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2017年8月31日 (木)

政治への無関心(4)

一般に『民主主義』を採用している国家は『議会民主主義』を採用しています。メンバーが全員参加する『直接民主主義』は、『民主主義』の理想ではありますが、コストや運用の大変さを考えると現実的ではないことから、代替の次善策として『議会民主主義』を採用してきました。

『インターネット』や無線通信網が、高度に普及している国では、『直接民主主義』は、検討に値する方式ですが、『本人確認、認証』のしくみが強化され、それは国家による『個人監視(プライバシーの侵害)』を容認することを意味しますから、採用は慎重を要します。

民主的な『選挙』で、『多数決』の原理で当選した『議員』が、私達に代わって『決定』に関わるわけですから、私達も間接的に『決定』に参加しているという論理になりますが、多くの人が参加しているという実感を覚えないところに、『民主主義』の盲点があります。

選挙で『清き一票』を投票することは、国民の権利であり義務である、などとこれまた論理的に説得されて、その時は『その気』になりますが、自分の『考え方』『価値観』が政治に反映しているという実感はやはり覚えません。

この、一般の人の『政治』への無関心の原因は、『選挙で当選した議員』は、私達の代表にふさわしい『政治家としての資質』を備えている人物であるとは限らないからです。これは単純な話で『政治家になりたい人』と『政治家に適している人』は同じではないということにほかなりません。

アメリカの『トランプ大統領』は梅爺の眼には『政治家に適さない人物』に映りますが、民主国家『アメリカ』が選んだ人物です。

日本の地方自治体の議員、国家議員が次々に引き起こす、『稚拙な言動事件』『呆れるくらいの倫理観が欠如した行動』を観ていれば、国民が政治に無関心になるのは当然のように思います。

『国政』『外交』は、多くの人たちが考えるほど易しい世界ではありません。『多様な分野の専門知識』『洞察力』『語学力(説得力)』『人間や人間社会に関する深い理解』などが『政治家』には求められます。

『政治家』を補佐する『官僚』は、有能な人たちで構成されますが、『政治家』の能力がそれに呼応していないために、関係はいびつなものになっています。『官僚』が心から尊敬して補佐しようという『政治家』は少なく、したがって『官僚』は『面従腹背』『保身優先』に走る傾向が強くなります。

私達は中国の『共産党一党独裁』を『民主主義』に反すると非難しますが、意外にあの方法が、政治の中心に『有能な人物』を配置する方法としては優れているのかもしれません。中国の幹部は、口にはしませんが『国民の意見などいちいち聞いていたら、国政は効率よく、敏捷には実行できない』とホンネで考えているのではないでしょうか。

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2017年8月30日 (水)

政治への無関心(3)

社会を運用していくには、必ず方針(憲法、法、条例など)や施策を『決定』する必要があります。

社会の構成メンバーは、個人としては『個性的』で、『考え方』『感じ方』『価値観』がそれぞれ異なっていますから、全員が心から『納得』する『決定』は論理的に存在しません。

政治家は、『しっかり議論をして、国民の皆様のご理解をいただく』などと軽々しく口にしますが、どんなに議論をしても、国民全員が『納得』することなど、論理的にはあり得ません。

しかし、『決定』しなければ、社会は前へ進めませんから、『決定』するための『方法』が必要になります。『民主主義』が多く採用している『多数決』がその『方法』の一種で、対極は、『決定権を独りに委ねる』という『独裁主義』の『方法』です。中国の『一党独裁』も一種の『独裁主義』です。

『民主主義』では採決の前に、公開の議論が行われるのが通常で、議論は時間を要しますから、『決定』には時間がかかります。言い方を変えれば『民主主義』は極めて効率が悪い方法ともいえます。議論をしている間に、事態が悪化したり、国家の場合国際競争で後れを取ってしまうこともあるからです。

その点『独裁主義』は、適切な『決定』がなされれば極めて効率のよい『決定』方法です。中国が一時破竹の勢いで、国際経済競争で有利な立場を維持できたのは、『一党独裁』で『決定』が迅速に行われたからです。

しかし、『独裁主義』の弊害は、『独裁者』または『独裁組織』が独善に陥り、極めて不適切な『決定』が行われやすいことです。その社会は、自由な発言や主張は認められないために、多くの場合メンバーにとっては精神的には耐え難い状況になります。

歴史の中で『独裁主義』の苦い弊害を経験してきた国家は、苦労の末に『民主主義』を採用するようになりました。

しかし『ヒトラー』や『スターリン』はそれほど昔の人物ではありませんし、現在でも『キムジョンウン』などといういかがわしい『独裁者』が世界には存在しています。

『民主主義』の弊害は『効率の悪さ』だけではありません。『政治家の資質』が保証されるとは限らないというのがもう一つの弊害です。

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2017年8月29日 (火)

政治への無関心(2)

このエッセイの著者は、周囲の有能な人たちが『政治』へ無関心であるという表面的な事象を観て、懸念を述べるにとどまっています。

文脈からして、著者自身も無関心な人たちの一人であることが容易に想像できます。つまり、自分はこれほど『政治』に関心を寄せているのに、周囲の他人が無関心なのは怪しからんと慨嘆しているわけではありません。

裏を返すと、『有能な人たち』が無関心である間に、『あまり有能でない人たち』が『政治』を操っている『危なっかしさ』を危惧しているともいえます。

アメリカの『トランプ大統領』や、北朝鮮の『キムジョンウン』の『危なっかしさ』などがすぐに思い浮かびます。

梅爺も『政治』に全く無関心であるわけではありませんが、どちらかと言えば無関心に近い部類に属しますから、著者の心情は理解できます。

この問題の本質は、『民主主義』という政治体制に深く根ざしていると観るべきではないでしょうか。

梅爺が何度もブログに書いてきたように、『人間』や『人間社会』の問題の大半は、『人間が生物として個性的であるように宿命づけられている』ことに由来するというのが、梅爺の仮説です。

『個性的である個人』が、『社会』という『群』の中で生きていく時の、『個人の利害』と『社会の利害』の相克を、基本的に解消する『知恵』を人類は未だ見出していないというのが、梅爺の考え方です。

この問題は、人間と言う生物種が『生物進化』の過程で、『個』は『自分の安泰を最優先する本能』を継承しながら、生き残りの確率を高めるために『群』で生きる方法を選択したことに由来します。

『個の利害』と『群の利害』の相反は、解けない『矛盾』として私達に常にのしかかってきます。『利己』か『利他』かという選択の問題としてとらえれば理解しやすいかもしれません。

『民主主義』は、一つの便法として考え出された『社会』の運用方法ですが、勿論『長所』『短所』を併せ持つ方法に過ぎません。

『民主主義』は『理想的なシステム』と単純に受け容れるのは能天気すぎます。

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2017年8月28日 (月)

政治への無関心(1)

『Whato should we be worried about?(我々は何を危惧すべきか)』というオムニバス・エッセイ集の50番目のタイトルは『We Don't Do Politics(我々は政治には関わらない)』で、著者はアメリカのレコーディング・プロデューサーの『Brian Eno』です。

周囲の『スマート(smart)な人たち』は、おしなべて政治に無関心であり、『疫病神』のように避けるようにしている、と著者はまず書いています。勿論アメリカ社会の話です。

『smart』と言う英語は、意外に日本語へ翻訳しにくいのですが、この場合は、『賢明に自分の職分をこなして、裕福に生活している』というようなイメージではないでしょうか。外見の『かっこよさ』という意味は希薄である気がします。

何故彼らが政治に無関心なのかの理由について、著者はいくつかの推測をしています。

(1) 政治は所詮つまらないことが進行している場所に過ぎないと感じている。
(2) 自分の仕事、たとえば『量子物理学』の研究、『ゲノム(遺伝子構造)』の解析、新しい音楽作りなどに熱中していて、政治へ関心を示す余力がない。
(3) 他人と議論をすることに臆病である。
(4) 物事は、流れに任せていればうまくいく、『見えない手』や『科学』がうまく処理してくれると考えている。

理由はどうあれ、我々が政治に無関心でいる間に、政治は誰かによって動かされており、『イラク』や『アフガニスタン』での戦闘で数十万人の犠牲者がでたり、『サダム・フセイン』や『タリバン』などの独裁者、独裁政権が残した『負の負債』のために、貧しい国家の人たちが血を流し続けている。更に政治は『同性愛者同士の結婚』や、『万能細胞の研究』を禁じたりしながら、一方で『ガザ地区』や『グアンタナモ収容所』の問題には手を貸したり、見て見ぬふりをしていると著者は述べています。

我々は、政治は他人に任せ、そのくせうまくいかないとブツブツ文句をいい、自分の責任は『投票箱』に票を投じた時に果たしていると思っているとも著者は書いています。

我々が、政治を避けて『放任主義』を装っている間に、陰でうまく政治を操っている人たちがいることが懸念事項であると述べて、著者はこのエッセイを閉じています。

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2017年8月27日 (日)

『芸術』は何故必要なのか(6)

人は誰でも自分の『精神世界』を表現したいという本能的な欲求を有しています。梅爺も深く考えずに、自分の『考え方』や『感じ方』をブログ(梅爺閑話)に掲載することを始めましたが、今になって考えてみると、この欲求が働いていたことが分かります。

幸い梅爺は、年金で余生を送ることができますので、文筆家として他人から評価され、それで収入を得ることを考える必要はありません。

ブログで、他人に迷惑がかからないようにとの配慮はしていますが、基本的に他人の評価を得ることを前提に書いてはいませんから、その意味では『芸術家』の表現に似ています。

