると、学校の歴史では教えてもらったことがないような『ある姿』が見えてくるような気がします。

2世紀の半ばに日本に『国家』らしきものが存在していたことは、中国の歴史文献『魏志倭人伝』から知ることができます。日本は『倭国』と表記され、女王『卑弥呼』が治める『邪馬台国』が中心地でした。

中国の使者が、朝鮮半島から壱岐対馬を経由して、北九州へ上陸してから、いくつかの『国』を経由して『邪馬台国』へ到達しています。

このことが何を意味するのか梅爺はこれまであまり深く考えたことがありませんでした。当時日本は沢山の『小国』に分かれていて、その中で比較的『大きな国』が『邪馬台国』なのだろうと単純に思っていました。

しかし、これは正しい理解ではなく、実際は、『倭国』は『小国』の連合組織で、その統治の中心として『邪馬台国』が存在したと考えるべきであると気づきました。

中国の使者は、『邪馬台国』の支配下にあるいくつかの『小国』を、日本人の先導者と一緒にたどって安全に『邪馬台国』へ到達したということです。もし『小国』が『邪馬台国』に敵対する『国』であったとしたら、途中に危険が待ち受けていて、何らかの事件に関する報告もあったはずですので、『魏志倭人伝』のような淡々とした表記にはならなかったと考えられるからです。

『邪馬台国』が北九州にあったのか、畿内にあったのかで、『邪馬台国』の支配地域の大きさが変わってきます。

もし『邪馬台国』が畿内にあったとしたら、支配領域は、畿内だけでなく北九州、瀬戸内海沿岸、中国、山陰、北陸、東海、関東にまで及んでいた可能性が見えてきます。

梅爺は、『邪馬台国』は畿内にあったと推察しています。『邪馬台国』とその後に出現した『ヤマト王権』の関係は特定できませんが、少なくとも全く『無関係』とは思えません。『ヤマト王権』は『前方後円墳』という独特の墳墓様式が特徴の一つですが、その中心地は畿内であることが推測の理由です。

2世紀の『倭国』は『小国』の連合体制であったとしても、その支配は、すでに想像以上の広大な地域に及んでいたと考えられます。

| | コメント (0)

2017年9月 3日 (日)

Wanton kittens make sober cats.

英語の諺『Wanton kittens make sober cats.』の話です。 

『いたずら好きの子猫も真面目な親猫になる』ということで、『落ち着きのない子供を案ずることはない。大人になればまともになる』という意味になります。 

人間は『誕生』から『死』までの間、絶え間なく『変容』します。『変容』はポジティブにとらえれば『成長』ですが、ネガティブな場合は『衰退、老化』になります。 

肉体的な『変容』と、精神的な『変容』があることも重要なことで、精神的な『変容』は『脳』の機能が関与します。具体的には、『脳神経細胞』のネットワークの内容が刻々と変化していることを意味します。言い方を変えれば、『私は常に同じ私ではない』とも言えます。

梅爺は自分の『幼少期』『青年期』『壮年期』『老年期』を思い返してみると、大きく『変容』していることを自覚できます。

今でも『生意気で思いあげっている』ところがありますが、昔はもっとひどかったと恥ずかしくなります。昔読んだ本を読み返してみると、前は気付かなかったことを発見できたり、異なった解釈を思いついたりしますから、自分の『変容』に驚かされます。

『子供』が一般的に『無邪気』『天真爛漫』に見えるのは、『脳』の機能が未発達なことに由来します。『知性』『理性』の『脳神経細胞ネットワーク』が大人ほどに整備されていませんので、生物学的には原始的な『情感』『本能』の支配が強い状態にあります。したがって、『感じたこと』『認識したこと』をすぐに言動で表現します。『無邪気』『天真爛漫』に見えるのはそのためです。

当然『分からないこと』『不思議なこと』は、『何故』『どうして』と質問することになり、『好奇心旺盛』にも見えます。

『脳神経細胞ネットワーク』は、生まれてからだんだんに形成されていくのではなく、最初は『ランダム』につながっていたものが、生後の体験を通して、必要なつながりだけを残して、余分なものが消滅していくのであると本で読んだことがありますが、真偽のほどは分かりません。

大人になるということは、『知性』『理性』が成長して、必要な場合『情感』『本能』を抑制できるようになることを意味しています。

その分『好奇心』の鋭敏さは少し失われていきます。

個人差がありますから、子供の時の『好奇心』の強さを持ち続ける大人や、『知性』『理性』で『情感』『本能』を抑制できない大人も出現します。

ですから『いたずら好きの子猫はまじめな親猫になる』という保証はありません。

| | コメント (0)