真の芸術作品は、優れた才能の持ち主でないと創出できません。『陶芸家』の作品のように、その人の才能と、自然の『摂理』が関与した『偶然(窯の温度と釉薬の発色具合の関係など)』の組み合わせで創りだされるものもありますが、基本的には『芸術家』の才能を必要とします。

凡人は、『芸術家』のような作品は自分では創りだせませんが、優れた『作品』に接した時に、自分の『精神世界』が、今まで体験したことがない何かを感じます。この新しい体験による感動は『鑑賞者』の満足につながります。

『芸術』は『芸術家』と『鑑賞者』の『絆』の確認で、人間社会の『精神世界』のレベルが高める結果になります。

したがって『芸術』は、その社会の『文明度』のレベルに大きく影響を及ぼします。『芸術』は空腹を満たすことには役立ちませんが、豊かな『精神世界』の満足を得ることには役立ちます。

人間は高度な『精神世界』を保有する生物であり、『群』をなして『生きる』方法を選択した生物であるがゆえに『芸術』を必要としている、というのが梅爺の結論です。

『科学』『哲学』『宗教』も同じようなことがいえますが、『芸術』が他の分野と異なるのは、『芸術家』も『鑑賞者』も、自分の個性的な『価値観』を優先し、自由に表現し、自由に感じ取ればよいということです。

換言すれば『芸術』には、価値を決める普遍的な尺度がありません。

人間は生物として『個性的』であるように、宿命づけられていますから、『個性的』な自由が認められる『芸術』の世界は、人間と特性と極めて相性が良いということがいえます。

『私はモーツァルトが好きだ』という発言は許されますが、『モーツァルトは好きではない』という他人を非難したり、『好きになりなさい』などと強要することはやってはいけないことです。

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2017年8月26日 (土)

『芸術』は何故必要なのか(5)

人間は自分の『精神世界』を表現し、他人の『精神世界』を斟酌(しんしゃく)して、互いの『絆』を確認し安堵しようとします。

生物として『安泰を希求する本能』を継承してきたからであろうと、何度もブログに書いてきました。

普通の人にとっては、『生きる』ために必要なことがらを表現することが大半ですが、『芸術家』は、普通の人には必ずしも『生きる』ために必要とは思えないことがらを、なんとしても表現したいという欲求に突き動かされる人たちです。

本来『芸術家』は、自分の表現欲求に突き動かされて表現することになりますので、『それを他人がどのように評価するか』は一義的な必要条件にはなりません。

『ゴッホ』などは、生前に売れた絵は一枚しかない画家ですから、自分の表現欲求だけに突き動かされた『芸術家』の典型例です。

しかし、『芸術家』も人間ですから、『自分の表現』が他人からどのように評価されるかが『気にならない』わけではありません。『自分流の表現』を『他人が評価してくれる』ことは、存在を認めてもらうことですから『精神世界』の『満足』につながります。

『他人の評価を計算に入れて表現する』という行為は、純粋さを欠くように思えますが、『芸術』にはそのような側面が付きまとうことも避けられません。多くの『芸術家』の葛藤がここにあります。

理想的な『芸術』は、『芸術家』が純粋な自己表現欲求で制作したものを、多くの『鑑賞者(他人)』が高く評価するという関係で成立します。

作曲家の『ビゼー』は、庶民を主役にする新しいオペラ『カルメン』を作曲しましたが、初演では全く評価されませんでした。『ビゼー』は失意のまま、その3ケ月後に亡くなりました。

しかし、現在世界で最も人気のあるオペラは『カルメン』です。同じく『ゴッホ』の絵も多くの絵画愛好家が評価しています。

『芸術家』と『鑑賞者』が、相互に『絆』を確認、共有したという理想の『芸術』は、必ずしも多くないと言えるかもしれません。

『従来と異なった新しい表現』の価値を『鑑賞者』が『評価』するようになるまでに、時間がかかるということでしょう。

多くの人の『精神世界』は保守的な価値観で支配されているためではないでしょうか。これも、『精神世界』を考える上で、重要なことになります。

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2017年8月25日 (金)

『芸術』は何故必要なのか(4)

人間にとって『生きる』という言葉の定義は、一律ではありません。

生物として、生命機能を維持しているという状態を『生きている』と表現するならば、この場合は『精神世界』が健全に機能しているかどうかは、必ずしも必要条件にはなりません。

『植物人間』という、ひどい表現がありますが、これは上記の『生きている』に該当します。

健全に『精神世界』が機能していた時のことを知る周囲の人間にとって、同じ人が『植物人間』になったことを認めることはつらいことです。

そのため、周囲は『本人は周囲を感知できているのに、反応できないだけかもしれない(精神世界の全てが失われているとは言えない)』と、良い方に解釈しようとします。

『認知症』も、健全に『精神世界』が機能しなくなる症状ですが、周囲の人間にとっては、『まるで人格の異なった人』に観えますから、途方に暮れることになります。

このことから、人間の『人格』『品性』『知性』などは、『精神世界』が関与して創り出されていることが分かります。

したがって、本来人間にとって『生きる』ということは、生物として生命機能を維持できているという基本条件に加えて、健全に『精神世界』を駆使できているという条件が満たされていることを意味することになります。

易しい表現をすれば、『健やかな身体、健やかな心』の二つが両輪で『健やかに生きる』ことが実現できるということでしょう。

しかし、現実には、人間は『身体』『心』とも、『個性的』である上に、『健やか』は相対的な抽象概念の表現ですから、『この人は健やかに生きている』『この人は健やかに生きていない』と客観的に判別することは困難になります。

梅爺のような老人は、『身体』は昔のようには機能せず、『記憶力』もめっきり衰えていますから、明らかに昔に比べて『健やかに生きていない』ことは確かです。

しかし、一方梅爺の洞察力は年齢を重ねて鋭敏になり、情感も寧ろ豊かになっているかもしれませんから、その点では『昔より健やかに生きている』と言えるのかもしれません。

結局、『自分の精神世界とどのように付き合うか』が、その人の『生きる』意義につながるのではないでしょうか。

『芸術は何故必要なのか』を考えるヒントがここにあるような気がします。

『尊厳死』を認めるかどうか、などという難しい議論も、その人の『生きる』意義を決める権利の話ですから、この問題と同根です。

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2017年8月24日 (木)

『芸術』は何故必要なのか(3)

話がなかなか『芸術』の話になりませんが、『芸術』の必要性を知るためには、『精神世界』の特性を知っておく必要がありますので、お付き合いください。

『精神世界』は、『群のなかで絆を確認する』手段として進化してきたと梅爺は考えています。

赤ん坊は、自分だけで『生きて』はいけませんから、『不快』を訴える時には『泣き』ます。『母親』や周囲の人は、『何故赤ん坊が泣いているのか』を、状況から推論して、赤ん坊の『不快』を取り除こうとします。『不快』が取り除かれれば赤ん坊は『安泰』を感じて泣きやみます。極めて一方的、原始的な手段ですが、赤ん坊にとって『精神世界』を表現する原点がここにあります。

赤ん坊は、他人の顔を認識する時にまず『眼』を探します。『眼』を中心に顔のパターンを認識し、それが『母親』の顔であり、更に『笑顔』であることが分かると安堵し自分も穏やかな顔になります。これも相互に『精神世界』を確認するための行為です。母親が『笑顔』で接することが重要であり、それが子供の『精神世界』の生育に大きな影響を及ぼします。『愛されている』環境で育った子供は、他人を『愛する』能力を身につけている可能性が高いからです。

まず『眼』を探して、顔の表情を探るのは、赤ん坊だけではありません。梅爺は昔犬を飼っていましたが、愛犬は必ず梅爺の『眼』『顔』を先ず探ろうとしていました。生物進化の共通した資質なのでしょう。

『精神世界』は眼には見えない『仮想世界』ですが、『脳』という実態があって、初めて存在する世界です。

『脳』は、梅爺流に表現すれば『物質世界』に属するもので、全ての『物質世界』の事象は、『摂理(自然法則)』に則って機能しています。

『精神世界』の『思考』や『情感』は、抽象的な存在ではありますが、それといえども『物質世界』の実態ある事象が生み出しているものです。

『思考』や『情感』は、『脳』の特定分野が創り出す『ホルモン(化学物質)』や、『脳神経細胞ネットワーク』で交信される『電気信号(物理信号)』を媒介として、『情報処理』が行われている結果として存在するものです。

『脳』は『物質世界』の『摂理』だけで機能していますから、機能できない状態になった時に、つまり人間が『死』を迎えた時に、『精神世界』も一緒に機能できない状態(死)を迎え、『無』に帰すと梅爺は考えています。

梅爺の拙い理性は、『肉体は滅びても、霊は不滅』などという『しくみ』が存在することを『信ずる』ことを拒んでいます。

ただし、これは『信じないのは間違い』などという議論の対象にはなりませんから、あくまでも梅爺は『そう思う(信じない)』という表現にとどまります。

上記のような理由で、梅爺は『生きている』間だけ、自分の『精神世界』を享受できると考えますので、『摂理』によって肉体(脳)が生かされていることに、深く感謝しています。

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2017年8月23日 (水)

『芸術』は何故必要なのか(2)

『宗教』の本質は『信じて、心の安らぎを得る』ことであろうと思います。

このように、『精神世界』の基本的な機能の一つが『信ずる』ことですが、厄介なことに人間の『精神世界』は、『疑う』という基本的な機能も有しています。

一見『信ずる』と『疑う』は矛盾する行為に観えますが、実は『安泰を希求する本能』の異なった側面と考えれば納得できます。

『摩訶不思議』『不可解』『神秘』な事象に遭遇すれば、私達は『実態を論理的に理解したい』と願います。科学者は究明しようと努力します。『摩訶不思議』『不可解』『神秘』を放置すれば、『不安』が『脳』のストレスとなって、『安泰』が脅かされるからです。

なんとか『因果関係』を突き止めようと考えますが、私達の能力ではどう考えても『分からない』ことは沢山あります。そのような場合には、仕方がありませんから『ある想定』を『信じて』、前へ進むことになります。

私達は生きていくために『信ずる』という行為を必要としていることが分かります。『進学』『結婚』『就職』なども、『これが最善であろう』と『信じて』決断することになります。これが『最善』であるなどと、客観的には誰にも『分からない』ことですから、『正しい答』を他に求めてみても存在しません。

人間社会の『政治』『経済』などの行為も同じことで、『正しい答』は誰にも『分かりません』から、自分の主張は、あくまでも『私はこの方法を選ぶ』という表現になります。勿論選択した決断には責任が伴います。

しかし、多くの人はこのことを理解していないために、何事にも客観的に『正しい答』が存在すると勘違いし、『専門家』や『評論家』の発言にそれを求めようとしたり、答が書いてある本を探したりします。

梅爺は『専門家』『評論家』『参考書』は無用と言いたいわけではありません。ただ客観的な『正しい答』が存在しない事象に遭遇したら、最後は自分の『理性』を駆使して、相対的に自分が一番納得できる『答』を見つけ、それを『信ずる』しかないと言いたいだけです。

現代は『情報』が氾濫している時代であるからこそ、『情報』を鵜呑みにすることには慎重であるべきです。『自分の理性で判断する訓練』をすることが必要になります。安易に『信ずる』と痛い目にあう確率が高いからです。

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2017年8月22日 (火)

『芸術』は何故必要なのか(1)

年金暮らしで能天気に生きている爺さんが、『芸術は何故必要なのか』などと、今更悩む必要などないだろうと笑われそうですが、梅爺は人間の『精神世界』に興味を抱いていますので、このようなことをつい考えてしまいます。

『芸術』は人間の『精神世界』を表現する特別な手段です。

『特別な』と書いたのは、『精神世界』を表現することは『芸術』に限らず、私達は日常、意識的にまたは無意識に行いながら生きているからです。

人間は誰もが『生きていく』ために、『精神世界』を表現することを必要としています。

生物進化の過程で、『種』として生き残る確率を高めるために『群』をなして生きる方法を人間は選択しました。

『群』をなして生きる方法を選択したのは人間だけではなく、他の多くの生物種も選択した方法ですから、このことは人間だけが特殊な生物ではないこと物語っています。

『群』の中で生きていくためには、自分が『群』の一員であることを他のメンバーに認めてもらう必要があります。そのために、『自分が今どういう状況にあるのか』『何を考えているのか』『何を感じているのか』『何に困っているのか』などを表現してアピールする必要があります。

『精神世界』を表現することを必要としているのはこのためです。

一方、『群』の中で、他人が『どういう状況にあるのか』『何を考えているのか』『何を感じているのか』『何に困っているのか』を『知る』ことも、重要な意味を持ちます。

つまり、『群』の中の『コミュニケーション手段』として、『精神世界』の表現が必要とされているということです。『絆の確認』という言葉がよく用いられますが、同じことを言っていることになります。

人間の『脳』は、高度に進化したために、『抽象概念の理解』『因果関係の推論』などの機能を保有するようになりました。

『宗教』はこのように高度に進化した『脳』が考え出したものと、梅爺は考えています。生物種の中で『宗教』を共有しているのは人間だけのように観えます。『イヌ』や『ネコ』のホンネは分かりませんが、少なくとも『拝んだり』『祈ったり』しているようには観えません。

人間が『宗教』を必要としてきたのは、『人と人の絆』と同様に『神仏と人の絆』を求めたからであろうと思います。『安泰を希求する本能』を保有する私達は、『神仏との絆』を確認することで『心の安らぎ』が得られることを実感できるからです。ただし、このためには『信ずる』という行為が必要になります。

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2017年8月21日 (月)

ウンベルト・エーコのエッセイ『御子にかまうな』(6)

『キリスト』の死を、一人の優れた思想家に起きた不幸な出来事としてこのブログを書いてきました。『ローマ帝国』の植民地支配下で、不満が鬱積し、人心が荒廃していたユダヤで、『キリスト』は『神への帰順』を説き、『愛』により『心の安らぎ』を取り戻すように人々に説いたのでしょう。しかし、不幸なことに『思想的な危険分子』として『ローマ帝国』によって処刑されてしまいました。

しかし、後世『キリスト教』は、この『十字架の死』に、『特別の意味』が込められていると主張するようになりました。

『人々の罪の許しを神に乞うために、私達の身代わりになって死んでくださった』という『贖罪』の考え方です。『人々の罪』については、『人は生まれながらに原罪を負っている』という難しい主張も追加されました。

人間の『精神世界』が、特定の『事象』の『因果関係』を、自由に創出する一つの典型例と信仰心の薄い梅爺は、畏れ多くも考えています。

このような『価値観』は、『正しいかどうか』の議論の対象にはなりえません。各自が、自分で判断して『受け入れるかどうか』を決めればよいだけのことです。ただし、受け入れる時には『信ずる』という行為が必要になります。

『十字架の死』に特別な意味が込められているという考え方を受け入れている方々にとっては、『神聖なる出来事』ですから、それを『生々しい人間の死』としてリアルに再現した『パッション』という映画には、違和感を覚えるのは当然のことです。

『信じている』かどうかは別にして、『ウンベルト・エーコ』のように、キリスト教文化を『伝統』として受け容れている人にとっても、この映画は『好きになれない』ものだったのでしょう。

知性派であるはずの『ウンベルト・エーコ』が、かなりひどくこの映画を酷評しているのを読んで、人間は『好き、嫌い』が先に立つと、発言も過激になるものだと再認識し、自戒せねばと思いました。

『ウンベルト・エーコ』はさすがに気がひけたのか、『ウンベルト・エーコ』の酷評を読んだ読者が、『あんたは許せない。映画の結末をバラすなんて』とトンチンカンな抗議の手紙を送ってきたとユーモアでエッセイを締めくくっています。

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2017年8月20日 (日)

ウンベルト・エーコのエッセイ『御子にかまうな』(5)

『ローマ帝国』の植民地支配下のユダヤで、ユダヤ人に『神(ユダヤ人だけの神:ヤーヴェ)』への帰順を説いた『キリスト』は、『ローマ帝国』にとって思想的な『危険分子』であったために、捕えられ、形式的な裁判を受けたうえで、十字架の刑に処せられたというのが、歴史的な出来事であったと梅爺は推察しています。

『救世主』ではないかと民衆から崇められ始めた『キリスト』は、『ローマ帝国』支配に協力していたユダヤ人(腐敗したユダヤ教の神官、ユダヤ王の関係者など)にとっても目障りな人物となっていたために、『キリスト』を『ローマ帝国』へ売り渡すために協力したに違いありません。

『キリスト』の十字架処刑は、ユダヤ人の裏切りのせいだという考え方は、その後西欧のキリスト教徒の中に根強く定着し、『ユダヤ人を嫌う』風潮につながっています。『メル・ギブソン』にもそのような言動が見られたために、映画『パッション』の封切り前にユダヤ人達から、異議が申し立てられたのではないでしょうか。

『キリスト』はあくまでもユダヤ人の宗教観の中で『神への帰順』を説いたことになりますが、思想家として優れているところは、『愛』を人間の行動の基盤とすべきと説いたことです。『汝の敵を愛せよ』などという『教え』がそれを示しています。

この『教え』は、『ユダヤ人』『ユダヤ教』とは無関係に、人類にとって共有しうる『価値観』であることを『使徒パウロ』は見抜き、『キリスト教』を新しい『宗教』に変身させたことになります。

『キリスト』の死の約50年後に、ユダヤの『民族主義者』は反『ローマ帝国』を掲げて蜂起しました。『ユダヤ戦争』として歴史は伝えています。

『ローマ帝国』は、ユダヤに対して容赦のない攻撃を行い、エルサレムは徹底的に破壊されました。この時『ユダヤ教の大神殿』も破壊され、現在では城壁の一部が『嘆きの壁(ユダヤ教の聖地)』として残っているだけです

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2017年8月19日 (土)

ウンベルト・エーコのエッセイ『御子にかまうな』(4)

『キリスト』が出現した時代、ユダヤは『ローマ帝国』の属州、つまり植民地でした。このことを抜きにして『キリスト』の出現は考えられません。

梅爺の推測は、『神の御子イエス』ではなく、偉大な思想家(人間)としての『キリスト』という前提です。『神の子イエスを人間とみなすなどとんでもない』とおしかりを受けそうですが、梅爺個人の考え方ですからご容赦ください。

ユダヤは、古代から歴史的に『バビロニア』『エジプト』など他民族の支配に苦しめられてきました。

そのような状況の中で、『ユダヤ民族だけの神(一神教)』という考え方を思いつき、それを民族の『絆』としての拠り所にしてきました。『自分たちだけが特別な民族である』と考えることで、『安堵』を得ようとしたことになります。それを体系化したのが『ユダヤ教』です。