2017年9月 2日 (土)

政治への無関心(6)

前にも書きましたが、『国政』や『外交』は、複雑な要因が絡む問題ですから、単純な『正しい答』は存在しません。

政党同士は、互いに相手が『間違っている』と単純に非難しあいますが、論理的にはそれは『自分の価値観とは異なる』と主張しているにすぎません。

国家の『決定実行』は、個人の『決定実行』と類似しています。

個人は、自分にとって何が最適かは『分からない』環境の中で、『進学』『就職』『結婚』など決断をし、行動します。

国家も、どの選択が最適かは普遍的な意味で『分からない』環境の中で、決断をし行動します。

『集団的自衛権』や『テロ等準備罪』は、国民を戦争に巻き込んだり、国民の信条の自由を侵害する『悪法』であると野党は叫びます。将来、それがそのようなことになる可能性はもちろんありますが、逆にこれらの法律で国民の安全が守られる事態が起きないとも限りません。

結局、国家も個人も、『大局とその本質を洞察する能力』を保有することが重要であり、それによって行った決定内容を『信じて』不都合な将来に遭遇する可能性を少しでも避けるしかありません。

これまでしても、国家も個人も、結果的に不適切な『決定』『行動』をしてしまうことが皆無であるわけではありません。その時には、その状況でまた『決断』し、信じて行動するしかありません。

『政治への無関心』は、好ましいことではありませんが、逆説的にいうと『無関心でも生きていける社会』は、ある程度うまく運営されている社会であるのかもしれません。

政治が私達に『不都合』と感じさせる事態を、次々に起こせば、私達は身を守るために『政治に無関心』ではいられなくなるからです。

『政治家』も『個人』も、『大局とその本質を洞察する能力』を高める努力を継続すれば、豊かに生きていける可能性が高まります。少なくともこの資質に劣る人は『政治家』には適していません。

そのためには、知識を道具として『自分で考える』しかありません。沢山の知識を習得することが『勉強』ではありません。知識を利用して『考える(推論する)』ことが教育の本質です。

『何が正しい答か普遍的な意味では分からない』という環境で生きていくための『決め手』は、『考える方法論を教える教育』であろうと梅爺は考えています。

| | コメント (0)

2017年9月 1日 (金)

政治への無関心(5)

『民主主義』の体制の中で、『資質に優れた議員』を選出する具体的な方法について、梅爺は妙案を思いつきません。 

『民主主義』が高度に成熟するのを待って、『ある能力レベルをクリアしないと議員にはなれない』という『常識』が、『立候補者』『選挙民』双方に醸成されるのを待つということなのかもしれませんが、理想論すぎるように思えます。 

『立候補者』の『能力レベル』を事前にチェックする方法があればよいのですが、これは現実に難しい話です。仮にチェックの方法があったとしても、そのチェックをクリアしないと立候補できないとすると、『誰でも立候補できる』という『民主主義』の原則をはずすことになるからです。

『選挙民』が『資質に欠けた候補者』に投票しなければ良いということになりますが、それは『選挙民』に高度な人物評価能力を求めることになり、現実には空論になります。

『学歴』『経歴』『容貌』『所属政党』『公約内容』などを総合判断して、誰に投票するか決めてみても、その時点では『立候補者』が『下劣な人物』であるかどうかなど判断できません。また『下劣』と判断する基準も個人の価値観でことなります。

下劣な行いの事件を起こした『議員』に投票してしまった『選挙民』は、『騙された』と憤りますが、『何故あのような人物に投票したのか』と言われても、答に窮します。『下劣な人物』でも立候補でき、選挙民は『下劣な人物』かどうかを事前に判断できる術(すべ)を持たないからです。

『誰でも立候補できる』『誰もが投票権を持つ』という極めて『民主的』で『平等』に見えることが、結果的に『議会民主主義』の活動内容に、多くの人を『無関心』にしてしまう要因が潜んでいます。

『永田町の価値観』『官僚の価値観』が、国民の平均的な『価値観』からズレていれば、国民が呆れて『無関心』になるのも無理からぬことです。

『民主主義』の大枠は是認し、短所を是正して『日本の民主主義』のレベルを高める努力が必要になります。

他国の『民主主義』は参考になりますが、日本は『日本の民主主義』を独自に国民の知恵で作り上げていく責務があります。

| | コメント (0)

« 2017年8月 | トップページ | 2017年10月 »