迫害の中で、『神』は『救世主(メシア)』を遣わして下さるという、『救世主思想』が生まれたのも当然のように思います。

世界の各地へ分散していったユダヤ人が、現地の人たちから疎まれやすいのは、『自分たちだけの神を持つ』という考え方が、排他的として受け止められたからです。近世、現代もユダヤ人が他民族から疎まれやすい事態は続いています。

『キリスト』の時代は、『ローマ帝国』の支配下にあり、形式的に『ユダヤ王』は存在していましたが、実質的には『ローマ帝国』から派遣されてきた『総督』が政治を取り仕切っていました。『キリスト』を裁判にかけた『ポンテオ・ピラト』は当時の『総督』です。

『ローマ帝国』は、原則的には植民地に『宗教の自由』を認めていましたが、『キリスト』の時代のローマ皇帝『アウグストゥス』は『皇帝は神である』と言い出し、植民地にも『皇帝崇拝』を強いました。

これは、ユダヤ民族には大きな試練で、『反ローマ帝国』の気運がたかまりました。『キリスト』はそのような時代に出現しました。

『キリスト』は『反ローマ帝国』を民衆に呼び掛けたわけではありませんが、『神への信仰』を説き、民衆から『救世主』と崇められ始めたことは、『ローマ帝国』にとっては『危険人物』であり、結局『ローマ帝国』の刑法に則って、十字架の刑に処せられたことになります。

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2017年8月18日 (金)

ウンベルト・エーコのエッセイ『御子にかまうな』(3)

『2000年前のユダヤに、何故神は御子イエスを一度だけ遣わしたのか』というへそ曲がりな疑問を梅爺は抱いてきました。

人類の歴史の中で、人々を救済すべき多くの機会が、他の場所、他の時代にも存在したはずなのに、何故よりによってユダヤなのだろうという疑問です。

『それは神のご意思であって、お前のような信仰心の薄い人間が、浅はかな考えで推量することではない』と言われればそれまでのことですが、梅爺は、『神の御子』という前提をはずして考えてみると、ある程度納得ができるような気がしています。

当時のユダヤの民衆の精神世界に大きな影響を与える偉大な『思想家』が出現したという推測です。

そう考えれば、『キリスト』の出現は『孔子』『釈迦』『ソクラテス』の出現と同じように受け容れることができます。

偉大な『思想家』の出現は、その当時の時代背景が影響していることは間違いありませんが、人間社会にはある確率で『偉人』『天才』が出現することも明らかです。

『ダ・ヴィンチ』『モーツァルト』『ゴヤ』や『ダーウィン』『アインシュタイン』などの出現も、『何故出現したのか』などと問うてみてもあまり意味がありません。『天才』の出現を私達は人類の幸運な宝物として共有すればよいだけの話です。

しかし、『キリスト』の出現に限っては、当時のユダヤの時代背景が大きく関わっているように思います。

『キリスト』は、当時のユダヤの人々へ向けて『思想』を述べただけですが、それを人類へ向けての『普遍的なメッセージ』であると観方を変えたのは『使徒パウロ』の業績です。

『聖書』を読んで、私達が感銘を受けるのは、『使徒パウロ』の価値観を受け入れて、私達が『キリスト』の言葉を私達へのメッセージとして受け取るからです。勿論『キリスト』の言葉には、『普遍性』があったからこその話です。

『キリスト』は自分がその後の人類へ大きな影響を及ぼす『宗教』の教祖である、または教祖になろうという考えは持っていなかったのではないでしょうか。

『キリスト教』の『教義』を体系づけたのは『使徒パウロ』の業績です。

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2017年8月17日 (木)

ウンベルト・エーコのエッセイ『御子にかまうな』(2)

監督兼主演者として『パッション』という映画を作ったアメリカ人俳優『メル・ギブソン』は、『教皇空位論』を信奉する超伝統主義カトリック信者として知られています。

ただし、私生活では再婚した女性に対する家庭内暴力の嫌疑、飲酒運転でスピード違反など、芳しくない話がつきまといます。

本人も『飲酒をすると、判断のバランスを欠くことがある』と反省をしてはいますが、善良柔和な信仰者とは程遠い印象を受けます。

映画『パッション』を制作するために、私財30億円を投じたといわれていますので、少なくとも『カトリック』『キリスト』に対して批判的なメッセージを発することが目的ではなかったのでしょう。

それよりも、『メル・ギブソン』自身は、神聖なる出来事として美化されがちの『キリストの受難』を、忠実に再現しようと考えたのかもしれません。

『映画』の中の科白(せりふ)は、全て『アラム語』『ラテン語』で、その他の言語への音声吹き替えは禁じられ、『字幕翻訳』だけが許されたことからも、『メル・ギブソン』が忠実なリアリティにこだわったことが窺えます。

『アラム語』は『キリスト』が話していた言葉と考えられています。

『凄惨な拷問』『目覆う流血』などの現実味で、『美化された神聖な出来事』のイメージを覆すことに、どのような意味があるのかは、梅爺も判断できませんが、『メル・ギブソン』にとっては、それが『重要』であったのでしょう。

『ウンベルト・エーコ』は『伝統』をわざわざ汚すような行為は『醜悪』と批判しています。そう言いたくなる気持ちも理解できます。

更に穿った観方をすれば、『陰惨な拷問』『目を覆う流血』は、映画の興行高収益を狙った計算とも考えられます。『ウンベルト・エーコ』は興行成果のために意図的に仕組んだものと決めつけています。

この映画の評価は賛否両論に分かれましたが、少なくとも興行的には大ヒットになりました。

この映画には『ユダヤ人蔑視』があるとして、ユダヤ人から興行を取りやめるようにという反対運動がありましたが、映画は結果的には公開されました。

『キリスト』を捕え、処刑したのは『ローマ人』ですが、『ローマ帝国』の支配下にあったユダヤで、『キリスト』を『ローマ人』へ売った悪いユダヤ人達がいたとする考え方は、キリスト教文化圏に根強くあるのは確かなことです。

『キリスト教』は『ユダヤ教』から派生したにも関わらず、『キリスト教』の成立時から、『ユダヤ教』との確執があり、今も残っています。

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2017年8月16日 (水)

ウンベルト・エーコのエッセイ『御子にかまうな』(1)

『ウンベルト・エーコ』のエッセイ集『Turning Back  the Clock(時を遡る)』の33番目のタイトルは『Hands off My Son!』で、2004年に封切られた『メル・ギブソン』監督、主演の映画『The Passion of the Christ(キリストの受難:日本でのタイトルはパッション)』を論じたものです。

タイトルの『My Son』は、父なる神が御子キリストを呼ぶときの表現ですから、ブログのタイトルは『御子にかまうな』と意訳しました。

このタイトルからも分かるように『ウンベルト・エーコ』は、この映画を評価していません。『私の息子にかまうな』と『神』の言葉を代弁することで、この映画を痛烈に皮肉っています。

梅爺は、この映画を観ていませんので、間接的に想像するしかありませんが、『キリスト』が捕えられてから十字架上で死を迎えるまで、約12時間の出来事をこの映画は再現しているようです。

この映画で話題になったのは、凄惨な拷問シーンで、目を覆いたくなるような暴行、流血シーンが続き、アメリカでは観客の女性が心臓まひで死亡する事件が起きたと伝えられています。

『キリストの受難(十字架刑で処刑)』は、『キリスト教』の教義の根幹であり、、キリスト教文化圏の人たちにとっては、最も『聖なる出来事』と受け止められています。人間の全ての罪を一身に背負って、『神』に赦しを乞うために私達の身代わりになってくださった(死んでくださった)という考え方が信仰の中心になっています。

『キリストの死』は、キリスト教の教義においては人類最大の尊い『自己犠牲行為』ということになります。

『ウンベルト・エーコ』の『信仰心』については梅爺は知識がありませんが、その著作から類推して、『熱心なクリスチャン』ではないように見えます。ただ『文化』の一部になっているキリスト教関連の伝統については、積極的に認める姿勢がうかがえます。

梅爺も、信仰の厚い人間ではありませんが、日本人として神社、仏閣には心が惹かれますし、形式的であれ参拝することに抵抗はありませんから、『ウンベルト・エーコ』のキリスト教文化への対応もそのようなものかと勝手に想像しています。

そのような『ウンベルト・エーコ』から観ると、この映画は興行成果を狙うために、故意に『暴行、流血』シーンを多用した低俗な映画という評価になっています。

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2017年8月15日 (火)

日本の古代国家(10)

『ヤマト王権』の成立、発展時期は『古墳時代』に属します。勿論、『古墳』はそれ以前から存在していましたが、大規模化したのは『ヤマト王権』の最初の時代と一致します。 

日本の『古墳』は、現在確認されているもので約16万基あります。一番多いのが兵庫県で、1.6万基あります。 

このことは、『古墳』は『ヤマト王権』の中枢人物だけでなく、それにつかえていた地方の豪族も構築することが許されていたことを示しています。 

天皇陵と目されている巨大な『前方後円墳』などは、その構築に関わった労働力を試算すると、延べ1500万人ということになり、権力の巨大さを物語っています。巨大化は5世紀が最盛期で、7世紀になると『古墳』は造られなくなります。仏教の伝来で、宗教観が変わったことを意味しているのではないでしょうか。 

『古墳』を形状で区分すると、『円墳』『方墳』『前方後円墳』『前方後方墳』に分かれ、それが少し変形したものもあります。 

考古学で、『古墳』を、形状別、規模別、分布地域別、構築時期別、副葬品別に詳しく調査すると、色々なことが分かってきます。 

『古墳』の形状の違いは、それを造ったコミュニティの、『文化』特に宗教観の違いが背景にあるはずです。 

各形状の源流はどこになるのかは、必ずしも判然としませんが、『前方後円墳』は主として畿内に存在します。

初期の『ヤマト王権』の権力者の墓は『前方後円墳』で、『卑弥呼』の墓も『前方後円墳』ですから、これだけ見れば『邪馬台国』は『ヤマト王権』の前身とも見えますが、大和地方に拠点を移した『ヤマト王権』が、その地の風習を踏襲したとも考えられます。

重要な副葬品として『銅鏡』がありますが、当時の人間にとって『姿を映す鏡』は、不思議な魔力を秘めたものとして、信仰の対象であったのでしょう。『光の反射』などという物理法則を知らなかったのですから、そのような因果関係を推測したのも無理からぬことです。自分にとって不思議と思えるものに、もっともらしい因果関係を考え出すのは、人間の共通習性で、現代人もその点では変わりません。

考古学を詳しく学んだこともない梅爺が、少ない情報をもとに勝手な想像をしてみると、2世紀から3世紀には、豪族による『連合国家』のようなものが既に存在し、3世紀後半から4世紀初めごろに、初めて中央権力集約型の『古代国家』が成立したのではないかという推測へ到達します。

その最初の中央権力集約型の『古代国家』が『ヤマト王権』であった可能性が高いと思います。

6世紀末の『飛鳥時代』は、突然出現したのではなく、それを可能にする前段階が着実に進んでいたと考える方が自然です。

『古墳時代』の日本は、かなり高い『文明』をすでに有していたと考えるべきでしょう。その『文明』と『日本語』の成立の関係なども気になります。

また後日、勝手な推測によるブログを書き始めるかもしれません。

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2017年8月14日 (月)

日本の古代国家(9)

前に『出雲と大和』というブログでも書いたように、梅爺は『出雲』勢力が畿内も支配下に置き、大和地方に『邪馬台国』を建国することに中心的な役割を果たしたのであろうと考えています。

後に、九州から『東征』してきた勢力が、『邪馬台国』から権力を奪い、『出雲』勢力も支配下において『ヤマト王権』の国家基盤を確立したという推測です。

権力移行時に、『ヤマト王権』勢力が『出雲』勢力を屈伏させたに違いありませんが、それが『古事記』『日本書紀』では『国譲り』という穏やかな体制移行のように記載されていることに梅爺は違和感を覚えています。なにか『事実』を隠ぺいするための『作り話』の臭いがするからです。

しかし、『西郷隆盛』と『勝海舟』の談判で、『江戸城無血開城』が実現したという歴史的事例がありますから、『ヤマト王権』と『出雲』の話し合いで『国譲り』が行われた可能性がないとは言えません。

ただ、徳川幕府は追い込まれた状況のなかで渋々『大政奉還』を認めたということですから、『江戸』を『東京』に変えて発足した『明治政府』は、旧幕藩勢力の反発を抑えながら『新国家』体制を確立するのに、大変な努力を要しました。

『ヤマト王権』勢力を『薩長』、『邪馬台国(出雲勢力主体)』を『徳川幕府』と見立てると、その関係が非常に似ているように感じます。

この例えでは『ヤマト王権』は『明治政府』ですから、『ヤマト王権』が当時の日本主要地を完全支配下に置くのに、大変な努力が必要であったと想像できます。『倭の五王』の記述から類推で、『単独支配体制』の確立には約50年を要したことが分かります。

『ヤマト王権』の支配下で、後に大きな権力をもった『蘇我氏』『物部氏』などは、その出身地を考えると、もとは『出雲』勢力に属していた豪族ではないかと思います。いち早く『ヤマト王権』側に寝返って功績をあげたのかもしれません。

『出雲』勢力が『ヤマト王権』勢力に屈した時、『出雲』勢力のリーダーは誰であったのか、移行時にどのような処遇されたのかが梅爺の興味の対象です。

リーダーは『大国主命』であり、『ヤマト王権』側の謀略によって虐殺されたのではないかと勝手に想像しています。

後の『ヤマト王権』側が、『大国主命』の『祟り』を恐れている様子が、色々の事からうかがえるからです。

『古事記』『日本書紀』の中に、『大国主命』が『良い人物』として登場すること、『ヤマト王権』が『国譲り』の時の約束に従って『出雲大社』を建立していることなどが、梅爺の想像の背景の根拠です。

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2017年8月13日 (日)

日本の古代国家(8)

『倭の五王』の朝貢で興味深いのは、最初の『讃』は自分を含めて複数の人間に『将軍』の称号を与えてほしいと中国の皇帝に頼んでいるのに対し、5人目の『武』は、自分だけを『東征大将軍』にしてほしいと頼んでいることです。

このことは、大変重要なことを意味しているのではないでしょうか。

仮に『倭の五王』は『ヤマト王権』の『大王(天皇)』であったとして、『讃(履中天皇)』のころは、支配はまだ他の豪族との連合支配の色合いが濃かったのに対し、『武(雄略天皇)』の時代には、完全に『大王』一人の支配体制が確立したということではないでしょうか。

これらを総合して想像すると、以下のような経緯が梅爺には見えてきます。

(1)3世紀の後半から4世紀の初めに、『邪馬台国』から『ヤマト王権』への権力移行があった。
(2)『ヤマト王権』勢力は、九州から『東征』してきた人たちで、『出雲』主体で擁立されていた『邪馬台国(畿内地方に存在)』から権力の座を奪った。『東征』は『古事記』『日本書紀』では『神武東征』として記述されているがその開始時期はよくわからない。
(3)権力移行は、実質的には『ヤマト王権』と『出雲』勢力の間の抗争で、その出来事は『古事記』『日本書紀』には『国譲り神話』として記述されている。
(4)権力移行後、『出雲』勢力は消滅したのではなく、『ヤマト王権』の支配下へ移行したが、当然部分的な反抗が残った。『ヤマト王権』の一極支配が確立したのは5世紀後半(雄略天皇の時代)である。

このように考えると、8世紀の『古事記』『日本書紀』で『神話』として記述されていることは、3~5世紀の『出来事』であるということになります。つまり書かれた時代より300~500年前のことで、当然『事実』は『伝承』されていて、関係者は『知っていた』ことになります。

権力抗争では『ヤマト王権』勢力が『出雲』勢力に勝ちましたが、『文化』『技術』は『出雲』の方が高度であったのではないかと思います。多くのことを『出雲』から学び吸収していったように見えます。

『古事記』『日本書紀』では、『出雲』の歴史をそのほぼそのまま引用していたりしていることからの推測です。

『神を祀る様式』も『出雲』の方が古く、更に進んでいて、『ヤマト王権』側は、真似をして自分たちの氏神を祀る『伊勢神宮』を建立したのではないでしょうか。日本の神社の原型は『出雲』であろうと思います。

『出雲』の古代信仰のご神体は『巨石』『山』で、やがて先祖の霊もそこへ祀るという様式に移行していったように見えます。奈良の大神神社(おおみわじんじゃ:三輪山)は、山そのものがご神体で、『大国主命』も祀られています。多分『ヤマト王権』以前の『出雲』支配時代の信仰が、現在まで継承されているのではないでしょうか。『ヤマト王権』が『大神神社』の継承を認めたのは、『大国主命』の『祟り』を恐れたからではないでしょうか。

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2017年8月12日 (土)

日本の古代国家(7)

3世紀の半ば、『邪馬台国』の『卑弥呼』の後継者『壹與(いよ?:女王)』が中国へ朝貢した記録から、413年『倭の五王』の一人『讃』が中国の『東晋』へ朝貢したという中国の『晋書』の記載まで、約150年間中国の歴史書には『倭国』に関する記載がなくなります。

この空白の150年の間に『何があったのか』は分かっていません。

想像をたくましくすれば、この間に当時の日本の支配が『邪馬台国』からほかの勢力へ移行したと考えられます。

この他の勢力が後に『ヤマト王権』を作り上げたとすれば、中国の歴史書に現れる『倭の五王』は、初期の天皇たちであるということになります。もっとも『天皇』という称号は7~8世紀に確立したもので、それ以前は『大王』の称号が使われていました。

『倭の五王』は、『ヤマト王権』とは無関係であるという説もありますが、梅爺はやはり『ヤマト王権』の『大王(天皇)』であろうと想像します。

『倭の五王』は『ヤマト王権』の『大王』とした説では、以下のような対応とされるのが一般的です。

「讃」→履中天皇、「珍」→反正天皇、「済」→允恭天皇、「興」→安康天皇、「武」→雄略天皇

『倭の五王』の朝貢の目的は、中国皇帝から『安東将軍倭国王』『東征代将軍』などの『お墨付き』をもらうことでした。当時の中国と日本の力関係を反映しています。日本側には『逆らって、攻められたりしたらかなわない』という考え方があったのでしょう。圧倒的な『文化』『技術』の差を感じていたに違いありません。

3世紀から6世紀にかけて、残念ながら日本には、日本で記述した『歴史書』が残っていませんので、『当時の日本人は文字の存在を知らなかった』と勘違いしがちですが、少なくとも『卑弥呼』の時代から、中国への朝貢があったということは、『中国には文字がある』ことを関係者は知っていたことになります。『邪馬台国』の人たちは、野蛮人ではなく、私達の想像以上の『文化』を保有していたことになります。

ただ、『日本語を漢字を用いて表記する』という習慣が必ずしも確立していなかったということでしょう。古墳時代の副葬品として出土した『鉄剣』などのは、漢字で銘が彫られていますから、『日本語を漢字を用いて表記する』方法が既に流通していたことは分かっています。

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2017年8月11日 (金)

日本の古代国家(6)

『古事記』『日本書紀』の最初に『神話』が登場することを、現代人は『この部分は作り話である』といって、歴史として扱うことを避けようと考えます。

『過去からの伝承』を収集し、編纂者が『ヤマト王権』に不利にならないように、脚色しながら再構築した内容と推察できますから、歴史を忠実に反映しているとは言えませんが、歴史の片鱗が潜んでいると梅爺は考えています。

8世紀の日本人にとって、特に権力者にとって、自分たちの先祖は『神』であるという考え方が、あたり前のこととして受け入れられていたことを私達は配慮する必要があります。

とってつけたように最初に『神話』を持ってきたのではなく、『神話』は『先祖の歴史』として、大真面目に提示していると考えるべきでしょう。

過去に実在した人物に関する伝承と、先祖は『神』であるという考え方が入り混じっていることも、注意して見極める必要があります。

典型的な例が、『出雲』を有力な豪族に創り上げた人物で、『神話』では『大国主命』という『神』として登場します。ただし『神話』には、いくつも異なった呼び名の名前でも登場しますので、一人の人物に複数の呼び名があったのか、複数の人物の伝承を、一人の『神』として伝えているのかは判然としません。

後に『大国主命』は『大黒様』と呼ばれるようになり、今でも『七福神』の一人として、庶民の敬愛の対象になっています。

出雲系の人たちの『氏神』として、『出雲大社』に祀られていますから、『ヤマト王権』系の人たちの『氏神』が、『伊勢神宮』に祀られている『天照大神』であることに相当します。

梅爺の直感で判断すると、『天照大神』は実在の先祖の人物を全く反映していないとは言えないまでも、かなり後に創作された『神』であるように見えますが、逆に『大国主命』は、むしろ実在の先祖を色濃く反映しているように見えます。

『大国主命』は、『出雲』の草創期のリーダーであり、後に多くの地域を平定して支配下に置くことにも成功した人物で、一族から敬愛された人物でもあったように見えます。『大国主命』に関しては『良い人物』の印象の話が大半です。先祖が美化されたこともあろうかと思いますが、実際に『徳』があったリーダーであったのではないでしょうか。

梅爺が勝手に想像しているように、もし『出雲』勢力が中心になって『邪馬台国』を建国したのなら、その時点で実在人物としての『大国主命』は存命であったのか、更に、後に『ヤマト王権』が実質的に『邪馬台国』の権力を奪った時点(『出雲』も『ヤマト王権』の支配下に移った)で、その人物は存命であったのかが興味の対象になります。

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2017年8月10日 (木)

日本の古代国家(5)

昨日も書いたように、3世紀の日本は、『弥生人』の渡来が始まってから1000年以上後の時代で、九州だけでなく、北関東にまで居住領域は広がり、地方ごとに豪族の支配が確立していたと考えると、『邪馬台国』は九州であったとは必ずしも言えないと考えるようになりました。

九州だけが文化面、技術面で優れた地域であったわけではなく、更に3百年後には、大和地方に『飛鳥時代』が開花したことを考えると、3世紀の畿内に『邪馬台国』があったとしても不自然ではありません。そのようなことを推定して、現在では『邪馬台国』は畿内にあったのであろうと梅爺は考えています。

『邪馬台国』は、『魏志倭人伝』によれば、『倭国』が乱れた(豪族同士の争いが絶えなかった)ために、女王『卑弥呼』が支配する『邪馬台国』を擁立して紛争が収まったということですから、『卑弥呼』を擁立するのに動いた中心的な豪族がいたはずです。

その豪族が、後の『ヤマト王権』を築いた人たちの先祖であれば、『邪馬台国』は『大和朝廷国家』の前身である可能性が高くなりますが、現時点では、『邪馬台国』と『ヤマト王権』の関係は明確に分かっていません。

8世紀に、『ヤマト王権』の歴史書として『古事記』『日本書紀』が編纂されますが、不思議なことに、『古事記』『日本書紀』には、『邪馬台国』『卑弥呼』に関連する明確な話は出てきません。

編纂者は、『魏志倭人伝』の存在を『知っていた』と考えるのが自然ですから、何かの理由があって『邪馬台国』『卑弥呼』を意図的に『無視』『隠ぺい』していると考えたくなります。

もし、自分たちの先祖が関与したのであれば、むしろ誇らしげにそれを記述するはずですが、そうでないところをみると、『ヤマト王権』にとって『邪馬台国』は伏せておきたい事情があるのではと、疑いたくなります。

もし『邪馬台国』を擁立した時の中心豪族が、『ヤマト王権』の先祖ではないとすると、一体誰であったのかが知りたくなります。

梅爺は、それは『出雲』地方を中心に、畿内、、吉備、北陸、信濃までを支配していた豪族なのではないかと勝手に想像しています。

以下のように考えると、色々の事が矛盾なくつながって見えてくるような気がするからです。

(1)『邪馬台国』を擁立した中心豪族は『出雲』を拠点とする豪族である。
(2)『邪馬台国』の支配は、北九州、山陰、吉備、瀬戸内海沿岸、畿内、北陸、北関東にまで及んでいた。
(3)『邪馬台国』から権力を奪い、日本の広域を支配するようになったのが『ヤマト王権』を確立した豪族である。
(4)権力を奪う時に、『ヤマト王権』側と、旧『出雲』側で、何らかの『事件』があり、その事件の真相は『ヤマト王権』としては伏せておきたいものであった。

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2017年8月 9日 (水)

日本の古代国家(4)

『魏志倭人伝』によると、3世紀に『倭国(当時の地理的日本)』は、豪族間の紛争が絶えなかったために、豪族で協議をして『卑弥呼(女王)』を擁立して『邪馬台国』を起こし、ようやく『倭国』の紛争は収まったことが分かります。 

際限なく続く紛争を終わらせるために、当時の日本人は実に見事な『知恵』を発揮したと梅爺は感服します。全員が共倒れになるまで戦うよりは、このほうが現実的であるという『理の判断』が背景にあるからです。 

しかし、『邪馬台国』によって、当時の日本の全土が安定支配されたとは考えにくく、あくまでも『反抗する』『渋々従う』豪族が存在したと考えるのが自然です。 

『魏志倭人伝』の資料を残した中国から日本へやってきた使者は、『対馬』『一支』『末盧』『伊都』『奴』『不弥』『投馬』といった国を経て『邪馬台国』へ到達しています。 

『対馬』から『奴』までは、現在の北九州の場所が特定できていますが、『不弥』『投馬』『邪馬台国』の場所は、特定できずに論争が続いています。 

『魏志倭人伝』が『南』と指定しているところを『東』と読み替えれば、なんとか畿内地方へ到達できますので、学者の中にはこの『誤記説』を支持する人もいます。そしてこれが『邪馬台国畿内説』を唱える人たちの根拠になっています。本当に『南』に指定通り進むと、『邪馬台国』は東シナ海か太平洋の洋上に存在することになってしまうからです。

中国からの使者が通過した、『対馬』から『投馬』までの全ての『国(地方豪族の支配地)』は、『邪馬台国』の配下にあったと考えてよいのでしょう。使者はそれが『邪馬台国』への安全なルートであることを承知していたと考えられます。

もし『邪馬台国』が畿内にあったとすれば、その支配が北九州の主要部にまで及んでいることを上記のことは示しています。

以前梅爺は『邪馬台国』は九州にあったのではないかと考えていました。

中国大陸や朝鮮半島に近いことが、新しい文化や技術を導入する上で有利であり、強い支配力を持つ有力豪族の拠点が九州であった可能性が高いと考えたからです。

しかし、梅爺が誤解していたのは、『邪馬台国』が擁立されたのは3世紀であり、3世紀の日本人は、梅爺の想像以上に、高い文化レベル、技術を有していたことを見落としていたことです。『邪馬台国』は『飛鳥時代』のたった300年前に存在していた『国』であることを考えるとそれは当然のことです。

『卑弥呼』は、配下の豪族たちに、圧倒的な権威を示すために、中国(魏)へ朝貢のための使者を送り、『倭国王』の称号を得ています。

朝貢使節団を組織して送るということ自体、優れた総合能力がないとできません。『卑弥呼』は、中国大陸、朝鮮半島のことを『熟知していた』ことになります。

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2017年8月 8日 (火)

日本の古代国家(3)

日本の『古代国家』成立には、『弥生人』の渡来が大きく関わっていると梅爺は推測しています。

『縄文時代』やそれ以前にも、『村落』『部族』などの集団が存在し、それもかなり大規模なコミュニティであったことは想像できますが、『政治』『宗教』『経済(生産)』などを総合的に支配する組織をもつ『国家』とよぶレベルのものでは未だなかったのではないでしょうか。

何よりも重要なことは、日本へ渡来した『弥生人』の一部が、渡来以前に『国家』の存在を『知っていた』か『体験していた』ということです。移住先の日本でも、『国家』のような体制を創ろうと考えるのは自然のことです。

紀元前10世紀からごろは、渡来してきた『弥生人』と先住の『縄文人』との間で、抗争があり、やがて文化や技術で勝る『弥生人』を中心とする『豪族集団』が、日本の各地を部分支配するようになっていったと想像できます。

主なる地域は、北九州、南九州、瀬戸内海沿岸、吉備、山陰、畿内、関東です。最初の頃は、東北、北海道、沖縄は『弥生人』の支配下にはなっていません。

『縄文人』は消滅したわけではなく、僻地へ逃れたもの以外は、『弥生人』中心のコミュニティにとりこまれ、交雑により後に『日本人』と呼ばれる人種が誕生したのでしょう。現代の日本人の中には『弥生人』『縄文人』の遺伝子が継承されていることも科学的に分かっています。

中国大陸や朝鮮半島に近い北九州が、文化や技術を取り込む上で有利なことから有力な『豪族』が存在した場所と考えるのが自然ですが、山陰、瀬戸内海沿岸もそれに近い同様な利点を持つ地域ですから、ここにも有力な『豪族』が存在したことが考古学的な遺跡から分かっています。私達が想像する以上に、当時船を用いた海上交通技術は進んでいたと考えるべきでしょう。鉄の生産が行われた吉備もまた『豪族』の支配地域になりました。

この『豪族』の中の一つが、後に『ヤマト王権』を作り上げることになったのでしょうが、最初の拠点がどこであったのかは判然としていません。ただし後に『ヤマト王権』が編纂した『古事記』『日本書紀』の神話では、先祖は九州の『高天原』に天下ったことになっています。この神話に何らかの歴史的伝承が含まれているとすれば、『ヤマト王権』の先祖は最初に九州に拠点を持ち、後に『東征』して大和地方を支配の中心地にしたことになります。

前にも別のブログに書きましたが、梅爺は、最初に日本本土の当時の中心地(山陰、吉備、畿内、瀬戸内海沿岸、越前、越中、越後、信濃)を広域に支配したのは『出雲』の『豪族』であったのではないかと想像しています。少なくとも『豪族』連合のようなものがあり、中心は『出雲』であったと考えています。

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2017年8月 7日 (月)

日本の古代国家(2)

日本の古代国家のことを考えるために、『古代国家はいつ成立したのか(都出比呂志著:岩波新書)』を読みました。 

著者の都出(つで)氏は、大阪大学の名誉教授で、古墳様式などの研究に携わってこられた考古学者です。『銅鏡』や『古墳』を綿密に調査研究することで、多くのことが『分かる』ことを梅爺は知りました。

学術的に『国家』を論じようとすれば、『国家』を定義しなければならず、その定義にかなう要件を備えているもののみが『国家』となります。

また『原始国家』『初期国家』『成熟国家』などの区分をする考え方もあります。

日本の考古学において、『国家』の定義は確立しているわけではありませんから、学者によって考え方が変わってきます。

たとえば『邪馬台国』は、『国家』といえるのかとか、『成熟国家ではないが初期国家である』といえるのかなどが、学術的には問題になります。

そのようなことにこだわっていると、ブログが書けなくなりますので、梅爺は『ある程度広域を支配下に置き、ある程度の支配組織を有し、ある程度の人口規模をもつコミュニティ』を荒っぽく『国家』として扱いたいと思います。このブログは学術論文ではありませんので『曖昧さ』をお許しください。

『飛鳥時代』に成立した『律令国家(ヤマト王権)』は、どの学者も『国家(成熟国家)』と認めるものですが、それが日本の最初の『国家』であるのか、それともそれ以前に前身となる『初期国家』体制は存在していたのかが問題になります。

梅爺は、突然『成熟国家』が出現するのは不自然と感じますので、当然その前段階の『初期国家』は存在するものと考えています。

その『初期国家』も、『ヤマト王権』が支配するものであったのかどうかということになりますが、少なくとも『ヤマト王権』の『初期国家』は存在したであろうと考えます。

中国の歴史資料『魏志倭人伝』『晋書』『宋書』に、日本は『倭国』として登場しますが、この『倭国』は、日本列島中心の地域を指す言葉で、特定の『国家体制』のことではないと思います。

中国から観ると日本(倭国)のその時々の『王』は以下のようになります。

卑弥呼(女王) 3世紀(中国は魏)
倭の五王(讃、珍、済、興、武) 5世紀(中国は東晋、宋)

6世紀末には、『ヤマト王権』の『律令国家』が成立したことは明らかですから、その前身である『初期国家』は、3~5世紀に登場したと考えて良さそうです。

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2017年8月 6日 (日)

日本の古代国家(1)

最近の梅爺は『日本の古代国家』への興味が強くなり、参考の本を読んだり、推測したりすることが多くなっています。

学校で習った『日本史』では、飛鳥時代の『律令国家体制』確立後の歴史が主で、それ以前の日本列島とそこに住んでいた人たちのことに関しては、『旧石器時代』『縄文時代』『弥生時代』『古墳時代』などという大雑把な区分けのことしか教わりませんでした。

人間の歴史を、宇宙の始まりである『ビッグ・バン』を起点に鳥瞰する『ビッグ・ヒストリー』という考え方が最近アメリカで提唱され、梅爺も啓発されてこの視点で『人間』を観てみると、『民族対立』『宗教対立』など、なんと小さなことに人間はこだわっているのだろうと思うようになりました。

主観的に観ると、自分は大きな存在になりますが、客観的に観ると自分は小さな存在であることに気付きます。私達は、この両方の視点をバランスよく使って生きていくべきではないでしょうか。

日本の歴史も、日本列島へ私達の最初の祖先である『ホモ・サピエンス』が到達した時を起点として観てみると、考え方が大きく変わります。現時点で、『ホモ・サピエンス』の『日本列島』到達は、4万年前と推定されています。

時間系列で各時代を列記すると以下のようになります。学術的には色々な意見がありますが、これは一般的な目安程度にご理解ください。

旧石器時代 40、000年前~15,000年前
縄文時代   15,000年前~3,000年前
弥生時代   3,00年前~1,700年前
古墳時代   1,700年前~1,400年前

『飛鳥時代』は6世紀末に始まったとすると、それ以降現代まで1400年が経過していますが、日本列島に『ホモ・サピエンス』が到達してから『飛鳥時代』までに約38,000年を要していることになります。

学校で習った『日本史』は、全体の中のごく一部であるということになります。日本人の歴史は、『飛鳥時代』以前の方が圧倒的に永いということを承知しておくべきでしょう。

そこで、『日本史』を日本版『ビッグ・ヒストリー』の視点で観てみようと考えるようになりました。

● ホモ・サピエンスはどのように日本列島へ到達したのか。
● その後、日本列島への渡来はどのように続いたのか。
● 日本でのコミュニティ、文化はどのように形成されていったのか。
● 中国大陸、朝鮮半島との交流はどのように行われていたのか。
● ヤマト王権による中央権力が確立するまで、何があったのか。

歴史学者、考古学者でも、はっきり答えることができない疑問ですから、『事実』を知るというより、自分にとって矛盾が少ないと感じる『因果関係』を推定してみたいと考えています。カッコヨクいえば『知的な遊び』を楽しみたいということです。

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2017年8月 5日 (土)

The best doctors are Dr.Diet, Dr.Quiet, and Dr.Merryman.

英語の諺『The best doctors are Dr.Diet, Dr.Quiet, and Dr.Merryman.』の話です。

『最高の名医は、ダイエット先生、安泰先生、快活先生』である、ということですから、『節度ある食事、心穏やかな生活、笑顔の振る舞いが健康の決め手』という意味になります。

梅爺流に分類すると『節度ある食事』は『物質世界(身体)』に関わり、『心穏やかな生活』『笑顔の振る舞い』は『精神世界(心)』に関わる事柄と言うことになります。つまり『健康』は『身体』と『心』のバランスで得られるということにほかなりません。

日本人は昔からこのことを『病は気から』という表現で、経験則で知っていました。しかし、『心』が何故『病』の原因になるかというカラクリが判明したのは、そう昔のことではありません。

人間は『安泰を脅かす状況』に直面すると、『脳』は、それを『ストレス』として認識し、特定の『ホルモン』を分泌して『身体』に警告(ネガティブ・シグナル)を発します。『身体』の機能はこれに通常とは異なった対応をし、『ストレス』が強かったり、長引いたりすると変調をきたし、やがて『病』になったりします。『緊張で胃が痛む』などがこれに相当します。『物質世界』と『精神世界』は別の世界のように見えて、実は地続きであることの証左でもあります。

『安泰を脅かす状況』は、通常周囲環境によってもたらされますが、中には『脳』が将来の『心配事』を予測して、自ら『安泰を脅かす状況』を創りだしたりもしますから厄介です。更に厄介なことは、『ストレス』がなければ良いのではなく、『適度なストレス』が健康維持に必要ということになります。人間は実に微妙なバランスで『生きて』いるということなのでしょう。

『心穏やかな生活』『笑顔の振る舞い』のお膳立ては、他人に求めるべきものではありません。本能に従って生きていれば、『安泰を脅かす状況』は嫌でも押し寄せてきますから、『理性』の意志がないと、これを『心穏やかな生活』『笑顔の振る舞い』に変えることができません。

梅爺は、年齢を重ねて、自然に『好々爺(こうこうや)』になれるだろうと甘く見ていましたが、実際は『偏屈爺(へんくつじじい)』になっていきそうな事態を知って、あわてています。

『もう遅い』と言われそうですが、これからも修業を積んで、『好々爺』を目指したいと考えています。

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2017年8月 4日 (金)

ウンベルト・エーコのエッセイ『偶然と神のデザイン』(6)

自然界(物質世界)には、『理想』『目的』『あるべき姿』などは存在しないというのが、生物進化の権威であるイギリスの『リチャード・ドーキンス』の主張で、梅爺もそのように考えることが理にかなっていると考えています。

自然界に存在しているのは、『絶え間ない変容』で、その『変容』は、特定の『目的』へ向かって進行しているのではないということです。

しかし、この考え方は、『万物は神の創造(神のデザイン)』と教えられ、信じてきた方々には、戸惑いのタネになります。人間社会では『目的』『あるべき姿』やそれに向かっての『デザイン』が大きな意味を持ちますから、自然界にもこの考え方が通用するものと疑わずに信じられてきたからです。

近世以前の科学知識が乏しかった時代の人たちは、周囲の『摩訶不思議』にみえる事象の正体(因果関係)を、なんとしても知りたいと考えたのは当然のことです。

人間の『精神世界』の基盤に、『安泰を希求する本能』があるという考え方が梅爺の仮説で、現代人もこれは同じと考えています。特に意味のないパターン図形を観て、何か深い意味が込められているのではないかと考えたりするのはそのためです。パンをトーストしたら、偶然焼き目が『キリストの顔』のように見えたため、これを『聖なるもの』として多くの人が礼拝の対象にした、などという話も聞いたことがあります。

『摩訶不思議』の正体は、『神のデザイン』という考え方で因果関係が成り立ち、そう言われてしまうと反論の術もありませんから、『神のデザイン』という考え方が、人間社会に根強く定着しました。

『神は神に似せて人間を創った』などという主張も、これと同類です。人間に見事なまでに備わっている諸機能を考えれば、『このような複雑、精緻な仕組みは神でなけらば思いつかない』と考えたくなります。

しかし、『生物進化』は、人間は『単細胞生物』から40億年かけて『進化』した成果であることを明らかにしました。『進化』を促進したのは『偶然』の『突然変異』で、そのプロセスに『神のデザイン』などが入り込む余地はないことが判明しました。

現時点で、『科学』にとって全く解明出ていないことは、『何故自然界に摂理が存在するのか』ということです。したがって『摂理は神意である』という仮説の提示は可能です。しかし『摂理』は冷厳なる論理的な法則に過ぎませんから、『摂理は神意である』としても、『愛』『罪の許し』などという概念とは無縁であることをわきまえておく必要があります。

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2017年8月 3日 (木)

ウンベルト・エーコのエッセイ『偶然と神のデザイン』(5)

『創造主である神』『全知全能の神』『絶対なる神』『全てを司る神』という表現が、一神教の宗教では共通して用いられます。

一神教の元祖は『ユダヤ教』で、この『ユダヤ教』から2000年前「(1世紀)に『キリスト教』が、1400年前(7世紀)に『イスラム教』が派生しました。

『キリスト』は『ユダヤ教』を信奉するユダヤ人社会に出現した『預言者』であり、『ムハンマド』は一神教を持たなかったアラブ人社会に出現した『預言者』です。『ムハンマド』にお告げをもたらしたのは『大天使ジブリール』とされていますが、これはユダヤ教の『大天使ガブリエル』のアラビヤ語表現ですから、『ユダヤ教』からの派生は明白です。ユダヤ人が民族の神『ヤーウェ』を保有していることをうらやんでアラブ民族の神『アッラー』を考え出したという説がありますが真偽のほどはわかりません。

『ユダヤ教』が成立した時期は、『モーゼ』がエジプトからへブル人を脱出させたときに、シナイ山で『十戒』を神から授かった時(紀元前13世紀)』とされていますが、これは史実ではないとしても、少なくとも紀元前10世紀頃には、『ユダヤ教』は存在していたのではないでしょうか。日本はそのころ縄文時代ですから、『ユダヤ教』の歴史の古さがわかります。

他民族から虐げられ続けた『ユダヤ民族』が、民族のアイデンテティを絆として保有するために『自分たちだけの神(一神教)』という概念を創造確立したというのが梅爺の推測です。

しかし、この『一神教』は、『キリスト教』『イスラム教』にも受け継がれ、結果的に人類の歴史に大きな影響を与えることになりました。

特に西欧文明や芸術と『キリスト教』が一緒に発展したために、現時点でも『一神教』は絶大の影響を保持しています。歴史的に著名な芸術家の多くは、キリスト教を基盤とした絵画、彫刻、ミサ曲、レクイエム、宗教曲を残してきました。これらは、一種の文明の『慣性』として影響力を保持し続けますので、母体である『キリスト教』の存立基盤を強固なものにしています。

しかし、今後の人類の歴史を考えると、『宗教』の教義の一部に疑念を提示するものとして『科学』が大きく立ちはだかることになるのではないでしょうか。

『宗教』が『神秘』『神聖』『奇跡』として、それ以上の追求を放棄していた事柄の『真因』を、『科学』が『理』だけで解明してしまう可能性が高いからです。

現時点で『信仰』がもたらす最高の効用である『心の安らぎ』の正体も、それを脅かす要因である『憂い』『悲しみ』の正体と一緒に、脳科学が解明する時がくるものと思われます。

梅爺は、伝統ある『宗教』を無用なものと言いたいわけではありません。ただ人類の理性は、『宗教』だけを聖域とせずに、『真実』や『実態』を求めることになるであろうと申しあげたいだけです。

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2017年8月 2日 (水)

ウンベルト・エーコのエッセイ『偶然と神のデザイン』(4)

自然界の事象は、『偶然』に始まりますが、始まってしまえばその『変容』は『摂理』に則って進行します。

『宇宙の誕生(ビッグ・バン)』は、『偶然』かもしれませんが、その後の『宇宙の歴史(変容)』は、『摂理』だけに支配されています。

『生物進化』は、『遺伝子の突然変異』という『偶然』で始まりますが、『生命活動』は『摂理』だけで維持されます。

科学者は、すでに発見された『摂理』を駆使して、現時点で未知の『摂理』を発見しようと努力しています。

全ての『摂理』は、究極一本の『数式』に集約されるという仮説を証明するための努力もなされています。この究極の『数式』は『神の数式』と呼ばれています。『神の』という表現は比喩ですから、科学者はこの数式は『神のデザイン』であると考えているわけではありません。

自然界(物質世界)を支配する『摂理』が存在するのは『偶然』なのか、それとも『必然』的な意味があるのかは、現時点では誰も分かっていません。

『自然界に存在する摂理は神のデザインである』という『命題』は、仮説して提示可能ですが、それを普遍的に『真』であると証明することはできません。

それに先立って『神は存在する』という『命題』の証明が必要になりますが、これも難しい話です。

何回もブログに書いてきたように、梅爺は『神』は、人間の『精神世界』が創りだした抽象概念であると考えています。科学知識が乏しい時代に、周囲の『摩訶不思議』に見える事象の因果関係を説明するのに『神』という抽象概念を必要としたからという推測です。そして因果関係の存在が、人の心に『安泰』をもたらすことになったからであろうと考えています。

この梅爺の考えに従えば、自然界(物質世界)を議論するときに、『神』は必要ではないことになります。むしろ『神』にからめて理解しようとすると誤認が生ずることになります。

この世から人間がいなくなったときに、『神』という抽象概念も消滅するはずです。その時でも自然界(物質世界)は、変わりなく存在し続けると予測できます。自然界は『神』という概念を必要とせずに存在している証左のような気がします。

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2017年8月 1日 (火)

ウンベルト・エーコのエッセイ『偶然と神のデザイン』(3)

● 138億年前に『ビッグ・バン』によって『宇宙』は出現し、『変容』が開始され、今でも続いている。
● 45億年前に、『宇宙』に『太陽(恒星)』が出現し、同時にその惑星である『地球』も出現した。
● 40億年前に、『地球』に『生命体』が出現し、『生物進化』が始まった。
● 約500~800万年前に『人類種』が出現した。
● 『人類種』の一種である『ホモ・サピエンス』は17万年前にアフリカに出現した。

上記の内容が、『科学』の定説です。『科学』は『理』による普遍的な真理の探究を行って、この定説にたどり着きました。

このブログの最初の回に述べたように、『変容』は偶然のきっかけで開始しますが、『変容』そのものは『摂理』に支配されているという考え方が『科学』の基盤です。

しかし、この定説を、『神』『神の意図』『神による創造』、つまり『聖書』と絡めて説明しようとすると、ややこしい議論になります。

科学知識がなかった中世では、全て『神の意図(神のデザイン、神の創作)』で因果関係は説明され、誰もが『そういうことだ』と受け入れていました。

しかし、理性的な神学者の中には、さすがに『神による6日間の天地創造』は『本当だろうか』と疑問を持つ人もおり、『聖オーガスチン』は『聖書に書かれている表現は、比喩、暗喩とみるべきで、1日はたとえば1000年のことかもしれない』と論じていると『ウンベルト・エーコ』は紹介しています。

解釈に個人的な主観が入り込んでくる典型例として、梅爺は失礼にも笑ってしまいました。この論法で解釈をすれば、全て自分にとって都合のよい内容になってしまうからです。基本的に主観を排する『科学』では、このような論法は通用しません。

その後近世になるまで、『天地創造』は6600年前の出来事であるという権威ある神学者の『見解』が通用していました。『聖オーガスチン』の考え方に影響を受けたのかどうか梅爺は知りません。

キリスト教の立場では、自然界の全ての事象は『神の意図』『神のデザイン』であるということになります。

そしてその『神』は、『人間を愛してくださる』『人間の罪を許してくださる』『最後の審判の日に現れて全ての死者を蘇らせてくださる』ということになります。

このような『教義』を必ずしも信じていない『科学者』も、表面的には『偶然』に支配されているように見える自然界の事象の奥に、何か『必然』を匂わせるものがあることに気付いています。『摂理』の存在に何か『必然』的な意味があるのかもしれないと考えるからです。

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